第21話 人間とロボ
「んもう、何でもロボ、ロボなんだから。ロボだろうが人間だろうが、ネコだろうがイヌだろうが、そんなの、どうでもいいわよって言いたいぐらい。ロボが一体何だって言うのよ」
「ンワン、ウワウ。キャイン、キャイン」
お華さんが言うのも無理はない。今となってはこの世はロボ抜きには成立せず、考えられないほどなのだ。犬も歩けばロボにあたるが、その前に既にイヌそのものがロボなのだ。かく言う私もロボだ。恰も地上の動的な知的存在のどれもがロボに漸近、収束していくかのようだ。
人間たちの世ではペットブームが幾度となく繰り返され、ペットの生きる権利や殺処分などが取り沙汰されては、ロボコピーはペットにも及んで遺伝子をはじめとした本質的な部分でも十分に模倣できるようになった。飼い主たちは愛玩した対象の喪失と言う危機的状況をある意味で回避し、そのうちに乗り越えられるようになったらしかった。何世紀か前には単純なウイルスゲノムの改変がその練習として行われ、予期せぬウイルスの漏洩からパンデミックを起こすなどの失態を繰り返した。
ペットの持つ愛くるしさ、愛らしい眼差しや毛並み、息遣いや手触りに鳴き声に仕種と言った精緻なる愛おしさの再現を目指した超一級の癒しロボである。言わば本来の生物ペットが有していた性能の精度の高いコピーである。
実はペットには本来超能力など要らない。生物には生命と言う何よりも強力な魔法の力が備わっているからだ。実用の領域においても様々な価値観が醸成されては家族のうちにあった馬や牛たちが食や移動などの機能を以て汎用利用され、更にはそれらよりも機械的な走行体や飛翔体などによる移動が一般的となった。
小型から中型の動物たちはその内に食料としての役割を終えて愛玩動物への変貌を遂げ、時間経過とともにロボコピーペットが本来の生きたペット同様の価値を獲得したのだ。それは本来的な存在とその価値を駆逐するばかりか、それらに取って代わって不思議な価値を生み出しては、更なる時間の経過とともにホログラフィックなサブジェクトとなるに至った。
「ホントにそうだったのかな。でも、それはちょっと疑わしいんじゃないの。目と目で見つめ合う愛も含めて、何と言っても本物の生きものには敵わないわよ。ねえ、ケンタウルシロ。ほら、おいで、行くよ」
「ワンワン、ワワン。ワンワン、ワワン。ンワワワワーン」
シロはワンとしか言わないが、この声の持つ独特な音色や響きの艶めきのようなものが、取り巻く状況やシロの気分によって千変万化するのを楽しみつつ聞き取っているのは、決して一人お華さんだけではあるまい。それを楽しめるのはきっとシロたちを好ましいと感じているもの達一般の特権でもあろう。
「これよ、これこれ、ワンコはこうでなくっちゃ。ほら、ケンタウルシロ、行くよ、ほら、えーい」
「ワ、ン。ワ、ワーン」
シロは後ろ足の長管骨と筋肉とを骨肉腫と交通事故とで喪ったが、それらのコンポネントを動かす脳の部分とそこから出た神経の配線に繋がったコンピュータの組み込まれた自動稼動義肢がしっかり補完的に機能してくれ、言わばハイブリッド型自動下肢付き動物として、不自由なく走り回っている。お華さんが投げた何ものかの骨を模したおしゃぶりを無邪気に咥えてきては、それを見て愛おしむでもなく、またそれほど考える風でもなく、もう一度とお華さんを鼻で促す。
「まあ、生物は怪我したり病気や寿命で死んだりするから、世代が入れ替わってちょうど好いのよ。ペットが全部ロボになっちゃったらこの世もお終いね。
それらは人間の飼い主を追い抜いて生き延びるから、ペットの中古市場なんて言って、道具にはよくある飼い主の側が継代すると言う不思議な主客転倒の状況が出現しちゃうのよね。それに新しい飼い主が見つけられなければ自律しなければならないし、そうなると放置されるなどしてペットとして存在するという事の意味も失われかねないし。ロボが飼い主ならその心配も要らないけれど。でも、そもそもロボにはペットなんか要らないのよ。その時にはきっと、ペットロボさえもが自律的に存在するのね」
「ワウウ、ワウワウ」
「ところでさ、ねえ、シロ。あんたもそのうち、ロボでないかわいいお嫁さん候補に会いに行こうね。何と言っても、あんたのおちびちゃんたちにも会ってみたいものね。でも、ロボ嫁ワンコでもいいのかな。恋愛って相手の心を推し量って我慢するとか、自分の我儘を押し付けるとか、要求される錬度が高いからやっぱりロボには無理ね。取っ掛かりは何でもない単なる接触とそれに伴う心のざわつきだしね」
「ワンワン、ワウワウ、クウン、クウン」
「でもね、ロボに恋愛ができるようになったらロボの自律的な存在としての最終試験合格ね。すると人間の世界の終わりの始まりね。皆が同格になって垣根が消えたら、イヌとロボ、人間とロボ、さらにロボ同士が恋に落ちるという事なのかしら。でも、そんな事くらい昔からちゃんとありましたよ、なーんてね。ほら、もう一度行くよ」
「ワワワワン、ワワワワン」
ところで、人間が人間であることに然程拘泥しなくなって既にもう十分な時間が経過している。ロボ存在を許容し、寧ろ進んでロボと言う社会に普遍する包括的なシステムを無意識ながらに許容してはそれに適応し、システム自体、あるいは端末のロボ個体そのものを有り難がって、人間の仕事を肩代わりさせている。たとえ人間存在の意義や存在自体を希薄化させても、互いに漸近化した人間とロボそれぞれの在り様そのものや意義などの軽重をそれぞれを気にしなくなったと言うべきか。
「いいえ、私は断然、人間であることに拘るわ。もちろん、良い意味でと言うことだけれどね。失敗を許さないような完璧主義の、悪く言えば狭量とも言えるロボには不確定要素の高い恋愛なんて、どう足掻いても無理。ロボが行うとすれば、それは失敗の要素が完膚なきまでに排除された、確実に成功すると決められた筋書きがその通りに完璧に演じられるかのような、どこか恋愛的でない決定論的色彩の何物かなのよ」
「クーン、クン。ワンワン。クウウウウン」
「シロはそれって悩ましいって言うのね。でも、万一、仮に完全主義のロボが恋愛に失敗したら、自分が許せなくなるのかも。許すと言うのは論理至上主義のロボにとっては苦手な観念なのでしょうけどね。
だって、通常使用のアルゴリズムにおいて、許すと言うことはダメの先にはダメしかない筈なのに、まずまず良いとか、OKがあるという、言わばベクトルの裏返しが起こっている訳でしょう。おかしいよね。失敗とか否定を極端に恐れるのにもかかわらず、失敗を是認した上で事を運ぶという、明らかな矛盾みたいなものが起こる訳。本来、OKと言う結論の手前はすべてOKで埋め尽くされていなければならない筈なのに、途中や場合によっては最初からNONがあるのよ。失敗しないと言うより、失敗を恐れずに失敗から学ぶと言うのはロボが模倣すべき、何よりも幸福を訴求すると言う意味でも、言わば失敗の蓋然性を受容するという優れて人間的な特性よね」
「ワン」
「ねえ、ケンタウルシロ。さっきも行ったけれど、あんたにもできるだけ失敗しない恋をさせてあげるからね。あんたはただのハイブリッドなのであって、ロボじゃないからさ。失敗してもぜんぜん構わないでしょう。私もジャケット後面のセミコンダクタ、ちょっと充電しとこうかしら」
生物たちは一般に子孫と言う名の自身の片割れを得ると言う巧妙な自己複製能を有している。掛け替えのないと表現される、限りなく貴重な生の一回性を有し、それに胡坐をかいているとも言える。ここがロボが生物と対等に渡り合えず、疎外されていると感じ、入り込めない領域であった。
生物界において苦もなく稼働しているシステムであるとは言え、ロボにとっては羨望の、垂涎の的とも言える領分の事柄なのだ。人間を含む生物たちの命は発出後、ひたすら心身を老化させていく一方向性の有限の固有時間を持っている。人間には寧ろ羨ましいとも思える、ロボの世代交代の不要な半永久的システムと言うものが、ロボにとっては恰も見劣りしそうに見える要素となっているのだ。
「そうなのよね。そんなの、羨ましがらなくたっていいのにね。一方で人間は人間で永遠の命に憧れて輪廻転生などと言っているのにね。そこには無意識的にながら、不老と言う要素までも無理やり入れ込もうとしているのよ」
「クワンクワン。クエンクエン」
生物にとっては子孫を残すことが悦びにも繋がる仕組みになっている。一方ロボは生物一般のようにアレンジされた不完全コピー、自己とは似て非なる子孫と言うものを得る代わりに、自己の完結的な半永久的な一回性をのみ大切に抱え持って存続させて行かざるを得ない。
しかし進化したロボたちは途上に複製可能なコピーロボの深化という経緯を挟み込みながら、権利としての何らかの複製能を欲するようになり、やがてはそれを手に入れたのかも知れなかった。或いは先述した通りロボたちはペット動物のような、しかも跡継ぎと言うのでもなく、興味本位から実験的にでも人間その他の生物の子孫を育てる欲求に駆られたのかも知れない。
「ふうん、でも育てる楽しみと言うものは動物にしても植物にしても、その種に依らないからね。実際人間や動物は植物やお花、動物たちを育てて、その成長を見守る喜びを得てきたんだもの」
「ワンワン、クウン、クン」
自身のコピーロボは時に大変有難いものである。自身の右腕として様々な事を肩代わりして的確にこなしてくれる。あとはコピーロボによって自分を構成しているものが部分的に占拠されて、自身の保有領域の幾許かを共有しつつも侵犯される可能性があると言う事態の認識とその懸念の払拭と言うほどの事であったろうか。
コピーロボが必ずしもコピー元の本人が考えるように考えるとは限らない。同じ時間軸の同じ座標に立つことはできず、互いの立場を理解しつつ時間が過ぎゆくのを意識する外はない。事毎にロボによるバイアスは存在し、経過や結果が上方修正されて、物事が自身の思ったよりもズレてしまうことも当然あったのだ。
高精度、高機能なコピーロボの運用面ではあらゆるマイナス面も想定された。複製による副生物と言う意味では意識や信条、感情や性格も元の人間に模され、大方本人の意向に沿うものとなる筈であった。ただし、ロボになるにあたっては演算力や記憶力ほかの多能性は格段に高められる可能性があり、生前の本人とは異なるスペックを獲得し得るものと考えられた。
アルゴリズムに沿って計算するだけの前近代的なAIロボであれば、それが行うのは初歩的メタパラ認知による解析の必要な程度の、やや複雑かつ単純な作業であり、それほどの性能は必要ない。累乗根の計算や様々なものの予想などのレベルは最早おもちゃのロボットの作業画分に在るものと言うほどの認識であろうか。
「そうなのかも。ロボは元祖おもちゃであったのよね。理路整然たる完璧で計算高いロボなのだもの、何の面白みもないわよ。だから考えてみると、ロボの機能は永遠のの累乗計算や数万桁の素数検索ができるぐらいがちょうどよかったのかも知れないわ。
人間なんてこの数千年の間、ぜんぜん代わり映えしていないらしいからね。環境が変わって情報量が増えて便利な道具が増えただけだからね。それに順応することで逆に退化したのかしら。ロボだけが研ぎ澄まされて進化して、人間たちだけが取り残されたのかな」
「ワンワン、クウン」
「確かに、道具の性能が向上するのは好都合よね。道具そのものが獲得した知能や可能性を拡大させて、結果人間が退化してカメのようなのろまな歩みの人間を追いつめるほどに漸近しては追い越しちゃうって話かな。その彼らが意志や心までを持つようになったら何だか気味が悪いと言って恐れをなしたのよね」
「ウワン、ウワン。クウン、クウン」
「すると人間の側では追い越されるのを心配したり、言いようのない不安で眠れなくなったりしてさ。やっぱり、出来の悪いロボコピーのような人間のような、適当でいい加減な不完全さを備えた程度がよかったのかな。その意味ではうちのお爺ちゃんやパパのロボコピー達は人間のように不完全で推奨されるような柔らかな揺らぎさえも持ち合わせた、適当な具合にバランスの取れたコピーだったのかもね」
「ワンワン、ンワン。ンワンワン」
人間は一見非効率であり、概して行動特性や活動原理は生きるための欲求や我儘に根差している。それらは生体にとって不可欠な生への意識的、無意識的な希求の帰結であるとも言える。愛すべき人間の特性とも言え、それは生体が長い時間を掛けて自身と社会とを洗練させてきた結局のところでの果実である。それは人間の脳やそれを地に押し延べた社会構造の複雑化に伴って変遷し、生きて行くのに必要な食べ物、宗教や嗜好品、薬品や化粧品、情報通信や金融などの道具、更には戦争で用いる武器などの殺戮の道具、或いはそれらの総体である複雑な社会システムとなった。すると、非効率なものがより効率的なものに憧れ、それを現実化し獲得していく過程において様々な生物的機能を退化させ、大切なものを喪失して来た人間であるとも言える。
「まあね。人間ってそんなものよ。イヌもね」
「ワン、ワン。ワウフ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます