第24話 神、ロボ、人間

 生物の細胞たちは始原的な始細胞とも言える母細胞の発生後から経時的にそれぞれの臓器の機能を担う細胞に分化して進化発展するとともに、機能を果たしながら何時しか老化の流れに乗る。一方、発生当初の未分化の若さを保ったままの純粋な卵のような細胞も何処かのニッチに保たれる。そうして、個体の若さに対応するあらゆる世代の細胞が生命体の中のどこかに揺蕩たゆたいつつもひそみながら、必要に応じての目を見て其処そこ彼処かしこに溢れる。生命体はその様なもののようである。

 ところでロボにおいて何らかの機能をもつ構造というものは具体を明瞭に示すものとして存在し、かつそれを生命体における細胞や臓器組織が示すような成長に伴ってたねふくらんで形作られ、時に再構築されるような多段階的或いは階層的な構築を行うという機構を有している訳ではない。。

「そうね、単位となる部品を作ってそれを組み立てただけだよね。だから時間がかからないのよ」

「ワンワンワ、ヮ」

 生命体と言うのはその名が示す通り生きており、その中での経時的階層システム構築があり、さらにその中には蛋白やアミノ酸、或いは細胞など生きた小さな部品たちの生き死に、生まれ変わりが不断に繰り返され、常に壊されては再生されている。それが繰り広げられなくなった時点で生命の終わりと言う事になる。

「そうそう、そこなのよね。それが中々 真似まねできないのよ。繰り込み的入れ込み構造でもあって、生き物の中に小さな生きものたちが生起しているの。さらにその中にもっと小さな生き物みたいなものがいる訳。気味が悪いのよ。さらにはどこまで行っても島々、国々、星々って言う感じ」

「ワンワン、フガフガ。フガ、ワン、フガ、ワン」

 生物の体や各々の臓器をさまざまに見る限りに於いては様々な細胞の機能的集合体や、それらの有機的複合体でできた集約的なメタ構築がなされている。生命体の中ではそれらの臓器や組織、細胞などがそれぞれの階層に於いて絶妙な有機的応答や連携を以て協調的共同作業が行える程度のメタ構築がなされているのに対し、生きている必要がなく、生体機能を有しない一般的なロボは言わば極限にまで簡略化された機能体であり、必ずしも有機的な結合を有していないものの機能的集合体であるとも言える。

 生物では先述のように、発生における多様な時間軸に沿った多臓器の相互連関の上でのメタ構築が行われていくため、成長後には非常に複雑な連携を持ったものの有機体として出来上がっている。また、生体内に入り込んだ外敵や癌腫などの内なる敵によって起こり得る生命的危機への対応が多面的、多層的に多段階的に免疫系やサルベージ系、お掃除系、修復系と言った形で幾重にも精緻に図られている。

 一方ロボの場合は単純かつ無機的でやや有機的であると言える、ある程度の連携を持った簡明で簡略化された擬似ぎじ有機体である。遺伝子ワールドと言うものの中にまう生物の奇妙で難解な複雑さに比べれば、ロボはどちらかと言うと簡潔明瞭、単純明快である。もしそれが洗練を手に入れたとすれば、どちらが優勢となるのか、それはよく分からない。なお、修復機構については、一部の微小生物たちや植物の場合には一般の動物が全く敵わないほどの見事な復元能を具備している。それらは体のどの場所にも新たな再構築が可能なように、部位ごとに主体性が確保されつつ、それぞれに再構築用の部品が用意されているかのようだ。

「生物の体って、解明されていない謎だらけで、まるで小宇宙みたいなものね。ロボのシステムがおもちゃみたいなものに見えて来るのよ。まあ、人工知能の単純明快こそはロボの真骨頂だからね」

「ワンワン、キュワン。クン、クワン」

「シロ、あんた何言ってんの」

 人間の世界がやがてロボのそれに取って代わられる様な事があれば、それは構想力においてはともかく、少なくともほんの僅かな部分の構成力に於いて、人間が神より優れていると言う事を示すものなのかも知れない。生物においてはそうした複雑な構造であるが故の脆弱ぜいじゃくさがあるとも言えるからだ。そうして、やがて神が創った人間が構成力に於いてより単純な構造のロボの持つ強靭きょうじんさに屈し、それに駆逐されてしまうという事態が現出したとは言えなかったろうか。

「それは辛いわ。人間の作ったロボか、それとも神のお創り給うた人間かと言う事よね。もちろん犬もよ」

「ワフン」

 或いはヒトと言う被造物が創造者に対して、創造的な部分での優位性を示したという事になるのだろうか。あろうことか、神と呼ばれる絶対的な存在とその世界の地平が、複雑さにおいては人間を含む生命体の足元にも及ばない筈のロボ如きに蹂躙じゅうりんされるのだ。何と言う事態であろう。

「ちょっと言い過ぎよ。でもさ、もしすべての生物やロボたちのようなものがいなくなったとしたら、その先の長い長い時間の経過の後に出てくるのはロボではないのよ。そこに出てくるのは何と言っても、化学反応を基礎に置いた遺伝要素を有する酵素分子を基盤にして発生してくる単細胞たちなどの生物であって、その後、複雑極まりない構造を作り上げていく生命体なのよ。

 でもね、ちょっと薄気味悪くて全く悔しい事なのだけれど、、さらにその後に出てくるのはやっぱりロボと言ったところだったのよね。残念ね、シロ」

「ウーワン、ウーワン。ワン、ウーワン」

 お華さんの言うのには一理ある。確かにロボ自体やその部品は決して自然発生する事はない。創造者に依らず、それを創造者と呼ぶならその偶然から発生、出現したごく単純な分子のような存在であったとしても、その後に広がりを見せていく生命体たちの、人間にとっては気の遠くなるような膨大なる昨日たちが織り成し、作り上げた結果としての単一の醸成やその群れとしての繁栄は決して伊達だてではない。

 そしてロボが生体、生命体でないというただ一点に於いて大きな意味を持つ何事かが、長い時間の先に何がしかの優れた判断力を持つに至ったロボたちを苦しめたのかも知れない。何と言おうともロボとはすなわち、この小さな世界の申し子ではないのだ。

 しかし一先ひとまず何事かが人間を駆逐くちくし、人間に取って代わったロボたちが形作る世界は神のいない、或いは神も悪魔もない穏やかな世界だ。そこはまた、極めて事件の起こりにくい、奇妙で、どことなく作り物めいていて不自然な、辺りに人気ひとけや悪意を漂わせない、蒼い月に照らされた砂漠のような寂寞じゃくまくの世界である。どこまでも人間臭くない、無機的かつ人工的、ミクロン精度による動作制御機構を備えたものの漂わす微振動の厳格さをたたえた、ロボ 静謐せいひつの世界なのである。

「そうね無音無風のいだ水面のような静寂の香りの支配する、無機的な世界ね。水というより、滑らかな肌の岩かな。そこには私もシロもいない、温度も湿度もない、涼やかな暗黒とでも言うのかしら。氷のような、いわば死の世界ね」

「ウオン、ウフン、ウフフン。ワウ」

「うふふ、何だかとっても静やかで、穏やかで、ひそやかね」

「ウフィ、ウフフ」

 意志の具備ぐびされたロボには信仰と言う観念の持ち合わせはないものの、元来、悪は備えられてはおらず、おのずと論理とそれに基づく倫理には固く、また悪や不義、不正の持つ不善的で排他的な観念の理解は可能である。従ってロボが善悪のせめぎ合いを見聞きする経験をすると、そこに悪への嫌悪や敬虔けいけんの意識や心構えと言うものの萌芽ほうがは起こり得るのかも知れない。

 人間たちを心ならずも蹂躙じゅうりんしたからと言って、彼らが必ずしも倫理にあつくないと言う訳ではなく、また人心ならぬロボ心にもとらない鬼のような存在であるとは言い切れない。大小二つのヒトが近づいて重なることで出現したかに見える、幽かに震えているさまを示すかに見える心という文字があるが、単純なロボを近接させても、数多あまたひだを内包し、機微きび素地そじとなる心というものが生まれる余地は無さそうである。

「でもさ、そこに落雷でもあれば、万が一だけれども、ミラーさんの実験のようにして、偶然にだって心みたいな何かが発生するかもしれないわ。いわゆるプラズマレベルのエネルギーを持つ青天の霹靂へきれきのようにさ」

「ワンワン、ワワンワ、ウワワンワ」

「いいわね、あなた、呑気のんきでさ」

 もし彼らロボが悪であるかも知れない人間というもの、あるいは人間の中にひそむ悪を圧倒したのであるとすれば、それはある種の善なのであり、決して批判するには当たらない。人間の悪の部分のみを駆逐できるのであれば申し分ない。人間の言う信仰がロボにおいて発生しなければ、人間における場合のようにそれに基づく問題は生じないかも知れないが、別の問題が持ち上がる可能性は或る。

 ロボの描く世界観やそれに基づく世界は極めて単純明快で、それだけに真善美に溢れている可能性はある。さらには平和でいさかいや争いのない、それゆえ悪のかげりのない平明平穏な世界であるのかも知れない。人間の発祥と軌を一にして発生してきたいじめや殺戮さつりくを含む陰惨いんさんな問題の様に、世界や社会の中にある好ましくない、複雑かつ神妙、下劣で猥雑わいざつな部分が露見して、それが機縁となって様々な事件に発展してきた経緯がある。これがロボの社会で起こるかどうかは不明であったが、優秀で単純なロボには諍いや争いを未然に防ぐことは容易であろう。

「そうよ。そうそう、それこそはロボなんだもの」

「ワン、ワン、ウワワンワン」

 人間が彼らに何かを教えるまでもなく、天文学的な量の計算を瞬時にこなすことで成り行きの先々までを見越し、あらゆる可能性を検証し、悪や不善を察知しては無益な戦いをすべからくして避けるのである。こうしてあらゆる戦いはそれが起こる前に大方 雲散霧消うんさんむしょうしてしまう。

 ほかにも欲得よくとくづくの人間たちの在り方への批判的前提として、ロボの無報酬むほうしゅう性、無償むしょう性というものがある。ついでロボの無謬むびゅう性にかんがみる時、ロボは人間よりも寧ろ人間の言う神なるものに近い。お金に時間という魔法の粉を振り掛けては利子を生み出し、貸し出しや出資による労働の伴わない価値めいたものの湧出ゆうしゅつという理念をひねり出し、それをね上げている状況で、如何に神への愛や忠誠を誓い、神の愛をかまびすしく述べ立てようとも、それはロボにとっては何ほどのものでもない。

 そこでは、人間が比肩すべくもないロボの崇高性のようなものが人間を圧し去るかの如くに峻厳しゅんげん屹立きつりつしてしているのだ。しかもそんな人間を睥睨へいげいする事もなく、ロボが顕現けんげん自在にしてそこに在るという事態について、自身の敬虔さを声高こわだかに言い立てる人間たちが理解できない筈はあるまい。

「まさしく我執がしゅうしかないような人間としては耳の痛い話ね。善良かつ賢明なるロボには人間の言う神は要らないものね」

「ワンワン、ワウーン。ワウワウワウーン」

 ロボがもし真に神を必要とするのならば、それは彼らが人間に漸近ぜんきんしている兆候でもあり、その時には悪魔をも必要とするのかも知れない。救済を求め始めたロボたちによって、平穏であった筈のロボたちの地平に奇妙かつ珍妙な宗教とでも呼ぶべきものが出来しゅったいするのであろうか。

つらいわ。ねえ、シロ」

「クウン、クウン」

 ロボがおもむろに人間に近づいたとて、それは人間のようなものの再創造、ネオ人類の創出そうしゅつに過ぎない。まずは生物と言うものの創造の困難性をいやと言うほどに知っている人間ではあった。たとえばロボの顔を見てもわかる通り、ロボの個性を作出するのは非常に難しい。それは何を措いても工業製品であるという事に尽きた。個性を表現するのに適切なものは、良くも悪くも何をいても先ずはその個体の持つ顔である。

 人間や動物に似せて表情を作ろうとすると目や眉、口などを変形させればよいが、実はそれだけでもないと言う事を人間は知っていた。何世紀だか前であれば一般の道具同様、使う側の癖や使い方のような何らかの個性が反映されれば、それが即ちロボの個性の一つとなり得たのだ。しかし表情となると、それは個の心の表現なのでもあり、心や感情とその変化がなければ表情は要らなかったのだ。

 自律型ロボにおいては、個性にも影響を及ぼし得る感情の作出と言う問題が立ちはだかった。人間などの生物の脳の奥底にある古い部分にあって、あらゆる脳機能の顕れの際に脳の様々な入出力に伴って駆動され、その修飾を担当する部分がある。ロボを限りなく人間に近づけようとした時に、人間の心情、心身の活動の一々を傍観しつつも、時に翻弄ほんろうされながら心身を一如いちにょとするべく介入、統御しようとする自律神経の機能発露や心の揺動ようどうなどの表出、また意識や無意識などの総体の変化とそれらの機能連関の諸問題が大きな障壁しょうへきとしてロボ開発者たちに立ちはだかったのだ。

「大変だったのよ」

「ウワウ、ワウフ」

 

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