第3話 英国魔没ー序
「あなたがかの犯罪卿ジャクソン・J・ジャンクさんか」
「お初目にかかる、かの有名な魔術師クジャ」
薄暗い倉庫には、ハット帽子に杖を携えた黒男爵と、ワイシャツとジーンズ姿の女性が向かい合っている。
一つのアタッシュケースを間において。
「これで取引は成立だ。今後ともよい関係を頼むよ」
「こちらこそです。お話は少し変わるのですが」
犯罪卿が杖の先を女性に向ける。
「何の真似だ、犯罪卿。返答次第では」
「いや、ただ疑いですよ。あなたが審判官と通じているのではという疑いがね」
「ふむ、出どころは見当がつく。おおかた席次をはく奪された天文科の老害どもだろう」
「切り裂け、ジャック!」
女性の返答と同時に杖先から術式が展開され、不可視の刃が女性を襲った。
「k」
不可視の刃が倉庫にあった廃材などを吹き飛ばしホコリとゴミを巻き上げる。
煙のように視界が曇り、追撃に放たれる魔術の術式が展開される光だけが倉庫の中で交差した。
「ふぅ。流石は時計塔第4席ロード・クジャ」
「極限まで圧縮した空気刃を放出する魔術ね。その展開速度と平行した術式展開の手際は流石と言えるわ」
無傷。ただ1度もその場から避けることすらなかった女性は、服すらも傷を受けず、埃をはらいながら犯罪卿の魔術を分析し、結果を述べる。
「で、こんな小石を投げるような魔術で私の何を試したの?」
「第4席もどうやら表の世界では気が緩んでいるようだ。君の名は私、あなたこそが私、ここにあり続けよーーウィジア」
倉庫の床一面が光る。術式が浮かび上がり、その中心には女性が据えられている。
「さっきの攻撃はこっちの準備か」
「ええ、あなたに攻撃など通るわけがないと知っていましたので」
女性の体には魔術的な鎖が巻き付き、術式の核である部分に複数繋がれている。
「なら、この拘束魔術が解かれると考えないのか?」
「いえいえ、ただこれは裏の時計塔と紐づけられているのですよ。あなたが魔術でこれを破壊すれば時計塔の繋がった場所がその魔力によって破壊されてしまう。それはあなたにとって面倒なことになるのでは?」
例えば、鎖を全て破壊して抜け出たら、破壊した鎖の本数だけ、時計塔で破壊事象が起き、その魔力を調べるとクジャのものであると判明する。
そしたらクジャは一端の罪人になってしまうのだ。
「まったく。時計塔の破壊などを手合いに出すとは」
「魔術師である時点で最高の環境を手放すのはつらいでしょう」
「……はぁ、いいだろう。しかし、条件だ。東・洋・人・の・青・年・を巻き込め。これを了承するならこの場で拘束されておこう」
「ふむ……いいでしょう。しかし命の保証はできませんよ」
「そうでなければ意味がない」
まったく。審判官への告げ口などしていない。ただ、手を出すなと忠告しただけだ。
あの子が求めた青年がただ者であるわけがない。しかし、私の目では彼を明かすことができなかった。
彼が何者か、それを知るには都合がいい。
「せいぜい励めよ犯罪卿」
「ええ、それでは」
犯罪卿が魔術でその姿を消し、薄暗い倉庫で女性が一人取り残された。
「さて、化け物二人のデビュー戦と行こうか」
英国に渡った青年の周りは、陰謀にまみれている。
◇
「帰るか」
「……凱旋門も、行きたい」
「胃が落ちるまではまだあるし、行くか」
「うん!」
腐りきった日常だと思うか、すばらしい日常だと思うかは本人次第だろう。
このすばらしい街並みを歩くことも、俺ではすぐに飽きてしまい腐りきる。
凱旋門の周りは時計塔と同じではなかった。観光地ではなく、ただそこにある建造物というイメージだった。人々もそれを見上げ、感動を覚える前に去っていく。
観光者の気持ちを慮ることもなく、多くの路上駐車がそこにあった。
「君の名は私、あなたこそが私、ここにあり続けよーーミル」
夕日になりかけの太陽が揺らいだように見えた。
「ん?」
「どうかしたの? っ!? これは、魔術結界??」
「魔術結界?」
揺らいだように見えた太陽は今や紫色に染まっている。
まるで色眼鏡でも通してみているかのように世界が紫に染まっていた。
「魔術結界は簡単に言えば魔術の効果を高める領域。展開の規模は大きい方。たまに特性があるのもあるから油断はできない」
「これは魔術師が襲ってきたってことでいいのか」
背中のケースに入れて持っていた木刀を取り出す。
「刻む。世界の理はここに。燃やす。その信念はここに。ーーヴァリス」
魔力が体をめぐり、術式が展開され、木目を上書きするように浸透していく。
「とりあえず人形屋に帰ろう」
「うん、クジャ先生ならなんとかしてくれる」
帰り路を振り返った。
しかし、一歩目の足音は轟音にかき消され、視界に赤い水滴が飛び散った。
「きゃあああ!!??」
阿鼻叫喚につつまれる。
横を歩いていた恋人の身体がただの肉になった人。親子の絆を深めようとつないでいた手の先がなくなっていた人。赤く、肉臭い雨に突如降られた人。
かの凱旋門が悲惨な歴史を浮かび上がせるように血色で汚れている。
そして吠える。
犬猫とは違う野生の本能を感じさせる喜びの雄たけび。
ーーーー怪物
「あ、ああ」
「あれはなんだ! しっかりしろぺスカ!!」
「あれは、魔獣の一種。それも名前付き。あれはドラウグル」
「ドラウグル」
詳しいことは分からないし、知らない。
ただ、人に害を与える魔術世界の怪物なのだろう。
人々を助ける。
それは善悪に分類すると善なのだろう。その救われた人は感謝し、ほめたたえる。そして救世主となった者はその快感に酔いしれる。そこに付随するものがあってもなくてもすべての人を救い、救世主となる。それは快感を得られる、ただの偽善だ。
「偽善は嫌いだ。俺はーー実験を開始する」
俺の新しい戦闘スタイルをこの出来事を利用して検証する。
俺の虚式では、因果を逆転させることはできない。
死んでしまったら、あらゆる可能性はなくなる。俺は死を否定することができない。
「これは……全てを断ち切る刃だ」
虚式を付与した木刀は、その術式を発動するだけで触れたものの可能性を否定し、断ち切る。
「ぺスカはクジャ先生を探してくれ。あの人なら人を救える可能性を持っているかもしれない」
「うん! でもセツは?」
「言ったろ、俺は実験をしなければならない」
「実験?」
「実験だ。仮定はこの木刀と虚式を用いた近接戦闘は魔術師にも通用する。これを検証するために、今の状況を利用する」
偽善行為は嫌いだ。
これは善行じゃない。自分勝手な悪行と言ってもいい。
「了解、セツらしい。私は人形屋に向かう」
「頼んだ」
帰り道を走っていくぺスカに背を向け、ドラウグルに向き合う。
この惨状を作ったのはあの魔獣なのだろうが、方法が分からなかった。
なぜ、視界に映る大人数が血を吹いたのか。どんな攻撃が行われたのか。
外見は黒い毛に覆われた狼とライオンを混ぜ合わせたような四足歩行の獣。目が紅く光り、白い歯が剥き出しでヨダレが光を反射している。
「魔術を使えるのか、物理的な攻撃手段しか持っていないのかも重要だな」
見た目から想定できるのは噛み付くか、爪で切り裂くかどうかだろう。
あの大きさで動くだけでも十分な脅威になる。
ドラウグルを消し去るほどの術式を展開することも、発動することもできないだろう。それほどに多くの魔力を保有しているのは感じられる。
頭で考えながらも魔力で身体を強化し、最速で見知らぬ道を跳ぶ。敵はあれから何も行動していない。
目的がなんなのか分からない。
「ジャクソン・J・ジャンクの仕業だとしたら、本人と戦う方が筋か」
ドラウグルを召還したのが魔術師だとすると、最有力の魔術師はジャクソン・J・ジャンクだ。
知っている魔術師がやつだけというのもあるが、七番倉庫で取引していたのは間違いない。
走っている道には未だ乾いていない血が溢れている。
阿鼻叫喚なのは変わっていないが、ドラウグルに近づくにつれ、生きている人はいなくなっている。
ドラウグルの他にも魔獣が召喚されているかとも考えたが、その可能性も低くなってきた。
仮定を試す実験対象が、いきなりドラウグルというのはリスクが高いか。
「おい、そこのお前だよ東洋人」
「ふう。やっと魔術師か。実験対象が増えて何よりだ」
西洋特有の建造方式で作られた住宅街の上から声が投げかけられた。
風貌は、まるで体育教師だ。
白い上下ジャージ姿で、首からはホイッスルをぶら下げている。何かの魔術的な道具だろうか。
得物はない。遠距離戦闘をしてこないとも言いきれないが、この間合いで声をかけたということは恐らく近接戦闘になるだろう。
「好都合だ」
「始めるぜ、仕事なんで手早くなぁ!!」
ピィーーっと笛が吹かれる。
服が風を受けたように後ろに引っ張られる。
目の前に現れた体育教師の着地時による風圧で、だ。
「ふん!」
「速いなっ!」
肘を引かれていた右腕から剛腕が振るわれ、風圧が鼻先を掠める。
しかし、それだけで済んだのは全力で後ろに避けたからだ。
「東洋人と侮っていたのはミスだなぁ! だが、俺の方が強い!!」
拳が光を帯びる。術式が浮かび、圧が上がる。
「術式か!?」
近距離での術式展開、俺に何かを与えるというリスクを冒した縛りをしてこないことから……殺傷能力は高い術式だろう。
「爆ぜろ!!」
「っ!! 打ち合いはしない方がいいな!」
木刀で向かい打てる攻撃手段ならば良かったが、この爆発力は木刀が壊れ、次の実験に使う実験器具がなくなってしまう。
しかし、今使える虚式の回数は1度、良くて2回程度だ。肉体強化に意識をさいている限り術式を固定し続け、自在に扱えるようになるにはまだこの身体が慣れていない。
振動が空気を伝わった。
耳をつんざくほどの咆哮が響き渡り、獣が動く。
「なっ、あれ動くのか!?」
「実験の試行回数を増やすためにも時間が惜しい」
ドラウグルが目覚めた、つまり悲劇は今から始まる。
その前に実験を終わらせたい。
「刻む」
「東洋人!!」
こいつがドラウグルを召還した魔術師なのかは分からない。
「世界の理はここに。燃やす」
「させん!!」
殺す理由はない。
「その信念はここに」
「爆ぜろ!!」
しかし俺が殺されるくらいならーー殺す。
「虚式・空花匙色」
右手に持つ木刀に刻まれていた術式が光を帯び、発動する。
危険を感じたのか体育教師が体を仰け反らせ避ける。体育教師の拳の術式は消えていない。無論、俺の虚式もだ。
仰け反らせた体を戻す反動を使い、両拳の応酬が襲いかかってきた。
それを体を反転させ、左に避け、その遠心力を利用して木刀を再び体育教師に向ける。
「悪く思うな実験対象」
「おおっ!!」
横拳と木刀が交差する。
鮮血を吹かせ、赤いスクリーンを裂くように刃は進むーー首へと。
「さすが、避けたか」
「くっ、片手を失い……だが、俺はまだ死ねん!!」
首筋に到達する木刀を避けたのか、俺の虚式の維持が切れてしまったのかは分からない。
だが、拳を正面から斬り、勝敗は決した。
「道の隅にいればいい。お前はもう俺の実験対象ではない」
止血しなければ死ぬだろうが、魔術師ならば勝手に何とかするだろう。そもそも襲ってきたのは体育教師なのだ。殺されても文句は言わせない。
「誰に頼まれた? ドラウグルを召還した目的はなんだ」
「犯罪卿だ」
「それはジャクソン・J・ジャンクで間違いないか?」
「そうだ。目的は英国を表から壊すこと。魔術の秘匿を破り、魔術界を貶めることだ」
ジャクソン・J・ジャンクが犯人か。まさか犯罪卿と言われるほど大物だとは思っていなかった。あの時は本当にラッキーだった。
「魔術界を貶めてなんの意味がある?」
「それは本人に聞け」
体育教師もただの雇われの身、親しい仲ではないということか。
ただ気になる点が一点だけある。
「そんなに簡単に依頼主のことを教えてもいいのか?」
「はは、こんなケツの青いガキに負けたとは。よく聞け! 魔術師ってのは我が身、我が術式が全てなんだよ!!」
なるほど、自己中心的なやつらで、自分の利益しか考えていないのか。
「屑だが、役に立った。あとは勝手に死ね」
体育教師に用も興味もない。
次の実験対象はーードラウグルだ。
ジャクソン・J・ジャンクを狙うのは難易度が高い。
見つけることが困難な上、目覚めたドラウグルを放置したまま戦わなければならなくなる。
俺は再び黒色の獣に向かって走り始めた。
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