第2話 全ての元凶の日

「リリィ!!」


 叫び声を上げながら上半身を起こすと、見覚えのある景色だった。


 本棚に乱雑に並べられた学術書。いくつものケーブルが繋がれている火力測定器。燃え盛る火炎のように真っ赤な魔法石の山。


 まさしく、そこは自分の研究室だった。


 王立学園の教師には、一人に一室、自分の研究室を持つことが許されていた。


 俺は何が起きたのか理解できず、床の上で呆然としていた。


 すると、突然、勢いよく研究室の扉が開かれ――


「何っ!? 急にどうしたんですか先輩……って、まぁ~た床で寝ていたんですかぁ!?」


 俺の前に、リリィが現れた。


 彼女は、呆れた表情で俺を見ている。


「リリィ……?」


「はいはい、私ですよ~?」


「本当にリリィなのか?」


「んんん~? まさか先輩、怖い夢でも見ちゃったんですかぁ~?」


 ぷぷぷっ、と俺を揶揄からかうように笑うリリィ。


 その柔和な笑顔には、ついさっき感じた冷たさはなかった。


「夢……だったのか……?」


 いや、そんなはずはない。


 俺には、リリィが追放された日からリリィに殺される日までの記憶が、確かに存在している。


「けど、夢でも私の名前を呼んじゃうなんてぇ~。先輩、どれだけ私のこと好きなんですかぁ~? 全くもぉ~」


「リリィ!! 今日は何年だ!?」


「ひいっ! きょっ、今日は、リュクス暦20年です……。ちなみに明日から夏季休暇です……」


「なっ……」


 時間が巻き戻っているだと……。


 しかも明日から夏季休暇ということは……。


「リリィ!! 今、これからどこに行く予定だ!?」


「どこって、私は、これからマティオス王子の個人指導がありますけど……」


 やはり、そうか……。


 俺の記憶が正しければ、今日、この後リリィはマティオス王子に愛の告白を受け、そしてそれを断ったがために、あらぬ嫌疑をかけられることになる……。


「本当に大丈夫ですか、先輩? 具合が悪いとかじゃ……」


 心配そうに俺の顔をのぞき込んでいるリリィ。


 在りし日の面影と、今の彼女が結び付く。


 やり直さなければ。


 何の因果か、俺はその機会を得たんだ。


 絶対に彼女を行かしてはならない。


「個人指導に行ってはいけない」


 俺は真剣な眼差しで、リリィにそう伝えた。


「えぇ!? 急に何を言い出すんですか!?」


「行くな、リリィ!」


「でも仕事ですから……」


「今日は、ずっと俺と一緒にいてくれ!」


「へっ!?」


 リリィの頬が薄紅色に染まった。


 しかし、彼女はすぐ首を振り、元の冷静な表情に戻った。


「ダメですよ、先輩! 私を巻き添えにして教員会議をサボろうとしても!」


「いや、違っ……」


 俺が誤解を解こうとした、その瞬間――


「お~い! シャノン~! 一緒に教員会議行こうぜ~!」


 ノックもなしに研究室の扉が開かれると、一人の男が立っていた。


「サイモン……」


 お前も生きていたんだな……。


「あれ? お二人さん? お取込み中でしたか?」


 先程肺を凍らされて死んだはずの同僚のサイモン。


 彼は、床に座っている俺と、リリィの顔を交互に見て、盛大に勘違いをした。


「いえっ、サイモンさん! 私たちは、全然そんなのじゃないですから! じゃあ私はこれで! 失礼します!」


 リリィは脱兎の如く俺の研究室から飛び出していった。


「おい! 待て! リリィ!」


……か。いいねぇ、青春だねぇ!」


「違うんだ、サイモン!」


「まぁまぁ、シャノンさんよぉ! そんなに焦らなくたって、明日から夏季休暇なんだから! 今は我慢して教員会議に行こうぜ!」


「俺の話を聞いてくれ!」


「いいよなぁ~、リリィは。マティオス王子の個人指導で、めんどくせぇ教員会議をサボれるんだもんなぁ~。おっと、時間だ。さぁさぁ、早くしないと間に合わなくなるぜ!」


 サイモンは急かすように俺を力ずくで床から起こすと、肩を押して、廊下へと連れ出した。


 普段から生徒に体術を指導している彼の力は強く、抵抗することができない。


 くそっ、どうすればいい……。


 何か策は……。


「待て、サイモン。研究室に忘れ物をした。一瞬だけ時間をくれ」


「ん~? 忘れ物? 分かった、早くしろよ?」


「あぁ」


 こうして、俺はサイモンに捕まり、半強制的に教員会議へと連れて行かれることになった。


 ◇ ◇ ◇


「であるからして、夏季休暇中の生徒対応については……」


 学園長は、長々しい世間話、回りくどい説教の後、ようやく本題に入った。


 今頃リリィは、マティオス王子に魔術の指導をしているところだろう。


 マティオス王子がいつリリィに対して愛の告白をするのか知らない俺は、教員会議中、気が気ではなかった。


 もちろん学園長の話など、一切耳に入ってこなかった。


「おい、シャノンくん! 聞いているのかね!」


 そんなことを思っていたそばから、学園長が名指しで俺を注意してきた。


「すいません学園長、聞いていませんでした」


「えっ!? 聞いていなかったの!?」


 学園長は俺の思わぬ態度に目を丸くしている。


「はい。ちょうど魔術の研究が佳境で、そちらが気になってしまい……。大変失礼致しました」


「そうだったのか。まぁ、シャノンくんは優秀だからね。我が学園にはシャノンくんに加え、リリィくんも加わり、魔術指導の面では他のどこの学園にも引けをとらない……」


「学園長」


「はっ! そうだった!」


 俺の謝罪を受け、話が脱線しそうになった学園長が、隣に座っている副学園長に一言でたしなめられた。


「それでだなぁ……。教師たるもの、長期の休暇だからといって、羽を伸ばしすぎてはだなぁ……」


 そして、再び夏季休暇についての話を進め始めた、そのとき。


「先生、大変です!! 火事です!! 火の手が上がっています!!」


 一人の生徒が、血相を変えて会議室に飛び込んできた。


「何!? 火事!?」


「火事だと!?」


「それは確かなのか!?」


 退屈そうにしていた教師陣が、にわかに色めき立つ。


「確かです!! この目で見ました!! 今、リリィ先生が水の魔法で消火に当たってくれています!!」


「かっ、火事の現場はどこだ!? 今すぐ向かう!!」


「シャノン先生の研究室からです!!」


 学園長が席から立ち上がると、会議室にいる全員もそれに従った。


 ◇ ◇ ◇


 俺たちが火事の現場に到着したときには、すでに消火は完了した後だった。


 それもそのはず。


 教員会議の最中にボヤ騒ぎを起こし、リリィの個人指導を中断させるのが目的だったので、時限式の火炎魔法の火力はかなり抑えてあったからだ。


 まぁ、それにしても、火の手は俺の予想よりも遥かに弱く、俺の研究室の内部をさらりと軽くローストした感じの焼き具合だった。


 香ばしく、苦みの強そうな、嫌な臭いが辺りに立ち込めている。


「シャノン先輩!! ダメじゃないですか!!」


 リリィが俺を怒鳴りつけてきた。


「すまない。どうやら実験で使用した火の魔法石の処理が甘かったらしい。反省している……」


「あの……。えっと……。そんなに落ち込まれると、私……」


 そうか。


 当時の俺だったら、もう少し悪びれない態度をとっていたかもしれない。


「先輩、今日はどうしたんですか? さっきも様子がおかしかったですし……。何か悩み事でもあるんですか?」


「悩みなんてない」


「むむむ、本当かなぁ……」


 と、心配そうな表情のリリィ。


「リリィの方こそ、大丈夫だったか?」


「えっ、私? 私は大丈夫ですよ。幸い火の勢いもそんなに強くなかったですし」


 違う。俺が聞きたいのは火事のことではない。


「いや、そうじゃなくて、マティ……」


 俺はマティオス王子の名を挙げようとして、慌てて口をつぐんだ。


 教員会議に出ていた俺が、マティオス王子の告白の件を知っているはずがないから。


「悪かったな、リリィ。個人指導はどうなったんだ?」


「途中で中断しちゃいましたよ~。明日から夏季休暇だから、マティオス王子への個人指導はずっと先まで延期になりました」


「そうか……」


 取り敢えず、難は逃れたということだろうか。


「王子からの告白を断る」というイベントさえ発生していなければ、マティオス王子から逆恨みされることもないし、リリィがこの学園から追放されることもない。


 こうして、俺は、その場しのぎの作戦ながら、リリィとマティオス王子の間を遠ざけることに成功したのだった。


 その後、今日一日の仕事が終わるまで、学園長から、嫌味ったらしい小言を延々と言われ続けることにはなったが。


 しかし、その翌日――


 燃えた研究室の清掃のために学園に着くと、リリィを追放するための争議が行われていた。

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