第4話 秘密の家族①
緊急事態宣言が解除されても東京に行くことは憚れた。もうすでに二か月以上、宗平は栃木から出ていなかった。宗平の栃木での主な役割は買い出しに行くことくらいしかなかった。繁忙期以外では農作業も家のことも聡子が宗平の母と二人でこなしている。今更割り込む余地はなかったのだ。今日もお昼を食べるとメモを渡され買い物に出た。
ショッピングモールの広い駐車場に車を止める。それほど混んでいない駐車場に慣れてしまっていることに気が付き、ハッとする。いつまでもこういった状態が続かないことはわかっている。だが、嫌なことや不便なことは続いて欲しくはないが、人混みが苦手な宗平としては、混雑していない駐車場や店内については、このままであって欲しいと、勝手ながら思ってしまうのだった。仕事についても東京に行かないことが当たり前になっている。東京に行かない生活に馴染んでしまっていることに、我ながら笑ってしまうのであった。
買い物をしてきた荷物を玄関に置いていると、次女の七海が近づいてきた。高校二年生になった七海は、リモートでの授業の方が性に合うようで、以前より明るくなった気がする。
「お父さん、仕事部屋にお客さんが来ているみたいだよ」
「お客さん?」
「お母さんが鍵を開けに行った」
「そうか。ありがとう」
宗平の鼓動は早鐘のように鳴り響いていた。誰が来たのか察しがついている。もつれる足を落ち着かせながら仕事部屋に急いだ。
「よかった。宗平さん、お客様よ」
聡子が宗平に声をかける。普段から聡子は宗平のことをそう呼んでいた。
「あああ」
宗平の顔は引き攣っていた。
「よかった。間違ったかと思った」
白とブルーのストライプ柄のシャツワンピースを着た茉優が二歳になる息子の海斗と一緒に仕事部屋の玄関前に立っていた。
「じゃあ、後はよろしくね。私、これから婦人会なのよ」
聡子が忙しそうに立ち去った。何も不審がらない方がおかしな状況であるのだが、まずは胸を撫でおろす宗平だった。
「どうして、ここに」
「だって、海斗が寂しがるし、あなただって私がいないと困るでしょう」
茉優の笑顔を恐ろしく感じたのは初めてのことだった。
茉優とは四年前に知り合った。玄太の家で開かれたホームパーティーで紹介され、茉優からの猛烈なアプローチで交際が始まった。
「こいつは独身だから」
玄太は宗平をそう紹介していた。交際が始まっても宗平は既婚者であることを言えずに今まできていた。
茉優はアパレル会社を経営していて、宗平より収入があることは明らかだった。茉優の普通のOLでは到底住めないような豪華なマンションに宗平が通い、大人の関係を続けていた。そして二年前、茉優は子どもを授かったと宗平に告げた。
「子ども?」
宗平は最初何の話をされたのか全く理解できなかった。
「そう、私、子どもを産むから」
「えっ、じゃあ・・・」
狼狽えるばかりの宗平だった。
「結婚はしないから。付き合いもこれまで通りよ。認知も必要ないし」
「えっ、俺はどうすれば・・・」
「そうねえ。パパって呼ばせてくれるだけでいいわ」
「でも・・・」
「ごめんなさい。妊娠は私が計画的にしたことなの。私の希望だから。もし、そういうのが理解できないのであれば、もう、お別れしましょう」
茉優の決意は本物だった。宗平の戸惑いは置いてけぼりをくらい、時間ばかりが過ぎていったのだが、産まれた子どもは男の子で宗平はその戸惑いを忘れることになる。東京で息子と会うのが楽しみになり、息子の海斗も宗平には懐いてくれていた。
母親である茉優の背に隠れるようにして、半分だけ顔を出した海斗が恐る恐る宗平を見ていた。
「海斗」
宗平は優しく呼びかけ、海斗を抱き上げた。
「パパ」
少しずつ海斗に認識され、宗平は心から嬉しかった。しかし、それは一瞬で現実に引き戻されることとなる。
「私たち、ここで暮らすことにしたから」
茉優はすっかり自分の家のように宗平の仕事部屋に入っていく。
「ちょっと待ってよ・・・」
「わかっているわ。二週間は誰にも会わずにここで大人しくしているから。こうやって東京から地方に出てくる人は非難されてしまうからね」
とにかく、二週間は何事もないらしいことを理解し、宗平は少しだけ安心したのだった。
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