【 第二部 日本 】

第219話 これが現実だって言うのか

 ピピピピピ。

 ピピピピピ。


 枕元で鳴る五月蠅い目覚まし時計を止める。

 今日は……2032年の5月29日。土曜日だな。


 毎日の日課である西暦と月日、曜日を頭の中で整理する。

 時間は無限に感じられても、実際には有限だ。

 学費を貯め、希望の大学に進むためには、毎日をきちんと考えて計画的に過ごさなくちゃいけない。

 まだ1年生だからと怠けてはいられないんだ。家はそんなに裕福では無いのだから。


 時間は8時。これから朝食を作って午前中は勉強だ。

 父はいない。昨日は戻って来なかったから、会社に泊まり込んでいるのだろう。

 取り敢えずリビングへ行きテレビを付ける。

 どうせたいした番組は無いが、料理中のBGMだ。そんな軽い気持ちだった。


「……練馬区でも、既に30人以上の変死体が確認されてります」


「これで日本だけで死者は1万人を超えています。これから時間が経つにつれ、死亡者はさらに増えると予想されています。皆さま、急ぎ隣人の安否を確認してください。繰り返します、緊急事態が発生しました」


「日本だけではないんです。アメリカやEU、アジア諸国、それに南米やアフリカ、オーストラリアなど、もう世界中どこも同様に、大規模な不審死が多発しているんですよ。これは大変な事態ですよ!」


「あ、今情報が入りました。千葉で5人。新たに5人です。路上で倒れていたため救急搬送されていましたが、先ほど正式に死亡が発表されました。全員が大学生で――」


「多くが若者ですね。こちらが現在確認の取れたグラフですが、20代までが8割を占めています。一体どうなっているのでしょうか? ウイルスの可能性もあります。皆様、今は不要不急の外出は――」


 嫌な予感しかしなかった。理由は分からない。だけど俺は、テレビも消さずに走り出していた。

 アパートの階を上がり、奈々ななたちの家に行く。

 チャイムを何度も何度も鳴らす。だけど出ない。こういう時どうすれば良いんだ――そうだ、電話。

 だけどこっちも出ない。

 ならもう一つしかない。何事も無ければそれでいい。後で怒られよう。

 俺は迷わず、110番通報をした。





 その後の事は、よく覚えていない。

 警察と、アパートの管理人がマスターキーを持ってやって来たのは覚えている。

 万が一のために救急車もと言ったが、今は出払っているの一点張りだ。警察が来たのもかなり遅かった。

 後になって改めて考えれば、当たり前の事だったよな。日本中が、こんな状態だったんだ。

 そして俺は、中へ入れてもらえなかった。

 ただ、何時間も経ってからやって来た救急隊員に運ばれていった奈々ななと先輩を見た時、もう手遅れである事を認識したことだけは覚えている。


 その日、世界中が大騒ぎになっていた。

 推定死者数は世界中で1億を超え、日本人は一千万人以上とも言われた。

 原因は不明。様々な憶測が飛び、テレビも雑誌も無責任な憶測を繰り返すだけだった。

 それも殆どが未来を担う若者だ。世界中が騒然となり、この世の終わりと大騒ぎしたものだ。


 そんな中、俺は二人の葬式に出席した。

 一応の合同葬は行われたが、本格的な葬儀は個別に行われた。

 だけど奈々ななの家は俺の家も俺と同じ父親だけ。親戚などもいなければ、会社で高い地位にいるという訳でもない。出席者は皆同じ高校の女子が数名。あれだけマドンナ的な存在だったのに、男は俺だけだった。死んでしまえば用は無いという事だろうか。


 いや、それは下らないひがみだな。

 実際、それどころじゃなかったんだ。俺の高校だけでも、半分は亡くなったからな。

 他には何も無い。ただ知り合いなどほんの僅かだけの、質素な葬式だった事……そして、ただただ泣いていた事だけは覚えている。





 俺達の高校は多数の被害者がいた事もあって騒がれたが、いかんせん被害が大きすぎた。

 何せ世界規模。日本の被害だけでも、想定外の事態だったんだ。

 そのせいでマスコミも人手不足で、取材なども少なかったのはありがたい。


 ただ事態が事態だ。生徒や保護者への配慮もあり、暫く学校は休校となった。まあクラスごとに集められては様々な訓示を受けたがな。

 だけど、内容なんて全く覚えちゃいないや。不審な点があったら気を付けろだの命を大切にだとか言われた気がするが、そんなの言われるまでもないだろう。


 別の県にある大きな総合病院に俺が向かったのは、事件から1か月以上経ってからだった。


「久しぶりだな、龍平りゅうへい


「お前も元気そうだな。だけど薄情じゃないか。もっと早くに来ても良かったんだぞ」


「面会許可が下りなかったんだよ。それに、俺もしばらく自宅で経過観察とか言われて遠出は禁止されていたんだ。奈々ななや先輩に近かったからな……外に出れたのは学校の強制出席に病院からの呼び出しくらいだ。世間は今も大騒ぎだよ」


「だろうな……。お前は大丈夫なのか?」


「何度も検査を受けたよ。だけど入院しているお前ほどじゃない。それにしても個室で広くて、良いご身分だな」


 そう、あれから即、龍平りゅうへいは入院した。色々と検査などが有るからではあるが、それは俺も同じだ。単純にこいつは金持ちで、しかも政治家の息子だ。俺とは根本的に待遇が違う。


「それは嫌味か? まったくつまらない入院だ。葬式に出られたお前の方が、遥かに羨ましい」


 まあそれはこいつの本心だろうな。

 だけど、あんなもの出たくはなかった。そんな事が無いのが一番だったんだ。

 俺達は質素ながらも平和に暮らし、人並みに幸せな人生を送れればそれで良かった。その為の努力だって、しっかりやって来たんだ。なのに――。

 龍平りゅうへいと会って気が緩んだのだろう。俺は悔し涙が止まらなかった。

 そしてそんな俺を、龍平りゅうへいは静かに待っていてくれた。

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