第9話 二つの生活③
長女の心海が交通事故を起こしたと連絡があり、宗平と聡子は急いで病院に駆け付けた。心海のわき見運転による追突事故だった。ぶつかった車には人が乗っていなかったため、相手側に怪我人はいなかったのだが、運転をしていた心海と同乗者は足の骨折とむち打ち症状があり、病院に運ばれたのだった。
「何をやっているのだ、お前」
「まあまあ、宗平さん。相手の方に怪我がなくてまずはよかったわ。心海の方の怪我も足の骨折だけですんで安心した」
「ごめんなさい」
「免許の取り立てだろう、運転なんてまだ許した覚えはないぞ」
「何よ、お父さん。こんな時ばっかり父親面して・・・」
心海の悪態に心配より怒りが込み上げてくる宗平だった。
「まあまあ、二人とも。ところで未來さんは?」
「隣のベッドで寝ている。むち打ちで頭痛が酷いみたい」
「あら、それは大変ね」
「何だ、同乗者に怪我をさせたのか。親御さんは来ていないのか?」
「未來のご両親は来ないから」
「どうしてだ?」
「未來に両親はいないの。私が唯一の家族なのよ」
「家族って・・・」
「私たちカップルなの。法律上の結婚はできないけれど家族になるの」
「おまえ、何を言っている・・・」
「後で私から説明をするから」
聡子の冷静な言葉で宗平の怒りは頂点に達していた。こんなに怒ったのは久しぶりのことだった。訳も分からず宗平は聡子に促されて病室を出た。
聡子の提案でその日は近くのビジネスホテルに宿を取った。最上階にレストランがあり、聡子はコース料理を注文した。
「こうやって二人で外食するのなんて、結婚してから初めてかもね」
「そうか?」
「そうよ。あなたはいつも仕事で忙しかったし、私は私で家のことやら子どもたちのことで手一杯だったから」
聡子は七海の交通事故の一報を受けたときはかなり動揺していたのだったが、今は何事も無かったかのように落ち着いている。宗平とは正反対だった。
「ねえ、まだ怒っているの?」
何も答えられない宗平だった。
「少しは落ち着いてよ」
「おまえ・・・なんでそんな風に落ち着いていられるのだ」
「あなたには刺激が強過ぎたかな」
「俺は何も知らなかった・・・」
「ごめんなさい。何も話してこなかったわね」
聡子に謝られて宗平の怒りは少しだけ収まった。
「いいや、俺も家族のことに関心がなさ過ぎたから・・・」
「ふうん、そんな風に思っていたのね」
「いいやあ・・・」
何も言えない上に何も考えられなかった。頭を使おうとすればするほど、思考停止状態に陥る。宗平は怒っていることさえ自覚ができなくなっていた。
「七海は普通の女の子よ。あっ、でもそういう言い方も今はいけないのかもしないわね。何が普通であるのかなんて、誰が決めるのだって話だもの」
「普通?」
「そうよ。男であるとか女であるとかそれだって決めつけてはいけないことだし」
「男は男で、女は女だろう」
「あなたLGBTQって知っている?」
「えっ、ああ、東京レインボー何とかってところに会社で寄付をしたことがあったな」
「東京レインボープライドね。さすが玄太さんね」
聡子は玄太のことをなぜだかとても偉い人のように思い込んでいる。事実、業界では有名人だが。
「だったら少しはLGBTQについて理解はしているわね」
「いいやあ・・・」
「関心がないわけか。あなたって何に関心があるの?」
「えっ・・・」
家族のことにも世間で話題になりつつある事柄にも関心がないことを突き付けられ、宗平は狼狽えるばかりだった。
「心海のお付き合いをしている未来さんは女性の身体で生まれてきたのだけれど、心は男性なの」
そういう人がいることは知っている。だが、遠い世界の話のように聞いていただけだった。
「どうしてそういう人と心海が・・・」
「アルバイト先のレストランで知り合ったとか」
「客か」
「そうじゃないわ。その店の店長が未來さんなの」
「店長が心海にちょっかいを出したってわけか。それもオナベが・・・」
「ちょっと、その言い方良くないわよ。ちょっかいを出すというのもだけれど、オナベって言葉はもう死語だからね」
「・・・」
「気が合った人が生まれたときは身体が女性だったけれど、心は男性だったってことよ。今では外見だって髭の生えた男性だしね」
「戸籍は変えたのか?」
「いいえ、色々と難しいらしくって手術をしないと男性にはなれないのだそうよ」
「その人は・・・、身体は女性のままだというのか、でも髭が生えているって・・・」
「髭は男性ホルモンを注射することで生えてくるのよ」
「手術ってことは・・・」
「そう、性器の手術のことよ」
あっさりとはっきり性器と口に出せる聡子が信じられない宗平だった。
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