第57話
「良し、其処までだ」
紬原さんの声で、俺達はその手を止めた。既に俺も紫雨も息は上がり、思わずその場に座り込む。
呼吸を整えながら辺りを見渡すと、処理を後回しにした魔物の躯が積み上がっていた。
「少々ハイペースだったが、良く耐えたな。じゃあ俺は外すから、飯を食ってしっかり寝ておけ。…そうだ、角の一角が風呂になっている。寝間着代わりの服も置いてあるから、洗濯も自分でやってくれ」
彼はそう言うと魔法で躯を焼却してから、外に出て行った。それを見届けた俺は、思い切り床に寝転がった。
「くぁー!…これでやっと一日経過かぁ」
俺は思わずそう呟く。顔を向けると、紫雨も床に横たわっていた。
半日で俺達の実力を把握したのか、後半は更にキツくなった。魔物を一体倒したと思った瞬間、次の魔物が出現するのだ。休む暇も無かった。
更には魔物自体も徐々に強い個体へと変わって行った。拘束して貰わなければ、確実にこちらが負ける程の魔物だ。
それにしても。見る限り、魔物の召喚も拘束も魔法だ。彼はそれを一人で使い続け、尚余裕を見せていた。その魔力量だけでも、相当な実力差が伺えた。
彼は「以前に同じようにして鍛えた」と言っていたが、どれだけ繰り返せばあの高みに到達出来るのだろう。自分が成長したイメージと同様に、上手く想像する事が出来なかった。
「…食事、食べないと保たないわよね…」
「うん。無理してでも食べた方が良さそうだ…」
俺達は何とか起き上がり、昼と同じ食事を手に取る。食欲は湧かないが、何とか口に押し込んで水で流し込む。お互い無言で、咀嚼音だけが部屋に響いた。
食べ終えた頃には、多少落ち着いて来た。酷使した身体は疲労を訴えているが、何とか動く事は出来る。
…さて、この状況では何の娯楽も無い。後は風呂に入って寝るしか無さそうだ。
俺は風呂だと説明された場所を覗いてみる。自宅よりも倍以上広い湯船からは、湯気が漂っている。既にお湯が張ってあるようだ。湯船を除くと、底に赤い光が見える。原理は不明だが、温度を維持する機能があるようだ。
俺は紫雨に声を掛ける。
「風呂は直ぐに入れるみたいだ。俺は後で良いから、先にどうぞ」
年頃の女性だ、俺が入った後は多分嫌だろう。そう思い先に入る事を提案した。
「…そうね。じゃあお言葉に甘えて、先に入らせて貰うわ」
彼女はそう言い、俺と入れ違いに風呂に行き扉を閉めた。
俺はそれを見送ると、今日の出来事に思いを馳せる。
彼が使っていた魔法は、魔物を生み出す召喚魔法、それに魔物を拘束した時空魔法だ。そう説明を受けた。その二つは属性魔法とは別で、覚えて魔力が足りれば俺でも使えるらしい。つまりは俺自身、未だ手札が増やせるという事だ。
また紫雨に対しては、身体強化が必須だと言っていた。魔法職で無くても、成長すれば魔力は増える。それを身体強化に充てる事で、戦力が格段にに上昇する。俺も身体強化は使っているが、そうでないと近接でのダメージはあまり期待出来ない。
彼は成長を「レベルを上げる」と言っていた。尋ねると、本当にレベルが存在するそうだ。彼には測定出来ないらしく、後で測定出来る者を連れて来るらしい。
やがて風呂場から水音が聞こえ始める。其処で初めて今の状況を意識した。
俺が怪我をした時に、彼女とは一度一緒に夜を過ごした事がある。だが、話が正しければ一年以上、この状況が続くのだ。
俺も若い男だ、色々と思う所がある。とある欲求も、自分で処理しないといけない。そんな中で、彼女と今まで通りに接し続けられるだろうか。そんな邪な思いが過ぎる。
「…座禅でも極めるか」
煩悩を退散させ、心を無に。それが可能なら、心の平穏を得られそうだ。
などと思考の迷走を続けていると、風呂場の扉が開く音がした。
紫雨の服装は、簡素な白い上下に変わっていた。手には洗った衣服を抱えている。
「…ふぅ、良いお湯だったわ」
そう呟く彼女の黒髪はしっとりと濡れ、何時もと違う雰囲気を醸し出していた。
俺は思わず目を逸らし、風呂場へと駆け込む。
先ず服を脱ぎ、お湯で洗う。そして頭と身体を洗い、湯船に浸かった。…疲労がお湯に溶け出すようだ。
…二人きりの空間に緊張してしまい、無言で風呂場に駆け込んでしまった。変に思われていないだろうか。
そんな事を考えながら、掌を見る。今日は剣を多く使った為か、タコが出来ていた。
レベル上げが優先と言っていた通り、戦闘技術などは何も教わっていない。兎に角魔物を倒し続けるだけだった。例の身体がぴりぴりする感覚は続いていたので、成長はしているのだろう。
やっぱり、今の実力も目指す所も漠然としているのは不安になる。この気持ちは彼女も同様だろう。
…まあ、色々と割り切るしか無いのだが。途中で心が折れないかが心配だ。
そうして普段より長めに湯船に浸かった。
風呂から上がり、身体を拭く。そして備え付けの衣服に袖を通す。下着は無いが、仕方ないだろう。そして傍らのロープを掴む。これを部屋に張り、衣服を干すようだ。
風呂場から出ると、既に寝床の準備もしてあった。互いの寝床の間にはロープが張られ、彼女の洗濯物が干してあった。
俺もそれに倣い、その横にロープを張って自分の洗濯物を干す。
俺も用意された寝床に横になり、天井を見上げる。
換気用の隙間からは、陽の光が差し込んでいる。この部屋だけ時間が引き延ばされている影響だろう。俺達の感覚では夜だが、外は未だ日中のようだ。
「…何時まで保つと思う?」
彼女がそう呟く。やはり精神的に不安なようだ。
「正直長続きしなさそうだけど、その時は割り切るしか無いかな、って思ってる。まあ死にはしないだろうし」
「適当ね…。でもまあ、それ位の心持ちの方が良いのかしら」
「思い詰めるよりも先に、口に出した方が良いよ。その時は紬原さんも考えてくれると思うし」
「そうね…そうするわ。…じゃあ、お休み」
「ああ、お休み」
俺は彼女の方を向き、そう答える。すると視界に、彼女の干してある下着が目に入った。
俺はすぐさまそちらに背中を向け、目を閉じる。不意打ちだった。
今から座禅を始めたら、かなり怪しいだろう。俺は止む無く般若心経を頭の中で唱える。
そしてやはり疲れていたのか、気付かない内に俺は眠りに落ちていた。
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