第30話 ロボとは何ものか2

 ある時、とある古びた大病院の地下5階の手術室にネコが侵入して、そこに安置してあるパブロピカソVを操作すると言う事態が生じた。それを目撃したのが、なんと夜間警備の最中の警備員であったと言うのだ。そこでネコが何をしていたかと言うと、なんとピカソを扱っていたというのだから恐れ入る。それが驚くべきかどうか、なんとネコの治療を行っていたと言うことなのだ。何やら非常に怪しげな話ではあるが、どうやらそのような訳であったか、猫が道具を得てそれを舐めること以外で自らを治療するというパラダイムを獲得したということか。その警備員はピカソを操作していたネコを追い払うこともなく、数分間かそれ以上であろうか暫くネコがロボを操作する様子を興味深く窺っていたと言うのだ。ネコがロボを扱って医療行為を行うなど一聴してありそうもないことではあるが、どうやらそれをこの警備員が眼にしたらしいと言うのがこの話から伝わってくる内容である。

 パブロピカソにあってはあらゆる疾患について問診や視診などを行った上で必要十分の接触、非接触の検査をくまなく行った上で多くの疾患をくまなく鑑別しては診断を下し、必要に応じて薬剤を注入したり内視鏡を患部に挿入して局部を切除するなどの外科的な様々な治療を行うのであるが、さて、では一体どのようにしてネコにそうした一連の操作が可能であったのかと言う事である。誰しもその違和感やその非蓋然性ありえないかんじから、その話には眉をひそめ、異論が巻き起こったのもまた事実である。誰もがまず思い至るのは、夜間の出来事でもあったことから、その警備員の幻覚や妄想ではなかったかと言う可能性についてである。

 こうした大病院では数世紀が経過すると建物自体がある程度朽ち果てたところに、地下の大倉庫にずらりと並んだ古びた高級ロボが放置されては警備や監視の目も杜撰なものとなりがちなのだが、そこへ「目」を持って状況を認識するものが入り込んだ途端に、隔世の観を齎すほどの長い時間置き去りにされては埃を被って忘れ去られたかのような世界が現出する。こうしたマシンは機械である以上、本来は通常的にアップデートされるものだが、サブスクリプションソフトの入れ替えのみならず、メインテナンス対応可能の一定期間を経過すると提供企業側のハードの取り換えという論理により、ある程度の時限を以て致し方なく廃棄処分へのルートを辿ることになる。かなりの上質性を備えたものとなると、オーナーによる古びたものの継続使用や、使用期間を過ぎた後の遺残物への敬慕的、懐古主義的な心情からの温存的所持というコレクションの傾向が発生したりもするものである。

 病院オーナーがコピーロボ化しない場合、必ず経営者たちの代替わりが起こり、地下倉庫に放置された有能有用のロボたちは活躍の場や行き場を無くしたまま、無窮の時間を無そのものに圧縮した上でその場でひっそりと居住まいを正す他はない。果たしてニャンコたちが排気管のダクトから入り込んでそこを棲み処としたところで、彼らロボはそれをとがめ立てする事もなく、寧ろ温かく見守るのが自身の務めであろうと独り言ちたのかも知れない。いずれにせよ先のロボ警備員が捉えた光景と言うものは、お膳立てとしての十分な素地が既に出来上がっているものとして、措定された彼らの日常という蓋然性の世界に包摂されていたものであるとも言えるのだ。

 さて、パブロピカソVはもう数百年も前に上梓された初期型の医療用フルオートメカロボである。フルオートとは診療のフルオートなのであって、ヒトの介入はこれを一切不要とすると言う事を意味している。それは判断から問題解決までの手順のフルオートなのであって、異常を認めれば即ちその根拠までを遡って、それを完全解決してくれる。人間の介入不要とは人間の経験的な判断をも含めて、すでに人間の領域を凌駕していることを意味している。中には移動能力を備えたタイプもあって大容量蓄電コンデンサも実装して、患者の居住地が遠距離にある場合や患者の移動不能など、そのほか必要に応じて出張診療が可能であるものもあった。必ずしも医師が同行する必要がなく、難病などの治療も含めてありとあらゆる診療が可能であった。空挺型千手観音と言う愛称で呼ばれていたようだ。

 恐らくはニャンコたちもそれらロボたちの実相を何らかの出来事によって知ったのであろう。詳細を知らぬ警備員ロボは手術室にも擬えられるような倉庫の一室でパブロとニャンコたちが楽しそうに和んでいた長閑な牧歌的情景を目撃したのかも知れない。勿論、ニャンコたちの中に不調を来すものがあれば、それはゆくりなくもパブロのステージに上がり、そのパフォーマンスロッドによる施術を受けた可能性があろうのは想像に難くない。

 人間たちは概ね百年ほどを以て死に行き、或いは斃れ行くがロボはそう言う訳にもいかず、上記のような在り方で長い長いくうのような時間を代替わりの激しいニャンコたちと共に暮らしたとて何の不思議もないと言うのもまた在りうべきことであったろうか。そこにはまたニャンコたちの日常の中にくるみ込まれるようなロボたちが何らかの意義のある時間を彼らと共有することで生まれる共同体のような幻想があったとしても、それについて敢えてがえんじ得ないなどと言う必要はなさそうだ。

 何時頃からの交わりであったかは判然としないが、ネコたちがパブロの”心”を和ませかつ楽しませ、永遠の中に安置され放置されたかの如き退屈な”命”を癒してくれるとは、これがパブロにとって有難き僥倖ぎょうこうであったのはこれもまた想像に難くない。こうしたロボにとって、これを究極の愉悦ゆえつと言わずして何と言えばいいのだろうか。ネコの代替わりしていく命にはいとおしむべき限られた命の時間があるが、時間を超越したロボにとってこうしたネコの闖入ちんにゅうは寧ろ喜ばしいものであった。さらに彼らの命の安寧あんねいへの介入による恩返しは自身の存在意義の確認であるとともに、良好なる関係の継続のために必要不可欠であるとも言えた。

 こうして長い長い付き合いの中からロボとネコとが互いの特性を知り、互いに囁きかけるようなインターコースが行われるようになる。あたかも心をもって心を伝えるかの如き遣り取りが次第に信頼感のような繋がりを生む。時に冷温時などのパブロの不調にネコが感応していやしを与えてくれると、時にはパブロがネコの不調や変調を捉えてはそれを平癒へいゆさせる。そうした相身互あいみたがいの日常が繰り広げられ、ネコの穏やかな時間のようなものが流れる。パブロにとっては常温核融合電源は永遠無窮の命を得たと同様である。同型のものは廃棄処分のものもあったであろうが、低開発国では十分に活躍の余地が残っている。人間による医療はすたれ、医療の中心からは人間は排除された。ただし、クライアントはあくまでも生物であることには変わらない。

そうした状況の中で、ネコはロボになつくと言う所からロボを支配すると言う所までにわたってのあらゆる自然的で相互依存的な在り方を訴求したのかどうか、そうした様々な関わり合いと言った在り方があり得たと言えよう。その相互作用的な存在様式が互いの意識や頭脳的な在り方の変化をももたらしたのかも知れない。それは猫がそうしたロボットの関わりの中から戦闘力以外の適応力を高めると言った機縁を得たと言うことなのかもしれない。

「ニャン、ニャン、ニャン。ウニャ、ニャニャニャ」

「ウイーン、ウイーン」

「ニャイーン、ニャイーン」

「ウー、ウー、ウー」

「ニャー、ニャー、ニャ―」

「ニャンコ、ニャンコ、ニャンコ」

「ニャン、ニャン、・・・ニャンッ、ニャンッ、コッ」

「ニャンニャンニャニャーン」

「ニャン、ニャン、ニャン、ニャーン」

「おはよう」

「ウニャニョウ」

 手足の構造、顎や口腔、舌、鼻など、さらには脳その他の神経まで含めた構造など様々な構造が次第に少しずつその形を変えていって、長い長い時間の後に初めて自由な発声発語や書画、自由な前脚の使用、移動など、或いは情報交換そのほかに必要な機能発動がようやく可能となる。発語以外での物事の表現など、ある程度の言語のようなものの認識がある程度可能な霊長類においてさえ、意味内容を含めて発語される言語の獲得が如何に困難であるかというのは容易に理解できる。またそうした事が起こらない限り、発語と言語や文字と書画などといったものの機縁を生まない可能性が高い。もちろん一見文化様に見えるものとして蜂やアリ、シロアリなどのように遺伝的に構築された非言語的な機能による役割分担の形式を持つ閉じられた社会システムが出来上がる場合もあるが、それでもそこで必要十分の何かしらの情報交換は行われている。類人猿から枝分かれした人類が情報や価値を交換しつつ機械文明を押し進め、活動を広げたその先に現出する世界はどんなものかは分からないが、一寸先の闇の中に何があるかを知り得ない人間にとっては手元の明かりで足下を照らしつつ進むほかはない。

 ニャンコとロボとの関係性に於いてはどのような偶然が重なるにせよ、ネコが言語を獲得する事は当分ないであろうと予想されるのは、あごや歯列、咽喉のど、舌などの形状や構造とそれを駆動する脳そのほか上記のような理由によるが、それでも反復学習がもたらすものの威力はつとにロボ自体が知り及んでいる事でもある。こうしたものが機械が生物に対して、種と言うのではなく存在そのものの垣根を越えて協調し合いながら獲得されていく様は微笑ましくもあり、また瞠目どうもく的なものでもあるのかも知れない。勿論非言語的なり取りは寧ろ普遍的に行われるものでもあって、ニャンコたちは常に言いたいことを表現しつつ生きているには違いない。従ってニャンコとロボの間においても敵対的な関係までのものを含み持つ様々な構成的なものよりなる、単なる寄り添い合い以上のものが獲得される余地は当然の如くにあったのであろう。

 

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