第8話 マツタケ刑事登場!

 8月21日

 腐乱死体の正体は結城洋介だった。DNA鑑定の結果、美人殺人事件の犯人と同一人物だということが明らかになった。

 内海湾岸署の松田武史まつだたけしは内海湾沿いにある大豆田おおまめだ病院で解剖に立ち会った。

 松田は大豆アレルギーだ。

 犬飼、葉崎、対馬……特命の刑事たちが相次いで犠牲になった。

 彼らが追っている姿なき犯人の仕業なのだろうか?

 署に戻り、階段を上がり刑事部屋に入る。クーラーがほどよく効いていて気持ちいい。

「ふぁー極楽だ」

 刑事課長の鈴木修作すずきしゅうさくの目がとろ〜んとなった。鈴木は暑さのあまりにマスクを外した。コロナは収束段階にあり、パーテーションも外された。

「去年は大変でしたね?」と、松田。

「うん。松田君は泊まれる?」

「勿論」

 特捜本部が内海湾岸署に設置された。  

 よく、ドラマじゃ所轄署が単独で捜査を追うが、リアルな世界じゃ警視庁もしくは県警と一緒に仕事をする。七曲署なんか7人もしくは8人で捜査していたが、よく事件を解決できるものだ。ボスも山さんもサイボーグか何かだ、きっと。

「泊まれない人は今のうちに申し出てね?」

 ふくよかな女刑事、竹倉たけくらさとみが手を上げた。体型は違うが、エンクミに似てる。

「息子が具合が悪くて」

「ご主人に頼めない?」

「うち、シングルマザーなんです」

「そりゃあ大変だ。すぐに帰ってあげて?コロナだったら大変だからね?」

「恩に着ます」

 竹倉はそそくさと刑事部屋を出て行った。

 県警と特命が到着した。

 イヤーカフ(耳の中ほどにつける環状の飾り)をしたオシャレな刑事が「おっ、涼しいね〜」と言った。

「加藤、その飾り派手過ぎるからやめろって前から言ってるよな?」

 サーモント(上部のみにフレームがあり、間を金属のブリッジで繋いだ眼鏡)をしてる中年の刑事が小声で言った。

「大友さんはだらしなさ過ぎですよ。そのゲジゲジ眉なんとかならないのですか?」

「先輩に向かってその態度はないだろ?」

 鈴木が2人から名刺を受け取った。

大友龍臣おおともたつおみ

加藤正気かとうまさき

 大友の階級は警部補、加藤は巡査部長だ。

 松田たちも名刺を渡した。

「まさか、犬飼たちがあんなことになるなんてな」

 大友はひどく落胆しているようだ。

「犯人が憎いですよ」

 加藤の拳がブルブルと震えた。

映見えみちゃん、会議室にお通しして」と、鈴木。

 鈴木映見すずきえみは総務課の紅一点、どことなく知念里奈ちねんりなに似てる。

「は〜い」

 1時間の会議のあと、高松市街を聞き込んだ。松田は大友とコンビを組んで瓦町駅を起点に当たった。

「県警から来てた鈴木紗理奈すずきさりな似の女刑事、名前なんだったっけ?」と、大友。

安身聖やすみひじりです」

「呼び捨てかよ」

「タバコ臭かった」

「去年から全面禁煙になりましたけど」

「トイレで吸ってたんじゃ?」

「高校生じゃあるまいし」

 琴平線と長尾線の乗降場はビルの1階部分にある。琴平線は島式ホーム1面2線(1・2番線)、長尾線は片面ホーム1面1線(3番線)である。長尾線は片原町側で琴平線に合流する。また、花園側には有効長6両分と4両分の留置線がある。駅名標は当駅独自のデザインが採用されていたが、瓦町FLAGオープンと同時期に他駅と共通のデザインに交換された。


 志度線はビル東側の道路を隔てたところに頭端式ホーム1面2線(4・5番線)があり、ラッシュ時以外の列車の発着は4番線のみを使用する。琴平線・長尾線とは線路が繋がっていない。琴平線・長尾線乗り場とは地上2階の連絡通路で結ばれ、動く歩道が設置されている。 改札口は駅ビル2階部分と、志度線ホーム端地上部「志度線口」の合計2箇所である。双方の改札口からすべての路線が利用できる。改札には自動改札機が設置されているが、IruCa専用で普通券は磁気化されていないため、乗車券類の投入口はない。日本の鉄道事業者ですべての自動改札機をICカード専用として乗車券類の扱いをなくしたのは琴電のみである。普通券などは、自動改札機の脇に設置されている有人通路で改札を受ける。

 列車発車時には1番線でバンドのくるりの作曲になるオリジナル曲が(2018年3月21日より)、3番線(上り列車のみ)で「It's a small world」メロディが流れる。2018年3月20日以前は1番線に「Ob-La-Di, Ob-La-Da」のメロディが使用されていた。

「It's a small world」が流れた。列車が発車する。

「オシャレな駅だな?くるり好きなんだよ」と、大友。

「ハウンドドッグじゃなくて?」  

「そりゃ大友康平だろ?確かに俺は大友だけどさ」

「『愉快なピーナッツ』が特にいい」

「俺は『三日月』かな?」

「くるりって京都府出身なんだ」

「へぇー香川だと思った。詳しいですね?」

「昔、バンド組んでたんだ」

「もしかして、フォルテシモ歌ってた?」

「いいや」     

「俺もバンド組んでました」

「担当は?」

「キーボード」

「俺はトランペッター」

 駅前で通行人に『ハンティングベスト』を着ていた男を見なかったか聞き込んだが耳寄りな情報は得られなかった。

 次の場所に移ろうと思っていたとき、松田の無線が鳴った。鈴木課長だった。

《『白いブラックサンダー』の包みが小豆島オリーブ公園内にあるビーチに落ちていた》

「確か、北海道限定のお菓子ですよ」と、松田。

《そうなのか?》

「もしかしたら、ホシが落としたのかも知れませんね?」

《松田君もそう思うか?》

「早速、北海道に飛んでみますよ」

 大友はスマホで情報を見ていた。


 高松空港から札幌 新千歳空港行き ルートの基本情報

 高松空港に発着している国内線は羽田・成田・沖縄の3路線のみで、新千歳空港への直行便は就航していません。そのため、羽田または成田空港で飛行機を乗り継ぐことにより新千歳空港までアクセス可能です。選択するルートによってはLCCのフライトも選択可能です。


 高松-札幌 新千歳空港 (CTS) 直行便を就航する主な航空会社・LCC

 羽田乗り継ぎ

 高松-羽田  JAL (日本航空) ・ANA (全日空)

 羽田-新千歳 JAL (日本航空) ・ANA (全日空) ・エアドゥ (AIR DO) ・スカイマーク


 成田乗り継ぎ

高松-成田 ジェットスタージャパン

成田-札幌 JAL (日本航空) ・ANA (全日空) ・ジェットスタージャパン・バニラエア (Vanilla Air) ・春秋航空日本


 羽田または成田空港で乗り継ぐ場合、新千歳行きの直行便を就航している航空会社が多く選択可能なフライトパターンが豊富です。成田で乗り継ぐ場合はLCCのフライトも利用できます。高松から新千歳までJALまたはANAの航空券を通しで購入する場合は、札幌までスルーチェックイン・スルーバゲージができますが、利用する航空会社によっては経由地で改めてチェックイン手続きが必要です。


「乗り継がないと行けないのか」

「松山空港に行けば、新千歳まで直行で行けますよ」

「そっちの方が早いな?」

 松田の高校時代の友人に、轟朋哉とどろきともやってのがいるがパイロットをしてる。轟に電話したら20時が最終便らしい。

「まだ、14時ですよ?どうします?」

「折角だから松山で聞き込んでみよう」

 

 坂の上の雲ミュージアム(司馬遼太郎しばりょうたろうの小説『坂の上の雲』をテーマにした博物館)・伊丹十三いたみじゅうぞう記念館・城山公園で聞き込んだが何も手に入らなかった。

「確か、ここ『あぶない刑事』でロケ地として使われたな?」と、大友。

「そうなんですか?」

 松田は映画はツタヤで借りて見たことがあるが、テレビシリーズは知らない。

「ユージが銀星会の奴らとここで戦うんだ」

 大友が松山城を眺めながら言った。西陽がギラギラ眩しい。

 松山城は松山市の中心部、勝山(城山)山頂に本丸、西南麓に二之丸と三之丸を構える平山城である。日本三大平山城にも数えられる。山頂の本壇にある天守(大天守)は、日本の12箇所に現存する天守の一つである。この中では、姫路城と同じく、連立式で、日本三大連立式平山城の1つにも数えられる。1933年ごろまでは、本丸部分には40棟の建造物が現存していたが、1949年までに19棟が火災により失われ、現存建築は21棟にまで減少した。建造物の現存数は二条城(京都府)の28棟に次ぐものである。

 幕末に再建された大天守ほか、日本で現存数の少ない望楼型二重櫓である野原櫓(騎馬櫓)や、深さ44メートルにおよぶ本丸の井戸などが保存されている。

「この城って誰が建てたんだ?」

加藤嘉明かとうよしあきです」

加藤清正かとうきよまさの兄弟?」

「いや、違うと思います」

 加藤 嘉明は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将・大名。豊臣秀吉の子飼衆で、賤ヶ岳の七本槍・七将の一人。伊予松山藩および陸奥会津藩初代藩主。 通称は孫六、後に官位と同じ左馬助と改める。諱の嘉明も後の名乗りで、初めは茂勝と名乗っていた。

 

 松山空港は、国内線ターミナル全体の構造としては、入口から見て1階は中央の到着ロビーを境に右手にANAとPeachのカウンター、左手にJAL・JAC、Jet Starのカウンターが配置され、ターミナル左端には四国八十八ヶ所巡りやサイクリング目的での利用客の為に更衣室が設けられている。2階は出発保安検査場が中央に設けられ、右手には土産物店、左手にはレストラン街がある。

 国内線の搭乗口は4か所あり、保安検査場から見て左からA,B,C,Dと並んでいる。現在は、基本的に

 搭乗口Aと搭乗口BをJAL・JAC便(Jet Starも使用することが多い)

搭乗口A、搭乗口Cと搭乗口DをANA便(搭乗口Aは新千歳/札幌便、搭乗口Cは実質的に羽田便専用となっており、搭乗口DはPeach便も使用する)

という棲み分けがされている。 国際線の搭乗口は、Eとなる。

 制限エリアである搭乗待合室と、制限エリア外とで会話ができる電話が設置されており、出発直前まで見送り客と搭乗客とでやりとりすることができるようになっている。また、地元出身の航空機研究者・二宮忠八が設計した飛行機の模型が展示されている。

 空港でも聞き込んだが、ここでも大した収穫は獲られなかった。

 🛫20:00 松山空港


  離陸するときはジェットコースターみたくて怖かった。松田は絶叫系が苦手だ。

「グゥッ……Gがスゴい」

「松田は飛行機苦手なのか?」

「こんなものに得意とか苦手とかあるんですか?」

「おもしれーじゃん」

「はぁ?」

 🛬23:50 新千歳空港


「今日は疲れたな?」

 空港を出てホテルを目指す。空港に併設してるホテルで温泉、朝食付きだ。

「俺、タバコ吸うんだけど喫煙所がないんだって。参っちゃうよな〜」

 大友が嘆いた。松田は彼と同じ部屋で禁煙室だ。松田は以前は吸っていたが、喘息になってやめた。

 温泉はなかなかよかったが、大友のいびきがすごくて寝つけなかった。

 

 8月22日

 朝食はバイキングだった。10時に空港の土産屋に向かった。

 国内線ターミナルビルにあるショッピングワールドで聞き込んだが大した情報は獲られなかった。国際線の方も聞き込んだが無駄骨だった。

「せっかくだからお土産買おうか?」と、大友。

「そうですね」

 松田は『北海道開拓おかき』ってのを買った。道の海の幸の味わいをおかきにした、米どころ北海道らしいお土産。定番8種類の味付けのうち、函館のいか、枝幸えさしの帆立、増毛ましけの甘エビが特に人気なのだそう。自宅用にぴったりな170グラム入り(440円)のほか、お裾分けにも最適な70グラム入り5種類セットの詰め合わせなどがある。

 大友は『チーズオムレット』を買った。おばちゃん店員の話では、濃厚なチーズの風味はそのままに、半熟のオムレツのように口の中でなめらかに溶けていく逸品らしい。

 

 チンピラがたくさんいるすすきのも聞き込んだが、警察手帳を見せると逃げるアロハシャツがいたので、松田は追いかけた。アロハは風俗店に逃げ込んだ。ビール瓶で攻撃して来たが松田は素早く躱して、ヤツの顔面に裏拳を叩き込んだ。

 ビール瓶が落ちて、粉々になり液体が松田の革靴にかかった。遅れて大友が駆けつけた。

「なんで逃げたんだよ?」

「コンビニでコンドームパクった」

「んなもんパクるなよ!」

 一瞬、ハンティングベストの奴だと期待したが、違ったようだ。


 松田は大学時代、アイヌ文化を専攻していた。

 アイヌでは『6』が神聖な数として崇められてきた。アイヌ語で空はニシ、天はカントと呼ぶ。アイヌには9つの世界があるという、高いところにある天界『リクンカントモシリ』、星の天『ノチウカント』、空の天『シニシカント』、雲の天『ニシカント』、下の天『ランケカント』、霞の天『ウラルカント』、現世『アイヌモシリ』、あの世『ポクナシリ』、最低の地獄『テイネポクナモシリ』。


 幕末に松浦武四郎まつうらたけしろうという人物がいた。文化15年(1818年)、伊勢国一志郡須川村(現在の三重県松阪市小野江町)にて郷士・松浦桂介ととく子の四男として生まれる。松浦家は、肥前国平戸の松浦氏の一族で中世に伊勢国へ移住してきたといわれ、別書では、代々百姓で、父・桂祐の次男として生まれたとしている。父親は庄屋を営んでおり、比較的恵まれた中、武四郎は13歳から3年間、平松楽斎(漢学者・伊勢津藩士)のもとで学び、猪飼敬所、梁川星巌らの知己を得るなど、後の探検家として役に立つ文化的な素養を身に付けたとされる。


 山本亡羊に本草学を学び、16歳から日本国内の諸国をめぐった。天保9年(1838年)に平戸で僧となり文桂と名乗るが、故郷を離れている間に親兄弟が亡くなり天涯孤独になったのを契機に、弘化元年(1844年)に還俗して蝦夷地探検に出発する。1846年には樺太詰となった松前藩医・西川春庵の下僕として同行し、その探査は北海道だけでは無く択捉島や樺太にまで及んだ。蝦夷では詩人の頼三樹三郎と旅することもあった。安政2年(1855年)に江戸幕府から蝦夷御用御雇に抜擢されると再び蝦夷地を踏査し、「東西蝦夷山川地理取調図」を出版した。明治2年(1869年)6月に「蝦夷開拓御用掛」となり、蝦夷地に「北海道」(当初は「北加伊道」)と命名した。 更にアイヌ語の地名を参考にして国名・郡名を選定している。翌明治3年(1870年)に北海道の開拓の方針を巡って、従五位の官位を返上した。この間、北海道へは私人として3度、公務で3度の合計6度赴き、およそ150冊の調査記録書を遺した。

 余生を著述に過ごしたが、死の前年まで全国歴遊はやめなかったと言われている。武四郎は天神(菅原道真)を篤く信仰し(天神信仰)、全国25の天満宮を巡り、鏡を神社に奉納した。好古家としても知られ、縄文時代から近代までの国内外の古物を蒐集し、64歳のときには、自分を釈迦に見立て古物コレクションに囲まれた「武四郎涅槃図」を河鍋暁斎に描かせている。また、明治3年(1870年)には北海道人と号して「千島一覧」という錦絵を描き、晩年の68歳より富岡鉄斎からの影響で奈良県大台ケ原に登り始め、自費で登山道の整備、小屋の建設などを行った。


 明治21年(1888年)、東京神田五軒町の自宅で脳溢血により死去した。遺骨は染井霊園の1種ロ10号2側に埋葬されているほか、武四郎が最も好きだったという西大台・ナゴヤ谷に明治22年(1889年)に建てられた「松浦武四郎碑」に分骨されてもいる。


 なお、生地の三重県松阪市小野江町には、生家と武四郎の遺した資料を保管する「松浦武四郎記念館」があり、多彩な活躍と広い人脈を紹介する展示を2ヶ月ごとに入れ替え、また講演会や「武四郎講座」と題した座学を開いている(平成6年(1994年)開館)。また、公益財団法人静嘉堂文庫には、武四郎が収集した古物資料約900点が保存されている。


 北海道音威子府村物満内には「北海道命名之地」の記念碑があり、釧路市の幣舞公園、安政4年(1857年)の天塩川流域調査で立ち寄った地点のうち出発点の天塩町鏡沼海浜公園 (銅像・歌碑)など、小平町鬼鹿広富のにしん文化歴史公園には銅像がある(武四郎の身長は4尺8寸(4.8尺 (150 cm))、足の大きさは24cm)。北海道勇払郡厚真町富里の松浦武四郎記念碑を始め、道内に50基に余る記念碑があるといわれる。天塩町鏡沼海浜公園に立つ松浦の歌碑に2首刻まれている。

  

 昔話『シカトル神の小袖のおかげで危うい命を助かった女の物語』では、『青年の神は神は妾を抱えて飛び上がり、霞の空、六重の空、星の空、六重の空を通り抜けると、その先に美しい村が展開した。神様の住居だけに家の中一面、神の宝で飾られていた……』という項目がある。

 現代風に解釈すると、ウラシベツ村の娘が疱瘡の神に見初められるが、連れて行かれた天界で火責め、水責めに遭う。だが、先祖から伝わるシカトル神(疱瘡神の長) の小袖の威力で撥ね返すとともに、今まで幾人もの若い娘を弄んで殺していた疱瘡の神を改心させる。

 娘は無事に地上に帰り、人間の男と幸せな結婚をして幸せに暮らした。


 お昼はジンギスカン料理にした。店はすすきの交差点にある。すすきの交差点は、札幌市中央区にある札幌駅前通と月寒通(南4条通)の交差点。別称「ススキノ十字街」。交差点の面積が広く人や車の交通量が多いことから交通事故の発生率が高く、日本損害保険協会による北海道内の「交通事故多発交差点」に度々指定されている。交差点中央にある時計付の街路灯は、2005年(平成17年)に地下鉄改修工事のため一次撤去したが、2008年(平成20年)に新たなものを設置して復活した。2016年(平成28年)には交差点名標識を「南4西3」または「南4西4」から、観光地として分かりやすい案内にするため「すすきの」(Susukino) に統一した。

 ジンギスカンは、マトンやラムなどの羊肉を用いた日本の焼肉料理。鍋料理に分類されることもあるが調理方法は鉄板料理の調理方法である。一般的には北海道を代表する郷土料理とされる他、岩手県遠野市、長野県など一部地域でも盛んに食される。

 店長はヨボヨボの老人。その老人が驚くべきことを喋った。

「コロポックルを知ってるかい?つい最近、見ちまったんだよ」

 アイヌの小人伝説を松田は思い出した。 


 アイヌがこの土地に住み始める前から、この土地にはコロボックルという種族が住んでいた。彼らは背丈が低く、動きがすばやく、漁に巧みであった。又屋根をフキの葉で葺いた竪穴にすんでいた。


 彼らはアイヌに友好的で、鹿や魚などの獲物をアイヌの人々に贈ったりアイヌの人々と物品の交換をしたりしていたが、姿を見せることを極端に嫌っており、それらのやりとりは夜に窓などからこっそり差し入れるという形態であった。


 そんなある日、あるアイヌの若者がコロボックルの姿を見ようと贈り物を差し入れる時を待ち伏せ、その手をつかんで屋内に引き入れてみたところ、美しい婦人のなりをしておりその手の甲には刺青があったという(なおアイヌの夫人のする刺青はこれにならったものであるといわれている)。


 コロボックルは青年の無礼に激怒し、一族を挙げて北の海の彼方へと去ってしまった。以降、アイヌの人々はコロボックルの姿を見ることはなくなったという。現在でも土地のあちこちに残る竪穴や地面を掘ると出てくる石器や土器は、彼らがかつてこの土地にいた名残である。


 妖怪話は面白かったが、何の収穫も得られないまま松田たちは高松に戻ることとなった。

 

 8月25日

 松田は大友の推薦で特命に着任した。 

「私は三井光、ここのボスだ」

 🛋三井はソファでカップの担々麺を食べていた。

「うまそうですね?」

「松田武史君だったね?マツタケって呼んでもいい?」

「構わないですよ」

「マツタケさ、この資料を読んでおいて」

「はい」

 朝から担々麺なんてよく食えるな?今日のおめざは卵かけご飯、味噌汁、ほうれん草の煮浸しだった。

 室長室を出て、刑事部屋で資料を読んだ。

 2015年6月18日14時05分、長野県美樹本市にある美樹本駅に停車してる列車の網棚に置かれていた荷物が爆発し、乗客の24歳女性が即死、重体の39歳女性が後に死亡するなど、2名の死者と29名の重傷者を出す大惨事となった。

警察によれば、塩素系カリウムと硫黄の混合物による火薬に時限式起爆装置が取り付けられたものであったが、未解決事件となった。

 同じ年の1月には香川県肘方村にある富豪の屋敷のトイレで爆破事件が発生。現場には『チキン高橋』という脅迫状が残されていた。現場に残っていた爆弾の構造から同一犯である疑いがあった。しかし、この事件も犯人を特定することは出来ず、公訴時効を迎え、未解決事件となった。

 都筑永吉つづきえいきちは、札幌に石油会社を立ち上げて日々奮闘していたが、頻発するタンクローリーの強奪に頭を悩ませていた。ついには、運転手の本坊大悟ほんぼうだいごが強奪犯に重傷を負わされる事件まで発生した。都筑の妻、彩葉いろはは暴力には暴力で対抗すべきだと主張していたが、理想主義者の都筑はそれを拒絶していた。そんなある日、都筑の自宅と会社に家宅捜査が入った。当局は石油会社による脱税と価格操作を疑っていたのである。


 競争相手を打倒するために、都筑は代理人の千鳥陽区ちどりようくを介して、敵対する山茶花さざんかオールスターズの指導者である多森未華子たもりみかことの交渉に乗り出した。石狩川の石油ターミナルを購入することに成功したお陰で、都筑の会社は石油を直接輸入できるようになり、石油保管量も激増した。都筑は頭金として価格の40%を支払ったが、残りの60%は1ヶ月以内に支払わなければならない状況にあった。もし支払わなかった場合、頭金は変換されず、ターミナルは都筑のライバル会社に売却される契約になっていた。


 新居に移った都筑一家だったが、ライバル会社の差し金と思しき脅迫行為に悩まされることとなった。都筑は首謀者を特定しようとしたが、その試みは失敗に終わった。そんな折、全国トラック運転組合の幹部、桜塚鉄矢さくらづかてつやが「タンクローリーの運転手に拳銃を持たせれば強奪被害もなくなるでしょう」と助言してきたが、都筑はビジネスの合法性に固執し続けた。


 数週間後、仕事に復帰した大悟はまたしても強盗に遭遇した。都筑の許可を得ていない上に、真っ昼間だったにも拘わらず、大悟は拳銃で応戦した。その結果、警察沙汰になってしまった。大悟は警察の追っ手を振り切ったものの、当局が都筑の会社に再び目を付けるようになった。しかも、銀行が今回の一件を問題視し、融資がストップするという事態が発生した。


 都筑はターミナル購入費用の5000万を必死で調達しようとしたが、工面できたのは500万だけであった。焦った都筑はマフィアに接触するが、それは法律遵守で商売を行うという信条を自ら破棄する行為だった。当然、都筑はその代償を払うことになった。

 

 9月1日午前6時過ぎ、札幌本道路上で乗用車が暴走し、通りかかった自転車の男女5名を次々とはね、民家の生垣に衝突して停止した。運転していた韓国国籍で新聞販売店従業員の容疑者も意識不明の重体となった。

 現場はすれ違いが困難なほど細い道路で、乗用車は壁に車体をこすりつけながら約500mにわたって蛇行運転し、自転車を追い掛け回す形となった。被害者5名のうち2名が死亡、3名が重軽傷を負った。

 事件当時容疑者は全裸であり、車内にも衣類は発見されなかった。また容疑者は統合失調症で通院中であった。

 

 札幌本道は、明治初期に渡島国亀田郡の函館から胆振国を経由し石狩国札幌郡の札幌を結んでいた約180キロメートル (km) の馬車用道路。1872年(明治5年)から1873年(明治6年)にかけて開拓使が建設した日本初の本格的な西洋式馬車道で、現在の国道5号の一部(函館 - 森)と国道36号(室蘭 - 札幌)に相当する。このうち函館市と七飯町にまたがる赤松並木は、2006年(平成18年)に土木学会選奨土木遺産に選出された。

 明治2年(1869年)に開拓使及び北海道が設置された際、それまで南部に偏っていた北海道開発を中央部まで広げることを目的とし、石狩川の河口付近の札幌に本庁舎を置くことになった。このため道南と札幌を繋ぐ幹線道路の整備が必要となった。江戸幕府の蝦夷地直轄時代から用いられていた道路では不十分だったため、明治4年(1871年)に来日した開拓顧問のホーレス・ケプロンは、『ケプロン報文』のなかで函館・札幌間の輸送向上の必要性を指摘した。ケプロンの指摘を受けた開拓使は、同年9月にアメリカ人のアンチセルらに函館・札幌間の地形や港湾を調査させて、札幌本道の開墾を決定した。ケプロンの提案に従い、函館から森(現・森町)までは道路とし、そこから室蘭港までの航路を経て千歳経由で札幌の豊平橋まで馬車道で結ぶ建設計画を採用した。馬車用の道路として車道の表面は砂利で舗装し、幅は6.7 - 13.3メートルであった。

 開拓使は、札幌本道の建設を行うための資金として、兌換証券だかんしょうけん250万円を発行して、財政を確保した。また、開拓次官の黒田清隆は陣頭指揮をとり、道路建設工事のために機構整備を実施した。1872年(明治5年)3月から、お雇い外国人のワーフィールドとワッソンの指導のもとで函館を起点に工事が始まった。人夫や職人は本州や九州から数千人が募集され、開拓使は東京出張所で雇用する土工や大工の試験を行い、高い技術を持った職人を選抜して北海道に送り込んだ。同年7月には函館と森の間に約45.2kmの道路が完成し、森と室蘭には船舶用の埠頭が築かれた。室蘭・札幌間の約223.8kmの区間は冬季の積雪で一時工事が中断したが、翌1873年6月に全線が開通し、札幌本道と命名された。

 開通当初の宿駅は、札幌、千歳、苫小牧、白老、幌別、室蘭、(海上ルート)、森村、嶺下、中島郷、函館の10駅。

 しかし当時の国内では馬車が普及していないことなどから道路は十分には活用されず、札幌への物資輸送は小樽から石狩川水系を経由する水運が依然として主流だった。札幌農学校教頭だったウィリアム・スミス・クラークは1877年(明治10年)の帰国の際にこの道路を通り、後に開拓使宛の書簡の中でこの道路の無駄を批判し、札幌・小樽間の道路を改修して鉄道を敷設する事を提言している。その後、内務省告示によって1885年(明治18年)に札幌本道は国道42号となった。1907年(明治40年)、国道42号は函館市・森町・長万部町・倶知安町・小樽市・札幌市を結ぶ現在の国道5号のルートに変更された。1920年(大正9年)に国道42号は国道4号に改称され、1953年(昭和28年)には国道5号となった。札幌本道の室蘭・札幌間のうち苫小牧・札幌間は国道から外され、1952年(昭和27年)に国道36号となった。

 

 犠牲者の中には都筑も含まれていた。

 9月5日

 雨宮は取調室でパクと向かい合っていた。 

「どうしてあんなことをした?」

 残暑が厳しく、まだクーラーをつけないといけなかった。ヒートアイランド現象で数年後には真夏の最高気温が40℃になるかも知れないそうだ。

「jugjisikyeojubnida」

 雨宮は韓国語に詳しかった。

 朴は「死なせてくれ」と言っている。

「sal-a joeleul sange」

 雨宮は「生きて罪を償え」と韓国語で言った。

 朴は涙を流した。悔恨の涙だろうか?

 すすきの署を出て、雨宮は江戸海荷とバスで日高見ひだかみ病院に向かった。院長の日高見は精神科医学界の権威だ。

 日高見の説明によれば、一般的に幻聴や幻覚、異常行動が見られるが、患者によって症状のスペクトラムは多様である。精神病の権威であるエミール・クレペリン、オイゲン・ブロイラー、クルト・シュナイダーが共通して指摘した、当該疾患の特徴的で頻発する症状は「思考途絶(連合障害)」と「思考化声(自生思考)」である。日本では2002年(平成14年)まで、精神分裂病と呼称されていた。


 統合失調症は、精神病理学あるいは臨床上の精神障害の診断・統計カテゴリーの一つである。この疾患群は、自閉症状と連合障害(認知障害)を基礎疾患とする複数の脳代謝疾患群と考えられている。各症状が同根の神経生物学的基礎を有するか否かは、現在のところ不明である。発症のメカニズムや根本的な原因は解明されておらず、また、単一の疾患ではない可能性が指摘されており、症候群である可能性がある。様々な仮説が提唱されているが、未だに決定的な定説が確立されていない。


 有病者の人数は、世界で2100万人(男性1200万人、女性900万人)ほどで、患者の死亡率は、一般人口より2.0から2.5倍ほど高い。成人の年間有病率は0.1から7.5%、生涯有病率は0.1から1.8%と世界保健機関(英語: World Health Organization、略称:WHO)は報告している。世界の障害調整生命年 (英語: disability-adjusted life year、略称:DALY) のうち約1%を占める。日本では71万3千人の患者がいると推計されている。


 精神疾患として深刻なものとされるが、治療が可能な病気である。しかし患者の2人に1人は、医師の受診につながっていない。この疾患の担当診療科は精神科であり、精神科医が治療に当たる。世界保健機関は、低所得国および中所得国を対象とした計画である Mental Health Gap Action Programme (mhGAP) を策定し、クリニカルパスおよび診療ガイドラインを作成、公開している。

 

 統合失調症に共通する症状は、思考や行動、感情がまとまりにくくなることである。自閉や連合障害からくる大脳の疲弊によって、一部の患者では幻覚や妄想を発症する頻度が少なくない。また、社会的または職業的機能の低下、つまりは、仕事、対人関係、自己管理などの面で1つ以上の機能が病前に獲得していた水準より著しく低下している場合がある。認知、情動、意欲、行動、自我意識など、多彩な精神機能の障害が見られる。大きく陽性症状と陰性症状の二つが挙げられ、他にその他の症状に分けられる。全ての患者が全ての症状を呈するのでないことに注意が必要である。WHOによる国際的予備研究によれば、最も多く見られる症状は幻聴または関係念慮であり、患者の約70%に認められた。


 陽性症状

 陽性症状 (Positive symptoms) とは、おおよそ急性期に生じるもの。妄想や幻覚などが特徴的である。


 思考の障害

 思考過程の障害と思考内容の障害に分けられる。総合的に診て自閉症と重複し、誤診されることもたびたびある。統合失調症の最大の特徴はこの自我意識面での思考の障害であるとされる。


 思考過程の障害

 話せない状況:思考に割り込まれると神経過敏や鬱状態になり、考えが押し潰されて、まとまらない話になってしまう。思考が潰れることで今までの努力が水泡に帰すような自己喪失の陥穽にはまる。

的外れな応答:他人の質問に対し、的外れな答えを返すことがある。周囲の人間から、話をよく聞いていない人物と見做されることがある。

 集中能力の喪失:テレビを視聴したり、新聞記事を読むことが困難となる。

 異常なほどの思考・神経機能の使い過ぎ:思考や神経の安定性・リラクゼーションが保たれず、絶えず考え・思考が浮かんでくると訴える自生思考や相手に自分の考えが知れ渡っていると解釈し思い込ませられる思考伝播、自他の境界が曖昧になる境界障害などの通常ならばあってはならない思考によって障害・邪魔されるため、時間に関係なく睡眠が落ち着いてできなかったり、食物を摂取しても、思考や神経に栄養が奪取されて、結果的に食べても体重が増加せず、体重の劇的な痩せや減量、顔の頬がすぐにこける、頭髪の細毛化、薄毛状態が引き起こされるケースもある。

 抗精神病薬の服用によって、そうした敏感な熱思考状態や神経の過度の使い過ぎ状態が、いくぶん緩和し落ち着くこともある。

 統合失調症は、単なる思考機能・神経の使い過ぎから起こる神経症レベルで説明がつくほど、単純な疾患ではない。重度の神経症・神経障害と同等レベルで解釈できるか否かは、区別の判断が微妙で困難極まるものがある。統合失調症患者の精神症状と強迫神経障害患者の神経症状とを比べた時、前者の方がはるかに症状が複雑で重いとされる今日の医学的な考え方・見解が、肯定・是認できうるものと言える。

 思考内容の障害(妄想)

 妄想 (Delusions) とは、客観的に見て物理的にありえないことを事実だと完全に信じていること。以下のように分類される。


 被害妄想:「近所の住民に嫌がらせをされる」「通行人がすれ違いざまに自分に悪口を言う」「自分の体臭を他人が悪臭だと感じている」などと思い込む。

 関係妄想:周囲の出来事を全て自分に関係付けて考える。「あれは悪意の仄(ほの)めかしだ」「自分がある行動をするたびに他人が攻撃をしてくる」などと思い込む。

 注察妄想:常に誰かに見張られていると思い込む。「近隣住民が常に自分を見張っている」「盗聴器で盗聴されている」「思考盗聴されている」「カメラで監視されている」などと思い込む。

 追跡妄想:誰かに追われていると思い込む[30]。

 心気妄想:重い体の病気にかかっていると思い込む。

 誇大妄想:自分は実際の状態よりも、遥かに裕福だ、偉大だ、などと思い込む。

 宗教妄想:自分は神だ、などと思い込む。

 嫉妬妄想:配偶者や恋人が不貞を行っていると思い込む。

 恋愛妄想:異性に愛されていると思い込む。仕事で接する相手(自分の元を訪れるクライアントなど)が、好意を持っていると思い込む場合もある。

 被毒妄想:飲食物に毒が入っていると思い込む。

 血統妄想:自分は貴人の隠し子だ、などと思い込む。

 家族否認妄想:自分の家族は本当の家族ではないと思い込む。

 物理的被影響妄想:ビーム光線で攻撃されている、などと思いこむ。

 妄想気分:まわりで、何かただ事でないことが起きている感じがする、などと思いこむ。

世界没落体験:妄想気分の一つ、世界が今にも破滅するような感じがする、などと思いこむ。

一人の統合失調症患者においてこれら全てが見られることは稀で、1種類から数種類の妄想が見られることが多い。また統合失調症以外の疾患に伴って妄想がみられることもある。関連語に妄想着想(妄想を思いつくこと)、妄想気分(世界が全体的に不吉であったり悪意に満ちているなどと感じること)、妄想知覚(知覚入力を、自らの妄想に合わせた文脈で認知すること)がある。


 また、上記の妄想に質的に似ているが、程度が軽く患者自身もその非合理性にわずかに気づいているものを「 - 念慮」という。


 これら妄想症状は突発的に起こることもあれば、数週間をかけて形成されていくこともある。クレペリンは躁うつ病の特徴として迫害妄想をあげており、双極性でないことが診断に重要である。

 

 9月8日

 午前8時、函館市の3つ派遣会社、ならびに3つの派遣先が連続して自爆テロの標的となった。さらに同日に函館山麓の集合住宅と元町のゲストハウスでも小規模な爆発があった。259人が死亡(うち45名は外国人)、負傷者も500人以上(警察官3名を含む)に上った。北海道警の調査によれば、第二波の攻撃も計画されていたが、北海道警の反撃により未然に阻止された。


 北海道警の捜査の結果、自爆テロを行った9名の実行犯はいずれも元派遣社員だった。

 松本国政まつもとくにまさ

 堀真一ほりしんいち

 山田徹平やまだてっぺい

 この3人は『アマランス』っていう派遣会社に登録していた。『アマランス』には不死の花という意味がある。

『アマランス』では、「『はい』以外の返答の禁止」「サービス残業、鉄拳制裁(暴力)はわが社の誇りである」「スパルタ式指導や鉄拳制裁で体や頭を鍛える」「パワハラ(暴力)ではない、愛の鞭」といった異常なポジティブ思考の強制など、上意下達と絶対服従のみが徹底化された組織。下層の従業員は会議にも参加できず、業務上の問題点の指摘もできない。

 松本、山田、堀の3人は『フリーカムイ』というボールペン工場に派遣されていた。フリーカムイはアイヌに伝わる怪鳥で、翼の長さは短くて60メートル、長くて7里。鯨を一掴みにする怪物で、人間に倒すことは出来ない。

 

川口真美かわぐちまみ

 太田知宏おおたともひろ

 広瀬緑子ひろせみどりこ

 この3人は介護系派遣会社『チュプカムイ』ってところに登録していた。社名はアイヌに伝わる太陽を司る神に由来する。3人とも『パシクル』(アイヌ語では黒い姿の鴉をそう呼ぶ)に派遣されていたが、大卒なのに高卒待遇で、3日徹夜することもあったそうだ。

 

 松江清子まつえきよこ

 有田菜々子ありたななこ

 田口次郎たぐちじろう

 この3人は、松本たちが登録していた『アマランス』の社員で『アペフチカムイ』という火の神の意味のある精肉工場に派遣されていた。

 『アペフチカムイ』では、あらゆる不可抗力に対しても罰金を取っていた。設備の故障や、悪天候・自然災害などによる電車の遅延(「遅れるのであればもっと早い電車に乗れ、始発に乗れ」「前日に会社やその周辺のビジネスホテルやネットカフェに泊まれ」と叱責する場合もあり)や運休、事件・事故の被害者になった場合でも「欠員が出て当該社員が会社に損害を与えた」として例外なく罰金を取る(従業員が死亡した場合でさえ遺族へ請求する)。

 

 捜査本部で新聞を読んでいた松田は、もしかしたら『チキン高橋』に関係してるかも知れないと期待した。

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