第5話 ロボと人間

 私たちロボは手狭になった我が家を諦め、条件の許す手近な郊外の一軒家へ引っ越した。その日は新しい日の始まりとなった。

「君たち、古書の置き場を何とか確保してほしいんだ。何と言ってもやはり処分するには惜しいんだ。私は以前、人間だったんだが、どうやら人間というものは書籍のことを所有欲を満たす紙の塊の何物かとしても認識していたらしいんだ」

「ふーん。ま、そうよね。で、これはロボたちへのお父さんの要請なのね」

「ワーン、バウワウ」

 父はロボになった後も、本に纏わる人間の頃の記憶を取り出しては収納し直す作業を面倒がる事もせず、人間のようにそれを温める必要はないものの、敢えてそれらの本との関係性を大切にしたいと考えたらしかった。ロボの場合、書庫に収納してある本の情報やその内容は実際に本を手に取ることなく頭の中を検索して参照すれば容易に引き出せる。人間などは実際にその本に自分で引いた傍線のことすら覚えてはいないらしい。ロボには一般に人間のように、本への愛おしさや懐かしさと言った一見、本との相互関係のようにも見える、一方通行的な思いを深めるための原動力はないため、関係性を保つためには自ら書庫に出向く必要があるのだ。勿論人間の場合、忘却や無関心などをもって敢えて本との関係を断ち切ろうとする力動に流されることもあるらしい。父ロボにはそうした生真面目さのようなものがあったのだ。

「まあ、律儀りちぎね」

「ワン」

「それは、その人間がいつどこでその本を手にしたのか、そうした記憶や手触り、そのもつ重量感や本の重要性、装丁その他のデザインや挿絵と描画の味わいなど、或いはインクのにおいや時を経てのページの変色や手垢てあかなどの古び、その総体としての外観のびたたたずまいや骨董性を持たせる古びのもつ美しさに至るまで、さらにはそのほかのディーテルやページを過る紙魚まで含めてが大切なものだったらしいんだよね」

 父ロボの熱弁は誰に向けてのものなのかは分からない。

「うーん、言いたいことは分かるわ。それはもう図書館においてある本のような、物としての凄みを感じさせる本、書籍ね。情報は言わばその本にひもづいた付け足しみたいなものよね。で、敢えて実質的な価値としての情報でないところの価値を見出そうと言うのね。本はだから特殊なものね。よい意味での拘りを示すものであって、そのために人間って図書館まで作っちゃったのよね」

「ワウ。ワン、ウーワン」

「書籍は基本的には記録された情報の担体であるんだが、かつ記憶の拠り所たりうる実態的な質感や内実を併せ持つ総合的な記憶媒体でもあるんだね。図書館はいわば英知の保存のための殿堂なのさ。

 俺は人間の特性を喪って既に久しいんだが、それでも人間の頃の記憶情報が残っているから、それらの書籍が如何にも惜しく、愛おしいんだ。それで、俺の書籍たちの安堵あんどできる場をしつらえて上げて欲しいのさ、いいかな」

 こうして、父ロボが人間の頃のことを懐かしんだ振りをしつつも、ロボ化後、本人の行動特性や規範が変化したのかどうかは不明だが、人間の頃に蒐集した初版本などの稀覯本きこうぼん所蔵のための書庫や自分だけの部屋を所望したのだ。

 新居において、まずはそれぞれの機能性ロボが憩い休むべき活動後の身の置き場所を確保したかったところだ。人間では起きて半畳、寝て一畳と言うらしいが、同様に本もロボもモノとしての特性を以って空間を占拠するという事を考慮したのだろう。

「こんな奇特なお父さんロボがいたのね。人間文化の粋とも言うべき書籍文化を真面目に考えてくれてね。でもロボには本も図書館も要らないからなあ。図書館で本を守ることによって、人間が言う単なる記録でなく、記憶の集成なのだと言う言い訳じみた部分を守ってあげようとしているのね」

「ワン、ワン。ワワワン、ワワンワ、ワンワワ、ンワワワ」

「ンをずらしたのね。ところで、人間のそんな態度が後々ロボたちのためにもなったのかしら。でも、父さんロボの人間の頃の記憶ってどうなのかしら。叙述された記録なのかなあ。人間の場合は叙述の場合はもちろん、場面や情景のようなものや匂いと言うのもあるけれどさ。

 ロボには人間のような内的ホロ記憶みたいなものや外側の実態的世界への関連付け、貼り付け記憶みたいな経時的な分散記憶とまではいかないでしょうね。人間は自分の延長を外延として外に伸ばせるからなあ。メモるし、他人を自分の手足のように使うでしょ」

「ウワン」

「ほかにも人間のように感情など、情緒と結びついた記憶もないだろうしね。時間軸に沿った記憶の棒みたいな物なのかなあ。ロボの言う古い本への懐かしさだなんて、耳を疑うような表現よ。懐旧なんて言うそんな高度な情趣を眼前に浮かび立たせるなんて、そんなの書籍との間に経時的に成立する愛のような積み重ねがない限り、ロボ一般には無理よ」

「ワンワウウ、ワン、キャン。キャン、キャン」

「あら、あなた、ロボにもできるって言うの」

 こうした次第で、ひとまず家事ロボなどの機能性ロボはゆったりとした居場所を得た。ただ、家族ロボと機能性ロボとの間には自ずからなる懸隔がある。主たる家族ロボは人間を真似て主体的に、父ロボのように自己の欲求みたいなものを満たし、ストレスを最小化する方向に行動する。つまり自在に主体的に存在するのだ。一方、従たる機能性ロボは人間に或る主体性の呪縛に縛られることもなく。従属的に存在する。要請に応じてサービスを提供するのみである。

 ロボの本来的な意義や、その存する枠組みと言う呪縛からの解放や自在性の獲得については議論百出であった。ロボの責任や義務の枠組みの拡大への消極的な見地からも、ロボの持つ指向性としてのサービス精神の面からも過渡期にあったロボの社会的評価は定まらず、なかなか困難な問題であった。

「難しいわよね。自由とか責任とか、義務とか。人間もそんなの嫌よ。主体性を持たず従属的な立場に甘んずるのは、辛いけれど楽なのかもね」

「ワワワンワン」

 人間のような責任や義務のある主体的立場と、責任のない従属的立場の良し悪しがそれぞれの立場から主張される。人間のように自由や不自由、責任或いは無責任、正義その他諸々の猥雑な、運命などとも呼ばれるような金色のコブクロを首にぶら下げさせられて世にほうり出された存在である訳でもなく、ロボたちにはそこに選択の余地が生じたのだ。

「ロボも大変よ。人間の要請にいちいち答えなきゃなんないし。自由で責任があった方がいいか、命令されるだけの方がいいかなんて、勝手にしてもいいわよなんて言われてもさ、人間の顔色見ながら忖度するのかしら。それやこれやを天秤にかけてロボの責任で結論なんか出せないわよ」

「ワンワンワン。ワワワンワン」

「でもね、ロボの進化と発展を願うとすれば自由と責任かなあ。でもそれは、この世に抛り出された人間の歩んだ道に他ならないわ。それを分かった上で自分と同じ苦しみを彼らに与えようと言うのね。でも、この世にロボを抛り出したのは人間なのだから、人間が最後まで面倒みるべきなのかもね」

「ンワ」

「でも、人間側の予感としては、ロボに死に水を取ってもらおうと思っていたのかしら。禅定ぜんじょう的にというかさ。彼らがそれをやるのかどうかは不明だけれど。イケメンのロボ介護士や看護師、牧師とかね。濃厚接触のあるお看取りでもロボには細胞がないから絶対にウイルス感染も発症もしないしね。ハードワークでもストレスフリーかもしれないね」

「ワウン」

 私たちはようやく安住の地をとなる我が家を得て、人間の感じる狭苦しさからは解放されたが、それでも客観的には狭いだろう。狭苦しさは人間の皮膚感覚や視覚的至近しきん空間感覚に根差した圧迫感を示す観念らしく、ロボは所狭しと立錐りっすいしても本来何ともないのだ。実の処、棚からはみ出して溢れかえった父ロボの本の収納の問題であったのだが、それを狭苦しいと騒いだだけの事であった。従って収納場所が確定すると、それで事は解決したのだ。

「なーんだ」

「ワーンワ」

 ロボとは異なって温度や湿度を保つ必要のある動物たちは身を寄せ合って暮らし、すなわち狭い所で顔を突き合わせて互いの顔色を窺い、発話しては意思を疎通させなければ自分たち本来の時間を漸進させることはできない。密になるのが当然の事なのだ。おまけに細胞を持っている。ウイルスにとってはうってつけの標的であると言えよう。

「まあ、ウイルスはともかく、本がゆったりと置けるようになって何よりね」

「ワン」

「でも、人間には狭さこそが必要なのよ。動物もそうよ。狭くて暗いところが好きなやつがいるわよね。それと温もりに湿り気ね。あまりに広くて誰もいないと、自身の存在の拠り所がなくなって、自分が消えてしまいそうになると感じるからなのかしら、広場恐怖ってのがあるらしいわよ。ロボにはそんなの煩わしいだけだから、手掛かりも足掛かりもなくても、そばに仲間がいなくても、何なら宇宙空間でもどこでも何にも怖くないのよ。でも、私たちはつながってることが大切でしょ」

「ワフン」

「ちょっと言い過ぎたかな。でも、ご飯もおやつもお風呂も要らない点ではロボはどちらかと言えばウイルスに近いわね」

「ウイン」

 ロボは顔を突き合わせなくとも勝手に繋がっている。狭いどころの話ではない。すべては明白で隠そうともしないが隠しようもない。別の部屋でも遠隔でも疎通可能なのであって、人間のように押し隠したい本音があっても韜晦とうかいは不能なのである。本音も建前も憶測も忖度そんたくもない。個体間の距離は、遮蔽しゃへいの可能な自在性の上で至近となるため、そこにはもはや内と外すらないのだ。

 人間などは他者によってパーソナルディスタンスに侵入されるのを嫌がるものもいるが、敢えて入って欲しがるものがいたり、ソーシャルディスタンスがどうのと言って距離にこだわる可笑しさがあるが、ロボにはそんなものはどうでもいい話である。

 ロボは人間が光や音、さらに熱やそのほかの皮膚感覚から直覚するようにはセンスしない。万象万有は引力をもたらすので、電子回路同士が近接すれば電磁的その他で相互に感応かんのうしてしまう。こうした事情から互いに身を守るには適切な強度の電磁シールドがなければ、裸を適当な衣服でおおう程度ですむ人間とは違って、はなから狭い我が家を共有することはできないのだ。

 冒頭、困った事だと言ったのは人間的な信条の部分的吐露なのであり、私の多少なりとも人間的な感性の要素がプログラムさながらに幼少時の記憶に残されている事の証左に他ならない。ロボにおいてはなるべくインタフェアランス(干渉かんしょう)によるコンフリクト(葛藤かっとう)やさらなる過干渉にさらされないような基本設計の回路構成となっている。一般的なコンフリクトは余計なストレサーとなり、それは余計なフラストレーション《棚上げ緊張》など回路の不具合の負因ともなる。

 ロボにおいて物事を一方に決すべき時には、数ミリ秒先の数千ステップ後には必ずどれか一つに決まるような設計となっており、人間のように迷ったり惑ったりの躊躇ちゅうちょ逡巡しゅんじゅんがないのだ。含羞がんしゅうてらい、頑迷さなどの余計な要素はロボには害悪なのであり、そうした人間的な要素がき起こす事態は避けなければならない。

「まあね。人間のようにいつまでもこだわり続けるのは、ロボにはよくない事なのね」

「ウワン」

「争いにいさかいに衝突や対立、まったく紛争だらけよね、人間は。自分の言いたいことだけ言ってる利己のかたまりよね」

「ウワン」

「悩み多き人間と、悩みを消し去った完全無欠のロボ。悩み無きわんこはロボに近いわ。でも、ロボでない場合、それはどちらかと言うと脳天気にも見えるわね。ところで、私はあんたのストレッサーなのかしら」

「ワウワウワン。ワワワンワ、バウワウ」


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