第23話 神、ロボ、人間、愛

 人間が広く言う愛というものには愛憎あいぞう半ばして刃傷にんじょう沙汰ざたにもつながりかねない男女間や親族間の情愛などを指すものもあり、可愛さ余って憎さ百倍などと奇々怪々、定義や内容もまちまちであった。性格その他の多様性をもつ人間一般による様相も千変万化し、それを操る上での不可解さも相俟あいまうのだ。

「そうなのよ。人間の場合は見返りを求める愛が殆どだから、ややこしいのよね。難しいのよ、ウィンウィンがね。神様の愛や母親の愛のように純粋で与えるだけのものは単純なのだけれど、生身なまみの人間の場合は少なからず血腥ちなまぐさくてそう単純には行かないわ」

「ワンワン、ワン」

 確かにロボにとっては言語的にも矛盾むじゅんはらんで判断し難いが、愛が作用する非言語の領域においては当然、論理が整合性を以て働かないため、実際にはさらによく分からない。これが愛だという理屈がつけがたく、原則と同じ程の例外がある。それは人間にとって重要だとされるが、幸福や幸福感についてもまた同様である。

 さらには、あらゆる事は愛であると言っても過言ではないなどと、本来は確たる定義やそこからの論理の積み上げこそが重要であるロボには、愛と言うものほど迷惑な代物しろものはないのである。

「そう、そう。渦中かちゅうに身を置くとよく分かるように、その取り留めのなさや滅茶苦茶さ加減に翻弄ほんろうされて傷つけられたら、戯曲や歌曲にもある様に二度と関わりたくなくなるのかもね。あなた無しでって言う表現のように、相手や愛そのものを否定したい気持ちに駆られちゃうわよね」

「ワンワンワワン、ワンワワワン」

 人間はあらゆるものに神が宿ると言うが、それはロボにとって理解し難い理屈であるが、愛をはじめとして、そうした混沌こんとん奔逸ほんいつこそは人間心理の面目躍如であり、そんなつまずきの石などロボには迷惑千万で、そんな非論理が通用するかどうかがロボと人間とを分かつ大きな懸隔けんかくであった。

「まあ、そうね。他にもうそと言うものもあるわ。口から出るある意味では思慮分別のない、うつろで出任でまかせのような浮動性の高い要素でできたいつわり、つまりは虚実きょじつ相半あいなかばするような愛ね、ちょっと分かり難いかな。ありとあらゆるものは神と愛とウソとでできているのね。どれもがロボには難しいのよ」

「ウワン、ウワン、ウワワンワン。ウワ」

 人間が如何に躍起やっきになって一般のロボを人間に似せようとしても、曰く血が通っていない、電線はあるが神経が通っていないと来る。或いはやれ肌の温もり、心のぬくもりがない、さらにはそのほか様々な理由からロボは人間にはなれないなどとは言ったものだ。それが数百年ほど前の定説であった。ある意味では完全無欠であり、自足、充足してしまっている高度なロボには社会や社会性は不要なのであって、愛そのほかの絡んだ関係性、社会性は構築しえないであろうとされたのだ。

 自己の不足を補うものとしての他者、友人であれ家族であれ、食べ物であれ、宗教であれそれらとの表面上のつながりが不要なのである。その社会に必要不可欠な有機的なつながりとその保守管理には不向きであるとは言うが、そもそもロボは本来本質的にオンラインであるため、繋がりなどと言うものに関するそんな心配は無要である。

 ロボと人間が歩み寄るにはその間に在る大障壁をじ登る覚悟とそれを乗り越えるための能力が必要となる。いわば機械と生体とを繋ぐような能力とそのための努力とが必要であると言えたのだろうか。

「自動修復の自己充足型だから、そして人間の事、生物の事が分からない事だらけだったから、無理もなかったのよ。つまりはロボは愛であるとも言えたのかしら。それも最高の、一見冷徹な観のある至高の愛ね。神様のくれる愛のような、ね、ケンタウルシロ」

「ワンワン、ワウン、ワウワウワン」

 生物の脳ならびに神経系の構築に模倣すると、回路を如何に緻密ちみつに集約して集積しても大きな容積を要し、その構築の模倣は難題であった。さらに多相的多層性の学習型構築を含めたブレイクスルーが必要で、それは困難を極めた。ロボの中枢を精緻に作り込もうとすると、脳の神経細胞のような数千億の神経細胞や複雑な神経結合による無数の回路、集積単位としての脳の各部位を連合しては、それをフィードバック、フィードフォワードさせる双方向性の信号往来機能もその一部として構築する必要がある。

 ロボにおける回路集積の場合、動物における神経細胞に対するグリアなどの支持細胞によるイオンや栄養因子そのほかの各種分子の放出、受け渡しや吸収などの補完的な機能連関などの複雑性の持ち合わせは無かった。それは神経細胞内の細胞骨格構成分子や細胞の中での最小単位を為す分子や機能性の構築を為す細胞膜やオルガネラに存在する分子たちが織りなす単一分子機構なども含め、様々なものが可変的かつ非常に精確な量子的振る舞いをなすように、無限に精緻せいちであるとも言えるほどの複雑さをもった上での統制の取れた機能集約的機構を備えていた訳でもない。

「ちょっとムズイわよね。たしかに脳はナントカ液と言うミドリ色の保存液に浸かってるらしいのよね。もしかするとその中に無数の虫たちがいて、そいつらが寄ってたかって力を合わせて働いては脳の機能を保っているのかも」

「ワン」

 それを如何に精巧で複雑であるとは言え、電線の集積回路のみによってそれだけの容量構成を単純化の上で模倣しようとすれば、それは非常に大きな容積を要してさえも困難なことであった。その多くの機能単位の独自性や各部位の間での反射的連関性が分子の量子的振る舞いの内に確立されたうえで、それらを巧妙にまとめて全体を統括するような、どこか傍観主義的でもある準客観主義的意思を備えたものがそのどこかに埋め込まれる必要があった。

「自然の一部でありながら、自然を統括した気分になってる人間みたいな存在かしら。よく分からないけれど、大変な事だけは分かるわ。そりゃ何億年もの、人間にすれば無限に近い時間を掛けて作り上げられ、練り上げられてシェイプアップされたシステムだもの。気が遠くなるわ。そんなものを作り上げるのは到底無理よ」

「ワンワンワワン、ウワワワーン」

「ここはやはり、端折はしょるとか短絡たんらくではだめなのよ。全く別の、逆転の発想でなければだめよ」

「ワウワン」

 さて、ではこれを一体どのようにしたものであったろうか。脳や神経の回路のうち普遍性の高い大半の部分をクラウドに置く発想というのは、決して間違った選択ではなかったとも言える。その上でセンサやイフェクタなど、出先部分の特化させるべき能力のみを本体に仕組むのはこれもまた決して間違いではないだろう。そうすれば確かに人間に近づけられたかも知れないが、その場合いわゆるロボ的に、画一的になる嫌いがあったのも確かだ。

 本来的に地上や海中、海底などの相に棲む多くの動植物たちは概ねそのように出来あがっている。地上にあっては陽光などの電磁波、重力や大気、地磁気を利用し、また水や土、火、さらには様々な元素をはじめ、大方の情報、エネルギーその他あたりにばらかれているものをそれぞれに利活用している。貝殻やサンゴの死骸の欠片、鳥のフンなど、或いは火や水で溶かされて固められ、粉砕された岩や砂など、諸々の細々こまごまとした独自の情報の欠片かけらを持つものたちが生物たちの内外のこの世界全体にかたよりながらも、万遍まんべんなくちりばめられ、放り置かれ、拾われ使われ捨てられては風や水、雲や波のように漂い流れて行って再利用の限りが尽くされている。

「この記載の件はまったくその通りね、私たちは再利用されたもの達で出来上がっていると言う訳ね。でも、分解されないゴミもあるわ。分解されたら再合成されるのでしょうけれど。堆積されたら化石化したり、圧し潰されて分解されるかもね。神様にしかられるかもしれないけれど、最終手段としてはエルタアレみたいな大きなかまどに投げ込んて処理してもらうしかないのかなあ。人間の力ではどうしようもないからブラックホールに吸い込んでもらうとか、超巨大分解ロボにお任せするとかね。何と言ってもゴミは宇宙にもあるらしいからね」

「ワオワオ、ワウフ」

 人間を含んだ生物たちのアナログ性は細胞内外を逍遥しょうようするイオンその他の多くの分子たちがもたらこまかな、人間にとっては感覚的に捉え難いほどのささやかなディジタルの積み上げで成り立っている。こういったこまやかさを略儀的な構造的模倣に依っての実現が可能であるかどうかであるが、動植物の種々の臓器組織にも存在する細胞内外の多くの分子のネットワークの複雑で緻密なダイナミクスを見る限り、時間を掛けて練り上げられたこれらの仕組みを端折ってさらに簡略化する事は到底不可能に近い。それを訴求そきゅうするロボティクスにおいては、全く別の構造機能連関の発想を打ち立てる他はなかったのだともと言えよう。

「そうなのかしらね。細胞とかタンパクとか、ホルモンとかイオンとかさ、そのほか様々なものをロボに組み込んで再現するって無理っぽいからね。だってそれって作って貯蔵してタイミングよく分泌してだし、さらに使ったら今度は回収して分解して廃棄したり再利用しての繰り返しだし、面倒くさくて気が遠くなるわ。

 自家発電はできるけれど、例えばものを燃やした時に私たちはその熱を利用したりはしても、煙や煤やガスを回収して無害化などしてないでしょう。ぜんぶ自然が処理してくれているんだもの。ずいぶん昔には少しだけ自動車の排気ガスの処理をしていたらしいのだけれどね。それだってそのシステム内で完全処理した訳ではないから、ゼロエミッションが持てはやされたのよね。

 他にもさ、たとえば木の葉やミミズのようなシステムですら人間には作り出せないから、ロボへの搭載は困難だったのよ。逆を言えば、木の葉やミミズはそれほどすごいシステムなのよね。況やイヌや人間においてをや、ってところかしらね」

「ワウン、ワウン、ワフフフフン」

「あら、得意げね。人間だってイヌだって、まだまだロボには負けないわよ。だから、そんなロボたちがここに一緒にいて、あなたがそれに序列付けをしたとして、仮にロボがあんたや私より上位だったとしたら愕然とするわよね。そんなはずないとは思うけれど、いや、あるのかしら」

「ワンワンワ、ワンワ、ワンワ、ワンワンワ」

「あら、回文ね。つまり口幅ったい言い方をすると、ヒトやワンコは個々の能力自体はそう高くはないけれど、結構機能の汎用性が高いのと、自由度が高くてやや万能って事よね。もう一つ、みんなで力を合わせることが出来て、力を百層倍できるって事かしらね。ほら、他人の背中に載ると高いところに手が届くでしょ。あれよ。だからさ、生物は或る意味、究極のロボでもあるのよね」

「ワーン」

 生物の細胞の研究の中で、さまざまな臓器における幹細胞と言う宝物ほうもつが見出され、さらにその様な細胞の作出と言う考えが提出され、さらに発展して医療にも導入された。幹細胞は生体内のニッチに分化可能性と言う意味での万能性を保って揺籃ようらんされ、あらゆる細胞への分化が可能であるとされた。

 細胞工学の領野において高度にピュアで万能性の面でも問題のない始原的な基底的細胞に大いなる意義があるものと期待され、始原細胞への人工的なさかのぼりが志向された。人間がその時々で考えうる限りで始原細胞に近似した細胞を作出してはそれぞれに命名された時期があった。

 生体の細胞の内外で行われている無数の一々の事柄は本来鏡張りで為されているにも拘らず、実際には解像できないほどの極微細かつ超高速事象であって、それらは目にも止まらぬ素早さであるため中々窺うかがい知る事が出来ず、結局タイムスキームを含めてほとんど何も分からず、人間にとっては奇術そのものであった。

 ある複数の監視装置があらゆる時点の世界中に存在するあらゆる通りを何時いつどこの誰がけ抜け、その曲がり角をどのような速度で曲がったかなどと言うデータを同時に把握し、記載するのは困難ではあるが可能ではあるかもしれない。生体の中では同様の事が何者かによって恰も十二分に監視され把握されているかの如くに、万象とも言うべき様々な作用の一々が首尾一貫して巧妙に行われ、その作用はごく僅かの希少きしょう分子で行われる事に於いてさえも粛々しゅくしゅくとして行われている。それら無限に近い一々のできごとが行われている場所は、最早何も言う事の出来ないほど一分の隙も無いほどに精緻に統制のとれた生体と言う街なのだ。しかし、それ等のできごとは先ほども述べた通り、誰の目にも見えず、もちろん目で追う事も叶わない。

 細胞の遺伝情報の受け渡しと言う点については、細胞分裂の際に結果として観察されるのは、例えばゆっくりとした振り子が数往復する間に数百メートルにも及ぶ一対の遺伝情報の細くしなやかでやわらかな暗号紐を、10㎝径のボールの中でそれぞれが千切れずに絡まらないようにしながら、ほぼ間違いなく複製して暗号紐をもう一対つくり、それを新たにこしらえたもう一つのボールに受け渡すなど、正気の沙汰ではない作業なのである。どう見ても人間がはるかに及ばない神の領域にある御業みわざであろうが、それが普通の細胞の分裂の際に一般に、苦も無く概ね間違いなく不断に万遍まんべんなく、時に極極ごくごく僅かの誤操作を織り交ぜながらも、概ね何らかの指令通りに継続して行われているのだ。

「ふーん、まったく気が遠くなるわよ。往復運動を回転運動に変換する昔ながらの普通のレシプロエンジンでは、ピストンの動きは1秒間にせいぜい数100往復らしいの。ロケットエンジンの推進スピードが毎秒数キロメートルだけれど、これでも気が遠くなる感じね。さらに、生体内の量子エンジンの場合の回転数は毎秒百万往復から数億往復らしいの。つまり、私たちの定規でこれを測ったり、目で見たりするためには、うまく言えないのだけれど、悲しい事に時間を永遠の半分ほどに引き延ばすしかないのよね」

「ワンワン、ワンワン、ワン」



    












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