第362話 立派に育ってくれよ

 一度ラーセットに戻ったが、召喚者はもぬけの殻。

 こちらが南のイェルクリオとの外交交渉をセッティングしている間に、全員出発してしまったからな。

 風見かざみ迷宮ダンジョンに入るのは珍しいが、実際に新人研修の時だけは、こうしてきちんと潜っている。

 ただ改めて考えて見ると、その間のラーセットはもぬけの殻だ。多少持ち回り制にしたいところではあるが、どうしても児玉こだまの事が引っ掛かってしまう。


 地上で何もしないで動かない時を過ごす事は、実際に何度か体験したが本当に辛いんだ。

 日や時間の感覚が完全に消失し、刺激がない分記憶も曖昧になる。

 昼も夜も曖昧で、覚えている食事がさっきなのか、それとももっと前なのかも分からなくなる。

 完全にアルツハイマーのそれである。

 以前の世界では教官組は基本地上任務だったそうだが、どうやってこの異常な感覚に打ち勝っていたのか知りたいものだな。


 だけど今はラーセットを脅かすような国はない。

 怖いのは奴が復讐の為に攻めて来る事くらいだが、緊急連絡網は以前より整備されている。

 むしろ来てくれた方が有難い位だ。

 だがまあ、まだ根本的な対処法が見つかっていないので、それはそれで困るか。

 なんにせよその手がかりを得る前に、黒竜探しに出発だ……と思ったら、俺は神官長に呼び出されてしまった。

 何かやらかしたのだろうか?

 まあ行ってみるしかないが。





 大神殿は相変わらず働く神官たちや司祭、それに信者たちがチラホラと見られる。

 俺は認識を完全に阻害しているので見つからないが、さすがにクナーユの前ではそうはいかないな。

 その彼女は、丁度召喚の為の塔に膝をついて祈りを捧げているところだった。

 本格的に、この国の宗教にとってホーリーシンボルとなりつつあるな。というかもうなっているのか。

 ただ一応はしっかりとしたメーカー製とはいえ、ゲームのおまけに祈りをささげる姿は見ていて辛いものがある。


 でもそれはこの際いいか。

 俺は認識外しを一部緩め、幽霊のような姿になって祈りを終えたクナーユに話しかける事にした。


「やあ、クナーユ」


 それはかなりフランクで自然に話しかけたのだが、


「きゃああああああああああああああああああ!」


 絹を裂くような悲鳴が神殿中に響き渡った。

 元々音がよく響く作りのせいで、俺の鼓膜が敗れるかと思ったぞ。

 しかも大量の警備隊。それに信者までもが神官長の危機を感じ取ったのかモップやなんかを手に集まって来るし。


「静まれ、クロノスである!」


 本当はこんな言い方は恥ずかしので好きではないが、ここでゴニョゴニョと言い訳をするよりも早い。

 クナーユも集まった人間も、この姿の俺はおなじみだ。

 皆胸を撫でおろすと、安心して去って行った。めでたしめでたし――じゃねーよ。


「用件があると聞いてきたのだが、忙しかったかな?」


「い、いえ、そんな事はありません。ただいつお戻りになるかなどは分からなかったもので……」


 そう言うと、少し顔を赤らめてもじもじし始める。何かあったのか?


「実は召喚の件なのですが、上手く出来たか心配で」


 何だ、そんな事か。


「実際に予定通り召喚されたのだから問題はなかろう。仮に何か問題があったとしても、それが君の失敗だったのかは別問題だ。まだ分からない事も多いのだからな。その時はその時で考えれば良い。今はちゃんと教わった通りにやってくれれば大丈夫だよ」


「はい、その事なんですが」


 また赤くなってもじもじする。男性は苦手なのかな?


「きちんと召喚の儀式をする者としては、やはりクロノス様に抱かれておいた方が良いと聞きまして」


「……誰に?」


「シェマン様です」


 あの野郎。


「いえ、本当のところは分からないけれど、ミーネル様もシェマン様もクロノス様に抱かれたとか。もし不安があるのなら、私も抱かれた方が安心して召喚が出来るだろうと」


 うーん、そう言われると、一応はちゃんとした理由があったわけか。

 プラシーボ効果と言う訳でもないだろうが、確かに今まで召喚する立場だった神官長は二人ともそんな関係を持ったこともあったしな。

 だけど――、


「だがクナーユはまだ二十歳はたちだろう」


「もう二十歳はたちですよ」


 そう言えば、壁の中は安全で強力な薬もある。だから忘れがちだが、この世界最大の産業は迷宮ダンジョン探索だ。

 そしてそこは、常に死と隣り合わせ。平均寿命で見れば、この世界は決して長いという訳でもない。

 若いうちに子孫を残し、安心して危険な迷宮ダンジョンに行くのはある意味自然な事だ。

 だから残る者の寿命は長いが、探索者は逆に短い。

 その長い期間、未亡人や男やもめって訳にも行かないので、配偶者が死んだら即再婚も珍しくはない。

 言ってしまえば、貞操観念は緩いと言える。

 だがまあ――、


「俺から見れば、まだまだ若いよ。それにこれから配偶者を見つけるんだろ。その時までは、そういった事は考えなくてもいだろう」


「でもミーネル様が抱かれた時は17歳だったそうですし、シェマン様に至ってはじゅうに――」


「ハイストップ!」


 慌ててクナーユの口を塞ぐ。手でだよ? 唇でじゃないよ。つかまだ他の神官とか信者とか沢山こっちを見ているんですけど!


「しばらくはじっくり考えてくれ。それでも不安が解消されない様であれば、俺も男だ。心を決めよう」


「はい! その節はお世話になります!」


 もうその気になってるなー。

 黒竜探索がどのくらいになるか分からないが、その間に何度か自力で召喚して自信を付けてもらおう。

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