第7話 二つの生活①

 茉優が栃木にやってきて二週間が過ぎた。最初の数日は針の筵の上に立っているような感覚があったのだが、時間の経過とともに、二つの家との行き来にも慣れ、心の負担は軽くなっている宗平だった。


 その日、宗平は運転免許証の更新のため、朝から外出をしていた。警察署は家から車で二十分走らせたところにあった。全ての手続きを済ませ、宗平は車に乗り込んだ。家族の買い物以外で街中に出ることがなかった宗平は、珍しく自分の買い物をしようと、ジーンズショップやスポーツ専門店などに立ち寄った。数年前に出店してきたスポーツ専門店に入ると、思っていたよりも手ごろな値段のスポーツウエアやシューズがあり、何だか心がワクワクしてくる。東京で働くようになるまで続けていたテニスのコーナーに足を運ぶと、買う目的もないのに真剣に物色している自分がいて、思わず苦笑いをしていた。思えばテニスや最近話題のキャンプやバーベキューですら全く縁遠くなっている。すぐ近くにはテニスコートもあればキャンプ場もあり、庭でバーベキューすることもできたはずだった。それらに背を向けてきたのは全て仕事を言い訳にしてのことだった。東京のオフィスで働き、何時間もパソコンとにらめっこしている自分に満足をしている自分がいた。仕事漬けの毎日が充実していて誇らしいと、胸を張ってもいた。だが今はそんな自分の姿が滑稽でみじめだと思う。過ぎ去った月日は輝かしくもなければ美しくもない。年齢ばかりを重ねてきてしまった。自分はいったい何者なのだろうかと、天井の高い人の気配もまばらな店内で途方に暮れる宗平だった。


 昼十二時少し前に家に着いた。何だか庭が騒がしかった。庭では聡子がバーベキューの用意をしている。材料を持って動き回る七海の姿もそこにはあった。そして、自宅の玄関から出てきたのは海斗だった。宗平の母が海斗を抱き上げる。すっかり慣れた様子だった。その後からエプロンを付けた茉優が出てきて聡子の手伝いを始める。宗平は驚きを通り越すとはこういうことかと初めて経験するのであった。


「おかえりなさい」

 母の言葉に頷く。

「ちょうどよかった。今から焼くからビールでも飲んで待っていてね」

「ああ」

 聡子の言葉に何とか返事を返した。海斗は母親の茉優から離れて、聡子や七海とも、もともと家族だったような溶け込み方をしていた。宗平は目の前で展開しているほのぼのとアットホームな光景が何だか自分とは別世界の出来事のように感じられるのであった。


 早々に一人切り上げた宗平は仕事部屋に入った。携帯電話に玄太からの着信があったので、急いでかけるとツーコールで声が聞こえた。

「そっちはどうだ?」

「いやあ、ちょっと参っている」

 宗平は正直に気持ちを打ち明けた。この話をできるのは玄太しかいない。

「そうか。今時間ある?」

「ああ、家族は外でバーベキューを楽しんでいる」

「家族?」

「ああ、茉優と海斗が我が家の庭で俺の家族と一緒にいる」

「おお、そうか。楽しそうだな」

「おい、からかわないでくれ。何が何だかわからなくなっているのだから」

「でも、みんな仲良くやっているのだろう」

「そうだな。まだ、真実を知らないから」

「真実か・・・」

「で、何の話だ?」

「会社を売ろうと思っている」

「急だな」

「俺にとってはそうでもないよ。上場して五年、俺ももう限界だから」

「そうか。じゃあ、俺も辞めるよ」

 自分でも意外なくらいあっさりと宗平は言っていた。

「そうくると思ったよ」

「最近、今まで仕事を頑張ってきたことが滑稽に感じられてさ。俺ももういいかなって・・・」


 宗平は玄太がそう言い出すのを待っていたことにやっと気が付いた。自分から言い出せなかったのは遠慮からなのか、いや違う。そうやっていつも誰かが言い出すのを待っていただけなのかもしれない。電話を切って目を閉じると抗えない眠りに引き込まれていった。

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