第675話 ブラッディ・オブ・ザ・ダークネス

 ブラッディ・オブ・ザ・ダークネスがロンダピアザの中央にあるセーフゾーンに入った時、そこでは既に激しい戦いが行われていた。

 床を埋め尽くす無数の死体。

 人も、ゼリー状の怪物モンスターも、山のように積み重なった上でまだ激しく戦っている。

 バリケードは無事だが、壁中に穴が開きそこから敵が侵入したのだ。

 その穴を空けたのは眷族であったが、既に荒木あらきに倒された後だった。

 だが穴は依然として残る。塞ぐほどの余裕はまるでない程の乱戦なのだ。

 そして――、


「なんだ、ダークネスじゃねえか。お前がここに来るとは、どういう風の吹き回しだ?」


「ここの教官組はヌシ1人か」


「ああ、そうだよ。何処も手が足りねえんだ。成瀬なるせって奴が主力を引き連れて行っちまったからな。いや、殆どはあいつが蘇生させた奴だ。むしろ士気自体は上がっている分は感謝しなくちゃだがな。それでも最古の4人がいねえのはやはり力不足だ」


 ……来るな。


樋室ひむろさん、おさらばです』


 同時に残っていた最後の力が解放される。

 それは蝋燭の最後の炎にも似た最後の輝き。

 かつての成瀬敬一なるせけいいち。そしてクロノスであったものが、ゆっくりと殻から染み出していく。

 それはまるでオーラのようにも見えた。


荒木幸次郎あらきこうじろうよ。他の者を連れて逃げよ」


「何言ってやがる。珍しくやる気のようだが、それなら少しは手伝――」


 それはまさに一瞬の出来事だった。バリケードもそれを支えていた柱も、そしてそこにいた人間も、同類も、全てがバラバラに引き裂かれ宙を舞う。

 幸い荒木あらきは召喚者だ。光に包まれて消えるだけだが、他はそうもいかない。

 そして何より、本来では通れないほどの迷宮ダンジョンを、ゼリー状の体を変形させながら通って来たジオーオ・ソバデがゆっくりと広がるようにセーフゾーンへと侵入してきた。


 それはもう、以前の面影はまるでない。

 ナマコの様な形状の全身から生える無数の繊毛――いや、それは様々な生き物たちの手や足だ。

 そして生えていない体表には、様々な形状をした無数の目玉がぎょろぎょろと蠢いている。

 決して狭くはない。むしろ広い位のセーフゾーンの殆どを占めながらも、また全身は出ていない。


「随分と大きくなったものだ。これまで貴様を守っていた眷族全てを取り込んできたか。だが随分と醜くなったものよ。その全身から生える手足は、自らの体を守る盾か。その全身にある目は、どんな危険も見逃さない為か。実に貴様らしい。それでもスキルを使うたびに、何体もの眷族を消費して来たな。我には分かるぞ」


 ジオーオ・ソバデは応えない。

 その代り、生えていた無数の手足が一斉に伸び、包み込むように襲い掛かる。


「甘いな……外れよ」


 その一言で、向かっていた手足たちが一瞬にしてダークネスを中心とした円形に削り取られる。まるで虚空の彼方へと飛ばされたかのように。

 同時に体中の目が一斉に輝く。

 それは赤であったり青であったり、或いは緑、紫、黄色やピンク。さながら巨大なネオンの様。


「眠りに麻痺に石化、幻惑に魅了、昏睡に……ほお、精神崩壊もあるか。ご苦労な事よ」


 当然ながら、召喚者であるダークネスに精神系の攻撃は効果が無い。

 これは肉体のあるなしに関係ない事。世界の法則だ。


「我が何であるか計りかねているな。そうであろう。この身はかつてのセーフゾーンの主。引き連れるはセーフゾーンの主が作りし分身体。それに何より、今お主の体を消した手段……ククク、楽しかろう」


 そんな話も聞かずに再び襲い掛かる伸びた手足。

 今度はそれに加え、ぱっくりと背中が開き無数の岩石を投射する。


「フハハハハハハ、まるで無駄である。外れよ」


 まるで先程と同じように、襲い来る触手と岩石が消える。

 しかし今度はそれだけではない。ジオーオ・ソバデが声も無く体をよじり、その度にゼリーの体がバラバラと剥がれ落ちる。


「確かに我には故郷に帰す事も再び召喚する事も出来なかった。力は遥かに劣るだろう。だがそれは誇らしい事だ。といえ、こと戦闘に関しての経験とスキルは、まだまだ我の方が上よ」


 剥がれたのはジオーオ・ソバデがこれ稀に取り込んだ眷族の数体。

 体は一回り小さくなるが、今度は4つに裂けたくちばし、巨大で長い爪を持つ熊の様な腕、まだ大きく太い体は丸い吸盤の様な足で支えている姿へと変貌する。


「さて、どれだけ削り続ければいつもの貴様に戻るかな。実に楽しみだ」


 目の前にいる不気味な存在が最大の障壁であると判断し、ジオーオ・ソバデが全力で襲い掛かる。

 しかしそんな隙を双子が見逃しはしない。

 両側から見た目とは裏腹に恐ろしい程に強力な力で殴りつけると、衝撃で足は止まり天を仰いだくちばしが天井に突き刺さる。


「ほら、外れるがいい」


 再び体を覆っていたゼリーの一部が剥がれ落ちる。

 更に一回り小さくなって出て来たのは、イソギンチャクを思わせる姿。だがその触手には無数の棘が生え、体には土星の輪を思わせるリングが3本、宙に浮いている。


「なかなか面白い姿になったではないか――む」


「すみません……ダークネス様」


 双子の片方――アリサルの体中に無数の棘が刺さっている。


「構わぬ。これまで大義であった」


 そういうと、騎乗したままイソギンチャク形態のジオーオ・ソバデとは離れた場所へ跳ぶ。

 そして一閃が煌いた。

 斬られたことで、光の屈折が変わり僅かに姿が見える。

 全身から棘を生やしたサボテン人間のような姿だ。

 しかし傷は浅く、再び消える。


「普段は代わり映えのしない色であるが、なかなかどうして面白い芸もあるではないか。だが眷族の距離を外す事も、取り込んだ眷属を分離する事も出来ない事も、とうに気付いておるぞ。つまりは――」


 そう言って何本も敬一けいいちに貸していた赤と黒の不気味な短剣を床に投げる。

 それは何事もなく床に刺さるが、同時に先程のサボテン人間は倒れ、姿も見えるように変色した。

 そしてそのまま形を失い、ゼリーの塊のようになるとドロリと溶けて崩れていく。


「所詮は自分から伸ばした体の一部。線を切ってしまえばたわいのない物よ。今の貴様はただ一人……ククク、異物になって以来、初めての事ではないのか。もはや貴様を守るのは自分だけ。怖かろう。心細かろう。たまらぬぞ、その恐怖がな。フハハハハハハハ!」


『貴様は何者だ』


 砂をこすり合わせたような不快な声をようやく発する。

 しかしダークネスの答えは決まっていた。

 この日の為に決めていた。


「フワッハッハッハッハッハ! 我こそはブラッディ・オブ・ザ・ダークネス。虚空より舞い戻りし、貴様を滅ぼす為だけに存在する悪鬼である。さあ、平伏して慈悲を乞うが良い。そして許されぬ事に絶望するが良い。ハーッハッハッハッハッハ!」


『コロス』


「やれるものならやってみるがいい。それまでに、どれだけ剥がれるか見ものであるな」


 とはいえ、地上を通って異物となった双子の片方――ルサリアに分裂する能力は無い。

 そして迷宮の分身がここに到達するには、最低でも一ヵ月はかかる。

 取り込んだ眷族も、護衛として温存していた強力な連中だ。数も100は下るまい。

 おそらく――いや間違いなく倒す事など出来ないだろう。

 出来るのなら、そもそもこのような状態にはなってなどいない。

 だが肉体を失った事で、そしてその命が流れ出る事で、かつての肉体に縛られていた事が嘘のように力が湧き出してくる。


「さあ戦おうぞ。互いの身が、この世界から消えるまでな」

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