第175話 もう一生離しはしない

 空を飛べるわけでもなければ、そういった便利道具も持っていない。

 そしてここでスキルを使い過ぎるのは絶対にダメ。

 でも心が躍る。自分を抑えきれない。もうスキルは全開だ。当然リスクもフルスロットルで上昇中。でも止められない。止まるはずがないじゃないか。

 すぐに会いたいのは当然だけど、今までいろいろとあった。それにこの世界は危険に満ちている。それに龍平りゅうへいも間違いなく追っている。

 急がなくっちゃだ。


 ここは地上。迷宮ダンジョン程じゃないにしろモンスターは多い。でも全部無視。

 腹も減る。喉も乾く。眠さもある。それも全部外す。こうして俺は、3日程度で皆と合流出来た。

 どれほど無理にスキルを使ったのか、長い付き合いのひたちさんやセポナは気が付いているのだろう。目が怖い。

 でもそれは後だ。今俺の目の前には、瑞樹みずき先輩がいる。


 その太陽のような優しさと眩しさで、俺と奈々ななをずっと見守っていてくれた。

 その笑顔があったから、俺達は――いや、俺はどんなに苦しくても真っ直ぐに生きて来れた。

 今、彼女は以前のように俺に笑顔を向けている。

 だけど違う。その違いが痛いほどに分かる。胸が締め付けられ、心が潰されそうだ。


 彼女はボロボロで、もういつ崩れ去ってもおかしくないように見える。

 笑顔もぎこちなく、完全に別人と言って良い。だけど分かる、この人は瑞樹みずき先輩に間違いはない。

 いったい、どれほど苦しんだらこんなになってしまうのであろう。この世界に来てから、一体何があったというんだ。

 俺は遅かったのだろうか? 間に合わなかったのだろうか? そんなことは無い。あってはいけない。


 俺は彼女が口を開くよりも早く、思いっきり抱きしめていた。


「け……敬一けいいち……くん?」


「ごめんなさい……ごめんなさい…………でも、まだ間に合います。大丈夫です。これからは、俺が先輩を守ります。先輩と共にいます」


「でも……奈々ななが……」


奈々ななも幸せにします。絶対に手放しません。でも同じくらい、先輩も大切なんです。俺達は家族で、いつでも一緒が当たり前なんです」


「そんなの……ずるい。どうせいつかは奈々ななと結婚して、子供を作って……私はそれを見守るだけ」


「なら、俺は奈々ななとは結婚しません。二人とも恋人――いいや、両方と結婚します。籍は入れない。でも二人と暮らす。俺の子を産んでもらう。三人で……いや、子供達もみんなで家族を作るんだ」


 二人とも、もうずっと泣いていた。

 というより、自分の口からこんな言葉が出るとは思わなかった。

 本能が咄嗟とっさに言わせた嘘なのだろうか? 違う、これは俺の本心だ。そう、元の世界にいた時から、心の何処かではずっとそう思っていた。

 ただ、法律という見えない線を越える勇気がなかっただけだ。


 そもそも戻れないとか、戻ったら記憶が消えるとか、そんな話も頭から飛んでいた。

 そんな事、目の前の先輩に比べたらどうでも良い程に些細ささいな事だったのだから。


「もう相手にするのは二人じゃすまない癖に……」


 先輩の反撃。俺は死んだ。

 そうですよね、聞いていますよね。そうです、俺はこんな男です。





 その夜、俺は瑞樹みずき先輩を抱いた。


「私、もう昔の私じゃないの。沢山の人や、怪物モンスターの相手だって……」


「そんな事、気にするわけがないじゃないか」


「そ、それに初めての相手が奈々ななじゃないって……本当にそれで良いの? 私たち姉妹はそっくりだから、今は奈々ななって呼んでも良いのよ?」


 いやもう初めての相手は奈々ななじゃないし。なんて口が裂けても言えないけどね。

 というか聞いているはずだけど、これは緊張で忘れているな。

 まあ余計な事はいわない。代わりに――、


「どんなに似ていても、俺が奈々ななと先輩を間違えるわけないでしょう? そんな事を言うのなら――」


 俺は朝までの間に、百回は奈々ななでは無く瑞樹みずきと呼んだ。

 二度とあんな気が起きないように。





 眠っている先輩は、再会した時とは全然違った。

 何処か憑き物が取れたように、穏やかに眠っている。これも、俺のスキルが関わったのだろうか?

 まあそんな事はどうでも良いさ。

 さて、帰ろう。奈々ななの事も気になるが、今戻ったら本当のアホだ。

 帰ったら色々とやる事は山積みだ。遊んでいる暇なんて、当分は無いな。





 ■     ※     ■





 ラーセットの政治は4つのトップによる持ち回りだ。

 国民に選ぶ権利はないが、リコールの権利はある。ただ、それが行使されたことは無い。

 それぞれの仲は外見上はともかく内部的には良好だ。それに外部の敵に地下世界。それに対処するという単純業務を、事務的にきちんと協力して対処出来ているからだ。


 その4つの庁とは、軍を統括する軍務庁。内務や治安を統括する内務庁、国教である聖堂庁、そして召喚者を統括する召喚庁。

 召喚庁が無い以外は、何処の国も同じ様な国家体制を敷いている。

 4年で交代し、現在の最高位は内務庁だ。だがどこもトップは面倒だと思っているので、いっそ別世界のように国王だの大統領だのを選出しようという意見もあるが、その制度に馴染みがないためいまだに実現できずにいる。


 その4庁のトップが、臨時の会合を開いていた。こんな事は滅多にない。最近では成瀬敬一なるせけいいちによる大殺戮があって以来だ。


「本当なのかね?」


「その情報に信憑性は?」


 報告を聞いて、軍務庁、内務庁の長は少し驚いたように。同時に諦めの色を湛えながら召喚庁のトップ――クロノスに尋ねた。

 クロノスはいつものように姿を隠したりはせず、この国の立派な民族衣装を纏って出席していた。

 歳は20代後半だろうか。だが召喚者は最高の国家機密でもある。一応、顔が深く隠れるフードを纏う事が許されており、今もその素顔を伺い知ることは出来ない。


 聖堂庁のトップはまだ若く、発言はせず黙って見守っているだけだ。


「確実……と言って良いな。南北どちらかの判断は最近まで出来なかったが、先日教官組の一人が確認した。南方の大国、イェルクリオだ」


「報告はしたのかね」


「当然でしょう。ただラーセットだけで彼らの受け入れをすることは出来ない。それに潜伏期間を考えれば、既に手遅れだ。かつてのように……」


「それで彼らは?」


「最後まで抵抗する。それがこの世界に生まれた者の定めだと。ただ最後の時は――」


「ふう……まだ利権をめぐって牽制しあっていた頃の方が、遥かにマシであったか。それで何時ごろになりそうだね?」


「2年と2か月ほど。おそらく召喚者の問題も、その後に決着がつくかと」


「召喚者に関してはそちらと聖堂庁に一任している。我らラーセットの民は、何代経とうとも永遠に恩を忘れない。全てはクロノス殿の思うがままにすると良い」


 こうして、質素ながら重大な決定がなされた国家の会合が終了した。

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