第36話 ロ・・・ボ・・・(ロボと痛み)

「これはええと、すなわち痛み刺激の表象ひょうしょうの修飾を行う感傷かんしょう回路のことよね。その際、それなりのアジリティは必要なのかしら。その回路の搭載とうさいの検討も含めて開発中と言うことなのかしら」

 お華さんは書類に目を落としながら怪訝けげんそうな顔でそう言った。

「はい、ええ。人間にとって痛みを伴う心理現象をロボにおいてどう発出はっしゅつさせ、どう駆動くどう、処理させるかと言う問題だと思われますが、ロボにおける痛みの定義の話からと言うことになると存じます。その話の出所とその経過は不明です。

 そこにはロボの心理と言う定義困難で曖昧あいまいなものが存在しますし、それをどのように修飾したり変形したり、貯蔵したり何らかの形で発現させたりすると言う面倒な話なのでしょうが、実際に動物におけるような心理体験をロボに外付けで伴わせる必要があるのかどうか、実はそれすらよく分かりません」

「そうでしょうね。まずはロボが所謂いわゆる痛みを果たして苦楽などの心理体験を通して処理するべきなのか、それとも、それへのレジリエンス抜きで、ある種の破壊を伴う侵害しんがい刺激という論理のみで処理させるべき事なのかどうかと言うことね。それはロボが人間を理解する上では少なからず必要そうですね。人間の専権せんけん事項をロボが論理的にだけでなく包括ほうかつ的に総体としての痛みを実体的に了解できるようにすると言うお話ね」

「ええ、まあそうです」

「当然のことながら、生体の場合には痛みやその原因となる外傷ほかをちゃんと忌避きひするようにプログラムしなければならない理由がある訳なのね。何らかの障害部位が痛み信号を発して脳がそれを感知し、末梢に対してきちんと処理しろと言う訳です。それを放置すると、部分的な生体機能や生命までも失うことにつながりかねませんからね。ロボ側の学習が順調にいけば、論理の組み込みのみでも痛みの原因を回避するようになります」

「はい、分かります」

「ワン」

「ロボのみで考えれば、端的にはロボの損傷そんしょう箇所かしょを修理し、機能修復をすればいい訳です」

「確かにその通りだと思います」

「でも、社会における人間のサービングの場面では、人間を知悉ちしつしていなければ始まりませんでしょう」

完璧かんぺきを期し、贅沢ぜいたくを言えばその通りでしょうが、知悉と言うほどでなくてもよいかも知れません」

「ええ、まあそうでしょう。でも。人間には手加減と言う概念があり、例えば格闘を行う場合には相手を殺さないように、当然ルールにのっとって行われる訳です。まあ、言わばそのようにして、ロボに人間の心身を傷つけない様に振舞わせる必要性があるのです」

「そうですね。ですが嘆かわしい事に、人間同士でも相手の心を傷つける行為は常に行われています」

「人間はおろかですからね。そう言う意味では人間が痛みの心理を無理やりロボに移植して理解させることは、ロボにとってはいい迷惑でしょう。それは所謂いわゆるロボの疑似ぎじ人間化、漸近ぜんきん化ですからね。果たして彼らがそれを望むのかどうか」

「はい」

「ワン」

「インプットされるべき侵害刺激自体は創部に生じる電位差の微細な変化率で検知できるとしても、その事象をほかの体験、即ち人間における火傷やけどのような通過 遭遇そうぐう事象じしょうとどのように差別化した上で、り合わせるかと言う事なのです。その上で適切に味付けをし、サーキット内の記憶素子となる部分に、それらを痛みに関連付けて残すという話なのです。さらにはそれをどのようにしてサーキット内外に配置して、何らかの苦痛様のタグに関連付けて必要に応じて想起させるかと言う事よね」

「はあ」

「ワウン」

「あら、シロ、あなたちゃんと分かってるのね。つまり、その何事か善ではない、遭遇そうぐうすべきではない、間違った、嫌な、きらうべき、回避すべきであって、或いは放置不可でもあって、かつ修繕、修復を要すると言うような意味合いの遭遇事象情報を貯蔵する範疇はんちゅうの場所に、他の関連し得る感覚情報や発生した時間や位置などの躯体くたいにおける地歴情報ほかの関連情報などと一緒に貯蔵され、モノによっては徐々に鎮静ちんせい化されて一部霧消するもの、その後の事象発生の際に照合しょうごうされべき忌避きひ的情報としての、単なる記録ではない生々しい実体的、実態的な情報記憶とでも言いましょうか」

「よく分かりませんが、そう言うものなのですね」

「ウワン」

「人間の場合にはそのようにして一々の体験データを格納かくのうするわけでしょうけれどね。でも人間の場合、情報には必ず可変かへん性があると認識したうえでこれを取り扱っているのね。例えば私たちの使うことばの語義ですら時代により変遷へんせんするでしょう。さらには新知見が過去の情報をくつがえしたりね。つまりは善し悪しや情報の是非はともかくとして、やや上塗うわぬり的に物事をアップデートするのね。このように常なる改変と言うのが情報の本来あるべき姿なのです。特に個人の記憶に関わる情報ではね。極端な例えで言えば、実は親子関係が初めからなかったと言うような愕然がくぜんとするような、すべてを転覆てんぷくさせるような情報までも含めてね。

 痛みにも相対性があり、センサが破壊されない程度の大きな刺激に遭遇すると、それがその後のリファレンスともなると同時に過去の標準はその後に破棄はきされる可能性がありますが、更にセンサをいったん柔らかく破壊して再構築し、耐入力特性を高めておくことでその後のシステムへの過大入力による破壊を防ぐことも大切ね」

「ウワン」

「はい、分かります」

「それにご存じのように人間には喪失そうしつ体験やそれを包摂ほうせつする心的外傷のように、具体的な身体箇所の損傷そんしょうや実際の痛みの伴わない心痛と言うものがあるように、痛みと言うものが身体の傷と言うよりもむしろ心と不可分に結びついた、ある意味で痛み自体が心理体験とも呼べる心理過程なのです。ですから単純に痛みの感覚 具象ぐしょう部分だけを切り取ることがむしろ難しいこともあるのです。それをロボに実装せよと言うのですよ」

「なるほど」

侵害しんがい刺激が伝導路を伝わって中枢に運ばれて、それぞれの場所で複雑な紹介やら分析、統合などの処理が行われ、余分をぎ落しぎ澄ましては、結晶化されたすいの状態において快や不快、厚さ寒さや香りや音などの配置的な感覚記憶や心象記憶と結びついた、単純な記憶でない痛み体験となるのです。

 そこでは単なる処理にとどまらず、様々な要素を含んだ色付けがなされては、それぞれが弁別べんべつ可能な結晶化という純化までがその糧に含まれて分類されてはそこに並べられるのね。これらは如何どう処理するかと言う事の、どうと言うところにるのね。人間の場合には漸次ぜんじ忘却ぼうきゃく性修飾が加わるの。これをロボに組み込もうと言うのだから、ちょっとどころか、結構けっこう大変だったのよ」

「ウワン、ワン」

「はい。ですから、その困難性をある程度承知の上で、ここへあなたを訪ねて参りました」

「ええ、そうね。でもね、ニャンコで例えて言えば、それはニャンコ型ロボが塀の高さを見定めて、それにひょいと飛び乗ることよりも格段に難しい事ですの。他にもニャンコは到達すべき地点が想定より高い場合には、その平たく足掛かりの無さそうな塀を多少は滑りながらも、それを計算に入れて登り切ることまでを想定に入れているかの如くでしょう。つまり、適応力が高く、本当に失敗しにくい訳です。さらに痛みとは無関係なのですが、ニャンコの驚くべき素晴らしさは高度数百メートルから飛び降りたとしても、命を保ってのソフトランディングまでをこなすことなのです」

「フワン、フワン」

「このような機能は痛みのことはさて置いても、是非とも戦闘用の実践型ニャンコロボには搭載とうさいして欲しいところね。むしろ痛み刺激ごときに心身が攪乱かくらんされないようにフィルタリングする事こそが、ニャンコ型戦闘ロボにはむむしろ大切なのではないでしょうか」

「ワン、ワン、ワニャニャン、ニャン」

「はあ。でもまあ実際のところ、ニャンコの事はどうでも好いのですが。人間のように痛みに敏感で、怒りに身を震わせるようなニャンコ型ロボこそは答えの一つでありそうですね」

「ニャンコの感傷回路でしたね。でも、ニャンコにおける応用は実はとても重要ですのよ。ニャンコのすごさはね、あんな可愛さと可愛い体であるにも関わらず何でもできるところにあるの。一見ぼたっとしていてまるで研ぎ澄まされていないように見えるけれど、身体能力上とても戦闘には向いているの。ほぼすべての動作を反射でこなす敏捷びんしょう性と同時に制御性も非常に洗練されているのです。無駄に考えずにあるがままに生きていることで最適解が選択されているが如きね。分かり難い言い方だけれど、常に最善の方途ほうとが未来から自分の方へ向かってきて、それを呑み込んでいるだけなのよ」

「ワン、ニャン、ニャワン」

「はあ」

「だから、ロボにはちょっとどころか大いに難しいの。適度に勝手でいて最適な自動操縦が行われる、そんな無意識的反射的制御と言うかね。言わばニャンコの名人芸ね。でもやはり、ニャンコはすぐ怒るし、基本バカで気もそぞろだから、高度な知的レベルを求められる場合の戦闘の場合には不向きかな」

「はい、いいえ、ですからニャンコは要りません」

「ごめんなさい。ええと、感傷回路ね。構築の難しさはその侵害刺激の入り口のところからその後もずっとある訳なのね。途中の導線があって、人体の場合には何度か乗り換えがあってシステムの破壊を防ぐためのしきい装置で極度の刺激を外す訳です。そのほかの緩衝かんしょう装置もはさみ込みながらシグナルサイズを適度の大きさに変換しながら最終的な処理装置へ送る訳です。その わずかな時間にに記憶倉庫に仕舞ってある刺激情報との比較照合を行うの。強さや方向、質や量、それらの時間変化率などの様々な条件のパラメータをね。感傷はどちらかと言うと、過去の情報の単独あるいは複数のものの連合想起の際の、過去の心理体験の評価と言うものに近いところにあるわね。実際の想起体験では過去のあらゆる侵害刺激はコーティング効果やイカスミ効果、忘却効果、冷却効果などによって侵害の度合いが押し下げ修飾を受けているの。もちろんその情報の持つ刺激の重みが時間経過によって緩和かんわされると言うのは理解可能よね、ある程度の例外はあるにせよ」

「ワン、パン、マン」

「はい」

「ではまず感覚の入り口のところからね。ロボの場合、キャビティつまり筐体の表面のスキンの材質の表面近傍にくまなく極微細ごくびさいの圧センサや電圧電流センサそのほかを配置してスキンの作成を行うのが一般でしょう。これはスキンの作製時に生地に織り込み練り込んで製造するのが様々の分布密度のグラディエントが表現された動物のセンサの発生的分布に近いのかも知れません。でも、それが可能でも、手のひらや顔面ぐらいには配置できても、全身に配置するには分布密度を下げないと処理能の限界があるから困難なのです。入力範囲が広いと単位時間当たりの感覚情報の処理量が膨大になって、大量の情報が錯綜さくそうすると複雑すぎて、統御系の処理担当部位に混乱や錯誤さくごが生じてしまうのです。動物でも部位や質的な部分での乗り入れによる錯覚さっかくが起こり得るのよ」

「はい、分かります」

「ワン」

「そうすると今度は動物で言えばその侵害刺激を含めた感覚情報と言う何ものか、つまりは侵害圧、剪断圧の力積とその速度や加速度成分、スキンの破綻部に発生する抵抗や電流量の変化とそれによる電圧などの変化、あるいは温度成分などに分散、損失されるエネルギー情報の様々な成分の事なのですが、それらの情報を流通させる導線、動物で言えば大中小の成分速度を持つそれぞれの神経線維に担当させて、さらにそれらを取りまとめてその導線を中枢まで運ばなければならないのです」

「はあ」

「ワフ」

「動物では硬くて少しフレクシブルな脊柱骨という防御機構を備えた構成物に守られた、単一の導線が寄り添って集合した太いコードと言う構造物があるのです。脳に向かう道のようなね。ロボの場合、必ずしもこのように一か所に纏める必要は無さそうですわね」

「はい、分かります」

「それにしても、ロボを人間に似せるって言うのは全く大それた考えよね。ロボと言う安直な構造様式で、生体としての人間のようなものをこしらえようって事でしょう」

「はい」

「例えば、ずいぶん昔の事でしょうけれど、お盆を過ぎて機会があって少々田舎めいたところへ行くと、その辺りの道端みちばたに咲いている黄色や青色や紫の曼殊沙華まんじゅしゃげのお花があるでしょう。それが祖先に見えるって比喩ひゆ転喩てんゆかしら、これをロボの思惟しいの中に再現するとして、それは相当にレベルが高くて難しい事でしょう。

 無くしたおばあちゃんへの思いや思い出、おばあちゃんのおかげや頂いた思いなどと言ったものをその対象物に投影する訳ですから、実際にそこにおばあちゃんがいると言う感覚にまで至ったり、あるいはそのお花をおばあちゃんのように思い為したり、単になぞらえるのみであったり」

「はあ。ロボにはおじいちゃんもおばあちゃんもいませんからね」

「ウワアオン」



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我々ロボは何処へ行くのか TaqAkiyama0011 @tkiwaki1105

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