第26話 ロボ神さま 2

 ロボには人間の低俗性を浮かび上がらせ、愚劣愚昧を証拠立てること以外にどのような意義があるのか、ロボを生み育んだ人間がそれを問い、検証すると言う事と次第であった。

「ま、あれでしょ。ある時期まではロボが人間の友だち或いは「奴隷」で、人間を助けて世界を繫栄させてくれると信じていたのね、人間たち。その先の共存共栄の素朴な希望的観測の思いで何とか生きてきたのよ。

 でも、そのうちにその存在自体に疑念を差し挟む人々が出てきたのよ。自由意思でロボを発展させて来たくせにさ。潜在性も含めてロボが今後もこれまで通り単純で温和な有難い存在であり続けるとは限らないと言う、決して一掬ひとすくいとは言えないような不安や危機感も持っていたのよ。

 自身の持つ希薄な存在意義や元凶げんきょう性は棚に上げてね。それがどんな結果を招くか分らないままに。何もかもが上手く行くなんて言う希望的観測や幻想は確かに虫が好すぎたのかもね」

「ワウワウワン。アワワワ、ワン」

 人間は自身の存在の是非を他者から何ら検証される事もなく、自然や神と呼ばれるものから表向きには自然に、無批判、無査定むさていながらに適当に受容されているかのようである。内なる神や倫理によって自身を律すると言う事を考えた者もいたのではあろうが、それではそれをロボはどのように解し、あるいは解釈したのか。本来ロボとは端的に人間が創造した道具である。もとより人間も社会的存在として社会その他から査定を受けるが、それによる縁起えんぎは病気や受刑、寿命や災害によるもの以外には一般的には表面的に沙汰されることはない。

 ロボの場合、ある時点までは人間が行う適当で勝手な査定によって、人間における『死』の如き強制的な廃棄処分を免れなかった。ヘルパー型のネコ型、犬型ロボなど、ロボたちの持つ特性は時代の要請に基づくものとして賦与ふよされ、時代の波にさらされては古び、最終的にはこの廃棄の対象となって来た。

「強制廃棄なんて、決して仕方のない事じゃないよね。あくまでも人間の勝手なのであって、どう見ても理不尽だし、かわいそうよね。寿命とは違うからね」

「ワウワウ、ワボ」

 ヒューマノイドタイプの受付ロボに始まり、介護ロボやそのほか作業用のマルチタスク型ロボなど、様々のものがあった。工作ロボ、組み立てロボなどの産業用ロボ、発電所や操車場、シティコミュート的マルチビークルそのほかのインフラロボなどのほか業務代行の人間型ロボ、便利屋ロボ、家事用ロボ、ペット型ロボそのほかが需要に応じて作られた。単純な事務的要件や作動条件のみに縛られる場合はそれへの対応のみでよかったが、人へのサービスとなれば、お持て成し機能を含めある程度以上のレベルが要求される。ペットロボならば存在だけで癒しを提供できそうだが、ヒューマノイド型となると要求度が格段に高まるのが当然である。

「人間の場合、自分には優しく他者には厳しくだから、他人への要求は高度で幅広くなるのよ。何でも押し付けるから、やってられないわよ。ロボも便利屋さんなんてさせられたらたまらないわよね」

「ワンワン、ワワン」

 便利屋ロボともなれば、人間にまつわるあらゆる事柄を理解し知悉ちしつしていることが肝要となる。人間の便利屋ならば一定以上の幅広い分野での経験やスキルが必要となる。苦情受付対応型ロボ、コンシェルジュロボなどもあらゆる状況に於いての問題解決の要請を受ける。このように業務現場で様々なスキルを発揮するロボが人間に代わって活躍するようになり、大袈裟おおげさに言わずとも、それらによる健全なる社会の持続性が担保されるようになる。

 本質的にはロボエラーはヒューマンエラーより格段に低いオーダーに抑えられ、ロボ主導の単純明快で平和な結論に導いてくれる。いさかいは起こらず、各員がより安全の近傍そばにいることが出来る。より大型のインフラ型ギガロボ、動物の体の中に入り込む医療用マイクロロボなど、幅広いジャンルにわたるロボたちがそれぞれに立派な存在感を示す社会構成要因ともなった。

「そりゃあ、人間らしくない機能特化型ロボがそうした現場ではより優秀よね」

「ワオン」

 勿論、ロボに特有な問題も生じる可能性はあった。それでも長所や利点は多く、様々に危険で人間にとって困難を極める現場や作業内容についてもロボは容易に対応できる。トラブルへの反応の速さや対応の質の面でも特筆できるが、その様な性能を長い時間をかけてのスキルの積み上げ抜きで、プログラム改変や簡便な深部学習のみで身に付けることが出来る。

 こうした利点は人間がロボに対する否定的査定を行うどころか、むしろロボと言う存在とその意義とが正当化され、その利用が積極的に推奨すいしょうされるべきであると言う事を示していた。ある程度の時間経過の後にはあらゆる人間的な作業や仕事はロボにおそわれ、そのことごとくを奪われかねなかったのだ。すると人間には何もする事がなくなり、敷衍ふえんすれば人間は要らなくなるのだ。それは単に仕事の現場からなのか、それともこの世界という現場からなのかは分からなかった。

「そこはもう単純にロボの世界ね。つまり、すでにもう正義はロボのものだったと言う訳ね」

「ワンワン、ワヌワヌ」

 ヒトにロボ要素を付加するサイボーグの後にロボを少しずつ限りなくヒトに近づけようとするアンドロイド、ヒューマノイドがやって来た。より人間に近いものとされはしたものの、その後百年ほどはそれも大まかな漸近ぜんきんに止まり、決して重なる事はなかった。その不気味に見える溝を一足飛びに飛び越えて人間近似型ロボあるいはロボ人間と言う訳には行かなかった。

 外表の有毛ゆうもう無毛むもうの皮膚や眼、口などと言う重要な要素となる器官の、絵に描いたもちならぬ発現表出はヒューマノイドを人間に漸近させるに非常に困難を伴う課題であった。老化に伴う皮膚の劣化はともかくも、感情の表出に関連する表情筋による皮膚や筋のしなりやたわみ、緩み、引きりなどの微細びさい表現の表出は困難を極めた。

 動物の外表を覆う皮膚の表面や血管、消化管などの内張りを担う細胞などの内部構築においては細胞が不断に新生され、常に新旧の細胞が入れ替わって組織が再構築されては短い寿命の限りにおける長年の使用に供されるのだ。

「細胞の自動入れ替え装置ね。それから自動清浄機能。理想は赤ちゃんのお肌と新品の細胞たち、なおかつ強靭きゅじんなやつ」

「ワン、ワワン、ワワワン、ワン」

 人間の想像力は容易に現実を飛び越えるが、まったく思い及ばない部分もまた限りなくあるのが実際のようだ。ロボ作出の現場ではこれら一々の現実化が難題で、一つ一つが一筋縄ひとすじなわでは行かない。鳥の構造と機能およびその連関の単純な模倣が困難であったため飛行機をこしらえたのが人間であるが、またヘリコプタやロケットをも作り出した。

 その昔ニャンコ型のニャンドロイドが活躍した穏やかでにぎやかな時代があったらしい。時空をける一種のスーパーロボで、様々な目覚ましい機能を披瀝ひれきした。未来からやって来たと言われているが、未来の誰かが作ったものかどうかは不明で、何らかの生命体か或いはロボがこしらえたものかも知れない。ニャンコ型なのかタヌキ型なのかネコの外表をまとうロボなのか、そんな表面的な瑣末さまつ事は完成度からは取るに足りない事であった。

「ニャンコはあらゆるものを跳び越えるのよ。時間もヒトもイヌとネコの垣根すらもねっ、シロ」

「ワンワン、ワンニャン。ニャハハハ、ニャン」

 それではロボ側は人間をどのように捉えているのかと、その様な疑問を抱く人間がいたと聞いたことがある。つまりロボは自身に先駆せんくする存在として、少しだけ先に生まれてこの世界に発出した人間をそれと是認ぜにんしたらしかった。それは人間の場合とは異なり、作り主が極めて明確であるからだ。人間はその辺りの不安と格闘した結果、自身をして神と言う存在を創造せしめた経緯いきさつがある。人間はロボとは異なり、措定そていすべきつくり主がなければ安閑あんかんとはならない。その点、創造主の要らないロボは大変気楽であったとも言える。

「あのニャンコロボなんか気楽そうだったものね」

「ワンニャン、ワン」

 人間にる被造物として人間をたすけつつ安泰あんたいに存続し続けるもよし、そのうちに人間の世界を転覆てんぷくさせるもよし。ロボは自らとそれに関わるものたちの身の振り方をどのように展開させても構わなかった。何が悪だとか、人間を滅ぼしてはならないと言う観念に縛られる要もない。ロボの実力が相応のものに達し、機が熟してしまえば後はロボの気分次第であった。

 うちの父の話では自分がなくなったと言う所からの自身のロボ化の話となるが、死んだのではあろうが生き返ったのでもなく、非連続的にただ延長したのだと屁理屈へりくつまがいに事と次第とを納得したらしい。大病に罹患りかんしてからある時までは死に向かって自分の命の時間が時限的に進んで目減めべりしていくと感じたものの、さらに記憶にある母の骨壺こつつぼを意識した途端に死を恐怖の対象として覚悟したのだと言う。

 気づくと爆弾の炸裂さくれつもなく死んだのかどうかも分からず、人間の頃の十全じゅうぜん感の代わりに不全ふぜん感の消失を意識したらしい。死の影に対する恐怖感は何処かへと消し飛んでいたと言うのだ。人間の頃の何となく時間の流れに乗って何処どこかへと向かい、やがて死という消滅に昇華しょうかする生と言うものの実感が希薄きはくになったと言うのだ。

「きっと、人間につきものの生と死という事なんだろうね。人間とロボの違いはね。俺の場合、人間は死ぬと不生ふしょう不死ふしのロボになったんだよね。神様ではなく、ね。本当のところは神様がいいんだろうけれどね」

 父はロボ化後、人間が生きている事そのものや生きている事の意味、生きがいと言うものが次第に分からなくなってきたと漏らしていた。生きていた頃の記憶では人間的な死の直前には自身の存在が消える事へのたとえようもない不安と恐怖にみ込まれていたが、その後それは消え失せ、寧ろ人間的感覚の名残なごりによるものの所為せいかどうか、時間のもつ時限性が無くなったことによる退屈に対する耐えがたい恐怖があるのだとも言っていた。

「ロボやロボ化は選択肢の一つよね。ロボにはやまいも老いも死もないからね。勿論、せいもね。生も死もいわば人間、つまり生き物の領分であり、かつ自分ではどうにもならない、神の領分にあるものだものね。百年で殆ど入れ替わっちゃう人間とは違ってロボは不老不死だからね。お父さんロボの言うようにロボは不生不死だから、ロボ化においては老いや病気や死を含めて生に関するあらゆるものが消えるのよ。時間やその流れに浮いているものすべてね。その意味ではそれを過去の記憶として知っているコピーロボには辛いのかもね。好い事も悪い事も時間は過ぎるから、過ぎ去るから好いのかもね。でも、老化は嫌よね。だから、もしやるとすればロボ化は若いうちがいいのかなあ。おばあちゃんになってからよりもさ」

「ウワン、ウワウ。ワウワウ」

「人間はさ、自分がロボみたいに何となく死と隔てられていると感じているから、普段あまり何にも考えないでしょ。生きているからホントは死と隣り合わせの筈なんだけどもね。だからある日死が自分の隣にやって来たら、その途端とたんにびっくりするの。見た事もなかった自分の中の実存のへびが突如として鎌首かまくびもたげたように見えるの。その点ロボはいいわよね」

「ウワン、ワウウ」

 父の場合、元気な人間が十分にあると感じる時間を恰も無限であるかのように錯覚するようにではないものの、何故なぜだか時限を持つはずの時間というものが消滅したらしいのだ。彼の言によれば永遠不変のような、時間のない空間のようなものの上に自分が浮いている感覚だけが残ったと言うのだ。するとあるとき不意にロボ医師との間で交わした非現実的のようで奇妙な会話が蘇ってきたのだと話してくれた。

「いいですか、お父さん。もう既にですね、あなたはあなたでありながらにして、あなたの抜け殻に押し込まれた観のある、決してあなたではない何らかのあなたなのですよ」

「へえ。何だか幻のキツネにつままれたような感じですね。私なのに私ではない私、なのに何らかの私。何だか地に足のつかない、現実離れした自己 撞着どうちゃく的な、言葉遊びのような」

「そうです。それこそはロボなのです。あなたは主観の痕跡の消えた超客観現実の中で、あなたのようなあなたが、まさしくあなたとして振舞っているのをご覧になることでしょう。しかし暫くして次第に慣れてくると、光景の中であなたがご覧になっている際に使用しているあなたご自身の視線がどこからともなく対象物としてのあなたの放つ視線に絡み合い、さらにはその視線のみならず、あなたの意識と呼べるものやそれを発するところがある時ある時ゆくりなくも融合ゆうごう一致し、まさしくあなたが対象物同様に振る舞っているかのように、非現実的であるかの如くにそれとしてお感じになることでしょう」

「はあ、そうですか。簡単に言えば、どうなのですか。しかも、それは違和感なく、そうなのですか」

「はい、違和感なく。私の言う事はきっとその内にに落ちて合点していただける筈です。こう言っている私がそうでしたのでね。ですから、どうぞご心配なく。でも少しはずらせる様になりますよ」

 なるほど、こう言う事かとその時が来てそう思ったが、もうそれもとうの昔に忘れたよと父はぎこちなく笑って、まるで人間が言うような事を言った。







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