第22話 ロボ、人間、神

「哀しいけれど、それが人間社会の現実なのよね。だって、私こう見えても、お香の様ないい香りのする風邪薬が好きだし、チョコレートやシナモンのうっとりする甘い香りが好き。私の脳の半分はと言うより、ほとんどすべてはカカオの実でできているのよ。だから何と言ってもチョコが食べられなくなるような、金儲けのための戦争は絶対に嫌。と言うより、無辜の人々の上に爆弾を落とすような戦争は、いいえ、すべての戦争に反対よ」

「クワン、クワン。クウン、クウン。カウン、クワオン、カオン」

 生物たちはこの世界に在る水や空気さらに様々な生き物という食べ物を体に取り込んではこれらを生きるためのエネルギーに転換している。それは太陽に照らされた地球で生きるという前提で地上の食べ物に適応しつつ、長い時間を掛けてこれに特化して磨き上げてきた機能である。その意味では生物の体と言うのは非常に合理的な、それぞれに最高の規格によってしつらええられたエネルギー産生工場なのだ。

「ほれ、シロ、これをお食べ。おやおや、我ながらおばあちゃんのような物言いだけれども、ねえ、美味しいでしょう。あんた、人間の食べ物を理解しているもんね。あんたの身体もそれに馴染なじんで適応しているんでしょうね。人間の言い分では、イヌでもそうなのかどうか分からないけれど、美味しく食べるのが元気の秘訣なんだって。シロったらイヌなのに人間の味覚にも同調的に理解しているのね。でもね、こんなものばかり食べていると、ぷくぷく太っちゃうよ」

「ワンワン、ワウウ。ワンワウウ」

「それに、シロと来たら、交通事故で大怪我したことや、その後うちの近くのロボ医師に運よく手術してもらった事も覚えてるし、その後の大病も頑張って乗り越えてくれて、本当に大したものね」

「ワン、ワン、ワン。ワオーン、ワオワオワオーン」

「でもさ、本格的なロボと来たら、ご本食べる訳でもないし。プラグ繋いで充電して終わりだもんね。見たことはないけれど、完全自足型の超高級機種の場合、超小型核融合炉内臓って凄いわよね。味気ないと言うか、化粧も要らないし、太る心配も無いし、着飾る必要もないわ。生老病死も無いし老いの悩みもないし、故障以外の病気もないし気楽よね。自己撞着的で堂々巡りの哲学的な小径に迷い込むともないわ」

「ワンワンワン、ワウワウワン」

「でもさ、ロボって生き甲斐がなさそう。とは言っても、ロボは生きてはいないのだけれど。つまり、存在し甲斐って言うのか、人間の感じる有難さやロボへの感謝をどのように自身に反映させ得るかってことになるのでしょうけれど。

 人間連中はロボに感謝するわけでもなく当たり前だと思って、ロボもそれで問題なしとしているからね。ロボ側がその存在の代価や甲斐について考えるようになればいいのかも。困難な用事を難なくこなし難問を解決しちゃうんだから、人間側は有難くって、本当に感謝し切れないほどよ」

「ワン、ワン、ワハハーン」

「ご飯を食べないからお給料もご褒美も要らないし、おやつもそでの下も要らない。まあ、報酬が要らないのよ。これこそは無償の奉仕を行う完璧な存在よね、いわば神。つまりは神は人間を作り、人間はロボと言う神を作った訳。こんなことは他者への要求度の高い、ボランティア精神のない人間ではあり得ない事よ。人間は食べなきゃいけないから、タダ働きは無理だし、万一無報酬になったら当然ストライキね。

 汚して散らかす人間とは違って、ロボはきれいにする喜びがないから詰んなさそうで、楽しみもなさそうね。完璧すぎて可哀想な気もするわ。でも、それこそが神みたいに感じる所以ゆえんよね。高級なロボになら自己 憐憫れんびん機構とか自虐じぎゃく機能が付いていると言っては、逆に退化して人間に近づいて来そう。

 今のところは有難い事にうつにも自己破壊衝動にとらわれることもないらしいし。でも、人間に知らず知らずに発生するガンのような、オートマチックな自己破壊機能なんて言うのがその内に搭載されちゃうのかな」

「クーン、クーン」

「そうでしょう。同情するよね、ほんと。それにしても自分の祖先、つまり血のつながりのない祖先だけれども、それが最初は人間の手遊てすさびによる玩具おもちゃだと知ったら、愕然がくぜんとするかしら。

 でも、人間だってさかのぼればおサルさんだったり、虫だったり単細胞生物だったりするらしいからね。別にサルや虫を差別してるんじゃないよ。賢いロボなら自信や矜持きょうじもあって、割り切っちゃうのかもね。人間だってトンビがたかを産むって言うし、仮に鷹になったらトンビなんか歯牙しがにも掛けないわ。賢者ロボが出現したら人間は既にもう十分にトンビでしかないのよね。そんなものよ、ねえ、ケンタウルシロ」

「ワンワワワ、ワンワワワ」

 ただの動物から人間になった途端に、先に述べた通り、人間の世界では必要不必要を含めて次から次へと、ゴミが山のように出現した。それらの際限のないとも言えるような関係性までも含めて、いじめ、虐待ぎゃくたいや犯罪、戦争などと、織り成す世界が複雑に猥雑わいざつにややこしくなってしまった。。

「せっかく神様がいるって言っているのに、人間って何千年もの間、だまし合いや陣取り合戦、殺し合いばかりやって来たからね。そんな事ばかりやって何になるのかしらね。ごはんの取り合いだった頃までは仕方がなかったとしてもね。ごはんを食べそびれた者は命の力が弱っちゃうからね。神様の下で戦いが繰り広げられて、鉄砲の弾が飛び交い、毒薬と解毒剤とが飛び交い、ウイルスとワクチンが跳梁しては悪魔と天使が渡り合ったのよ」

「ワンワン、バウワウ、ワウギャウワ」

天狗てんぐになって自分たち人間だけを特別視しては、他の生きものたちを粗方あらかた食べ物にしちゃってさ。人間もただの動物だったらよかったのにね。そもそも神さまの存在価値っていったい何なのかしら。十字軍なんて言って、神様を侵略や戦争やらの大義や名分におとしめちゃった訳ですもの。自分の事しか考えていない人間の面目躍如めんもくやくじょで、それこそ罰が当たっちゃうわよ、ねえシロ。自分に都合の好い神さまこしらえちゃってさ。別の考えの人たちには異端だの何だのって言って弾圧、迫害したり、追放したり、殺して食べちゃったりね」

「バウワウ、ギャワン、ギャワン」

「でもさ、ロボが『コンニチワ』ってやって来て、人間と神さまの間に入り込んで来たらどうする心算つもりだったのかしら。ロボが自分たちの神としてこの世界の創造神について語り始めたりね。

 仮に人間がロボよりも劣っていれば、当然人間は自分たちロボの創造者としては不適格と考えるわよね。辺りを見渡すと昆虫たちは結構いい構造や機能、構造機能連関を持っていて、この世界に適応しているの。しかも、虫たちは自分たちロボが見劣りするほど神妙に出来ていて、変態変容の仕方を見ていても、これは人間の手になるものではないな、と分かるのよ。見れば見るほど精妙精巧だし、それらを背中につける軽量の翅や回転翼や外殻がいかくに利用できそうだと考え、他にもいろいろと良さそうなものを見つけたのかもね」

「ワウワウ、ワワンワ、ワウワンワ」

 それはともかく、ロボに先んじてそれを知っていた人間は、ロボを作る際に動物や昆虫たちの構造機能連関をはんとして、自戒じかいを込めて無駄をぎ落し、あれこれと生物学的な模倣もほう、バイオミメーシスを行った。神の作りたもうたものは最も効率の良い優れた機能を持つものと信じた。それは有体ありていに言えば、自然が長い時間を掛けて、自らを構成している生物たちを彫琢ちょうたくしてきた結果で、機能美や様式美に満ちあふれ、優れて地表に適応し得るように仕上がっている。このような模倣は概ね正しかったと言えよう。

 上にも述べた通り、人間は玩具のロボットの筐体きょうたいを作るのに昆虫の外骨格と言った具合に生物の体をお手本とした。移動ならば安定的な低重心、高速歩行可能な四足歩行と言うように、一般の動物たちの持つ効率的で簡便な特徴を機能としてロボに盛り込んだ。人体を動物の最終進化形、創造主の傑作であろうと勝手に思いし、上級のロボの筐体には人体をお手本とした。神の最高傑作であれば、それをお手本にしようと短絡たんらくしただろうのは想像にかたくない。

「そりゃあそうよ、ねえ、シロ。例えば骨格ね。基本的なところで内骨格と外骨格よね。黎明れいめい期のおもちゃは殆どの昆虫たちが持つ外骨格をお手本にしたって聞いたわ。置物の人形は内骨格で、埴輪は外骨格、こけしは全骨格ね。知ってるかな」

「ワン、ワン」

飛翔ひしょうや跳躍のための軽量で頑丈な容れ物が骨格を兼ねると言うのはとても合理的な簡便構造よ。カメさんの甲羅こうらは肋骨が変形したものらしいわよ。何事もシンプルイズベストね」

「ワ」

「そこからさらに進んで、外骨格の部分に活動のための機能の大部分を入れ込んじゃうって言う発想もあるのよ。海棲生物みたいな虫たちの中にはあるのかもね。中には宇宙にだって行けそうな、ありとあらゆる劣悪非情なとも言える環境に耐えうるクマムシの様に訳の分からないものもいるわ」

「ウワン」

「外側だけ生きている木みたいなものもあるしね。木は内側が外側から連続的に出来上がっているでしょ。それで長い時間を掛けて年輪と言う骨格の死んだ積層構造を作り上げるのよね。ぎゅっと詰まった木質と言う構造体を提供してくれているし、木の実と言う食べ物まで提供してくれているわね」

「ワンワン、ウオン」

 時間が進んで実際のロボの制御機構としてのコントロールセンターを考え、動物の脳を含む神経系を模して人体のような筐体を駆動するのにこれを用いた。また自動時計や自動計算器が実用化されて天文学的な演算処理が瞬時にこなせるようになった。さらに大きな桁の並列演算が行えるようになると、それを人工的な知能と称してロボに搭載し、ある程度人間の脳やそれが管理すべき人体のような筐体を駆動するのに役立った。動物の脳と呼ばれる中枢神経回路と末端受容器、効果器までのいわゆる神経系がある程度解明され、それを電子回路で置換できると考えたのだ。

「うーん、人間のようなロボだなんて、なかなか難しかったはずよ。仮にそれができたとしても、それを操縦するパイロットみたいなものが必要になる訳でしょう。そんな操縦者のような準傍観者みたいなものも誰かが操る必要がありそうだし、つまりは無限の繰り込みね。マトリョーシカのようなさ。動物ではそれが難なくできているのよ」

「ワンワン、ンワンワ。ワンワン、ンワンワ」

 実際のところ、当初人工知能は単純な演算を実行する計算機として発出した。実行コマンドが入力されれば、アルゴリズムに沿って計算が行われる。基盤となるハードウエアの上で駆動するソフトウエアとアプリケーションがある。人工知能の集積回路上を電子や孔が順送りに駆け巡る。回路の集積度を高めて演算の速度や精度を高める。次第にやや微光速に近づいた演算速度が可能となって、様々な判断を要する局面における機能に関して、人間にも迫る力量を身に付けるようになった。

 一方、ロボは永遠に人間に追い付けないであろうと考えられた時代があった。例えば愛などのと言うものはロボには到底解らないだろうとされた。確かに感情や心理のような得体の知れないものに根差した美や審美、或いは感情の揺す振りなどの総体としてのいわゆる愛と言うものは複雑極まりなく、かつ微妙で不安定、不可解である。

 それらはつかみどころがなく、何が正しいのかが分からない上、時と場合や時代によってどのようにでも移ろい得るものと考えられた。それは人間の内や外を対象としてその辺りに漂っている何ものかであろうと考えられたが、それはロボの内側や周囲には漂っていないと考えられたのだ。

「まあ、そんなものなのかな。いや、そうでもないでしょ。でも、確かに愛とか美って難しいのよね。勿論分かり易いものもあるわよ、ほら、くすぐったげる」

「ワウフ、ワウフ。ウワン、ウワン」

「でもね、よく分からないのは人間も同じよ。ロボよりはよく知ってる心算つもりなんだけど、古来の歌にもある様に人間はいわゆる愛がなくなれば、大切なホルモンが出なくなって、それだけで死んじゃうらしくって、愛ってとても大切らしいのね。ほら、見つめ合うだけでも、私たちを高めてくれる様々な変化が起こるらしいのね。だからこうして抱っこして見つめ合うの」

「ワン、ウワ、ギャウン。ワウフ、ワウフ」

 生物の設計図である遺伝子の情報には、これが愛や美であるなどと言ったものは描かれておらず、愛そのものが人間にはよくわからない事がある。何らかの愛であるとも言えるなつかしさのように、温かくいとおしくはあるが得体が知れず、曰く言い難く、形容し難く、取り留めもないものだ。遺伝子においては世代を超えて継承される情報外情報のようなものまでが複合的に情報自体を規定しており、さらにそれが磨かれるきっかけは個人ごとに様々に異なる。神の言うところの無償の愛や博愛は理知の部分に属し、狭義的で倫理や道徳に近く寧ろたいへん理解し易い。

「まあ、ちょっとした急所ね。盲点であったりもするわ」

「ウワン、ウワン」



 




















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