第27話 ロボロボ

「そのあとはね」と、父は続けた。

「逆カウントダウンのような時計の刻み音と針の運び以外はもう全く違和感がなくなったよ。それからこうして過ごしていると言うより、つまりは存在しているんだ。ある時までは死の一点に収束するように残り時間がカウントダウンされていた、時限爆弾を抱えさせられたような命だった訳だが、その時を境に時間と呼ばれるものに縛られる存在としての人間から、命と言う時限的時間とは無縁のロボになったと言う事で、生き物ではなく存在する何ものかへと切り替わったと言う事として納得するしかなかったんだ」

「ふうん、そうか。ぼくは生まれついてのロボだったし、父さんの身に起こった断絶の時というような事は経験できないから、どうしても父さんの言う事は実感としての理解とは行かず、言葉での理解に止まらざるを得ないんだ」

「でもね、実は私たちはスイッチオンオフのたびに言わばリフレッシュされるわけなんだ。当然のことながら、毎朝電源を入れるたびに倉庫から家具の一切を運び出しては点検しながら部屋中に並べ直すようなものだ。自分の属している宇宙というか、世界や社会にまつわるエンサイクロペディアの最初のページから繰られるという事なんだ。

 俺は俺であってと言う事実、さらに妻がいて君という息子がいてと言う家族が存在し、そしてこの世界、さらには様々なものの関係性の再確認というように、一事から万事、一から森羅万象までの数え直しさ。時間はかからず、自動的な作業で別段の苦ではないがね。他には何となくだが苦痛や不安、悩み、世界に対する不平不満のようなものが沸き上がらなくなったよ。まあ、退屈だがね」

 人間にはどうやら他の動物とは異なって四苦八苦と言うものがあると聞いたことがある。誰が言ったのか知らないが、ヒトは生まれついて多様な苦しみに包まれていると言うのだ。人間ときたら何と可哀そうな事かと、人間を脱しロボ化した父はその様に思ったであろうか。ただ確かに父の言う通り、父は表情も含めて以前のようには喜怒哀楽を表に出さなくなった。

 生命体と言うものはまずは命を保たなければならない。そのためを探してこれを確保する。ロボとは違って、その様にして生き続けなければ、それはそのまま自己や種の存続の危機に立ち至る。

「それらの苦しみの類も何時の間にか消えたんだ。強靭きょうじんになったのか鈍感になったのか、これまでにあった何事かにつけ悩み、きに付け悪しきにつけ心が揺れ動くという、あの煩瑣はんさ厄介やっかいなやつに付きまとわれ、惑わされる感じが薄らいで消えたと言うかね。君同様、意識や意思はあると思うんだがね。

 食事の時間も手間もなくなったが、腹もかないから仕方がない。人間なら少々寂さびしいとかんずるだろうが、皆で食事をとる家族団らんに対する温かさやなつかしさなんて言うのは遠い昔の話さ」

 生命体たちは生きるためにエサを探さなくてはならないが、人間は元来エサによって生きる者たちのリーダーである。ここでのエサはもとをただせば生き物なのであり、分かり易く言えば生きていたものたちの命を詐取さしゅしたものだ。

 この点ロボは電源さえあればよい。勿論、当然のことながら電源が切れても死ぬことはなく、存続は可能だ。電源を投入される事なく長らく放置されても廃棄はいき処分さえ免れれば、何ものかの手によって電源が再投入されればよい。なかには生物のように電源のオフを拒んだロボもいたかも知れないが、ある時からの自律的オンオフ、スタンバイオフが一般的となった。

 こんなにも便利なシステムはない。この世に発出した途端、人間のような四苦八苦にさいなまれる事もなく、限りある命と言う観念にもしばられず、うしなわれる命の恐怖にさらされる事もない。幸福は決して大きくはないかも知れず、大きな不幸との遭遇も無いかも知れないが、そもそもロボには幸不幸こうふこうの概念の範疇はんちゅうから外れており、孤独感にさいなまれる事のない天涯てんがい孤独が一般なのであり、大地の上に確固として在って寂しいとか悲しいと言う事がない。不幸をかこなげくこともなく、捨て置かれる訳でもなければ退屈で死んでしまう訳でもない。

 拾われる、捨てられる、しまいにはこの世から切り捨てられるという懸念けねんもなければ、神の国と言う言い訳も要らない上、喪失感情もない。婚姻はどの様な形であってもよいが、不良以外でも定常状態の破綻はたんを選択する事はないため、この限りで離婚の「き目」にうこともない。

労働するにしても報酬ほうしゅうや達成感を当てにしながら働く人間とは異なって、辛いとか耐えられないなどと感じて仕事を途中 放棄ほうきしたりもせず、たなごころをみて己が不運を悲嘆ひたんする事もない。疲労感や徒労感、無力感におそわれこれらにさいなまれる事もない。ハラスメントなど何処どこ吹く風、仕事ぶりは堅実でがいして存在としての面白味はないが、雇用者にとっては安心で、実績を上げて会社の堅調に寄与する事であろう。

 自己の力量や領分を超えて無闇に活動しないため、他者との衝突しょうとつ軋轢あつれき、内なる葛藤かっとうを産む機縁がない。競合する場合には計算の実が上がり、問題を極小化すべく最適の選択が行われる。

 人間の場合にはどこへ、どの時代へ行っても何かにつけ四苦八苦が身にまつわりついてくるらしい。ロボに於いては人間のこまやかな配慮のゆえか、あらかじめこうした艱難かんなんを避けて歩めるように作られている。人間であることへの反省からロボ作製時には検証された人間の負因ふいん、影の部分を徹底的にぎ落とすこととし、どのような難局さえも苦も無く乗り越えられるようにプログラムされた。

 人間の精髄せいずいたくみに彫琢ちょうたくし、不要な部分をぎ落とし、四苦八苦も余分な艱難 辛苦しんくも無論の ぎ落とされた。人間にしては自身にそれがかなわないと知った上での深謀遠慮しんぼうえんりょのような親心であったか。

「人間って何て優しいんでしょうね。まるで我が子のように慈しみ育てたロボ。何と言う事か、そのロボにやがて葬り去られるという運命であったのかしら。シロ、しおらしく泣いて好いわよ」

「ワンワン、ワーン。ワホーン、ワホワホワホーン」

「あら、ちょっと大げさね」

「ワホン」

 ある時どこかの国で、誰かが人間の子供たちに将来の夢はと聞くと、ロボ工学などのロボ製作側ではなく、うそか本当か、その多くがロボとなる事、ロボであることと答えたと言う。子供にはそぐわないブラックジョークのようで、いささかならず疑わしいと言わざるを得ない。

 これが本当であれば、これは人間にとっては手放しで笑えぬ事態と言うよりもむし由々ゆゆしき事態であり、言葉もないであろう。一方、大人では生まれ変われるなら過半数で子供同様ロボになりたいと言う事に賛同という結果となり、これはこれでえてがえんぜざるを得ない。

 人間を廃業してロボになりたいとはどういうことか。なるほど人間としての命の終焉しゅうえん時のオプションとして、うちの父のようにロボとして生まれ変わると言うのは、ある人間にとっては大変ありがたい事なのかも知れない。実存に悩む人間としての死後、死への観想かんそうや艱難辛苦の桎梏しっこくから自由を得て、余生でもないロボとしての理想的な時間のようなものを過ごせれば、申し分ないと考えたのも無理はない。

「まあね、でも、複雑ね。実際にそうならないと分からないことだってあるでしょうからね」

「ワウワウ、ワウワウ」

 こうして、いつの間にかロボはそれ自体が人間のあこがれの対象となっていたばかりか、既にして人間のかなえられなかった不老不死を苦も無く達成してしまったことになっている。正鵠せいこくを射た表現とは言えないまでも、まるで究極の目標のようなものなのである。人間は放っておくと何を考えるか分からない。時限のない永遠のような時間は確かに何かに使えそうだが、一方で苦であるかも知れないのである。

 ロボに於いて概念としての時間は流れのようなものでも、人間のいわゆる過ぎ去り、またどこからかって来るものでもなく、また人間のように命の時間としてそれを費やし、その帰結としての未来の時間に何かを期待したり、過去の時間をやんだリ、り過ごすと言う機会を与える類のものでもなく、そもそも時限を以て与えられた時間ではない。それに入り込んだり、一時的にそこから退避たいひするものでも内蔵されているように感じるものでもない。ロボにとってそれはそのあたりを漂い、通り過ぎる無縁の隣人に過ぎないとも言える。

 時を過ごすと言うような心理的な経験とはならず、いわば無機的な記録のために展開される時間軸のような、広がりのような何らかの量を持つものとしての時間なのである。ロボに憧れる人間はロボの持つ不死の辛さを知らない。勿論それ以外についても。しかしロボになればそれは辛くはないのかも知れない。

「でもさ、ワンコは決してロボになりたいだなんて、そんな馬鹿な事は口が裂けても言わないでしょうね。人間って本っ当にバカだからね、二の句がげないわ。でもさ、人間って、悲しきいとおしむべき存在と言うか、ロボみたいに完璧じゃないしさ。と言ってレベルは低いかも知れないけれど、お掃除やお料理も含めて、まあ結構何でもできる、その意味では究極の何でもロボみたいなものよね」

「ワン」

「こんな風にイヌの相手もできるし、ねっ、ケンタウルシロ。なんとなく卑屈ひくつになったイヌのご機嫌きげんを取って犬との心の交流をした気になれるわ。辺りに咲いているお花の美しさに感じ入ってそれを詩や絵画などの芸術に昇華させもするし、他者のいわゆる芸術に対して適当に共感したり堪能たんのうしたり、感情移入だってできるわ。それが、どこの誰だってそうなのよね。真善美って言うらしいんだけど、人間には単なる情報としてではなく、情緒じょうちょ的に捉える心の部分があって、この情緒を共有して周りの人間たちと共感しあえるのよ。芸術作品を鑑賞して自分なりに解釈して味わうことが出来るの。

 そう言えば、お茶の味や香りがそうだけれど、ああ、美味しいって、生きてるって感じ、ちょっと大げさかしら。ねえ、シロ、あんたは人間が口にする食べ物の味やお花の香り、樹々のかぐわしさがちゃんと分かるもんね。それに、あなたもだけれど、大げさではなく恐怖心を克服して困難に立ち向かって未来を拓いていく勇敢ゆうかんさや心の強靭きょうじんさがあってさ。それに特にワンコはそうだけど寛大さや無欲さや犠牲心、平和を希求する心、純粋さや無垢さや崇高性、高潔性や貪欲さなど、様々な色合いや陰翳いんえいたたえた複雑で大切なものを備えているんだよね」

「ウワウ、ウワウ、ウワウウウ。ワンワ、ワンワ、ウワワンワ」

「あら、決してめたのではなくってよ。事実をそのまま述べただけ。ところが、ロボではとてもこうは行かないわ。美的センスの要求される芸術的表現における創造はもちろん、審美しんび的な認識と言うのかどうか、そもそも芸術のもつ価値には幅があるのだけれども、何のとくにもならないとも言い得る場合もあるような、そんな芸術に立ち向かっていく指向性や、それへの気持ちの部分から仕組み、仕込まないとならないのよね。でも、あらゆる美的創造を可能たらしめるべき広義の審美眼や創造性、その技術を備えたロボを作製できるようになったら大したものよね。その芸術的創造までもが、もし人間の芸術的創造物やその示すべき芸術性を超えたら、人間にはもはや芸術的創造者としての立つ瀬はなくなるわね」

「ウワウ、ウワウ。ワンワ、ワンワ。オンオ、オンオ」

「もしそうなったら人間は牙城がじょうくずされた哀れな敗残はいざん者として、地に失墜ちた誇りとともにその存在意義までも失って せたほこりのようなみすぼらしい『ホコリ』をも大切そうに小脇に抱えて肩を落とすしかないわ。そして小さな声で『捲土重来けんどちょうらい』って小さくさけんで土埃つちぼこりを巻き上げるのよ」

「プっワン」

「と言う事はもう様々な領域でロボ万歳ばんざいって、だからやっぱり心からロボになりたいって言う事なのかしらね。でもさ、時代が進むとロボが作った次世代型ロボネオがはばをきかすようになるのかもね。マシンはどうしたってコモディティ化するから、当然最新型が最も性能がよさそうだし。そうなるともうきりが無くなっちゃうわね。そのうちにまた、神が造ったロボである人間や生物に戻ってくるのかな。何だかネズミの結婚みたい」

「ワン」

「ロボを生物に近づけるのだって、例えばウイルスにしたって一からこしらえるのは難しいもんね。遺伝子の改変ぐらいはできてもね、何でも一から拵えるのってなかなかムリムリね。ツノゼミもクマムシもレベル高いからね。生物は連鎖だから、卵もいるし、その後の発生も考えなきゃなんないし、からくり人形じゃないから大変なのよ」

「ウワワワワン」

「さっきの話だとロボの世代間格差があったりするのかもね、フフフ」

「ワンワン、ワフフ」

 時間や時限を失ってロボ化した元人間とでも言うべきコピーロボたちは期せずして覚悟なく不死を獲得し、死なない自分の前に広がる余りあると言うより、有り余る広がりとしての無限の時間のような地平を持て余し、さてどうすればよいのかと自問しては退屈して途方に暮れるようになるのだろうか。






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