愛をこめて、サンタクロース

ありま氷炎

*

 ぎらぎらと太陽が一行の頭上で輝いている。

 男の撫でつけた前髪は既に汗で垂れさがり、額にピッタリと張り付いていた。羽織っていたコートとジャケットは脱ぎ去られ右手に抱えられている。長袖のシャツを腕まくり、筋肉質とは言えないが、男の腕がニョッキリと顔を出す。その背中は雨に打たれたように濡れていた。

「まったく、どうなってるんだよ?!」

 男はそう叫び、空いた手で額の汗を拭う。男の名は山儀(やまぎ)隆(たかし)。証券会社に勤める三十三歳である。

「私も知らないわよ!」

 そう怒鳴り返したのはその妻で同じ歳の山儀(やまぎ)鈴乃(すずの)。

 愛用していたハイヒールは歩くたびにピンが砂に埋もれ、歩行を邪魔するため泣く泣くピンをむしりとった。

 腕に抱えているのは二つのコート。真っ白なロングコートと黒色の子供用のダッフルコートだ。灰色のワンピースの長袖は夫同様腕まくりされており、鈴乃は首に巻きつく髪の毛を鬱陶しそうに払いのけていた。

「……暑いよお」

 日を遮るものが何もない、砂漠のど真ん中。

 鈴乃が抱えるダッフルコートの持ち主――山儀(やまぎ)宏(ひろ)四歳は、空を仰ぎ呻いた。


 ★


 事の起り、起こりと言っていいのかわからないが、事件は十二月二十四日クリスマスイブに起きた。

 いつも通り、仕事大好きな二人は、浮かない顔をする息子を保育所に預けようと車を走らせていた。すると突然「ホウ、ホウ、ホウ」という笑い声がして光に包まれたのである。


 光が消え三人が再び目を開けた時、世界は一変していた。

 車に乗っていたはずが車外に出され、街中にいたはずなのに街並みが消えていた。

 周りを取り囲むのは、砂、砂、そして砂。

 空はどこまでも高く青く澄み切っており、ぎらぎらと剥き出しの太陽が全てのものを焼き尽くそうと照りつけていた。


「くそっつ。異世界ものだって、こんなトリップはないぜ」

「確かに、家族でトリップなんてありえないわ。しかも説明なし」

 夫婦喧嘩が絶えない二人、珍しく意気投合しながら足を進める。

「宏くん。大丈夫?パパにおぶってもらう?」

「ううん。大丈夫」

 額に噴きだした玉のような汗を拭い、宏は首を横に振る。

 天性なのか、宏は両親に似ずとても素直な子だった。

 忙しい両親の手を煩わせたことがなく、保育所の先生にも感心されるほどの物分かりのいい子だ。 

 そんな宏。

 このような状況にも関わらず、大人しく二人の後ろをトコトコと歩いている。しかしその表情は複雑なものだ。眉間に皺が寄り、口元はぎゅっと閉じられている。顔は俯きがちで何か困ったことでもあるのか、拳を落ち着きなく開いたり閉じたりしていた。


「あ!見て。何かが見える!」

 砂漠にきてどれくらい歩いたのか、鈴乃は視界の端に黒い影を捉えた。それはこちらに向かって猛スピードで近付いてくる。

「何だ!……サソリ?!」

 百メートル先まで近づいて、その全貌が明らかになった。

 一匹の大サソリが腰を振りながら、駆けてきていた。

「ちょっと!こんなのありなの!逃げるわよ!宏!」

 鈴乃は息子の手を掴むと、今までとは逆方向に走り出す。

「おい、待てよ!」

 その後を隆は慌てて追いかけた。

「げぇえ!」

 潰されたカエルのような悲鳴を上げ、鈴乃は立ち止まった。

 進行方向に新手の大サソリが現れたのだ。

「こっちからも!」

 左右どちらかに逃げようとしたが、直ぐに足を止める。

「囲まれたわ!」

 どこから出てきたのか、大サソリが近くに迫っていた。

「嘘だろう!なんでだよ!こういう時は、何か出て来るんだろう?剣とかさぁ」

「そうよね!トリップものだもの!それか正義の味方が現れるとか!」

 鈴乃は珍しく夫の言葉に頷き、息子を抱きしめる。


『ホウ、ホウ、ホウ!』

 ハサミが振り上げられた瞬間、上空から突然笑い声が降ってきた。

 視界は再び光に満たされる。三人は驚きながらも眩しさに目を閉じ、期待した。

 再び目を開いたら元の世界に戻っている――そう願い、三人は光が収まったのを感じてゆっくりと目を開ける。

 が、希望は一瞬で見事に消え失せた。そこは元の世界ではなかった。

 天井、壁、床、全てが白色の空間が、目の前に広がっていた。

『メリークリスマス!』

 そんな陽気な声と共に、真っ赤な服を着たお爺さんが現れる。

 大きなお腹に真っ白な豊かな髭――フライドチキンのお爺さんではなく、クリスマスには欠かせないあの人物が一行の目の前で笑顔を浮かべていた。


「サ、サンタクロース?!」

 三人は声をハモらせて、その存在を呼ぶ。

『いかにも、わしがサンタクロース。今日は宏くんにプレゼントを贈るために来たのだ』

「プレゼント?まさか俺達がこんなところにいるにはそのせいか?」

『いかにも』

「え、宏!お前が望んだのか、こんな場所に来ることを!」

「ちょっと隆!宏くんを怒鳴らないでよ!」

『まあ。落ち着きなさい。わしが説明してあげよう。宏くんは物理的な贈り物を望まなかったのだ。彼が望んだものは、両親が仲良くなって楽しいクリスマスがおくれますように、そんな望みだった』

「宏、お前……」

「宏くん……」

 息子のささやかな願いを聞かされ、二人は日頃の態度を反省する。

 宏はそんな両親を横目に頭を垂れたままだ。

 十ニ月の始め、彼はサンタクロース宛てに手紙を書いた。

 その手紙を投函しようと思っていたら、いつの間にかに消えていたので、ずっと忘れていたのだ。今日の不思議な体験で思い出した。

 砂漠にトリップする前に、「ホウ、ホウ、ホウ」と笑い声を聞いた。この世界に来た時からずっと自分のせいではないかと思っていた。予感が当たり、宏はずぶずぶと地面に両足が沈んでいくような絶望的な気分を味わう。

「だけど宏の望みは俺達が仲良くなることだ!こんな世界にトリップするのは関係ないだろうが!」

 反省はしているが、夫婦の関係修復と砂漠へのトリップは全く関連していない。

 砂漠にいきなり飛ばされて頭にきている隆は、サンタクロース相手だというのに激情のまま怒鳴りつけた。

『ホウ、ホウ、ホウ』

 隆の態度に気を悪くする様子も見せず、サンタクロースは笑った。

『それが関係あるのだよ。山儀隆くん。この世界で君たち二人は日ごろの態度を反省し、一致団結、夫婦円満になってもらう。そうして宏くんに楽しいクリスマスを迎えてもらうのだ』

「な、何言ってるんだ!そんなこと。反省は既にしたし、夫婦円満になる前に死んだらどうするんだよ!」

「そうよ!あの大サソリにちょきんってやられたら死んじゃうじゃないの!」

『わしからこの試練を乗り越えるために、贈り物がある。大サービスだ』

「大サービス?ふざけんな」

『まったく、口が悪いパパだね。宏くん。本当に頑張ってるね』

 サンタクロースは同情の眼差しを宏に送るが、彼は顔を上げようとしなかった。 

 代わりに唸り声を上げたのが、その父親だ。

「うるさい。あんたに言われる筋合いはない!」

『あーあ、全く。こんな口の利き方をされたのは久々だよ。しかし宏くんのためだ。我慢しよう。さて、君達に変身能力を与えよう。なりたいキャラクターに変身でき、その技を全て使えるようになる、そんな能力だ。出来るだけ強いキャラクターになり、大サソリを倒すのだ』

「へ?なりたいキャラ?」

「なんにでもなれるの?私それだったら、美しい女優になりたいわ」

『構わんが。それで、大サソリは倒せるかね』

「馬鹿。そんなんじゃだめだろう」

「馬鹿って言わないでよ!」

『ふう。夫婦円満になるのにはまだ長い道のりがかかりそうだな。宏くん、頑張るのだ。わしはここでさらばだ。夫婦円満になった暁には元の世界に戻れるだろう』

「おい、ちょっと待て!そのキャラになる方法とか説明はないのかよ!」

「そうよ!ちょっと!」

 夫婦の制止はまったくきかなかった。

 サンタクロースは「ホウ、ホウ、ホウ」と笑い声を上げ消えてしまった。

 同時に世界も一変する。

「う、嘘だろう!」

「ひぃい!」

 状況はあれからまったく変わってなかった。

 四匹の大サソリはその大きなハサミをちゃきん、ちゃきんと不気味に鳴らし、尻尾の先をゆらゆらと動かしている。

「ちょっと!どうするのよ!」

「何にでもなれるって言ってたよな。俺は決めたぞ!俺は孫○空に変身する!」

 そう夫が宣言した後、体が光り出す。

 髪が逆立ち、色が変わる。目の色も緑色に輝き始めた。

「うおお!すごいぞ!」

「ぱ、パパ?!」

 某実写版とは比べ物にならないくらい完成度の高い、孫○空がそこにいた。

「くらえ!か○は○波!」

 調子に乗った隆は、技を繰り出した。光のエネルギー波が掌から放たれ、大サソリに直撃した。

「やった!倒したぞ!」

「まじで?え、私もやりたい!じゃあ、私はセーラー○―ン」

 鈴乃がそう叫ぶと、淡いピンク色の光が彼女を包む。

「○に代わってお仕置きよ!」

 光が消え、セーラー服のコスチュームに身を包んだ三十三歳は恥じらいもせず、ポーズを決める。

 さすがに隆は直視できず、目を逸らし、別の大サソリに向かって次なる技を繰り出した。

「ま、ママ……?」

 望みは叶ったのか。

 驚愕する息子の前で 嬉々と楽しそうな夫婦は、ものの五分もせずに大サソリを倒した。

 敵が消えると変身も解けるらしい。

 そのことにほっとし、宏は両親に駆け寄った。

「ありがとう。そしてごめんなさい」

 自分がサンタクロースに手紙を書いたばかりに起きた事、宏は頭を垂れて二人に詫びた。

「謝るな。喧嘩ばっかりしていた俺達が悪かったんだ」

「そうよ。変身も楽しかったし」

 両親が笑顔でそう言い、宏は安堵した。砂漠に来てからずっとふさぎがちだった表情に笑顔が戻った。


 こうして隆と鈴乃は仲良くなり、夫婦円満、元の世界に戻る。 

 三人はそういう筋書きを予想していた。

 しかし、いっこうにサンタクロースが現れる気配はなかった。


 変身した夫婦は無敵だった。

 が、体力には限界がある。

 何十回も現れる大サソリ、永遠に続くような戦い。

 あれだけ気持ちよく敵を倒していた二人に苛立ちが募って来た。


「おい、サンタクロース!ふざけんな!もう俺達は夫婦円満なんだよ!早く元の世界に戻せ!」

「そうよ。サンタ!もう十分でしょ!」

 二人は空に向かって何度もそう叫ぶ。 

 が、状況は変わることはなかった。


 そうして夜がやって来た。


「腹減った。くそ、朝飯食べてくればよかった。鈴乃。なんでお前はいつも朝飯つくんねーんだよ。同僚の奥さんなんて、いつも六時に起きて、味噌汁、ご飯、卵焼き、納豆とかだぜ」

「うるさいわね。作ってもあんたが食べないからじゃないの。覚えてる?」

 疲れ、空腹が合わさり、二人のいがみ合いが始まる。

「大体。お前の教育が悪いんだよ。サンタクロースなんかに手紙書かせるから!」

「私じゃないわよ!サンタクロースの話なんてしたことないでしょ。ね、宏くん。なんでサンタクロースに手紙書こうと思ったの?」

「僕……ごめんなさい」

 二人の鋭い視線、つり上がった眉、『お前のせいだ』と言わんばかりの態度に、宏は委縮した。

 保育所でサンタクロースのことを教えてもらった。

 プレゼントなんて欲しくなかった。

 ただ、みんなのように家族一緒に仲良くケーキを食べてお祝いしたかった。


 食事はいつも、ばらばら。

 休みも一緒にでかけたことはない。

 一緒いると喧嘩ばかり。


 どちらかも悪口を聞かされ悲しかった。


 だから二人が仲良くなってほしい、そう思ってサンタクロースに手紙を書いたのだ。


「ごめん。宏」

「ごめんね。宏くん」

 泣きだした息子の姿に冷静さを取り戻した夫婦は謝る。

「もう寝ましょ。疲れちゃったわ。涼しいから寝やすそうだし」

「そうだな」

 息子の涙をハンカチでぬぐい、夫婦は息子を挟んで横になる。

 日中太陽に照らされた砂漠の砂は、暖かさを残すのではなく、ひんやりと冷たい。

 戦闘で極度に疲れていた二人は、日中使うことがなかったコートを体にかけ、あっという間に眠りに落ちた。

「……」

 眠れない息子は立ち上がり、寝ている二人を起こさないにして足を忍ばせて、歩いた。

 叫んでも声が聞こえない程の距離まできて、宏は空を見上げた。


「サンタクロースさん!お願い!元の世界に戻して。僕の望みなんていいから!お願い!」

 宏の叫びに反応して、一つの星が瞬く。それは急に大きくなり、地上に落ち始めた。だが、隕石でなく、光の玉に過ぎなかった。地面を震わせることもなく、風を起こすこともなく、光る球体は静かに宏の目の前に着地した。

 光は人型をとり、白い豊かな髭を蓄えたお爺さんに姿を変えた。

「宏くん。わしはサンタクロースなのだ。君を幸せにしたい。この方法は取りたくなかったが仕方ないな」

 お腹をぶるんと震わし、宏に近づくとサンタクロースは彼の頭を撫でた。

「サンタクロースさん……?」

「わしの仕事は子どもたちを幸せにすることなのだ。宏くん」

 急に深い眠気が訪れる。眩暈にも似た睡魔が宏の足音を危うくする。

「幸せになりなさい」

 穏やかな声が呪文のように振りかかり、宏はそのまま倒れこんだ。


 ★


「隆!ちょっと起きて!」

 ふと目を覚まし、鈴乃は隣に息子の姿がないことに気がついた。

「あ?なんだよ?」

 不機嫌な声を出し、隆は目を開ける。

「宏がいないのよ。一緒に寝てたはずなのに!」

「宏が?」

 寝ぼけ眼だった隆は冷水をかけられた衝撃を受け、一気に目を醒ます。

「いつからいなくなったか、わかるか?」

「わからないわ。さっき起きたらいないことに気がついて」

「何で気がつかないんだよ!お前はそれでも母親かよ!」

「何よそれ!あんたも気がつかなかったでしょ!」

 怒鳴りつけられ、鈴乃は荒ぶる感情のまま言い返す。

「なんで、なんでこんなことになっちゃうのよ!」

 そして涙声になりながら地面を叩いた。

 疲れていて、宏が寝る前に寝てしまった。

 もしかしたら、息子はもうずいぶん前にどこかに行ったかもしれない。

 心配だけが募り、涙が乾いた砂面を濡らす。

「責任を押し付けあってもしょうがない。とりあえず探すぞ。何か見つけたら叫ぶんだ。自分ひとりでは行動するな。宏がいなくなった上、お前までいなくなったら……」

「隆……」

 真っ暗の中、月明かりもなく、お互いの表情はよく見えない。

 しかし、夫が自分のことも思ってくれていると、乾いた心が少しだけ潤う。

「いいな。鈴乃。何か見つけても一人で行動するな」

「わかったわ」

 二人は頷き合うと、それぞれ左右に分かれて歩き出す。

 元いた場所を見失わないように、振り返りながら鈴乃は足を進めた。

 歩いても、歩いても同じ光景が続く。

「鈴乃!こっちに来てみろよ!」

 不意に聞こえた隆の声。夜の静寂の中。夫の姿は見えない。

「何か見つけたの?」

「ああ!」

 鈴乃の問いかけに答える隆。

「今行くわ!」

 宏の居場所がわかる何かに違いない。期待しながら鈴乃は声がした方向に走った。


「!」

 初めに目に入ったのは光だった。

 長方形の光の傍にいる夫に近づき、それが扉であることがわかる。

「宏はこの中にいる可能性が高い」

「そうね」

 元に戻るための扉かもしれない。

 息子はすでに元に世界に戻っているかもしれない。

 そんな期待が膨らむ。

「行こう」

「ええ」

 隆はノブに手をかけると一気に扉を開いた。


 ★


「宏くん。起きて」

「宏」

 体を何度か軽く揺すられる。

 両親の声が同時に耳に入ってきて、宏は目を開けた。

「ママ、パパ!」

 視界には優しい笑顔を浮かべる両親がいる。

 見知ったものばかりに囲まれた部屋。自分の家に戻っていることに気がつき、宏はぎゅっと二人に抱きつく。

「どうしたの?」

「赤ちゃんみたいだな」

「僕たち戻って来れたんだね!」

「戻る?」

「宏、夢でも見たか?そういえば何かうなされていたな」

「夢?」

 二人から離れ、宏は考える。

 そんな宏を両親は心配げに見ていた。

 砂漠に飛ばされて、大サソリと戦っていた両親、しかもアニメのキャラクターに変身して。

 あちらを現実だと思うほうがおかしかった。

「夢……夢だったんだ」

「そうよ。夢よ。車の中で寝ちゃって、パパが抱っこして連れてきたんだから。お腹すいてるでしょ?ママ、張り切って作ったんだから」

 ソファから体を起こし、食卓を見ると、鶏のから揚げや、スパゲティ、ポテトサラダなどが所狭しと並べられていた。

「美味しそうだろう。パパはお腹がすいちゃって、宏が起きるのを待ってたんだぞ」

 茶目っ気たっぷりの表情を浮かべ、隆は宏の頭を撫でた。

「さあ、早く食べましょう!クリスマスパーティーを始めましょう」

「宏。行くぞ」

 ぐいっと腕を引かれ、宏は立ち上がる。

 望んだ通りのクリスマスだった。

 サンタクロースは望みを叶えてくれたんだと、宏は笑顔で隆の後を追い食卓へ向かった。


 ★


「あれは?」

 二人が足を踏み入れた世界はこれまた何もない世界だった。

 真っ暗で何も見ない。

 しかし、開けた扉は一度閉まって消えてしまった。

 前を進むしか選択肢がなく、二人は暗闇中、恐る恐る足を運ぶ。

 そうして、光を見つけた。

「宏?」

 それは家だった。

 大きな窓から、満面の笑顔を浮かべる息子の姿が見える。

「……あれは私たち?」 

 宏の傍にいるのは間違いなく、隆と鈴乃だった。

「どういうこと?」

「私たちはここにいるのに!」

「わからない。確かめよう」

「そうね!」

 二人はお互いの不安を打ち消すために、手を重ねあうとその光る家へ歩き出した。


 ★


 インターフォンが鳴るわけでもなく、突然乱暴に玄関の扉が開いた。

 椅子に坐りかけていた宏は驚く。

 訪問者は二人だった。いや、人ではない。

 そこにいたのは全長二メートル程のサソリ達だった。

「宏くん!」

「宏!」

サソリは宏の名を呼ぶ。

「このサソリめ!」

宏を守るように父親は前に立った。

「サソリ?何、言って!?」

「隆?!」

 二匹のサソリは様子がおかしかった。しかも言葉を操る。

 両親に似た声で宏の鼓動が早まる。

「下がっていなさい」

 父親は宏にそう言い、サソリに襲い掛かった。

「なんだよ。いったい俺たちは?!」

 動揺している大きいサソリに父親の蹴りが決まる。

「隆!」

 小さめのサソリはそう叫び、相棒に駆け寄る。

「大丈夫だ。くそっ、なんでこんなことに」

 父親は次の攻撃を仕掛けた。大サソリはその体に似合わず弱く、繰り出された攻撃を全て喰らい、床に倒れこんだ。

「隆!」

 宏は奇妙な気持ちでそれを見ていた。

 隆とは父親の名前だった。

 二匹のサソリの声と様子は両親のまさにそれだった。

「この!あんた達いったい何なのよ!」

 小さめのサソリはハサミを持ちあげ、父親に襲いかかる。

 しかし彼は、ひらりと狭い家にも関わらず、華麗に攻撃を避ける。

「パパ?」

 父親はこんな武道の達人だったのか、そんな疑問が浮かび上がる。

 確かにあの夢のなか、父親は強かった。しかし、アニメのキャラクターに変身した後に見せた動きだ。

 少しずつ宏の中で疑問の種が育っていく。

「私も加勢するわ!」

 宏の側にいた母親はさっと身軽に父親の傍に駆け寄る。

 両親の見事なコンビネーション攻撃により、二匹のサソリは玄関から外に追い出された。

「まだやるか?あきらめるんだな。お前たちは用無しだ」

 ぱんぱんと埃を払うように手を叩き、父親はこちらに向き直る。

 奇妙なくらい穏やかな笑顔を浮かべていた。

「おかしな邪魔が入っちゃったわね。さあ、宏。食べましょう」

 その隣で、乱れた髪を手櫛で整え、これまた笑顔を浮かべるのは母親だ。

 宏の心臓が一段と大きく跳ねた。

 ――違う。

 ママ達じゃない。

 ママ達はこんなんじゃない。

 仲良くて、優しくて、強い二人。

 理想の二人。

 でも、僕の本当の両親は違う。

 だったら、あのサソリ?サソリがママ達なの?

 なんで?

「宏くん?どうしたの?行くわよ」

 玄関を見たまま動かない宏に、母親が声をかける。

「宏。どうした?」

「……違う。あんた達は僕のママとパパじゃない!」

「どうした?」

「おかしなこというわね」

 苦笑する二人。

 その笑みは張り付いたようなもので、宏は気持ち悪さを覚えた。

「違う!僕のママとパパはどこ!返して!」

 あのサソリがママとパパだったとしたら、元に戻してほしいと、宏は叫ぶ。

「宏くん」

 そう声がして、両親であったもの、家が、砂の塊となり砕ける。爆風が巻き起こり、宏は両手で顔をかばった。

 風がやみ、宏は手を降ろす。

 周りは再び砂漠に戻っていた。

 目の前にはサンタクロースがいる。

「宏くん。気がついてしまったんだね」

 サンタクロースはその丸い目を宏に向けていた。

「……お願いです。ママとパパを元に戻して。僕たちを元の世界に帰してください」

「……わかったよ。わしは君が幸せになることを望んでいた。でも、君は今の両親がいいのだね」

「はい。僕は今のママとパパが好きです。喧嘩ばっかりしていても」

「わかった。元の世界に戻してあげよう。二人はほら、あそこにいる」

「ママ、パパ!」

 サンタクロースが宏の後方を指差し、振り返る。すると、砂に塗れていたが人間の姿を取り戻した二人がそこにいた。

「ママ、パパ!」

「宏くん?」

「宏?」

 二人は息子に呼びかけられ、目を覚ます。

 そしてサンタクロースに気が付き、体を起こした。

「この野郎!俺たちをサソリに変えやがって!」

「そうよ!」

 噛みつく勢いの二人を宏が制する。

「ママ、パパ。もう何も言わないで。サンタクロースさんが元の世界に戻してくれるって。だから」

 他にはもう何もいらない。元に戻ったらいいと、宏は必死に両親にすがりつく。

「宏。そうだな。文句言ってまた何かされても困るし」

「そうよね」

「……宏くん。今回のことは残念だ。しかし、君が少しでも幸せになるように力を貸すよ」

 サンタクロースがそう言うと、世界が輝き始める。

「元の世界に戻るのね」

「ああ!」

 光は見覚えのあるもので、隆と鈴乃は安堵の笑みを浮かべた。



 ピッーピッー!

 耳障りなクラクションが後方から鳴らされる。

「え、あ!」

隆は自分が車の中にいることに気が付いた。目の前の信号は青色に変わっている。二度目のクラクションを聞き、慌てて車を発進させた。

 葉が落ち剥き出しになった木々、どんよりと雨か雪が降り出しそうな空模様。灰色の街並みはクリスマスのため、少しは彩りが添えられていた。

 自分の経験したことが夢か現かわからず、隆はただ車を走らせる。 

 助手席に座る鈴乃も珍しく無言だ。バックミラーから見える宏はじっとこちらを窺っているようだった。

「……夢だったのか?」

「隆も見たのね?」

「ああ」

「夢よ。嫌な夢」

 半信半疑の隆に、鈴乃は眉を顰め呟く。

 隆は妻の言葉に頷きながらも、夢とは思えない自分を否定できなかった。

「宏くん、行こう」

 保育所に車を停めるスペースはなかった。

 近くに駐車スペースを見つけ停車すると、鈴乃は宏を連れ保育所に歩いていく。

 その後ろ姿を見送りながら、口寂しさを感じ、隆はジャケットのポケットを弄る。煙草の箱を見つけ取り出そうとすると、何か小さな紙が一緒に出てきた。それはひらひらと車内を舞い、助手席に落ちる。

「寒いわね」

 同時に宏を送って来た妻が戻ってきて、ドアを開いた。

「何これ」

 鈴乃は紙を掴み、助手席に座りこむ。

 ドアを閉めてから、ゆっくりと紙を開いた。隆も見覚えのない紙きれを不思議に思い、妻の手元を覗きこむ。


『メリークリスマス!

 宏くんの望み通り幸せなクリスマスを楽しんでくれ。

 もし、再び彼を悲しませることがあれば、わかってるね。

 愛をこめて、サンタクロース』


 ひらりと、妻の手から紙がすり抜ける。


「隆……」

「あれは夢じゃなかったんだ。サンタクロースは本当にいる」

 

 ふわり、ふわりと綿毛のような雪が降って来た。 

 ここからは鈴乃の会社へ行き、その後に出勤する隆には時間がない。だが二人はじっと足元に落ちた紙を見つめたまま、動けずにいた。


 サンタクロースは子ども達に幸せを届けるのが仕事だ。それは同時に子ども達を悲しませる存在を罰することも兼ねているようだった。

 

 

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愛をこめて、サンタクロース ありま氷炎 @arimahien

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