第18話 ロボボンボ

「そう言えばさ、ケンタウルシロ。赤ちゃんの出生前診断やそれに基づく治療の一環として、ほかにもまた堕胎だたいを減らして人口減に歯止めを掛ける取り組みの一つとして、確か嬰児えいじの生体コピーの可能性も議論されていたわよね」

「ワン」

 お華さんが言うように、大昔の優生ゆうせい保護法における優生思想の再燃として議論をかもしもし、取り沙汰ざたされもしたのだが、この場合、一般には嬰児の一先ずの懸念けねん材料である生死にかかわる疾患に対応する部分の遺伝子編集によって除去されることで、生存機能を高めるという手技が施された。

「そうそう」

「ワンワン」

 更なるオプションとして、それ以外の主な疾患に関わる責任遺伝子のみの非優生的な編集的改変を加えた上でコピーすることで、親の気持ちをむという高額なものではあるが、考慮し得る問題をあらかじめなるべくキャンセルしておくと言うものが検討されたのである。

「うーん、そう言うことか。悪そうなところは予めなるべく省いておくと言う考え方ね。悪くはなさそうだけどなあ。ま、生まれる前から整形して見映えを好くしておくと言うたとえだと分かり易いのかしら。不味まずい部分を殺して取り除くって言うのがそうしたものの部分でなく、一個の人間となると優生思想による抹殺まっさつなんてものになっちゃうのよね」

「ワンワワン、ワワワワン」

 ロボとは言え、それは生物並みに如何いかにも精巧なものであり、ある程度の発生後の成長後の部分までを含めた似非えせ人類と言うよりは最早『新人類』とでも言えるようなものであったろうか。

「子供だから、いわゆるアンファン・テリブルかしら。でもこの場合、魂はどうなっているのかしら。次第に出来上がったのか、それともどこからか飛んでやって来て、ある時それがストンと入り込んでグッと存在感を増したのかな」

「ワンワン、ウワワワ、アワアワワ」

 当初赤子コピーロボが順調に生育するかどうかについては疑念や懸念が持たれた。実際には体内での発生初期における負荷その他がコピー後の発生の持続力を損なわせる可能性についても議論された。生体内では一般にテロメア制御型のあらゆる細胞の一定程度の際限のあるコピーとアポトーシス管理による減数型細胞制御とが行われるが、赤子型コピーロボの場合、セントロメアやテロメアの処理への影響があだとなって、複製の際の誤コピー多発などの異常が起こる可能性までもが議論された。

「ま、その可能性はありそうよね」

「ワン」

 こうしてコピーロボ個体の発生途上とそれ以降の経年変化や成長後のロボとしての生涯途上の諸問題については楽観的、悲観的予測その他様々に意見や憶測が入り乱れたものの、これを法的に一般の人生の途上の諸相同様の、両親並びに本人ロボの対応責任とすることとして、編集の責任については一先ずこれを除外項目とするなどとして、何よりも愛玩すべき我が子を手にする事として納得したのだとは言う。

 発生の途上で用いられた遺伝子転写制御に関わる様々な遺伝子産物が後々、それぞれに別の機能を以て生体内での別途に用いられるため、発生後の個体の平穏無事な存続のためにはそれらのものの微妙な恒常性の担保が要求されたのであった。

 そのほか様々な万能細胞を無理のない形で用いた生殖医療が人間界に大いなる寿福を齎したのは言うまでもない。それを去る百年以上も前に行われた初期胚遺伝子の編集的改変が物議を醸したものの、一定の制限のもとに行うと言う規制がかけられ、さらに一定の基準を満たしたの施設以外での施行禁止とすることで暫くは鳴りを潜めたものの、国によってはなし崩しになった後には、果たして一気 呵成かせいであった。不妊治療の一環と言う考え方が精妙なる神の領域を侵しつつ、次第に幅を広げ、更なるオプションの多様性が繰り広げられていった。

「それも仕方のない流れだったのね」

「ワオン」

 如何いかに精巧なコピーであるとは言え、本来が遺伝子に様々な異常を抱えている、即ち人間と言う不完全を鋳型いがたとして端折はしょって作った不完全極まりない似非えせ本人型ロボである。神経系などの回路の内包すべき情報はその多くをメタクラウドに依ったとしてもである。端折って作られたものには常に不備不正がある。あくまでも複製物なのであると言う認識は根底に据え置くことが肝要であったのだ。

「なんでもありと言うことが想定内であると言う事だったんでしょうね。先々でどうなるかだなんて、一寸先、一歩先すらも分からない人間には到底とうてい分かる事ではないし、そこまでの想像力はないからね」

「ワンワン、ワーン」

 ある頃から生物の構造の精査が行われ、気の遠くなる時間を掛けて精緻せいちに作り込まれた構造と機能の連関が表面的なものと程遠い事が少しずつ明らかとなり、さらには気の遠くなるほどの精巧さ、精妙さで精緻かつアップデート不可能なほどの丹念たんねんな作り込みがなされていることが明らかとなった。様々な面でそれらをつぶさに見ていくにつけ、その設計図の全容の解明にはどこまで行っても到達できないのではないかと考えられたのである。

「分かる、分かる。先の先にまたその先があるからねえ。永遠 無窮むきゅうと言うか永劫えいごうと言うのか」

「ワンワン。ワアン、ワアン」

 身体の部品の設計図であるとされている遺伝子部分の分子構造にしてもそうであった。その設計図は一見、非常に冷たそうな静的なものであるのだが、染色体上に並んでいるDNA上のゲノムやエピゲノム、ナンセンスコドン、レトロポゾンその他のいずれもが実に細かく精緻に作り込まれ、或いは出来上がっているのだ。その中には部品は見えるものの、構築物の時間空間的な作成過程の情報の見当たらない、不思議な設計図なのであった。

 端折って作成された人工幹細胞にはがんその他の遺伝子変異などの発生を完全に排除できない問題もあった。様々な機能におけるミスリードの発生余地を抱え込んでいる人工細胞は、自然細胞ではないと言う認識はともかく、様々な種類の編集的改変を組み合わせることで、徐々に生殖における奇形発生や発がんそのほかの問題への対応が施され、新たなる地平の開拓とそれへの評価や議論とを招いた。

「でもさ、あるレベルの構成単位である細胞からして、人工物の部品のように分解と組み立てが可能なわけでもないでしょう。生物の場合、構成単位から組み立てられたものではなく、たねが温床で発芽して育まれるように構築され、伸びたり大きくなったりするものなのよね」

「ワン」

「つまり、切り離して分解して、それを組み立てて再構成すると言うのができないし、そもそも生物って、部品を作っておいて、それを組み立てていくようにはでき上ってはいないのよね。基本的なエレメントが現場で自動的に一筆書きのように作られ調達されては、柔らかくめ込まれながら出来上がるのよ。ネジと言うよりミクロネジ配合の不思議なネジノリで接合されてるしね。そんじょそこらの工業製品とは違って、そいつらが伸び縮みしてつながり合ってるのよね」

「ワウン、エウン、オウン」

 がん遺伝子やがん抑制遺伝子と呼ばれる、一連のがん関連遺伝子による産物であるタンパクたちは個体の発生時には転写因子そのほか、別の様々な機能を持つ因子として活躍する。仮に発生時の転写因子の質的量的効果が不十分ならば、その後の諸臓器における無数の必要な因子の発現は不十分なものとならざるを得ない。その帰結はがんその他の遺伝子変異性疾患をはじめ、細胞の成長阻害やはい発生の中止が起こる可能性もあったのだ。

「なんだか難しいけれど、そう言うことも起こり得ると言うことだったのでしょうね」

「ワンワンワン、ワンオンワン」

「何それ。それにしても、それらの不幸な事象のどれがどういう組み合わせで起こるのかも分からないし、そうした事柄が複合的に起こる事もあった訳でしょう」

「ワン、ワン、ワワン。ワワワワワン。ウワワワワン」

 数世紀前までは一般的な概念にはなかった自然発生的でない、寧ろじ曲げられて作出さくしゅつされた生体のようなものの定義は不定なのであり、さまざまな様態としての存在が許容されたという事なのだろう。一方人間に酷似こくじした範疇はんちゅうの、この生体型コピーロボにおけるロボ個体内異状や遺伝学的システムエラーの研究も併せて推し進められた。

 当初予想された通り、初期の生体型コピーロボの場合、個体によっては故障に相当する疾病様状況の発生率が相応に高い事もあって、胚発生の次元とは異なる段階や組織の細胞分裂レベルにおける疾患の治療的意味での遺伝子編集も取り沙汰された。異常が発露した際の修繕、修復の困難さも予見された通りで、コピー体を始祖とする種の系統の発生を維持した上で、それを長持ちさせるのが困難な場合もあった。

「さっき言ったとおりの事よね」

 生体においては皮膚や消化管、気管その他の粘膜の上皮細胞や血管内皮細胞などは常々生まれ変わっており、高線量の放射線被曝時のように、これらの細胞の細胞の生まれ変わりが途絶えると、生体の恒常性こうじょうせいはあっという間にくずれ去る。この種の細胞の入れ替わりは生体の存続に必須であると言える。本来それを支える様々な形での階層性を持つ系統的かつ構造的な機能構築があり、それが傷害されると生体の総体としての機能を維持することができず、致命的な疵となる。

 系統維持のための個体の恒常性維持には頻回の夥しい子孫細胞産出が必要で、複製時のエラーの総量も格段に増えることは容易に想像できたのである。生体型コピーにおいて本来的でない何らかのきずを内包している場合、当然大きな問題があったのだ。

「ぷっ、よく分からないけれど、何だかとても大変ね」

「ウワン、ワワン」

 そうした理由から破綻の危険を抱えたままの生体型のコピーロボを長期間の使用に供するには応分の負担が必要で、当初 上梓じょうしした企業と購買者の負担が大きく、企業の破綻はたんなくこの種の領域を発展させるには、投資と関係者たちの苦労と努力があったのは想像に難くない。

 人体の疾患に置けるものの特殊様態としては感染と言うものの概念をくつがえす、いわば遺伝子不在の異常蛋白質の個体間転移と言う感染様態があった。ある個体に侵入した変異型タンパクがその感受性を持つ個体に存する野生型である非変異型タンパクの構造変換をもたらすことで異常化させると言う擬似的増殖形態をとり、個体に何らかの異常を齎しながら他の個体に転移すると言うものがある。当初は遺伝子から核酸を経て蛋白質合成への方向性のある経路と言う絶対的とも言うべきセントラルドグマがあったが、これが崩され覆された疾患の事例があった。本来異常となるはずのない遺伝子産物が何らかの瑕疵かしとなり得るといった陥穽かんせいの存在によって、知らずに異状に引きり込まれていくのだ。

「まあ、どんなものにもいろいろな場合があるだろうから、そのため色々と破綻しやすくなるのよね。蟻の一穴って言うのね」

「ワンワ、ワワンワ。ワワンワ、ワンワ」

 時代が下り、本来的に国家予算の幾許いくばくかを占めるほどに高価であった高精度の生体型コピーロボが安価となって、機能や存在の破綻の問題がクリアされれば、生命保険によってそれらが世に過剰に供給される可能性があったのだ。勿論、国家やコンソーシアムがこれに規制を掛けたのは言うまでもない。

 生体型ではない一般型の機械型ロボについては、人間に対してはその命令に従順なものとするプログラム設計が容易であったことから、やがてこれを悪用する人間が出現して、その様にプログラム改変を行う可能性があった。このようにロボを利用して悪事を企む人間が出現するのが容易に予想されたため、ロボティクスコンソーシアムがあらかじめしっかりとした規制の枠を設け、これに網を掛けた。それでもこのような規制がいわばザルのようになることはよくある訳で、クラウドやロボ個体そのものにウイルスを潜入させるなどしてロボ個体のシステムエラーを誘導するような反社会勢力が潜在したのも、犯罪と言うものの蓋然的なはらみのある人間社会においては止むを得なかったのだ。

「ロボ詐欺さぎなんて言ってる連中は、ある時期、すっとぼけるロボを作ればいいと言っていたのよね。対策を講じた結果、冤罪えんざいの落とし穴に落ちる、言ってみれば『クソ真面目』なロボが結構いたって聞いたことがあるわ。ロボは認知症にはかからないと聞くけれど、バグが意図的に作れて、知らずに埋め込まれるって話なのよね。やらされ型の旋毛つむじまがりロボね」

「ワーン、ワン。ンワ、ンーワ」

 彼らロボ、或いはコピーロボが過去の人類のように地上を席捲せっけん闊歩かっぽし、創造した当の本人である人間になり代わって存在感を示すようになれば、人間自体の存在意義はより希薄化したであろう。それに危機感を抱いた人間側からの要請により、ロボ存在が消滅させられるかも知れなかった。既に様々なロボとの抜き差しならない状況で、残り少ない人間たちはこの問題をどう考え、行動したのであろうか。

「そりゃあ、高性能なロボに人間がかなうはずないわよ。ねえ、シロ」

「ウワンワ、ウワンワ、ウワワンワ」










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