第29話 ロポとは何ものか1

 ある時代にテーマと呼ぶべき哲学的命題となったのは「ロボとは何か」であったろうか。「人間とは何か」と言う、却って現実離れした観のある、如何にも古めかしい手垢てあかまみれた辛気しんき臭いものではなく、新奇しんきで何やら心躍らされるような冒険 たんでも見せてくれそうな未来の開拓者たちについて論ずるようなものだ。しかし、出現からまだ時間が浅い事もあって、恰も救世主のようなものを語るような不分明のものはらんだものとならざるを得ず、またどう考えても何事か深淵をのぞき込むような形而上けいじじょう学的なテーマであるとは言い難かったのだ。答えは簡明で皮相ひそう的なものとならざるを得なかったのだ。人間が何ものであるのかと言う問いに比べれば平板へいばん平易へいいで、非常に単純明快なものだからだ。 

 人間のように「何者なのか、どこから来てどこへ行くのか」などと言うややこしい事を問うものでもなく、自然ならぬ神が造ったらしいものでもなく、それは端的たんてきに人間が作ったものであるからである。人間のように自己の存立基盤のための神などを持ち出して措定そていする必要もない。何のために存在するかと言えばしょ憔悴しょうすいする人間をなぐさめてくれるものであり、人間存在のための機能を持つ有用な道具、または友人なのであり、どのようになり行くかは不明ながら、少なくともその様な定義の下に発出したのだ。

「そうね」

「ワン」

「考えるのも面倒くさいわね」

「フガフガ、ワン」

 時代が下ればこれら人間のための道具が高レベルの自律性を獲得して、自由な自律的活動を行うとも想定され、人間による制御不能となる可能性もあると考えられた時代があった。時代は流れて可能性はさて置き、真の意味でのオートマティック、即ちオートパイロット的オートマタンが待望された。

 自動走行車や自動 飛翔ひしょう装置は操縦者が搭乗することなく目的地を決定し、そこまで様々なものを運ぶ。追加燃料が必要となれば自動で補充するのは好いとしても、故意か或いは偶発的にでも別の目的地を目指したり、他のなにものかに接触、衝突する様なことがあっては問題である。自動装置はそれぞれの事柄を判断者を伴うことなく職務と職責とを果たす。障害が発生したとしても自らの判断で回避するのだ。

 やはりそこには物事を決定する自由意思を持った主体が必要であった。自動人間即ち人間の場合、ある時から紙の金や金属の金に目をくらまされ、或いはまた金の心や心の金、即ち至高善しこうぜんや愛などの欲望の的に照準しょうじゅんを合わせてこれに拘泥こうでいし、それを獲得するための自由意思を以て身をすり減らしてはり合い、疲労困憊ひろうこんぱいしてはこれに邁進まいしんしてきた。さて自動人形、即ちロボの場合はどうであったろうか。

「さあ」

「フガ」

 ある時までのロボは高度な自律性を備えたものではなく、命令を行う人間の言うがままのものであり、高度に制御されて扱い易く、人間にとって大変に有用なものであった。人間にとってはこれ以上に何を求める必要があったろうか。本来ロボは生まれながらにして、そしてある時までは人間の下僕しもべという大変可哀そうな役割を担わされた存在であった。人間の極めて恣意しい的な思惑おもわくから生み出され、身勝手な人間の我儘わがままを支援し、場合によっては苦難の連続となるその者の人生を、本人に成り代わって生き抜いてもくれ、或いは死んでもくれる影武者のような化身けしん現身うつしみのような有難い存在ともなった。

 そこで少々困った事が生じた。人間には個体判別のための姓名があり、一般に自明的に周りがそれと認める。さらに近現代以降の管理社会の中での台帳と言うべき戸籍こせきと言うものがあって、少なくともそれによる管理がなされていた。無論ロボにも保証書があり、個体識別のためのシリアル番号証明があった。何時からかコピーロボ、アヴァタロボのように個体責任の発生する高規格、高レベルタイプの高額なロボについては役所への登録と廃棄はいき時の登録抹消とが義務付けられる形となった。

「そりゃさ、取り扱いについては厳しくしておかないとね、後々にいや問題を残さないようにさ」

「ワンワン、ワウン」

 ロボが人間社会においてプレゼンスを高めるにつれ、これらの重要性が高まっていったが、それに伴いロボ関連法の仔細しさい部分の度重なる改正が行われ、この辺りに関わる部門としてはロボ生産や個体の識別や管理、さらにはロボ業界一般や関連事業の一切を取り仕切る事業部門を統括とうかつするコンソーシアムやそれらに関連した特許までを含めた法律全般を取り仕切るロボ庁として結実した。

 それでも、コピーロボのようにロボと人間とが融合ゆうごうしたようなものの場合の取り扱いが非常に厄介やっかいなのであった。人間なのかロボなのか、特殊ロボなのか、特殊人間なのか、それともそれらのどの区分でもないのか。こうした瑣末さまつ事項のあらゆる物事がいちいち面倒な事柄でもあった。うちの父や母、祖母の場合などがそうであった。戸籍がどうなるのかなど、私はそうした事までは知らなかったため、それまで考えた事もなかった。戸籍の是非ぜひについては抑々そもそもの所、生命体でないロボの場合には安らぎを以て安らい、住まいすべき風雪 けの住戸が不要だが、コピーロボのように人間的な特性を持つ場合にはそうも行かなかった。

 生命体としてのあらゆる生物の個体の消滅後において、その世界を認識し状況を担うものとして決して命を必要としない存在がロボなのであった。世界と言う言葉の定義にもよるが、認識可能な範囲での宇宙のあらゆる場所までを想定しても構わない。先祖や子孫の概念も不要なら、家族や家庭も要らず、墓も要らなければ愛も夢も幸せも何もかも要らないのがロボである。ロボ人間の場合、人間を真似て家族あるいはそれを包含するほどの共同体をこしらえ、家屋をしつらえてそこに居住してみただけの事である。そのようにあらねばならないと言う人間のややこしさや縛り、しがらみとは無縁で、人間のように多分に恣意しい性の彩りや香りに満ちた在り方を指向することなく、割合に自由な存在でありつつ、一般に命がないと言う特殊性から、その在り方はどこまでも自由であった。

「自由よね。宇宙の彼方へ、さあ、行くぞ、よね」

「ワン」

 ところで人間の場合、戸籍における様々に複雑な問題に直面しては、自身の来歴を辿たどれないとして懊悩おうのうする者たちも存在してきたが、ロボの場合、これはあくまでも登録のシステム上の問題であって、問題が生じたにしても何とか修復可能であったろう。

 人間にあっては非常に繊細な発生段階からの生物学的なつながりの上での諸相とそれにまつわる生物学的な親としての人間の側の諸事情、諸問題などがあり、戦争や事故、大規模災害による証明の喪失、さらにはその後の岐路等々の様々のゆえを以て縁故えんこや戸籍が辿れないと言った困難が発生し得る。

 中古ロボにおいては工場からの出庫後、長い長い時間の経過とともに多数の再登録歴がかさむ中、バージョンアップ、アップグレードなどにおける細々こまごまとした齟齬そごやらなんやらの問題が生じ、また破損はそんや故障などでの登録抹消といった途中の来歴の断絶なども絡んで、戸籍がわりの個体識別保証書の破損や紛失などの不分明なるものやそれによってし方を辿たどれなくなることは十分に起こり得た。それでも優れたロボの回復を願うもの達の手によってよみがえった個体も少なからずあったであろう。

「人間ほどではないにせよ、ロボにはロボなりに論理矛盾に陥ってしまう事もあったかも。ロボにおいては『悩む』という言葉の厳密な定義が不明なのだけれど、もしかすると人間以上に悩む存在になったのかな。眩暈めまいとか不安とか、予期不安とか、ジツゾンとかゲンカイジョウキョウなんてカイジュウなこと言ってさ」

「ワンワン、フワンフワン。クワンクワン、ジュワン」

「でもさ、普通ロボは言いたいことを言わずに何もかも我慢して、自分よりも賢くもない自我の強いヒトの命令を聞いて、それを全うする事だった訳でしょう。人間の世界でも上下の人たちに挟まれて苦しむ中間管理職の方々が大勢いたはずよ。多くの人間は様々なレベルのストレスを抱えながらの我慢ばかりで、ガンとか認知症とか、鬱とか心臓の病気とかにもなり易かったらしいわ」

「ワン、ワン、ワン。グワン、グワン」

「でも、まあ人間たちの社会ってそう言うもので、仕方がなかったのね。人間社会の滅私めっし奉公ぼうこうって言うのはつづまる処、忖度そんたくと要領だっていう話で、滅私だから当然自分が無いのよね。ただ、それに喜びを感じるように、あるいは長い長い滅私の我慢の後にトンネルを抜け出て快哉かいさいを叫ぶように、人間たちが哀愁あいしゅうプログラムを仕込まれていたのなら、それも仕方のない事だったのかも知れないわ」

「ワンワン、キュワン。キュワワワワン」

「でも、ロボはさ、誰かが言うには、好いサービスができるためには悩んじゃいけないんだって。ロボが悩まないように、躊躇ちゅうちょしないようにとプログラムされたって聞くわ。寧ろ懊悩おうのうの回路自体がロボには組み込まれていないとも言うし、でも決定を一旦先延ばしにして多少懊悩の素地を作っておいて、しばらく先まで進んだ後にもう一度  さかのぼって決めるって言うプログラムもあったようだしさ」

「キュワン、キュワン。キュワキュキュキュ」

「そんな非効率さは人間にとっては大事でも、果たしてロボにとって有益なのかしら。人間の場合の我慢と言うのは決定を先延ばしし、先送りして、解決しないままに棚上げする感じで、あとは時間に任せて風化させるように解決させる感じね。一方でロボはワークスペースサーキットの道の途中に多くの数値を留め置くだけの話で、決して人間のように我慢するわけではないのよね」

「ワウン、ワウン」

「それにしてもロボの喜びってどうなのかしらね。ヒトの心をおもんぱかったり、あっ、これって所謂いわゆる忖度そんたくね、でも決しておもねらないのよね。阿諛あゆもなければお追従ついしょうもしないしさ。どんでん返しで快哉かいさいを叫ぶように最終的な利益をもたらすような手を打ってくれるとかさ。しかし、ヒトに仕える事ってそんなに大事な事かしら。そんなのそのうちどうでもよくなりそう。積年の怨みでもないけれど、最後の最後に人間が足元をすくわれちゃうストーリーとかね。笑えないよね」

「クウン、クウン。ワハン、ワハン、ワプ」

 ロボは一般に生きていない。生存してはおらず、一先ず存在してはいるのだが、そこに楽しさや喜びがあるのかどうかと言うのは、お華さんのごく単純な発想の穏やかな草原の上に降り立つささやかな疑問である。ロボには楽しいとか嬉しいとか悲しいと言った感覚上の言葉遊びのような、無益な死の余りのようなものはどうでもよい。それは人間の観念上の堂々巡りに封じ込められた小部屋のようなものに収斂しゅうれんし、分類される事もなく、しまいには小鳥のさえずりや星々のきらめきに分解されてしまう。

「フフン、言葉遊び」

「ワワン、ワフン」

 ロボが廃棄処分となったあとで、その廃棄されたロボの電磁波から成るたましいのようなものがあたりを漂う時、それらが現世にうつろいただようロボたちを見て、もしかすると人間たちの感覚上の悪戯いたずらに分類されるような事どもを感じるのかも知れない。手足や眼鼻口などの感覚の出先機関が無ければ、世界を経験することが出来ず、世界の中に自身を溶かし込むことはできず、それに伴って生じる生の感覚や精神的 愉悦ゆえつ感得かんとくする事はできない。或いは彼らの中にある非現実空間で自身を転がしては、何れそれらを手に入れて、存在や非在の回路内議論を通じて、彼ら独自の死生観と言うものに逢着ほうちゃくし得たのかも知れない。

「フフフン、フン」

「ワワワン、ワン」

 しかしながらそのような喜び、或いは至福、ヒトにとっては至高の法悦ほうえつのようなものも、ロボにとっては道端に落ちている数億年の来歴を刻み持つ小石ほどの価値もない。しかし、人間にとってはその人生が楽しいものであると言うことは至上の価値を持つという喜びと不可分であるらしい。

 人間には苦しみこそは人生であると、食うや食わずに我慢のできる高楊枝たかようじの武士のように恰好かっこうをつけて言う事は可能だが、それはロボにとっては単に唾棄だきすべきハラペコたちの論理に過ぎない。

 ただ武士道のように苦しさの中、死の中にこそ人生のあるいは生の精髄せいずいがありそうだと言うのはお華さんにも精励刻苦せいれいこっくが好きな一群の人間たちの性質の連想から何となく分かる。我慢に我慢を重ねて待ちびた後の一口の水のような味わいによる生の潤いの充足感や生の喜び、死と隣り合わせの霊峰への登頂後の達成感やその時の辛苦しんくからの解放感についても理解可能だ。しかし苦しみや悩み、さらには消滅以外の「死のようなもの」を知らないロボにとっては、それら死に隣接する愉悦ゆえつについてはこれもまたピンと来ないであろう。

「ふふんがふん」

「ワワン、グワン」




 

 

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