Seg 60 ハルのおとずれ -04-

囃子詞はやしことば旋律せんりつ……!?」


 アスカが転がるように少年からげる。


「な、何スか! え!?」

「いやぼくも意味わっかんないよ!」


 二人ふたりあわてふためくそばで、ユウは無意識にチョーカーを錫杖しゃくじょうへと変化させる。


「イヤだ……イヤだ……この声、こわい……」

 呪文じゅもんのように唱え続ける。


 ふるえの止まらない手は、錫杖しゃくじょうすがる。中央にまれた護石は、無数の亀裂きれつで今にもくずちそうだ。

 ユウには、先日のヒツジのアラミタマより、サルのアラミタマよりも目の前の少年の方が、数倍強くあやしく見える。


「ぐるぉぁああああ!」


 獲物えものを見つけた少年がベッドから跳躍ちょうやくする。

 頭をかかせたアスカと吉之丸よしのまるえ、定めたねらいはユウ。


「助けて……兄ちゃ……」

 しかしんでも兄が来るはずはなく。


 少年が無いうでり上げると、包帯が内側から破裂はれつし、真っ黒なきりあふる。

 刹那せつな巨大きょだいうでとなりきょうそうするどくユウめがけてろされた。


 黒くとがった何かがユウの視界しかい突如とつじょ現れる。

 近くにいるはずの、アスカと吉之丸よしのまるの声がやけに遠く聞こえた。


 ろされる少年のうでがゆるゆると動く。


 不思議と、ユウの周りすべてがゆっくりと流れていた。


 ユウの命を一瞬いっしゅんうばい去るつめだ。

 あと数センチでユウにつめとどく。


 パァン


 あまりにも軽くんだ音をたてて、まもりの石がぜた。


 視界しかいすべての動きが、スローモーションからコマ送りに変わる。


 その間が刹那せつなと気づく前に、ユウの視界しかいは暗転した。


 ◆ ◆ ◆


 辺りは真っ暗であった。


 純粋じゅんすいな黒ではなく、すべてをんだような、黒。


 遠く、波の音が聞こえる。

 黒い空の彼方かなたかねそそぐ。





――解き放て……





 刹那せつなと永遠を織り交ぜて、やさしくひびすずの声。


――妖魅呼よみこよ、妖魅呼よみこ

  あやしきを魅了みりょうぶ者よ……


 ユウの知らない追憶ついおくの中で、だれかの声がひびいた。


――力を得よ、真実を得よ、形を得よ


――アヤカシに魅入みいられしモノよ

  の身をささげよ、かの地へさそ





 次の瞬間しゅんかんには、もとの部屋へやにいた。


 少年のつめくういてゆかつ。

 ねらったつもりだったが、なぜかかすりもしなかった。


「ぐぅうう!」


 くやしそうにゆかを見つめる。すぐそばにユウが立っていた。


 少年を見下ろす表情は、おびえなど微塵みじんもなくなっていた。

 はらりと毛先が少し切れ落ちるのを見て、少々さびしげに口をつぐむユウ。


 ゆかんだつめを、ギチギチと乱暴らんぼういた少年は、

「オマエ……わせろっ!」

 れた声をしぼす。


 顔中に包帯をいた隙間すきまから、獲物えものがすまいと光らせるひとみは、あかまっていた。


 再びおそい来るうでを、今度は錫杖しゃくじょうはらいのけるユウ。

 黒いきりうでは、はがねとなっているのか、ユウの錫杖しゃくじょうと交わりにぶい金属音がひびく。


「ボクが『妖魅呼よみこ』だから食う……?」


 少年は答えず、攻撃こうげきす。

 ユウはすべてを微動びどうだにせず、だまって錫杖しゃくじょうで受け流す。


 アスカと吉之丸よしのまるは、唖然あぜんとしてただただ戦いを見つめていた。


「ささげよって……ボクを……?」


 ユウがまどをチラリと見、たちまち目を見開く。


 そこに何を見たのか。

 突如とつじょり、乱暴らんぼうに開け放って外へと飛び出した。


 アスカはハッとする。

吉之丸よしのまる君! 緇井くろいさんとミサギ君をんで! 早く!」

 言うと同時に、ユウの後を追う。



 後先考えずにいたかれは、人生で二度目の地獄じごくを経験するなど、予想だにしなかった。



 目の前にはユウの小さながあった。さらに向こうに広がる光景は、もはやアヤカシとしか言いようがなかった。


 空をくす、地をい、うごめく。建物のかべにもまどにも大も小も、すべてのアヤカシが集結したと言って過言ではない。


 ゾッとしたのは、街行く人々がアヤカシを認識にんしきできていない事だ。

 ぐ側を歩く会社員も、散歩をする老婆ろうばだれかれもがアヤカシをとおけていく。


「ヒッヒ……最悪の状況じょうきょう……見えないとかさわれないってコッワ!」

 アスカはあせぬぐった。


 今や、街全体をユウの妖魅呼よみことしてのわざわいが世界をくらげていた。


「ひぃぃいいい! なんなんスかこのアヤカシ軍団はああ!」

「こ、れは……」

 吉之丸よしのまるがこの世の終わりだと悲鳴を上げ、緇井くろいは息をむ。



 道行く人々は、何もない空を見上げさけ吉之丸よしのまるたちを不審ふしんな目で見つつ、通り過ぎる。

 中には、何が見えるかつられて空をあおぐ者もいたが、ただくもった空が広がっていた。


「ミサギ君以来の地獄じごくだね……いや、あの時よりひどい状態だよ」

 笑いしか出ないよと、アスカは苦虫をつぶす。


「ねえ、ミサギ君?」

 足音にかえると、かれはすでにユウへとけていた。


「ユウ君!」


 クラクション鳴りひびく道路のど真ん中で、ユウと少年が対峙たいじしていた。

 ある車は二人ふたりけていき、ある車は罵倒ばとうを投げつける。

 けることのできずにいる下手へたな運転手もおり、大渋滞だいじゅうたいを起こしていた。


「……ミサギさん、ボク『ささげよ』って、言われた」


 小さな背中せなかは力無くつぶやく。

 声は周りの騒音そうおんで聞きづらいはずなのに、ミサギへとはっきりとどく。


「君にも聞こえたんだね……声が」

「食わせろってアイツが言った……」


 声がふるえ、鼻を何度もすするユウ。


妖魅呼よみこのことがわからないのは、みんな食われたから?」


 ミサギは否定ひていしなかった。

 生まれてから今日きょうまで、自分とユウ以外の妖魅呼よみこには会ったことがない。

 肯定こうていはしないが、否定ひていすることもできなかった。


「……ボクは、アヤカシに食われなきゃいけないの?」


「君は食べられたいわけ?」

 質問に、質問が返ってきた。


「だって、頭の中でずっと言うんだ! ボクの気持ちに関係なくずっと……」

「君の気持ちは、何て言っているのかな?」


「え?」

 ミサギの黒霞くろがすみまるひとみは、不安げに見つめ返すユウをうつしている。


ぼくだって妖魅呼よみこだよ。けど、生きているだろ?」


 かれの声は淡々たんたんとしていた。

 自分だけが苦しいと思っているのか、と言いたげだ。


「ミサギさんは、アヤカシに自分自身をささげろって言われなかったの?」


「言われてるさ、やかましいくらいにね」

 億劫おっくうだよ、とかたをすくめる。

「気をいたらいつでも頭にひびいてくる」

 でも……と、ミサギはうでを組み仁王立におうだちで、


「そんなのゴメンだね」


 いつものミサギらしく、不敵なみで言い切った。


「……ははっ」

 ユウの薄菫うすすみれまったひとみうるむ。ふるえる口は、力無く笑っていた。


「君はどうかな、ユウ君?」


 問われ、しばらくだまむが、やがて目を強くじた。

「……ボクだって」


 小さな声は、もうふるえていない。


「食われてなんかやるもんか!」

 開いたひとみは、あおかがやいていた。


 ◆ ◆ ◆

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