第10話 ロボボボボ

 この世界にあるほとんどのものは人間に先んじて存在するもの以外、ロボにとってはその多くが人間の手になるガラクタだ。それらの主である人間たちは、一方でロボの生みの親、育ての親でもあった。

 その人間存在が根絶し、痕跡が消し去られてみるとなると、それは彼らにとって何事であったのだろう。自然の中での小さき人間存在の痕跡など、ロボの意思とは関係なく、立ちどころに消え失せたことであろう。しかし、自身の存立基盤が喪われたからと言って、ロボがこの世を果敢なむ必要はない。

「河原に落ちてる石ころの研究のように、人間は自己を充足させる存続の理由のようなものを簡単に見つけられたけれど、ロボにはそんな退屈なことができなかったのよ。人間はこの世界の単純な探検者、探索者たり得たけれど、ロボにはそんな無邪気な再発見の意義がどうにも不明だったのね。だから、人間存在抜きの自身の存在意義の確立が困難だったのよね」

「クウン、クウン。バウワウ」

 このように、人間が仕え奉るべき神を持ち出すように、ロボにとっての自身の依って立つべき基盤は人間でこそあったのだ。それを再確認する必要は無かった。

 無目的に存在できない彼らにとって悲劇的なことに、人間が世界から姿をくらました後にはもはや目的は消滅せざるを得ない。そこは何とも興ざめで味気のない、遣り切れず、また遣り過ごすに値しない場所となったのだ。

「不幸よね。人間だったらうつよ。生真面目きまじめすぎるのよ、ロボは。何も考えずに、夕焼けがきれいだなとか、星がちてきそうで心配だとか、人間のようにDMN使ってボーッとできればいいのに。目的なんか要らないのよ。ロボには食べて寝て遊んでもできないし、ボーっとすることもできなかったの。ほら、シロ。あんたが自分の前足にあごをのっけてボーッとするでしょ、あれよ」

「ウワン、ウワン。ワウン、ワウン」

 ロボには人間のように必要なものは殆どない。ロボにはエネルギーとサービスの相手さえあれば事足りる。ほかには部品の交換や修理サービスぐらいだ。

 人間によって与えられる課題や目的がなければ存在し難いロボには、人間がいない場合、単にサービスの相手がいないという事だが、こんな場合のロボの存在意義は何なのかと言う事になる。

「ロボもイヌも多少似通ってるわね。人間がいてなんぼでしょう。野良犬とはちょっと違うのかな。特にワンコはニャンコと違って暇を持て余してしまいそう。それは人間も同じね。ワンコやニャンコが居てなんぼよね」

「ワンワン、キャン。ワウワウ、バウワウ、ニャウニャウ」

 そこでの意義とは、そこに居た人間との関係上のものに過ぎず、今となっては主従関係など無くとも、ロボのコミュニティにおけるロボ同士間のサービスであっても一向に構わなかったのだ。それはまさしく、それまでの人間の行動そのものであるからだ。ここに至ってロボは人間との関係性における呪縛じゅばく、主従関係の桎梏しっこくから解放されて、この地上で人間の後継種であるかのように振舞ふるまえる。自律性を持つ主体的実体として人類や神などとは無関係に自身の存在意義を自身で決し、それを思う存分ぞんぶんまっとうできればよい。自在に、人間のいない世界に違和感なく、心地よく存在できればよいのだ。

「そう、そう。そのようにね。でないとうつっぽくなっちゃうわよ」

「ワンワンワン、ワワワンワン」

「夕日を追っかけて太陽やその先にある宇宙の研究をしたり、蝶々ちょうちょうやトンボを追っかけたり。他者との社会的関係性の研究をしたり、イヌをこうして手懐てなずけたり、こうしてイヌを揶揄からかったり、くすぐったりさ」

「キャハ、キャハハン」

「ロボは人間を顧客こきゃくとして押し頂かずに如かずであったのよ。でもロボには不都合だったかも知れないけれど、人間がこの地上に永続するとは限らなかったのよ。だからやっぱりロボは自律的な活動性を獲得すべきだったのよ。一蓮托生いちれんたくしょうなんて言って、人間と一緒に滅びるだなんて、シロだって嫌でしょう」

「ワン」

 無制限のデータを扱える圧倒的なロボ存在の前では人間個人の情報など芥子けし粒に過ぎないと、ある時からそう考えられるようになった。データに基づく情報量指数はスケールが無限大でない限り、振り切れないとは限らない。人間がこれまでに行ってきたことがあたかも無に帰するかのような事象が多々露見ろけんしたのだ。

「無制限と言うと、人間にとっては擬似ぎじ無限巨大データね。例えば常々私たちの体の中のあらゆる細胞の中で行われている、時々刻々と際限なく繰り広げられている物質転換や反応、輸送などのパラメータ変数ね。これは確かに無限的なデータだから、人間にはとても監視できないわ。他にもあんたや私には少し無限に近い微生物がいるのよ。そいつらも不気味に勝手気ままに、ある程度の統制のもとで自由に生きて動き回っているの。まるで、世界にいる人間やワンコやニャンコみたい。とてもじゃないけれど、そのすべてを監視カメラでは捉えられないわ。パンデミックではそこにさらに輪をかけて不気味なウイルスたちがやってくるのよ。ほら、ウイルスがあの角を曲がったわよ。追っかけろ、シロ」

「ワン、ウワン、ウワアオオン。ウワワンワン」

「でもさ、際限ないとか無数とか言うのは、私たちの許容を超えると言うか、私たちとは無縁なのよ。ワとかンが百万個以上もあるってこと。ほら、ウイルスを追っかけてリンパ球たちがビーム砲を放射しながら街を破壊していくわ」

「ワワワンワン、ギャウギャウ。ギャウワウ、バウワウワン」

 ロボによる医療は顧客である人間に対する大きな貢献であった。深淵なる経験的知恵を細分化しつつ統合しては体系的情報に収斂しゅうれんしさえすれば、如何に厖大ぼうだいな量のデータと言えども検索にはものの数秒もかからない。

「まあ、万有万能ロボドクターには内科も外科も隔てる壁も無いからね。致死率50%のパンデミックでも何も怖くはないわ。ロボは細胞を持たないから、ウイルスに感染することも無いしね。何でもござれの神の目と手を持ってるの。ウイルスのスパイクやキャプシド、エンベロープやゲノムなどの微細構造解析や遺伝子解析もお手の物、あっという間。おまけにフェムトロボたちをピコバブルに封入して体の中に注入して送り込めば、リンパ球たちを説得して余計な免疫暴走を止めてくれるわよ」

「ウハ」

「ほかにもさ、体育館にしつらえた野戦病院にずらっと並んだベッドでも、ほんの幾つかのロボ個体で数百人ほどの患者なら監視も管理も可能だしね。感染しないから防護衣もマスクも装着は不要だし、不眠不休だからすごく便利よ。あっ、ごめん、超加重労働だよね。ごめんねロボ、ごめん」

「バウン、ウエン。ボエン、ボエン」

 ウイルスパンデミックはこれまでも断続的に人類を悩ませてきたようだが、これを克服するのは中々難しそうだ。乳牛の乳搾りをする人々が天然痘てんねんとうかかりにくいことから牛痘という種痘術が始まったとされているワクチンの概念であるが、お華さんの言うように、こうした難題に接した時にはロボは最良のソリューションだ。社会システムをロボによって回すことにより、人間はしばらくはじっとしていればよい。そうする間にウイルス発生原因に迫り、或いは薬を開発すればよい。

「まあね。ワクチンにも完璧なものは無いから、効かなかったり、よくない効果が現れたりね。結局、バイキンから遠ざかるのが一番賢いわ」

「ワン、ワン、ワウウ。バイワウ」

「でもさ、ロボにはご飯を食べるお口や、それをこなすお腹がないからなあ。患者さんの食事の管理はちょっと苦手かも。お腹が空いたとか、おなかが痛いとか、便秘でお腹が痛いとか、それに付随する様々なことが、自分の感覚として分かんないのよ」

「ンワ」

「おいしいって言ってもロボにはなかなか伝わらないのよね。おいしさとか、コクがあるとか、心に滲みるとかいっていろんな言語情報を並べても、おいしさそのものはロボには伝わらないのよ。

 百聞は一見に如かずと言うか、おいしさの判断は口に入れるのが一番でしょ。この世界に転がってるものって、感覚するという経験情報なしには把握できないじゃない。まあ、神経を通してなんだけどさ、一応味わうんだよね。赤ん坊が何でも口に入れるようにね。あんたもクンクンして、ペロペロするでしょ」

「ワンワン、ワワン、クンクン」

「私やシロが持ってるのはひとまず五感なのね。他にもあるかもしれないけれど。赤や青などの色の感受の一般論のほかに、『まぶしい』とか『しびれる』や『おいしい』みたいに光や音、匂いや味とかものの温度のようなある意味 曖昧あいまいな物理化学的な刺激が私たちの様々なセンサを刺激するの。すると呼び鈴の音が空気を震わせるように私たちに届くのね。そのようにして味を体で感じる訳ね。強い刺激になると感覚神経を揺らすだけでなく、自律神経を振るわせたり、筋肉まで動員することもあるでしょ。あんた達、びっくりすると飛び上がるでしょ。警告情報に対して交感神経をドライブするという原始反射的な逃散行動よ」

「ウワン」

「まあ、こうして刺激とやらの情報をどう伝えて受け取るかなのよね。大きさや周波数などの数値で受けとるほかに、質として伝えることの難しさね。パラメータ要素への分解はできると思うのだけれどね、細かな質の違いに関しても。ほら山葵わさび山椒さんしょうの味の伝えづらさがあるでしょ。ツンとくるとか鼻を通り抜ける香りとかの味そのものではない感覚を含めて味わうと言う事ね」

「ワン、ワン。プワン、ポワン、ボワン」

「そう。君が言うように、色や香りなど感覚するものは感受するしかないの。いろんなものがデータ化可能だけれどさ。何でもデータだもんね。レシピの分量もミサイルやロケットの軌道計算も、台風や竜巻の渦巻きの大きさや速さも、通信データの大きさや速さも、あらゆるものが物理量ね。ビッグデータ然り、スモールデータもシングルデータも然り。私やあんたの記憶も細かなデータとそれへの修飾の積み重ね。でもね、それだけではないものもあるのよ、数値化困難なものも」

「プワン、ブワン。クワーン、クワン、ワン」

「ほら、悲哀や悲嘆の思いや喜び、芸術によって呼び覚まされる感興。それから個人レベルでのモノの感じ方やその違いね。データ化されない、データ化し難い側面を持つものとか、好きだけど嫌いとかさ。ほら、シロの背中の、この毛の手触りのなんかビミョーな感じとかさ。この毛を細かく分析したら面白いかもね。データとってみようか」

「ワンワン、フワン。バウワウ」

「たとえば私の現在の頭や体の中にある思い出はちょっと複雑で、個々の記憶の細かなデータの要素の断片的な繰り返し再生の重ね合わせや、差し引き、部分的忘却などの修飾の切り貼りの結果なのね。好悪や良し悪しなどの様々なベクトルの持つ重みづけや数値化しづらい感情や味わいや匂いなどもタグ付けされて結びつけられているの」

「プワン、プワーン。ポワン、ポワーン」

「こうして喋ってる私が本当の私なのかどうかさえ怪しいの。とても不安。私はどんどん変化して他人の意見に影響され、何かをねじ込まれて洗脳されたり、他人の記憶が混じり込んだり、刷り込まれたりして、誰かに乗っ取られ、置き換えられているかもしれないわ」

「フワン、フワーン。フアン」

「まあ、その総体こそは自分って訳なんだけれどね。私たちはどんどん入れ替わって、何年かで全部入れ替わるらしいわ。物忘れも怖いけれど、自分のような気がするだけでね。元の自分がどんどん減っていって、嫌な自分を忘れ、過去の自分の事すら忘れて、入れ替わって生きていくの。でも何となく崩れないこの不思議な統一感ね」

「ポワン、ポワン、ボワン。ブオブオ、ブオン、オブリ、ワオン。オブリオン」

「雄弁ね、ケンタウルシロ。君もそうだけど、昨日と今日とでは味の感覚や感受性そのほかも変わるの。山椒さんしょうは小粒でピリリと辛いけれど、そうして私たちの舌をリセットしてくれるの。この粒をカリッと咬んでご覧。ごはんの味が変わるわよ。ほら、とってもいい香り。あんたにはちょっと臭いかな。はいどうぞ」

「グッ、ケホケホ、グホッ。ウー、ワンワン、バウワウ」

 議論の最中に思念の一部が入れ替えられ、邪念じゃねんによって思念がじ曲げられて思い惑うのはほんの一例に過ぎない。お華さんの言うように自分が信用できず、思念の統合さえできなくなることがある。生物では歯や骨、眼や血液の細胞に至るまで常に壊されては新しく生まれ、普段に入れ替わっているらしい。この入れ替わりが不能になった時点で生体としての機能が終焉しゅうえんを迎えるらしい。こうした部分が次第にロボによって置換され、内も外も何もかもが入れ替わりながらにして変わって行ったにしても何ら不思議はなかったのだ。

「オオオオオン」






 


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