Seg 03 魔の途を知る者 -02-

 先ほどまでの罵倒も性格の悪さも忘れ、彼女の容姿と動作に、ユウの瞳の中で星が瞬いた。

 心なしか、彼女が眩く見える。

「こ、こちらこそ、どうぞよろしくお願い……しま……?」


 頭を下げている途中で、あることに気づいた。

 思考能力が、挨拶をおぼつかなくさせる。


「……って、え?」


 彼女の口から出た、『ヒスイから聞いた』という言葉。

 ヒスイはユウの兄の名だ。


 そして、彼女が自己紹介で言った『東条ミサギ』という名前にも覚えがある。


 兄から教えてもらった人物の名前と一緒だ。


 確か記憶では、兄はその人物が男性だと言っていたはずだが。


「東条さん……て、男の人……?」

「うん? そうだけど?」


 目の前にいるのは、どこから見ても女性にしか見えないのだが――。


 チクタクと、どこかで時計の秒針が時を刻む。

 しばらく、沈黙した間が秒針の音とともに過ぎていく。


 ハッと目を見開いた瞬間、ユウの脳裏でひらめきの豆電球が光る。


「女装がご趣味ですかっ!?」


「……ラ フェルム」


 ユウの驚愕した叫びに、東条が聞いたことのない不思議な言葉を発した。

 直後、ユウの上下の唇はファスナーのように閉じ、カッチリとくっつく。

 喉から声は出るが、肝心の口が開かないために、言葉にならない。

 そこへ東条がユウの口を抑えるように、両の頬を片手でむんずと掴んだ。

 彼の表情は、明らかな怒りを携えつつも、笑顔で抑えようとしているのが分かる。それは言葉にも込められていた。


「だぁれが、何の趣味だって?」


「むぅ、むむいもむ!」

「僕は、自分が女だとも言った覚えはないし、女装も趣味じゃないからね」

 ユウは開かない口でモゴモゴ叫びながら、懸命に首を縦に振った。


「わかったら返事は?」

「むいっ!」


 軍人が行う敬礼をして、ユウはようやく解放された。口を閉じられただけなのに、呼吸までできなかった気分で、ユウの口は酸素を吸い込もうと必死に大きく開いていた。


 何度目かの深呼吸をして、ようやく落ち着いたところで、ユウは東条に向き直る。

「あなたが東条さん……ということは、兄ちゃんが言っていた、アカツキの――」

 続きの言葉は、凍りついて出てこなかった。


 ミサギの顔が、喜怒哀楽どの表情も貼りつけず見下ろしてくる。

 周りの空気が、一気に十度は下がったように冷えわたる。



「ユウ君」



「は、ひゃい!」


 ユウの背中がぞくりとして、おかしな声が出た。

 またやってしまったか、と青褪める。

 眼前には、いつの間に近づいたのか、東条の顔が、鼻先で触れるほどの距離にあった。


「ひっ……!?」

 温かく、細い指先が、ユウの頬を伝う。


「それはヒスイだけが使っていい呼び名だ。彼は親友だからね。

 ……けれどね、兄弟だからといって、君が使っていいという道理はこれっぽっちもないよ」


 黒い瞳が、恐怖以外の思考を凍らせてくる。

 見つめているだけなのに、ユウの全ての感覚は、どんどん恐怖に覆われていった。

 手も、足も、腹部の痛みも感じなくなり、目の前も朧げにかすんでいく。

 なのに、恐ろしいという感情だけは鮮明に溢れ出て、身体が、歯が、勝手に震えた。


 遠くから、わずかに声が聞こえる。


「――聞いているかい、ユウ君?」

「は……はいっ!」


 突然、耳元からハッキリとした声が聞こえ、ユウは跳び上がった。ケガの痛みも正気を取り戻したようで、全身の骨が軋む音をたて、再度うずくまる羽目となった。


「うん、よし」


 何が『よし』なのか。

 先ほどまでの恐怖はどこへやら。

 東条は無邪気な笑顔で部屋の扉を開けた。


「それじゃあ、さっさと出て行ってくれるかな?」


「え?」


「僕は君の面倒なんか見る気はないし、ヒスイにも、いつもの調子で追い返されたって言えば納得するから」

 にこやかに冷たく突き放す。


「短い間だったけど、気をつけて帰ってね。あ、アヤカシとやりあうなら、もっとどこか人のいないところでやるようにね」

「あ、あの! 街の人たちは? 災害級だったって、ケガした人とかは――?」

「そんなの、出て行く君には関係ないだろ?」

「ボクと一緒にいた女の子は大丈夫でしたか? 道を訊ねたときに、アヤカシに襲われたんで、一緒に逃げたんですけど……」


 東条は一旦黙る。一呼吸おいて再びユウへと歩み寄っていく。

「……君さ、それ訊いてどうするの? 謝りにでも行くわけ?」

 彼の表情から笑みは消えていた。威圧するように黒い瞳が見下ろす。


「たとえば、君が今回の災害の元凶だと出ていって、謝罪したとして、君に事の責任すべてを背負えるの?」

 訊ねてくる冷ややかな声は、ユウの気持ちを頭から踏んでいた。


「君ができることなんて何もないよ。街の修繕は業者がするし、怪我した人は病院に行く。かかる費用は保険で賄う。そこに君の入る余地は? 何の役にも立たないよね?」


「そ、れは……」

「ないよね。だったら、このまま誰にも何も言わず、この街を出て行きなよ。二度とこんなことにならないようにさ」


 にべもない言い方だった。

 たかが子供、迷惑をかけたと街の人々全員に謝ったとして、到底負える責任ではない。他になにができるだろうか。確かに彼の言う通りだ。解決策など、考えつくはずもない。

 ユウの言葉は途切れ、俯いてしまった。


 罪悪感以上に重い無力感がのしかかり、ギュッと締めていた握りこぶしの力も抜ける。


「でも――」


 言いかけた時。


「ちょっとぉ! 子供をいぢめないでよ!」

 高い女の子の声が天井から降ってきた。


 ユウが顔を力なく上げると、光の粒子が無数に浮かんでいた。

 光がサイコロの形となって集まり、下部から映像が出力されるのは、立体映像特有の現象だ。


 金髪の少女が、東条の前に立ちはだかるようにして現れた。


「あ……お天気AIの」

「あら! 私の事知ってるのね、嬉しい!」

 少女は、ユウにとびきりの笑顔を見せた。


「お天気AI、兼魔法士補助のクテンよ。よろしくね」

「ぼ、ボクは春日ユウです。よろしくお願いします」

「ユウ君ね。大丈夫だった? 東条さんの『いぢめ』って、社会的に抹殺されたり、人格破壊されたり、自殺者まで出てるから物騒なのよ。何か言われたら、すぐに私を呼んでね」

「は……はい」

 クテンと呼ばれた少女は、人差し指をピッと立てて星をかわいく表示する。

 とんでもない事をさらりと言われたのだが、彼の態度に納得したユウは大人しく返事をした。


 鬱陶しそうに見ていた東条が言う。

「別にいじめていない。それよりクテン、勝手に屋敷内を歩き回るなと言っただろ」


 クテンは彼の言葉に対し、得意げな表情をする。仁王立ちでチッチッチッと口を鳴らして人差し指を振った。

「おあいにく様。木戸さんの作った空間は、あなたからいただいた魔力と私の分析能力を使って解析済みです。だから、もう迷わないわ。そんな事より!」


 彼女は、ユウを庇うように抱きしめる。

 立体映像だから接触はできず、仕草だけなのだが、彼女自身が温かく感じて、ユウは少し安堵するように息を一つ、吐いた。


「まだ小さな子供に、役に立たないとか言いすぎですしヒドいです!」

「君も見た目は子供だろ」

 売り言葉に買い言葉。クテンは大人びて見えるよう腕を組み、胸の大きさをアピールした。


「しっつれいですねぇ! 私は! 立派な! 永遠の! 十七歳です!」


「設定年齢は、だろ。二十歳の僕から見れば、稼働してたった数年の君はまさに子供だね。さらに言えば、木戸はにじゅ――」

「もぉお! 性悪ぅ!」


 単語一つ一つを強調したが、東条には効かなかった。

 クテンは、まだ何か言い返そうとしたが、自分たちの言い合いをキョトンと見ているユウに気づき、ハッと我に返る。


「言い合ってる場合じゃないですって! 東条さん、護り石をはやくこの子へ渡してあげてください!」


「まもりいし?」

 ユウは、初めて聞く言葉に思わずオウム返しで訊ねた。

 クテンがユウににっこり微笑み返すと、彼女は自分の首元をチョンチョンと指した。

「?」

 つられて、ユウが自分の首元に手をやると、十字架のチョーカーがあった。


「それ、アヤカシ除けの石が埋め込まれているのよ」

 ピシ……と、小さく割れる音がした。慌ててユウが十字架を取ってみると、中央に小石がはめ込まれていた。灰色の何の変哲もないそれには、ひびが入っていた。


「あ……」

 彼女が、ユウの手に自身の手をそっと添える。小石は、みるみる砂となって、やがて空気に溶けるように消えていった。


「お役目を果たしたのよ。君のお兄様は、きっとすごく心配で護り石をつけてくれていたのね」


 優しい声に、兄の気持ちが重なった気がして、ユウはぎゅっとチョーカーを握りしめる。


 ユウが物心つく頃には、既にアヤカシの魔の手からずっと守ってくれていた兄。

 夜通し、アヤカシを退け続けることも多々あった。

 自分自身で身を守れるようになりたいと、一人で東条ミサギのもとへ行くと言いだした時も、何も言わず送り出してくれた。


 今になって、感謝の気持ちがどんどん溢れてくる。

「兄ちゃん……」


 クテンが再度、ユウを優しく抱きつつむ。


 しばらく、ゆるゆると時間が流れたが、時計の針を冷たく進めるように、東条が「やれやれ」と溜め息をつく。

 温かい空気を壊すように突き刺してきた。


「その様子だと、君は自分がどういう立場の人間か、理解できていないようだね」

「え?」


「東条さん、言い方」

 非難の目でクテンが咎める。しかし、東条はお構いなしに言い進めた。

「無防備すぎるんだよ。君みたいな『妖魅呼よみこ』が街中を歩くなんて。今回の災害がヒヨコの散歩に思えてきた」

「よみ……こ?」


 東条は、こめかみに手を当てる。心底呆れたと言わんばかりだ。

「君さあ、自分がアヤカシを呼び寄せる体質だって自覚はあるんだろう? どうしてロクな対策もせずに、真昼間から堂々と歩いてたんだい? 気は確かか?」


「え……だって、昼間っからアヤカシが出るなんて初めてで――」

「理由になってない」

 しどろもどろとするユウに、東条は言葉を遮って、ぴしゃりと言う。


「アヤカシは昼夜問わずに出てくるよ。なに? お化けみたいな存在は、出てくるのは夜だけですって考え?」

 ユウの行動を、軽率だと暗に言っているのだ。含みのある言い方は、バカにしているようでもあった。


「……知らなかった」

「今も昔も、無知は罪なりだよ。おまけに言えば、知ってて行動しないのも阿呆だ。やるなら、知識と行動の両方をやりなよ」


「だから東条さん、もうちょっと優しく――」

 クテンが言いかけるも、東条は片手を上げて制する。


「今回、人的被害はほとんどゼロだ。どうしてだと思う?」

「?」


 ミサギが彼女を見る。

「今、君を庇っているクテンが、ビルからの落下物をすべて防いだからだ。僕が分けた魔力と知識を、『人間を護る』というAIの規約行動に使ったんだ」


「私はAIとしての役目を果たしただけよ。ユウ君は気にする事じゃないわ」


「…………はい」

 厳しい口調と庇う声に、ユウは恥ずかしそうに俯く。


 自身の無知と軽はずみな行動が、今回の災害を引き起こしたと、ようやく実感した。下を向くユウに、とどめとばかりに東条の言葉は突き刺してきた。


「ヒスイから何も注意されなかったのかい? こんな何も知らない状態で、周りに気も配ることもせず、勝手奔放にしてて、よく今まで生きてこれたね。今まで、いったい何をしていたの?」

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