第11話 ロボボのボ

「まったく、ロボって何なのよね」

「ウワン」

「味方なのか敵なのか、神なのか悪魔なのかさ」

「バフフン」

「おもちゃなのか神なのか。おもちゃなら遊べるけれど、神だと近寄り難いわ」

「ワン」

 仕事でも何でもロボ存在によって行われるようになると、状況は置き換えられ、事態は奪われた。人間はただ生きて存在する、そんな非在とでも言うべき存在におとしめられた。職業的な人間活動は非効率であり、まじめに働くロボの邪魔になったのだ。

「人間存在に関わるあらゆるものはロボで置き換えられ、人間様は休んでくださいと言う訳ね」

「ワンワン、キャフン」

 人間は気楽に生きてよいが、ロボはそうはいかない。ロボには娯楽はないが、こなすべき仕事があるだろう。つまり、その様に作られているのだ。ロボの仕事には一点の曇りも、かげりもおごりも粉飾ふんしょくもなく、不正とは無縁である。インフラは予定通りに完成し、そこにドラマはないが、談合だんごうや不正な取引もない。

 あらゆる職業的な事柄には次第に人間存在の介入の割合が減少していった。人間はお金を稼ぐと言う、時間そのほかの価値のようなものの「切り売り」から解放され、つまりは稼いではいけなくなった。「稼ぐ」ことが禁止されたのだ。すべてはロボが無償むしょうでやってくれる。人間はただサービスを受けて、あらゆることを無償でしてもらえる。それこそは王侯貴族こうこうきぞくの暮らしだが、つまりはもらうのみで、言い方を変えると家畜のように飼いならされることに向かって邁進まいしんするようになるのである。

 では、働きたい、稼ぎたい、お金をもうけたい人間はどうすればいいのか。人間は生につながる労働の価値とその喜びとを知っている。即ち、当座の衣食住のために働くのだ。他にも、世のため他人ひとのためと言って、それらの大義名分たいぎめいぶんのために働く者もいよう。さらには、余分を手に入れようと働く場合もあろう。また、その余分を重ねて喜ぶ者もいよう。余分と搾取さくしゅとをたくみに組み合わせては、更なる余剰よじょうを生み出すものもいる。積み上がった過剰な余分は、見る分には楽しいかも知れぬが、それだけでは大いなる無駄むだとなる。そこにある過剰な余分は、それを必要としている多くの者に分け与えればあっという間になくなるが、実はそれが余分の正しい使い途なのだとロボは教えてくれるだろう。もちろん飢饉ききんに備えておくことは大切である。いずれにせよ、ロボは人間に働くことを止めさせるだろう。

 それまでの人間世界では分捕ぶんどり合戦であった。元来は神様がそこかしこに食べ物そのほかを配置し、人間はそれを採取することで生きてきた。本来誰のものでもないのに、根拠は不明ながら入手したものが自分のものであると主張し始めるのだ。他者が持っているものを手に入れたい場合、相手が手放さなければ、力任ちからまかせに強奪ごうだつするか、だまし取るか、盗み取るのだ。もとは神さまがくれただけのもので、そこからいさかいや争いが始まるのだ。何と言うことであろう。

 そこにお金と呼ばれるふだが登場した。するとお米や物の代わりにその紙切れを集めることが第一となり、それによってめる者とそうでない者とが分かたれた。その御ふだがあると、それを数えて安心するらしい。ロボには理解が不能なのだが、カードのように絵柄が異なる訳ではなく、それに乗っている通し番号(シリアルナンバー)が変わるのだそうだ。ロボにおける個体識別こたいしきべつ番号のようなものか。絵柄を楽しめないのに価値があるようだ。それは食べられないが、食べ物そのほかと交換ができるらしい。そのため様々なものとの交換ができるために重宝された。すると、巧みな方法でこの御ふだを集めようとする者が出てくる。そしてその余分を使ってよからぬ事をたくらむ者が出てくるのだ。困っているものに配るのではなく、さらに増やして返せと言うのだ。

 しかし、時にその御ふだが本来の紙切れに代わることがある。つまりは紙くずに堕するのだ。その御ふだは言わば兌換可能な交換券なのだが、その御札を1㎏持って銀行へ行っても1円にもならないことが起こるのだ。地球で起こった第一次世界大戦後のドイツと言う国では1マルクが1/4兆ドル(ほぼ無価値。4兆マルクが1ドルに相当)まで下落したそうなのだが、この時、マルク紙幣はメモ帳にすらならず、文字通りの紙くずとなったらしい。お金と言うよりはお紙だったのだろう。

「なんでもお金で買えるわけではないのにね。困っている人には上げたらいいのに」

「バウワ、ワウワ、バウワウワン」

「お金で罪を犯したり、騙し取ったり、喧嘩したり、命が失われたり」

「バウワウ、ワウワウ。バワワワワン」

 ロボがやって来たことでお金が廃止はいしされ、貨幣や紙幣で食べ物そのほかを調達することが必要なくなった。すべては無償で供与され、お金を用いた企みができなくなった。自身で使わないものは調達できない。余剰分を個人で貯蓄、貯蔵することができない。個人の所得、所有はないものの、自在に満たされている。労働は構わないが、対価が発生しない。仮に対価があってもそれは国庫へ流れ込む。働いてもよいが、すべては無償のボランティアである。対価が発生しないと聞けばモチベーションが上がらないかもしれないが、別の点数になるかもしれない。これこそは崇高な、稼ぎのない、余剰は他者に分け与えるようなロボのような行いである。しかし、対価報酬なしの労働は人間から意欲を奪ってしまう。さらにロボとその仕事を邪魔してはいけないとも言われる。食べ物をはじめ必要なものは無償で貰える。良し悪しはともかく、ロボ社会主義のようなものである。

「それも窮屈ね。社会主義と言うより、不自由主義だよ。労働しちゃいけないなんて聞いたことないわ。働きたい人には地獄よ。まるで開かれた牢獄みたい。どんな成果も還元されないから、ロボか聖人でないときっと耐えられないかも。無理無理、凡人は堕落すると言うより、気が変になるよ。モチベーションが保てないし、それって耐えられないよ。でもね、一日中ボーッとするのもいいかもね、シロ」

「ワンワン、キュワン。ワンワン、キュワン」

 ロボには休めと言ってはならない。それは規律違反である。ロボにとっては仕事や作業こそは必要欠くべからざるもの。安息よりは仕事をがロボの建前ではない本音である。目の前のロボが掃除も洗濯も掃除もすべてやってくれる。一方人間は金を稼ぐと言う意味合いの仕事をしてはいけない。呼吸や食事、排泄、入浴はパーソナルな事柄なので仕方がないが、ぺリパーソナルもロボでと言うのなら、思念さえもが吸い取られてはロボが勝手に処理、計算して考え、夢想してくれる。人間はもう寝ているより他はない。お金を使った経済活動、いわゆるマネーゲームさえもできない。これは窮屈である。

「籠の中の小鳥ね。ゲージの中のネズミ、都市封鎖で戒厳令や外出禁止令に我慢を強いられる人間や犬小屋のイヌね。おもちゃのお金で「マネーゲーム」やっても詰んないでしょうしね。月にでも吠えるのかしらね。ストレスからイライラが募って犯罪が起こるかも」

「クウン、クウン、ワウワウ」

 先ほども述べたが、国家によっては金銭と言う数字が廃止され、すべては無償で供給された。個人の間で労働対価の受け渡しによる差分の獲得や接収、稼ぎやもうけがなくなったと言う。寝かせたお金がお金を生む、あるいは幻想が架空を生むなどと言った類の下衆の商売なども不要となって雲散霧消したらしい。

「ホントかなあ、なんだか怪しいわよね、シロ」

「ウワン、ウワン、ウバウワウ」


 

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