蒼の魔法士

仕神けいた

Seg 00 プロローグ

 高層ビルが爆発した。


 そんな出来事が日常的に起こる世界なのかと問われれば、答えは否だ。


 ならば、争いのない平和で幸せあふれる世界であるのかと問われると、それも否だろう。

 だが、少なくともここには忙しくも平穏な日々が確かに、当たり前のように流れていた。


 人とAIロボットが共生し、近未来のビジネス都市と名高いこの地域。

 鬱蒼とビルが建ち並び、隙間の中空を透明のパイプがうねってビル同士を繋いでいる。その中では、公共レールウェイが休むことなく走る。

 地上では、あちこちに手入れの行き届いた緑の公園が設けられ、働く人々がランチを楽しんだり、はたまた託児所の子供たちが戯れる、人々の憩いの場となっていた。


 AI技術が発展し、新たに開発されたOS「CIMSシムス」に、立体映像と音声認識・再生機能とともに搭載されてからわずか数年。

 そう、十年もしないうちに、AIは飛躍的に普及し、生活の中へと浸透し、その技術を搭載した機械をそこかしこで目にするようになった。


 人間と比較しても遜色ない姿と口調で受付嬢をする二足歩行ロボットもいれば、街全体の交通機関を管理する巨大なコンピュータボックスが本体であったりと、各々の能力に特化した姿を持つAIもいた。

 二足歩行ロボットだけでも人口に含めるなら、その割合は半分近くを占めている。


 時は、少々遡った昼下がり。


 白いスーツに赤い高襟の服を着た人物が点字ブロックに沿って歩いていた。

 銀色の髪が腰までなびき、長いまつげを縁取った瞳は軽く閉じている。

 パンツスーツで機嫌よく歩く華奢な姿は、どう見ても女性である。

 白杖を持っているところを見ると、盲目のようだが、なぜか杖に仕事をさせず、ゆらゆらと揺らして弄んでいる。


 前後にも左右にも、急ぎ足で歩く人で溢れている中、鼻歌まじりでのんびりと行く美人の周囲だけは違う空気が流れていた。


 安らぎのひと時を過ごし、昼食を終えたOLやビジネスマンは、職場へと足早に戻る。

 既に、というより、休む間もなくAIロボットと共に取引先を忙しなく駆け巡る人もいた。

 で、あるにもかかわらず、彼女をひと目見たり、すれ違ったりした者は、老若男女残らず足を止める。振り返ったその顔は、頬が紅潮し恍惚とした表情になっている。中には気を失う者もいた。


 日常を破壊するのは、いつだって人間の理解を超えた存在である。


 東条ミサギは、身に沁みてそれをよく知っていた。


 自分の背後で起こった騒動に気づき、しまったと慌てて眼鏡をかけた。

 急ぎ近くのビルへと入ろうと駆け足になる。


「ん?」

 建物に入る直前、ふと、空を仰いだ。


 不穏な予感が空気に紛れてやってくるのを肌で感じたのだ。日常を破壊する、何かを。


「……いま、そちらで地鳴りがしましたね」

 スーツの内ポケットから声がした。


 入ったビルの中は、どこかの企業のエントランスホールだった。

 人目を避けて壁際へと寄る。

 東条がポケットに入れていたスマホを取り出すと、金髪をポニーテールにした少女が画面に映し出されていた。

 その顔には、幼さが残るものの、凛とした意思を瞳に宿していた。『彼女はAIだ』と言われなければ、本物の人間と間違えていただろう。


「お天気アプリの君がいうなら、そうなんだろう。クテンは優秀なAIだからね」

 東条が、絹のように滑らかな艶のある声で応えた。優しい口調であるのに、クテンと呼ばれた少女AIは不快な表情を見せる。

「確かに、どの地域の防災気象情報も私は全部検知できますけど。あなたが言うと、人格否定に聞こえますよ、東条さん」

「それは悪かった」

 毛の先ほども反省していない東条は、ビルのエントランスの中ほどで立ち止まり、サラサラとした銀髪を揺らして左右を見回す。切れ長の目を薄く開き、視線を向ける先々では、忙しく人々が歩いていた。

 漆黒の瞳は微動だにしない。しかし確実な危険を察知していた。


「アヤカシでしょうか?」

 クテンが緊張の面持ちで訊ねる。が、応えたのは東条ではなく、彼の近くにいた警備ロボットであった。

 人々に危険がないよう常にセンサーを働かせる彼らも、わずかな振動を何らかの危険だと判断したのだろう。アンテナを伸ばし辺りを見回す。その姿を見た人々は、不安を抱き始める。ざわめきと警戒が徐々に波紋となって広がっていく。ロボットは情報収集にアンテナを右往左往させ続けた。


 そして安穏とした日々は、ビルの爆発によって、突如として破壊された。


 爆発の影響で、割れたガラス窓から重い音が飛び込んでくる。人々の鼓膜を突き抜け、激しい揺れが襲い、みな地に倒れ込む。ただ一人、東条を除いて。

 不安に泣く女性、何が起こったか分からずパニックで頭を抱える者、我が身一番で助けを叫ぶ男性。

 目の前に広がる混乱を、とうの昔に光を失った瞳が冷やかに眺める。


「場所は?」

 何事もなかったかのように歩き始め、スマホに声をかける。助力を求める声が幾つも聞こえてきたが、東条の耳には、小石が転がる程度にしか感じられなかった。

 実際、この場では大した怪我人もなく、混乱も落ち着いてきてはいるのだが、東条の対応はあまりにも冷酷だった。


「おい、助けろと言ってるだろうが!」

 東条のスーツの裾を、男が掴んだ。

 小石の中でも、ひときわ大きく音を立てて転がっていたやつだ、と東条は掴まれた裾を見下ろす。小石はコロコロとその場で転がり回る。


「はやく医者でも救急車でも呼べ! 俺の足が折れてるかもしれないんだぞ!」

 なおも喚き散らす男は、力を込めて東条のスーツを引っ張った。が、びくともしない。何度引いても同じで、それどころか、東条が白杖で床をカッと強く鳴らした途端、掴んでいた裾がするりと放れ、男はそれこそ小石のように勢いよく転げた。


「石ころが、僕の邪魔をしないでくれる?」

 そういうと、東条は周りの小石を器用によけながら、正面玄関から外の様子を窺う素振りをする。


「それで、爆発の場所は?」

「すぐ隣のビルです」

 クテンは、助けもしない東条の行動に、眉根を寄せて怪訝な顔をしつつ地図を表示する。

「五十二階を中心に爆発。ビル破片の落下はこちらで食い止めたので、被害は――」

「それはいいから、魔力検知と照合を」

「……もうっ!」

 遮られて、クテンは明らかに憤慨の声を漏らした。


「魔力波長を検知、照合します」

 電子音が短く鳴り、間をおかず彼女は叫ぶ。


「照合結果、矛盾なし! アヤカシです!」


 街のあちこちに設置された定点カメラの映像が、スマホの右下に小さく表示された。だが、アヤカシと呼ばれるものの姿は見当たらず、ただ建物が爆発していく様子だけが映る。


「目に見えないってのは便利だねえ」

 東条が皮肉めいた。


「アヤカシは鳥の形状で、飛行時に羽でビルの上層階を中心に破壊しているようです。都心へ移動していると予測されます」

 東条にその映像は見えないのだが、「なるほど」と納得して美しい弓形に口の端を引く。


 と、クテンの声が途切れる。スマホの音が、というより、彼女の喉が次の言葉を詰まらせたようだ。表情が青ざめている。

「どうした? アヤカシの規模は?」

 急かす声に、

「アヤカシは一体。全長は十メートルを超えています……」

 彼女が絞り出した声は震えていた。

「あの子を追いかけてるわ……」

「あの子?」

 訊ねるが、クテンは答えなかった。


「東条さん、このアヤカシは子供を標的に追いかけています!」

「それが何か?」

「お願い助けて!」


 彼女の必死な言葉に、東条は興味なさげに「どうして僕が」と呟く。


「東条さんなら一目瞭然でしょう?」

「見えない僕に酷なことを言うね」

「冗談言ってないで! あの子、明らかに逃げてるのよ! 見えてるのよ、アヤカシが!」


 スマホ画面から凄まれても、と気の無い返事をする東条。


「普段、人でなしでなんにも興味がなくて相手を毒舌だけでどんな強い精神の人も廃人にしちゃう東条さんでも、今回だけはお願いだから助けてください!」


 散々な言われようだ。

 東条の性格は、確かに彼女の言葉通りではある。いや、時と場合によってはそれよりも酷いだろう。

 とにかく、他人に対して徹底的に興味も容赦もなかった。


「……交換条件を出さなかった事だけ評価してやる」

 東条は彼女が言う事すら興味がないのか、怒ることもなく言った。


「以前、あなたに条件を突きつけたどっかのお偉いさんが、翌日に精神病院送りになったの、知ってるんだから」

 クテンの声は恨みがましい。


「あなたの仕事はアヤカシ討伐ですよね! どちらにしろ、アヤカシを倒さないといけないんだから、子供を助ける事であなたにデメリットはないはずです!」

 スマホの画面から飛び出しそうなほどまくし立てる彼女に、東条はため息をつく。

「多分、面倒だけど結果的には子供を助けることになる。そこは心配しなくていいよ」

「結果的で充分です!」

「けどねクテン、あくまで僕は僕の仕事をするだけだ。忘れないで」

 言うと、東条はアヤカシを追いかけてビルの外へ出た。


 五十階以上あるビルの上部が吹き飛んだことで、ガラスや壁の破片は道行く人々を襲う凶刃の雨が降ったあとだった。


 何が起きたのか、なぜいきなりビルが爆発したのか、人々は理解が追いつかないままに混乱していた。

 だが、通りは惑う人々がいるものの、落下物によるけが人は一人もいなかった。


 東条が、周囲の様子を感じ取り、それから上を見る。

 オーロラのような色彩の、薄い膜のようなものが頭上数メートルのところで張り巡らされていて、ビルの破片を受け止めていた。


 クテンが、自身の能力で食い止めた破片たちだ。

「広範囲に魔力を張り巡らしました。ビルの破片落下での死傷はありませんが、私の魔力タンクはほぼ空っぽになりました」

「魔力補充の連絡でもしておけ」

「えっ!? あ、はい……」

 予想外の言葉に、クテンは間抜けな顔で返事をした。


 避難を誘導したロボットたちはというと、あちらこちらで無残に潰れていた。


 AIロボットには、危険を検知した際には、自身が傘となり盾となるプログラムが組み込まれている。だが、人間を安全な場所へと誘導する機能が実装されていたにもかかわらず、混乱した人間たちによって押し倒され踏みつけられ、残念ながら役立つことはなかった。


 自分たちを作り出した人間に壊されたロボットは、頭だけになっても、未だに合成音声を絞り出し、避難を促す。カメラを搭載した虚ろな瞳が、現状を映しブラックボックスへと記録する。


 その映像は、横一直線に破壊されていくビルから逃げるように、蒼い一閃が宙を舞ったところで途切れた。

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