第8話 二つの生活②

 目を覚ますと宗平は久しぶりに頭がスッキリとしていた。小一時間くらい寝たようだ。キッチンに行き珈琲を淹れる。庭先の喧騒は静まり小鳥の囀りが微かに聞こえてくる。宗平は十数年ぶりにその音を聞いた。正しくは、十数年ぶりに小鳥の囀りが耳に、心に届いたのだった。

 茉優と海斗は二階で昼寝でもしているようだ。カップを手にして仕事部屋に戻る。珈琲を一口飲むと全身の力が一気に抜けてくるようだった。


 宗平は先ほどの玄太との会話を思い出していた。

「出資してもらった金も返せたし、葵とも離婚が成立したから」

 玄太の声は明るくどこか吹っ切れたようだった。玄太は妻の葵の実家の援助で会社を興していた。お嬢様育ちの葵は実家に入り浸ることが増え、夫婦仲は冷えていった。それでも世間体を気にする葵は離婚するとは言い出さず、玄太もそれを受け入れていた。

「そうか。結婚して十五年だったな」

「ああ、会社の設立と同じ年だから。何だか皮肉なことだけれど、始まりも終わりも一緒になったよ。アハハ」

 玄太は声を出して笑ったが宗平は笑えなかった。


 会社の業績は上場して三年目からは芳しくない状態が続いていた。昨年、大手IT企業にいた人間を副社長にしたことで、会社の業績は戻りつつあった。その副社長が社長に就任するという。その副社長から目の敵になっていた宗平だった。目の敵になっていたのは玄太も同じだったのかもしれない。今になってわかる宗平だった。

 玄太は宗平のこともそうだったが、創業時のメンバーを大切にしていた。だが、それが業績悪化の要因にもなっていたのも事実だった。上場する前なら玄太のやり方も許されたし、その社風で社員の士気も上がっていた。しかし、上場したことで何もかもが変わった。それまでのやり方は通用しなくなっていた。上場したことが失敗だったとは言わない玄太だったし、宗平もそう思っている。


「楽しかったよな」

「えっ、ああ、楽しかった」

「経営者なんて経験できて、上場までしたのだからな」

 玄太の声は本当に嬉しそうだった。

「その家はおまえの名義に変えるから、それを受け取ってくれ。退職金は規定通りにしか渡せないから」

 お金の話になり現実に引き戻される宗平だった。

「そんな、いいよ」

「その家は俺の名義にしてあったから。上場前に変えておいてよかったよ。会社名義だと面倒だったかもしれないからなあ」

「でも、俺が貰うわけには・・・」

「俺にはもう必要ないし、誰かに買ってもらうっていってもなあ」

「そうだな。売れないな」

「そうだろう。だから、厄介な話かもしれないが、受け取ってくれよ」

「そうか。わかった。ありがたく受け取るよ」


 その日の夜、宗平は聡子に会社を辞めることになったと伝えた。

「あら、そう。今迄、お疲れさまでした」

「これからのお金の話だけれど・・・」

 宗平は口ごもってしまった。聡子からの返事が怖い。大黒柱の働きがなくなって、まだ、学校に通う子どもたちがいて、どうするべきかプランもない自分は責められても仕方がないと覚悟をしていた。

「何とかなるわよ」

「えっ、そうなのか?」

「ええ、山が売れて少しはお金が入ったし、育てている野菜たちも収益を出すようにもなっているし、もう、あなたの給料がなくても何とかなるのよ」

「そうか」

 ホッとしたような、がっかりしたような、複雑な思いが交差していた。十五年前は売る価値もなく持て余していた山が売れたという。太陽光発電の会社からの申し出だったそうで、時代が変わっていることに改めて気付かされる宗平だった。


 東京に出て働いている時には、付き合いだと称してのかなりの飲食代がかかっていた。経費で落とすこともあったが、自腹を切ることも増えていた。そんな振る舞いが楽しかった。今思うとただの優越感であったにすぎず、意味などなにもないことに気が付く。玄太と通った銀座のクラブもシンガポール旅行も不似合いな二人が精いっぱい背伸びをしてお金持ちになったことを他者にひけらかしていただけであったと、虚しさが押し寄せてくるのであった。


 聡子に銀座のクラブやシンガポール旅行の話をした時、鼻で笑われたことがあった。それ以来それらの話はしないようになった。聡子から言わせれば、「私には関係のない世界ね」ということだった。そんな聡子を田舎者の世間知らずだと心の中で笑っていた自分がいた。だが、今の宗平には聡子の言葉が理解できた。宗平自身、銀座のクラブで浮かれ、シンガポールのカジノで悦に入っていた自分がみじめにさえ思えてくる。

 何のために働いていたのか、自分は何がしたかったのか、どうなりたかったのか、わからなくなっていた。

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