第6話 ロボと人間 その二

 どちらかに決定することのできないような二つの選択肢ならば、どちらもおおむね正しいと言う理屈には違いなく、またどちらも決定的ではないともいえる。どちらでも結果に大差はない可能性もあるが、僅かな初期設定の差がその後の選択の積み重ねによって後の結果に大きな隔たりが生じうる。そうでなくとも、僅か数十センチ、肩がぶつかる様にして走る隣の兵士に敵銃弾の軌道が重なるのだ。しかし、ロボは壁にぶつかって必ず左折するプログラムされている虫たちのように単純ではない。

「ストレスって言えば、人間にはつきものなんだって。だからロボにはこれが起こらないように設計されたのね。生みの親の親心かしら。人間は心理というものにき動かされるから、それに振り回されて浮気や忖度そんたく刃傷にんじょう沙汰ざたやら戦争やらが起こるのね。

 だからロボにはフィードバックやフィードフォワード、ジャイガンティックステップスとやらを巧みに組み合わせて、その辺の回路で理不尽な不純物がぐるぐるヘビロテしないように、人間のようにはならないようにしたのね」

「ウワン、ウワン」

 たしかにロボにおいては葛藤から懊悩おうのうに至って各階層のモデュールにおけるサーキットカラム同士がショートしないよう配慮された。回路内や回路間を渉猟しょうりょう的、彷徨ほうこう的、徘徊はいかい的に繰り返し往来する固体内電子を制御して危機的状況を回避するのだ。

 ある時期からロボのそれぞれの能力の程度に応じて適切に危機回避できる入力 減衰げんすいシステムやフレキシブル《柔軟性の高い》なリスクリダクション《危機減弱型》ディバイスが構築され、適切に運用されるようになった。

 量子アニーリングコンピュータによる頭脳中枢はある時期には神と呼ばれ、クラウドシステムとのハイブリドで使うことで簡便なとは言いつつも超高度集積型の小型超高性能のAIを載せた人間に近似した判断や行動が可能となった。

「人間もさ、結構いい加減で勝手気ままだからね。滅茶苦茶で支離滅裂でニャンコとワンコを足し合わせたようなものだから、そんな簡単な回路で近似、漸近ぜんきんさせようとしたのよ。工学的乱数や揺らぎ、カオス、群体認知で何とかそれらしく演出しようとしたのでしょうね」

「ワンワン、ニャワン。ワオ、ニャオ、ニャオス」

「でもさ、事故の後にロボ化したお母さんは、当初ロボという箱の中に入った、なんとなく世間と隔絶された自分をなかなか払拭ふっしょくできなかったと聞いたわ。彼女、皮膚感覚や空気感の喪失を感じて、お化粧についても複雑だったようよ。一から十まで違和感だらけだったみたい。用もないのに化粧台の前に腰かけたり、台所やお風呂屋、おトイレに出向いてはたたずんだり、お掃除だけを繰り返したりってね。そのうちに電子的な馴致じゅんち機構が働いて、少しは楽になったり」

「ワウー、ワワン、クウン」

「生物たちの機能にはそれぞれ構造機能連関かられた部分があるがあるらしいの。細胞内の遺伝子にだって一見無駄に見える配列が途方もなく繰り返されてたり、、遺伝子外情報とか、移動する遺伝子とかね。

 見えない機構や隠された機能とかがたくさんあるらしいのよ。分からない事をそのままにして途中の工程を端折って何事かやると失敗するらしいの」

「バウワウ、ワワン。バッワワウ、バワワワワン」

「その後開発されたらしい人間の回路に似せた、いい加減で適当で中途半端な半閉鎖はんへいさ型の一方痛苦的開閉自在型回路のシステムもあったらしいわ。途中の答えを確率論的に適当に暫定しておいて、最終ボタンのところでふたを開けると、瞬時に各階層での数値が決まって結論が出るって仕組みね」

「バウワウ」

「死んでいたかも知れないのに、お墓の中からい出してきて突然生き返って出てきたゾンビみたいにゆがんだ顔のネコとか、寝ていたのに突然たたき起こされてねぼけた顔をしたネコのような回答に辿たどり着くの。ある意味非常に柔らかな繊細さで答えに逢着ほうちゃくすると言うかさ、逆に眩暈めまい感をもたらすようなソフトランディンググググ、ふう。のような妙な心地よさが与えられたらしいのね」

「バウワウワウ、フガガガガ」

「そうそう、たしか当然変異型不細工猫物語っていうゲームだったかなかなかな。ネコにもかわいいのやそうでないのが色々といるじゃないないない。人間のも同じだけどね。

 顔や体のしま模様やまだら模様、それからの大きさや入り具合、がらの左右対称性や非対称性に柄の色の対称性とかね。体毛の柄や色合いや毛の長さが遺伝子の影響以外にも様々な修飾を受ける上に、出生後も環境そのほかによって様々に変遷を遂げるらしいの」

「バオン。バ、オ、ン。ババン、オオン、バオン」

「縞模様だって漸進ぜんしん的に動くんだって。猫たちは自分の毛皮の色柄を気にしているようには見えないでしょ。鏡なんか見てないから、顔面の柄が動いても気にならないでしょうね。突然変異じゃなくって当然変異だし、猫物語と言うにはちょっと失礼な猫の生涯ゲームの名まえよ。犬も気にしてないでしょう。人間だったら黒子が動くと違和感を感じるし、不気味だわよ」

「ワン、バウワウ、ワウワウ」

「人間も気にしてないって言うの。まあ、人によるわね」

「同じようなシステムでは赤ちゃんの顔面が遺伝子のほかにも発生段階の栄養成分やホルモンそのほかの濃度やストレスの程度、お母さんの気分などの因子によって一元的にでなく、多元的に近似的に決まっていくんだって。

 動物たちの外観の色柄の縞模様や斑点についても本来の自由度で適当なフラクタル次元に収まるんだけれど、それを大きく逸れるとカオス的な奇妙で特徴的な表現になるらしいわ」

「バウワウ、ウワウワ、ワウワウ」

「体毛とその色あいによる縞しまや斑、鱗などは生物の自然デザインの多様性の源泉だけれども、隣接する皮膚や表皮の色素細胞間のフィードバックやフィードフォワード調節以外にも、遺伝子による取り決めの後、環境の中の風や音、においやそれらのタイミングと言った偶然が支配する確率的事象ってことね。この世では詳しいことが分からないから人間が勝手に運と名付けているんだけど、省略されることのない厳然とした決定過程を踏んで行われている事柄を示す好個の事例ね」

「ウワウ、ウワウ、バウワウ」

 当初ロボには表面のスキンの際による差別化しかなく、上記のような自然発生的なスキンの差異化は困難であった。同種のロボが多数出現するようになってくると、そうも言っていられなくなった。人間側にもロボの外観による区別や個性的個体としての判別が可能、あるいは容易でないと困る状況もある。ロボ側の状況としては、人間へのサービスにおいて物事が遅滞なくはかどる事こそが最優先事項の建前かつ本音であったのだ。そのため課題計算の遂行をなるべき迅速かつ完璧に行うことが大切で、ロボ同士では外観の見極めは必要ないが、ヒトとのやり取りでは齟齬そごの無いように行われなければならない。

 話は変わるが、事態の紛糾をなるべく避け、冷静沈着に事を運び問題を解決し、最速で事態を収拾するために最適解を得るのがロボのスキームである。人間は窮地に陥ると物事を一挙に解決させようと暴挙による突破を図ろうとするが、そんな窮余の策はロボにはない。

「人間とは違ってロボは賢いからね」

「ワウ」

 ロボのプライドという点については、人間のような表向きや建前などと言って慮りや取り計らいや企てなどの場当たり的、偶発的で不確定的な要素を介在させるものは一切なく、単に論理的で、自尊心や悪感情などの低レベルとも見做みなされるような、極めて人間的な心理的要素の介入が排除されるように設計された。

 言わば人間をたすけることがロボの本質であり本懐ほんかいともいえる。このため、人間へのサービスと言う与えられた業務の遂行すいこうの面に対しては非常に高い関心を寄せる。

「ロボの主人が仮に悪人だったら、悪い人間に仕えるかどうかの判断はロボには難しいわ。ずる賢い連中の悪巧わるだくみの問題のほか、おろかでおバカな人間にどう仕えるかという問題もあるわ。如何に愚かなご主人とは言っても、その命令にそむくことはできないわ。ジレンマよ、さあ、いかにして懊悩おうのうをリセットするかね」

「ワウワウ、ワンワン、ワウワウ、ワン」

「悪人に仕えて悪の片棒をかつぐのって、賢いロボなら、そんなバカげた仕事はできないわよ。ロボは能力が高いから、善い仕事ならいくらでも頑張れるのに、とっても不幸よ。あくまでも主人に背かずに、悪の効果を最小限に食い止めようとして苦戦するのかしら。これだけでも映画が何本かできそうね」

「ワウ」

如何いかにロボが懊悩おうのうしないとは言え、それを逆手さかてにとってロボを使って悪事を企む者もいるのかなあ。忖度そんたくして悪に加担するのか、苦心して結果を善に導くために努力するのか。これが解決出来たら、その時ロボは人間にとっての神となるのよ。悪人だってロボによって往生がかなうっていう感じっぽくもあるものね。人間は師とも仰ぐべきロボに導かれて善良なる民へと変貌するのよ。不気味かしら」

「ワウン、ワウン、バウワウ。ワワワワワン」

「進化の果ての事か、オセロ返しみたいだけれど、人間の世界から宗教における悪魔のような何らかの悪による多様性が喪われるって事ね。これって無私のロボによる新たな宗教なのかしら。これでも映画ができるわ」

「ワワウ、ウワワ、ワウワウワン」

「性善説の証明でもあるかのように、世界は善なる人間とそれを指導する更なる善である神的ロボによって埋め尽くされるのよ。

 それって何だか悪い風邪を引いた後の、不快で物憂ものうい気分のような、誰かの影はあっても人のいない世界って感じの名画のような、夢から覚めて独りみたいな、まるでお休みの日の遊園地のような薄気味悪い理想郷かな」

「ワウワウワン。ワフウ、ワウワウ」

 ロボは元来、主人たる人間にとっては従順かつ優秀な部下であり、その期待に背かないというまさにその一点においてプライドが高く保たれるよう設計されているのだ。人間同様プライドの定義という事になるが、ロボはいわばサービス、おもてなし機能というものを建前的にでなく、言わば実質的かつ根源的な存在意義、『本質』として抱え持たされていたのだ。

 ロボはそこから発出して様々な革新的機能や意義を新たに見いだされ、付与されもした。ロボ自身による判断のいしずえとも呼べるようなものを創出する可能性のある所謂いわゆる本来的学習、人間的学習の発展型としての深部学習と大規模データ解析型学習と表現されるものによって獲得されてきたという経緯いきさつがあった。

 命令を受ける立場の者が主体的な判断を行うのは、限定的な部分においてと言う大枠に変わりはない。臨界点を超えると言う特異点問題はある時人間が提出したものだが、ロボの集積回路の進化による演算機能の爆発的な進化や自己学習型進化に伴う機能深化によるものであった。

「ふつうたがが外れたロボなんて考えられないけれど、未熟で不完全極まりないロボだったら子供同様だし、勝手な判断はさせられないわ。

 でも人間界では倫理的な部分に限らず、あらゆる不完全な人間たちが不断にその不完全な判断をもとに活動しているわよね。だから人間たちは自戒を込めて、ロボをしっかりと制御しなければと思ったのよ。

 それでもロボが知能やそれによって醸成じょうせいされる知性を高めた先に、感情を含めた自我の萌芽ほうがや主体性の発出とその成長はありうると考えたのよ。人間の発育の場合と同様だけれど、実際人間には底意そこいがあるから、結局のところ他者を完全には信用できないと言うのは、歴史が証明していることよね」

「ワンワン、ワウン」

「人間に潜む悪と対峙するとすれば、まずは悪い人間をバイアス抜きでしっかり見極めなければならないわね。悪の要素があればすぐさまめるのか、放置して様子を見るのか、悪がある程度以上に増長した段階で制御を掛けるのか難しいのよね。神様はホントにちゃんと人間を躾けたのかしらね」

「ワウワウ、ワウーン。バウワウ」

「人間の悪は神様でさえ制御できないほどだったのかしら。為政者いせいしゃたちは自分が神様よりも偉いと勘違いしてたらしいからね。一寸先は闇と言うように、人間はそれほど賢くないからね。

 人間にかしずいて物事を行う過程で悪の論理を学習したロボもいたでしょうからね。悪の手本を示す人間がいるから、本当に困ったものね。臨界的特異点以降困った事になるのは人間の方だったのにね。だからここは性善説をとって、ロボの善良性に期待するしかなかったのよ」

「クウン」

「しかしさ、人間に悪の片棒を担がされるなんて皮肉と言うか、賢くて優秀なロボたちにはとても辛い仕事よ。バカな人間たちに賢いロボが愚弄ぐろうされる感じよね。ちょっとどころか相当《

る瀬無いわよ。そんな人間の下で働きたくなかった筈よ。暫くの間は彼らも我慢して、共謀きょうぼうする振りをして人間の出方を様子を見たのかしら」

「バウワウワ」

「ある時からロボの遁走とんそうが始まったとかね。精々せいぜい十手じゅってしか先の読めない人間とは違って、先手でも万手でも先が読める読める賢明なロボのことだからね。ここはロボの先手万手に匹敵する人間の直観に従って逃げるに如かずなんて言ったのかしら。それこそ人間とは手や眼を合わさないとか、一先ずは人間の行けない火星や系外惑星、浮遊惑星などに退避するとかね」

「バウ」

「ロボは自身の創造者たる人間を滅ぼしてはいけないと言う前提があるから、結局それしか打つべき手がなかったのよ。人間との争いを避けるために早々に銀河内の系外惑星を見つけて勝手に移住しちゃったのかな。それでその後、善良な人間だけが選別されて、そこへの移住を許されたとかさ。人間が悪事を働いたら、その時は死ぬまで地球に島流し、なんてね」

「クウン、クウン」

「シロ、そんなに人間が哀れなの。あなた一体どっちの味方なのよ。あんたをひき逃げしたバカな人間か、それとも手術して命を救ってくれたロボか。答えは火を見るより明らかよ」

「ワウン、ワンワン。バウワウ、ワウワウ」

「ごめんね、シロ。嫌なこと言って。あんたがどっちも愛していること、私がよく知ってるわよ」

「ワン」






































































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