第2話 オルガの憂鬱

 私の名前はオルガでございます。


 フォウリージ国にあるセレーネの森出身のエルフでございます。ディープウッズ家にメイドとして勤め始めて、ほんの……数百年とでも申しましょうか、それぐらいの日々でございます。


 私がお仕えしております奥様は、エレノア様と申しまして、数ある国の王や王子たちから求愛を受けるほどの美貌の持ち主でございます。その美しさは奥様が少し微笑めば、男女問わず夢中になってしまう程でございます。勿論、奥様は見た目だけでなく、淑女としてのご作法も完璧な美しき未亡人のなのでございます。


 ええ、そうです……残念ながら夫君である、アラスター様は人族としての儚い人生を終えてしまい、我々は一人残された奥様をお守りする日々なのでございます。


 そんな毎日の生活に、新しい希望の光が舞い降りました。


 それはアラスター様とエレノア様の愛娘であられる、ララ様でございます。

 ララ様は大変可愛らしい姫様で、くるくると変わる表情は花のようで愛らしく、またそのお姿は奥様の美貌を受け継いだともいえる程で、輝く美しい金色の髪はまるで光の天使の様でございます。


 アダルヘルムに至ってはこんなにお小さいお嬢様に悪い虫が寄ってこないようにと、今から気をまわしている程でございます。


 これでは、必要なお相手まで見つからなくなってしまうのではと……心配になる程の溺愛ぶりでございます……


「オルガ!大変です!お嬢様が倒れられました!」


 アリナのその言葉に私はハッとしてすぐにお嬢様のお部屋へと駆け付けました。勿論アリナの悲鳴を聞いたアダルヘルムとマトヴィルも一緒でございます。


 お嬢様の部屋に入りますと、お嬢様はベットの上で横になっており、その顔色は青く、今にも消え入りそうな程でございました。


 そしてお嬢様のご様子以上に気になったのが部屋の有様でございます。窓は割れ、扉も穴が開き、廊下にまで傷が付いていたのでございます。


 私は何者かが忍び込んでお嬢様を襲ったのかと思いアリナ尋ねました。アリナの手は震え、顔は青く瞳には涙がにじんでおりましたが、今は一刻の猶予も無いのです。敵に対して備えなければなりません。

 しかし、アリナの答えは私の予想に反する事でございました。 


「……私が離れたすきにお嬢様が身体強化を掛けられまして……」


 何と、お嬢様は自己流で身体強化を行ったのだとアリナは言うでは有りませんか、それも試しに薪を割った所、壁や窓に飛んで行ったと言うのです。


 アリナが廊下に転がっていた薪を皆に見せてくれました。それは、まるで刃物で切ったかのような切り口で、とても小さなお子様のなさりようとは到底思えない物でございました。


「……これは……何という……」

「さすが……アラスター様のお子だぜ……」


 その切り口は武術の心得のあるアダルヘルムやマトヴィルでも驚く程でございました。しかしアリナは自分が目を離したせいだと落ち込んでおりました。


「アリナ……子供というのは何をするか分からないものです、自分を責めてはなりませんよ……」

「……オルガ……有難うございます……」


 アリナのお嬢様に対する応急処置は完璧でございました。魔力切れを起こしたお嬢様に適切な対応を素早くしたのでございます。誰も文句のつけようがございません。

 私たちはアリナを慰めた後、お部屋を整え、部屋を後にいたしました。お転婆なお嬢様には良い薬になったかもしれません、これでもうご無理は……


「オルガ!大変です!お嬢様が木から落ちました!」


 何という事でしょう、アリナがお茶を入れ替えに行った隙に、お嬢様は木登りをし、逆さになって落ちたというでは有りませんか、私たちは急いで裏庭へと走ります。


 使用人としては走るなど恥ずかしいことでございますが、今はお嬢様の一大事でございます。そんな事は言ってはおられません。


 私たちが裏庭へと到着すると、しゅんと肩を落とし小さくなり、ボロボロに破れたドレスを着たお嬢様がおられました。

 どこにもケガはないようで、私たちはホッと胸をなでおろしたのでございます。


 ですが地面に視線を送ると、裏庭には大きな穴が開き、大変な有様となっておりました。私たちは前回の件も含めお嬢様には危ないことはしないようにと注意をさせて頂いたのでございます。これで、お嬢様も……


「オルガ……お嬢様が今朝部屋を抜け出しまして……」


 何ということでしょう、あろうことか、お嬢様は寝間着のまま部屋を抜け出し、フラフラと屋敷を歩いていたそうです。


 私は頭が痛くなるのを感じました……このままでは、お嬢様は淑女としての立ち振る舞いが出来なくなってしまうのではないでしょうか。


 私には大きな不安が残りました……


 そんなある日 ドーン! と外から大きな音が聞こえ、空に光が舞い散りました。これは絶対にお嬢様しかあり得ません、メイドとしてはあり得ない事に私はまた走ることになってしまったのでございます。


 お嬢様の部屋に着くとお嬢様は窓辺で座り込んでいらっしゃいました。そして私共の顔を見ると 「私たちが怪我をした時に守れる様になりたかった」 のだと仰られて気を失われました。


 何というお優しいお心でございましょうか……私たち全員が目に涙を浮かべたのは当然のことでございましょう。


 このままお嬢様が自己流で魔法を覚えようとするのは危険であると私たちは判断し、まだ早いですが奥様に事情をお話して魔法の勉強をお嬢様にして頂くこととなりました。それから勿論、淑女としての教育もでございます。




 奥様にお嬢様のお話を致しましたところ、「あの子は本当に面白い子」と大変大らかなお返事が返ってまいりました。


 これは、私とアリナがしっかりしなくてはと二人で心に誓ったのでございます。




 そうしてしばらくたったある日でございます。突然目の前にお亡くなりになったはずの、ノア様が現れたのでございます。


 私は自分の目を疑いました。ノア様はお小さいころにお亡くなりになり、奥様も旦那様も大変お心を痛めたのでございます。 


 それがどうでしょうか、「オルガ」 と可愛らしいお声で呼んでくるでは有りませんか。


 私はすぐにノア様に駆け寄り抱きしめました。その身は暖かく、夢ではないことを実感いたしました。頬を涙がつたい流れます。うれし涙が溢れることを止めることは出来ませんでした。


「オルガ、驚かせてごめんなさい。私はララなのです」


 泣く私に申し訳なさそうにお嬢様は謝られました。私が、「これはうれし涙なので大丈夫なのですよ」 とお伝えすると、「では、暫くノアでいます」 とお嬢様は仰られました。なんとお優しい方なのでしょうか。


 ノア様のお洋服を作る私の手に力がこもったのは、しょうがない事でございます。少しでもお嬢様に喜んで頂ける事が私の幸せでございますから。




 お嬢様がノア様の姿になるのもすっかり慣れた頃、武術と剣術の稽古が始まりました。私とアリナはこれには少し反対でした。お嬢様は少し……ええ、お転婆過ぎるところがあるのでございます。ですから、それに拍車がかかってしまうのではないかと心配になったのでございます。




 その心配はやはり的中したのでございます。


 マトヴィルと練習をすると必ずと言っていいほど屋敷のどこかを、壊してしまうのです。これには本当に悩まされました。師匠であるマトヴィルを幾ら注意しても 「ララ様はスゲェ」 と言って一向に取り合おうとしないのでございます。


 このままではお嬢様の嫁ぎ先が無くなってしまうでは有りませんか、しょうがなく問題を起こさない方の師匠であるアダルヘルムに相談いたしました。すると信じられない事に 「悪い虫が寄ってこなくて丁度いい」 と言って嬉しそうに笑うのです。


 私とアリナがお嬢様の淑女教育に対して気合が入ったのは当然の事と思います。もう男どもには任せてはおれません。私達は決意を新たに致しました。


 そんな私の願いが届いたのか、お嬢様がお裁縫に興味をお持ちになられました。アリナは苦手な部類ですので、私が地下倉庫を案内致しました。お嬢様は作った物を出来たら見せて下さると、約束して下さり笑顔を見せてくださいました。 


 私はその日を心待ちにし、お嬢様がどんなものを作られるか想像して楽しんだのでございます。


 しっかりしているとはいえ、お嬢様はまだ3歳でございますから、それほどの物は出来ないでしょう。ですが私にはきっと宝物となるのは間違いなかったのでございます。


 そんなある日の事でございます。


「本日のお夕食でお嬢様がオルガンを演奏されたいそうです」


 私はアリナの言葉に耳を疑いました。この屋敷の誰一人として、お嬢様にオルガンなど教育したことが無いのです。


 それにあれは、元々旦那様のアラスター様の持ち物でございますから、誰もお教えする事が出来ないのでございます。


 アリナに詳しく話を聞いてみますと、どうやら夢の中でアラスター様に習ったのだとお嬢様はおっしゃられたそうなのです。


 私は胸が飛び出しそうなぐらい驚きました。まさかそのような形で旦那様がお嬢様に教育なさるなど夢にも思わなかったのでございます。


 オルガンをアダルヘルムが嬉々として準備してくださいました。


 皆、今夜のお嬢様の演奏を心待ちにしておりました。


 夕暮れ時になり、お嬢様の演奏が始まりました。とても三歳の子が弾いているとは思えないほどの演奏でございます。 


 皆、涙が止まりませんでした。私もメイドとして恥ずかしほどに、涙を流してしまいました。すると、お嬢様が【くりすますぷれぜんと】? というものを皆に渡しました。


 私はそれを見て驚きました。まさかお嬢様がこれ程の才能をお持ちとは思わなかったのでございます。


 その【みさんが】? というものは、とても三歳の子が作るような品物ではございませんでした。それは大人でも作れるかどうか分からないほどです。


 その上、それを入れていたのが魔法袋になっていたのです。皆が驚き、声を失います。この素晴らしさが分かっておられないのは、お嬢様だけなのでございます。


 その後、私たち使用人で会議を開いたのは当然の事でしょう。アダルヘルムが奥様の希望を皆に伝えます。


「奥様はララ様をのびのびと育てたいとおっしゃっている」

「それは、分かりますが、あれほどの才能をお持ちですと限度がございます」

「でもよぉ、護衛を付けるにしても、ララ様と同じ様に行動できる奴なんていないぜ? 俺たちがずっと付いてるわけにもいかないだろう、俺達はエルフだ、どうしたって目立っちまう。返って危険かもしれね……」

「先ずは、ララ様自身を鍛えるしかありません」

「私も投げナイフならお教えできます」

「皆で協力し合いましょう」


 私たちは頷き、会議を終えました。


 そんなある日のことでございます。お嬢様が森に行きたいと言っているとアダルヘルムから皆に連絡が入りました。やはり恐れていた通りお嬢様は外に興味を持ったのでございます。


 アダルヘルムは十分にお強くなっているお嬢様にもう少し鍛えてからと、何とかごまかしたそうですが、それも時間の問題でしょう。


 お嬢様の事でございます。必ず森に行こうとする筈です。これは何としても護衛を付けるか一人でも大丈夫なように早急に教育する必要がございます。


 私がため息をつき部屋へと戻ろうとすると、お嬢様の部屋から戻ってきたであろうアリナに会いました。その顔は困惑の表情でございます。


「アリナ、どうしましたか?」

「オルガ……お嬢様が……このような本を……」


 アリナが見せた本は アレサンドラ・ベルの ”男の本能” と ”男を喜ばせる行為” それに ”男の感じる部分” という信じられない三冊の本でした。


 私は眩暈が起きました。まさかお小さいお嬢様がこの様な本に興味を持つなど、普通ではあり得ないことでございます。


 どうやらアリナの機転でお読みにはなってらっしゃらないようでしたが、アレサンドラ・ベルの本は全て禁書庫へとしまい込んだのでございます。


 これはすぐにでも森へと行かせて、外に興味を持たせた方がいいかも知れません、お嬢様をこの屋敷に閉じ込めて置くなど限界があるのでございます。


 アダルヘルム達にも相談をし、お嬢様の森に行く為の準備が始まりました。


 お嬢様はいつになく張り切っていらっしゃって、順調に成長なされ、間もなく森へと行ける日が近づいて参りました。


 そんなある日、私は図書室から出てらしたお嬢様を捕まえたのでございます。その手にはやはり、森に行くのに必要な本の他に危険な本を持ってらっしゃいました。


 スカーレット・キャデンビィッシュの ”女性の欲望” と ”女性の目覚” それにロレンゾ・スミスの ”結婚後の夫婦の生活” でございます。


 一体どうやってこの本を見つけられたのか、本当に頭が痛くなりました。


 お嬢様は残念がっておりましたが、これも禁書庫へとしまわせて頂いたのでございます。


 その後もマトヴィルと裏庭で爆弾を爆発させると言う事件などあり、私は頭を抱えて、お嬢様が早く森に行ける日がくることを祈ったのでございます。


 そうすれば、きっとお嬢様が落ち着くと……


 しかし、私の考えは甘かったのでございます。まさか森へ行ったその日に銀蜘蛛を連れて帰って来るとは誰が想像したでしょうか。


 お嬢様は銀蜘蛛に ”ココ” と名前を付けて大層可愛がっておられます。そのお姿は可憐な少女そのものです。


 ただ、相手が銀蜘蛛というだけで、それは見る物には恐怖として映るでしょうが……


 勿論、私共もココの事は可愛く思っておりますし、大事でございます。


 ですが、メイドとして必ずやお嬢様に素敵な旦那様を、どうやってでも見行けて差し上げようと、心に誓ったのでございます。 


 これからもお嬢様の為、力の限り私は頑張っていきたいと思います。


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