Seg 01 蒼い髪たなびく空に

「だーもうっ! アヤカシつよウザいっ!」

 後ろを振り返り、ユウはやけっぱち気味に叫んだ。

 せっかくフードを被って目立たないようにしていたのに、アヤカシから逃げる途中で、風に煽られ、容姿があらわになる。


 とあるAIロボットが記録した、蒼い一閃の正体であった。


 年のころは十二、三歳ほど。

 海のように深い瑠璃色の髪。透き通った、それでいて芯の強さを誇示する薄菫色の瞳。細く白い華奢な四肢は、身にまとった漆黒の衣装によって一層引き立っている。


 長いまつげのせいか、耳も隠れる長めのショートヘアのせいか。少年にしては可愛らしく見える。


 その本性は、もしかすると人間ではないのかもしれない。


 傍目では性別の判断がつかない子供は、窓と窓の隙間にあるわずかな枠組みを蹴って、ビルからビルへとジャンプしている。

 しかも、人を抱えていた。

 時折吹き込むビル風を利用し、都心へ移動しながら、深い谷間を縫うようにどんどん上昇していく。

 ユウ自身は平然とやってのけているが、人間業とは到底思えない。


 ユウが腕に抱いているのは、気を失った少女。

 少しばかり、ユウより体躯の大きそうなショートカットの少女だ。

 ユウは、振り落としてしまわないよう肩に乗せ直し、しっかと抱きしめるように腕を回す。


「てゆーか、こんなでっっっかいヤツがいるとか聞いてないっ! 都会怖い! 怖すぎっ!」

 恐怖を叫びつつも、「アヤカシ」なるものの対処法は心得ているらしい。


 地上にいる人々に被害がいかないように、とにかく上へ上へと向かう。


 ビルの頂上が見えてきたところで、ユウが思いっきり踏み込む。窓枠がベキリッとひしゃげ、高く跳躍した先でようやく高層ビルの屋上に到達する。

 体力、俊敏さ、脚力、そして行動内容。全てが常人のしている事から、かけ離れていた。


 ユウの立っている場所は、およそ七十階はあるだろうか。

 周りを遮るものはなく、眼下には針のように突き出た建物が森となり谷となり、縫い糸のようにレールウェイのパイプがうねっている。


 ユウは、辺りをキョロキョロと見渡す。

 右も左も、ビル、ビル、ビル、ビル……。皮肉にも、ビジネス環境と自然の共存で区画整理されつくした街は、ユウを簡単に迷子にさせた。

「何だこの都会の迷路……ここどこ?」


 騒動の始まりは、ユウが通りすがりの少女に道を訊ねた時だった。


 アヤカシに気配が見つからないように、兄からもらった十字架のチョーカーを握りしめ、フードで髪を隠していたのだが、そんなユウの姿が、少女には不審人物に見えたのだろう。

 少女は、フードの中を覗き込もうとしたが、ユウが目深にして顔を隠したため、怪しい……と不信感をつのらせた。

 道なら警察で訊ねればいいと、少女がぐいっとユウの腕を引っ張って歩き出した。

 明らかに不審者だと思われてたユウは、慌てて逃げたのだが、それがいけなかった。


 アヤカシには見つかり、少女はアヤカシの強い威圧に気を失ってしまった。

 その場から、ユウだけが離れれば済む話なのに、倒れた少女を放っておけないという気持ちが、現在の状況へと繋がってしまったのだ。


 都会の迷子と化したユウは、ポケットに入れていたスマホを取り出す。マップは方角も地名もしっかりと表示されている。ナビゲーションでも「どこへ行きたいですか?」と親切にも行き先を訊ねてくれている。


 それらを見て、ユウはあることを思い出す。

「あっ! 兄ちゃんからもらったメモ……!」

 ユウはメモアプリを起動する。目的地へ行くのに困ったとき開くように、と兄から言われ、初めてその内容を見る。


 アプリのデータには、手書きで目的地が書かれている。

 縦棒が二本、横棒が三本ほど引いてあり、目的の場所であろうところに赤い矢印が書かれている。


『この場所だ。ユウ、グッドラック!』


 綺麗な手書き文字が応援していた。


「……兄ちゃんの……バカヤロー!」

 応援されたユウの、涙ぐんだ叫びが、虚しく空へと吸い込まれる。


 直後、ユウの後方で、禍々しい咆哮が轟いた。


「げっ……! アヤカシもう来た!」


 人々には見えず聞こえず。

 しかし振り向いたユウの目には確かに存在しており、狙いを定める声が追いかけてきていた。


 姿は、ニワトリに長い尾がついたもの、といえば想像できようか。

 さらに、ヘリコプターほどの大きさにした、といえば、その異常さは伝わるだろうか。


 真っ黒な巨鳥のバケモノを、ユウは『アヤカシ』と呼んだ。

 図体が大きければ羽も大きい。

 そんな化け物がこちらに向かって飛んでくる。広げた翼が、ビルの木々を横一文字に切り倒すように破壊していく。


 地上では、突然の事に逃げ惑う人々が悲鳴をあげている。


「ちょっ、やめろ!」

 アヤカシに理性があれば、ユウの叫び声にも反応したかもしれない。だが残念ながら、叫び虚しくアヤカシはさらに破壊を繰り返した。


 揺れ動く長い尾でビルを叩き、鉄骨まじりのコンクリート片が爆散する。

 ユウのいる方向へも、背丈ほどある破片が飛んできた。

「っ!」


 どぉん


 空気が重く響き渡る。

 ビルの一部だった塊は、空気の震えと同時に粉と散っていった。


 その向こう側には、片足を上げた体勢のユウ。

 表情は、明らかな怒りでいっぱいになっていた。


 抱きかかえていた少女は、ビルの建具を壁にして、隠すように避難させていた。


「いい加減にしろよ……! 何もしてないのにお前らアヤカシは喰おうとするし! 逃げりゃ街をぶっ壊すし! 弁償できんのかっ!」


 馬の耳に念仏、アヤカシに説教。


 効果がないのはわかりきっているのだが、そんな事はお構いなしに、ユウはチョーカーにつけた十字架をぶちっと取り外す。

 腕を振り下ろしたとき、それは一瞬で錫杖へと変化した。

 ユウの殺気を感じて、アヤカシは羽を激しく動かし、鋼鉄が如く硬い羽根を飛ばしてきた。


 無数の巨大な羽根の矢にも、ユウは動かなかった。

 幾枚かは、ユウの腕と脚に刺さる。

 そして腹部にも羽根が突かれ、勢いで少しバランスを崩すものの、ユウの表情に変わりはなかった。


 怒りで痛みを感じていないようだ。

 羽が突き立つ手足から、どくどくと血が溢れ流れる。

 それでも動かず、標的と定めたアヤカシを睥睨する。



――人外は、塵にて外へ斯くあるべし



 子供らしからぬ言葉が、ユウの口から紡がれる。

 ユウの言葉に白い花びらが一枚、どこからともなくヒラリと生まれる。

 視界を横切るようにヒラヒラとゆっくり舞い、空気にとけるように儚く消えた。


 この言葉をユウが発すると現れる花びら――魔法が成功した証だ。


 再びアヤカシへと視線をやると、屋上の硬い地面に落下するところだった。全く力が入らないのか、羽根や脚を蠢かすも、身動きが取れないでいるようだ。


 ユウは、アヤカシの胴体へ狙いを定め、錫杖を力いっぱい込めて投てきする。


 ギシャァァアアアア


 アヤカシの断末魔が、ユウの耳にだけ届く。

「くぅっ……」

 鼓膜を突き抜け頭にまでつんざく高音に、顔をしかめ、思わず両手を塞いだ。


 やがて、灰と化して空気に溶けて消えゆくアヤカシの姿。残されたのは、ユウの錫杖と、その先に刺さっている赤い物体。


 丸く荒削りした宝石にも見える。

 ユウが片手でつかむが、余るほどの大きい。陽にかざすと、中が揺らめいているのが見て取れた。


「こんなのが、アヤカシだなん……て…………」


 緊張が解けたのか、力が抜け膝をつく。が、その膝すらもユウを支えきれず、手が出る前に、地面へと顔を突っ込ませてしまう。


 ぶへっ、と間抜けな声とともに、ユウの意識は遠のいていった。



 ◆ ◆ ◆



 ユウが見渡す限り、そこは暗闇だった。


 純粋な黒ではなかった。すべてを混ぜ込んだような、黒。これが闇なのだろう。


 遠く、波の音が聞こえる。

 見上げると、夜とは違った黒い空が広がり、また視線を真っ直ぐにすると、闇であったところに海が揺らめいていた。

 写すものも反射する光もない海は、ただ黒く揺蕩っている。


 ふと、彼方から鐘の音が小さく聞こえる。


 周りには、空と海。ユウもいつのまにか、海の上に立っていた。


 そして、他には何もない。


「誰かいないの!?」


 心細くなり、ユウは辺りを見回して叫んだ。

 返事はない。

 この声を聴いているのは、自分唯一人なのだと思わされる。


「誰か――」


 声が、闇に呑まれるように聞こえなくなった。

 いつの間にか、自身の腕も足も暗く見えなくなり、ただ、闇だけとなった。


 そこは、誰もいなかった――



「……なんか、白いのが見える」


 気付いて、視界に飛び込んできたのは白い壁、いや、天井であった。

 両手を上げてみる。


「うん……ちゃんとある」

 朧げな記憶に一瞬、身を震わせる。


 のっそりと起き上がってみると、かなり立派な部屋で寝ていたようだ。


「どこだ、ここ?」


 さっきまで横になっていたベッド脇には小さなテーブル。ベッドとは反対側の壁沿いには、大きな本棚と勉強机。電飾はシャンデリア……とまではいかないが、おしゃれにもシーリングファンのついた明りが灯っている。


 デザインは白で統一されシンプルだが、洗練されたものだと子供のユウでも分かった。


「えっと、確か――」


 思い出そうとすると、巨鳥のアヤカシを倒し、紅い宝石のようなものを手にして転んだところで、視界も記憶も途切れていた。


「そうだ、ボク……」


「気がついたかい?」

「え?」


 振り返ると、いつの間に入ってきたのか。サングラスをかけた黒ずくめの大男が立っていた。


「で、でかっ……!」


 ユウの遠近法が狂ったか、天井に届きそうな長身だ。

 別段、どっしりとした体格でもないのに、重量感と威圧感を全身に浴びているようだ。


 男は、ゆっくりと横へ移動し、なぜか後ろに向かってお辞儀をした。


「?」


「やあ、どこか痛むところはある?」


 大男の背後から現れたのは、小柄な女性だった。

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