第42話

 俺は「ご馳走様」との声と共に、箸を置いた。

 紫雨の作った夕飯はとても美味しかった。俺よりも料理が上手なようだ。片手では食べ難かったが、何とか食べ終える事が出来た。

 紫雨は食器を片付け、洗い物を始める。片手では難易度が高かったので、とても助かる。

 やがて洗い物を終えた彼女は、風呂のスイッチを入れてからコーヒーを持って来た。

「有難う」

 俺はそう言い、カップに口を付ける。食後にゆっくりコーヒーを味わえるなんて、普段よりも快適だ。

 彼女は正面に正座で座り、俺と同じくコーヒーを啜る。随分と日常から外れた光景だ。話し合いで介助する人を決めたと言っていたが、どういう決め方をしたのだろう。

 コーヒーを飲み終えて少し経った頃、アラームが鳴る。風呂が湧いたようだ。シャワーで済まそうと思っていたが、折角なので湯船に浸かる事にしよう。

「じゃあ入らせて貰うね」

 俺はそう言い脱衣所へ向かう。すると紫雨が後を付いて来た。

「…もしかして」

「手伝うわよ。その為に来てるんだもの」

 彼女はそう返し、俺の服を脱がして行く。制服はその場で畳み、シャツや靴下は洗濯機に入れて行く。気付くと俺はパンツ一丁になっていた。

「…流石にそれは手伝わないわよ、自分で脱いで頂戴」

 彼女はそう言い、制服を持って脱衣所を出て行く。…そりゃそうだ。

 俺は裸になるとタオルを持って風呂に入る。頭と身体を洗うのが少々面倒そうだが、まあ何とかなるか。

 そう考えていると扉の向こう、脱衣所でガサガサと音がする。やがて洗濯機が回り始める音がした。洗濯をしてくれていたのか。

 だがその直後、風呂の扉が開かれた。其処には体操服姿の紫雨が居た。俺は思わず背中を向ける。

「えっと、な、何?」

「…洗うのを手伝うわ。片手では大変でしょう?」

 彼女は扉を閉め、背後から近付いて来る。予想外の状況に、俺は気が動転する。そんな中で、俺は何とか声を振り絞った。

「こ、ここまでやってくれなくても、良いと思うんだけど…」

「お願いだからやらせて頂戴。じゃないと、私の気が済まないのよ」

 返って来た声は、やけに真剣味を帯びていた。

「…小さい頃から鍛えて来て、それなりの自負はあったのよ。でも、逃げる事しか出来なかった。それで貴方は大怪我をして…」

 其処で頭からお湯を掛けられる。ああ、髪を洗うのか。

「だから、これは只の自己満足。罪悪感と劣等感を薄める為の行為なの。そんなのに付き合わせて悪いわね」

 彼女の指が、俺の頭部を優しく撫でる。

「…俺は偶々魔力があったから、今戦力になっているだけだよ。直ぐに…先ず紫雨に追い付かれて、抜かれると思う。その時は俺が頼る事になるよ」

「…そうだと良いのだけれど」

 髪を洗い終え、再度頭からお湯を何度か掛けられる。続いて背中を垢すりで擦り始めた。

 お互い言葉が止むと、この状況を意識してしまう。前は隠しているが、自分が裸だという事に恥ずかしさを感じる。

 彼女は俺の左手を持つと、優しく洗っていく。左手は動かないが、感覚はあるようだ。

「…じゃあ、こっちを向いて頂戴」

「…え?」

「え、じゃないわ。じゃないとちゃんと身体を洗えないでしょ」

 彼女はそう告げると両肩を持ち、無理矢理俺を自分の方に向かせる。真っ直ぐ見据えられ、俺は思わず視線を逸らす。

 すると彼女は近付き、俺の身体を洗い始める。彼女の髪が近付き、良い香りが鼻孔をくすぐる。

 彼女の手は首から胸、お腹、そして足へ。大事な所は避けているが、俺にはこれでも刺激が強かった。

 やがて洗い終えたのか、俺の身体にお湯が掛けられる。

「…じゃあ、ゆっくり浸かって頂戴。傷口はお湯に浸けない方が良いわ」

 彼女はそう言うと風呂から出て行く。俺はその姿を茫然と見送っていた。

 そして俺は湯船に浸かる。かなり緊張していたようで、身体中が凝っていた。

 暫くして風呂から上がり、下着とパジャマ代わりのジャージを着る。部屋に戻ると、紫雨が立ち上がった。

「じゃあ私もお風呂を頂くわ」

 そう言い脱衣所に向かった。

 扉の向こうから、布擦れの音などが聞こえる。聞き耳を立てているつもりは無いが、どうしても意識してしまう。

 やがて聞こえる音が水音に変わる。思わずその光景を想像してしまい、頭を振る。介助は助かるのだが、これでは気が休まらない。

 仕方なくベッドに潜り、読みかけの本を開く。意識して意識しないようにする、などという哲学のような思考が巡る。

 やがて紫雨が風呂から出て来る。長袖の体操服姿だ。そして洗濯物を干し始める。

 すると洗濯物の中に、女物の下着があった。…確かに替えを用意する時間も無かっただろうが。でもそうすると、今彼女は下着を着用していないという事か。

 思考がまたそっちの方に向かいそうになり、必死に振り払う。

 やがて洗濯物を干し終えると、彼女は押し入れから布団を取り出す。そして俺のベッドの隣に敷いた。

「急に傷が痛くなったり、手助けが必要な時は遠慮なく起こして。…じゃあ、お休み」

 彼女はそう言い、布団に潜る。

 俺は意識しまいと背中を向け、必死に羊を数えた。


 すると身体は疲れていたのか、気付かぬ間に眠りに落ちていた。

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