第30話・紗那王丸。


 山が見事な紅葉に包まれていた。


美しい季節だ。その鮮やかな紅葉のウイス山中腹の猪俣家に向かう道を、馬に乗った一行が道を染めた落ち葉を踏んで上がって行く。

一行は全部で四人、白馬に乗った若者と白髪交じりの初老の男をはさんで、前後を屈強そうな兵士に守られていた。


一行は猪俣家の門扉替わりの生け垣まで来ると、馬を立木に繋いで中を見た。

その時間は、屋内でシュラの指導による子供達の手習いが行われていた。拡張して一段と広くなった庭の道場には、タケイル・十兵衛・アランゲハが立ち話をしていた。


まだ門弟がだれも来ていない早い時間だった。


アランゲハとイシコロゲは、シュラが出場した三年前から武術大会への出場を止めて、十兵衛の道場で剣の後輩の指導に当っていた。


山屋敷には、所帯を持ったイシコロゲが家族と共に住んでガランゲと暮らしている。

アランゲハは、デルリ村に家を借りて一人で住んでいた。


この猪俣道場には、国随一の英雄タケイルがいる。さらにシュラも年を重ねるごとにどんどん成績を伸ばし有名となっていた。

その後ろに往年の名女剣士のアランゲハとイシコロゲの姿があり、更に伝説ともなっている十兵衛の盗賊退治の話もあって、ここ猪俣家の庭の道場に教えを請いに来る剣士は後を絶たなかった


生け垣の外に来た一行が誰だか気付いたタケイルは、二人に耳打ちして膝を着いて出迎えた。

その若者には、タケイルが武術大会で優勝した折に、王と一緒にお言葉を掛けて貰ったことがあったのだ。


「これは、王子様。このようなむさ苦しい所へ、よくぞおいで下さりました。それがし、当家の住人・猪俣十兵衛でござります」

と、この屋敷の主の十兵衛が若者・紗那王丸に挨拶した。


 挨拶された若者は、三人の前まで来ると、

「紗那王丸です。突然押しかけた無礼をお許し下さい。それでは話が出来ませんので、どうぞお立ちになって下さい」

 と躊躇する三人を一旦立たせると、なんと紗那王丸自らがタケイルの前に膝を着いた。


「紗那王丸は、タケイル様に弟子入りを願いに参りました。どうか、私にここで剣の稽古をお許し下さい」

 と言って頭を下げた。


 タケイルは驚いて、十兵衛の顔を見た。頷く十兵衛を見て、


「解りました。私で良ければ、拙い指導を致しましょう。どうか腰を上げて下さい。紗那王丸様」


「ありがとうございます」

 立ち上がった紗那王丸は、嬉しそうな輝く顔でタケイルを見つめる。


「使いの者を出して頂ければ、私が王宮まで出向きますのに」

「いいえ、それでは教えを受ける者としての礼儀にかないません。それに私は、数々の名剣士が集まるここで皆さんと一緒に稽古をしたいのです」

 紗那王丸の謙虚な言葉に頷いたタケイル。


「紗那王様を、どうか宜しくお願い致しまする」

 紗那王丸の傍の初老の男が頭を下げながら丁寧に言った。

男は紗那王丸の指導役の老臣・山崎文五郞と名乗った。歳は十兵衛と同じ位で思慮深そうな学者の様な顔をしている。


「解りました。そちらの方々も一緒に稽古されますか?」

 タケイルが警護役と思われる二人の男の方を向いて聞いた。


「こちらでは、あまり多くの者が稽古出来ないと聞いておりますが、宜しいのでしょうか?」

「たしかに場所は狭くて大勢では稽古出来ませぬが、いつも只待っておられるのも気詰まりでしょう」


 それに却ってこちらも気をつかうのだ。山崎老人は警護役の男を呼び、二人に聞いていたが、


「我ら、タケイル様やシュラ・アランゲハどのらに稽古を付けて頂けると思ってもいなかった事です。手空きの時があればお願いしたいと思います」

と、ミカエルと言う警護役が瞳を輝かして言った。


「では、一緒に稽古致しましょう」

 タケイルの言葉で、山崎老人を除く三人が稽古出来るように着衣を直した。

それが終わるとアランゲハに案内されて、それぞれが稽古用の木剣を選んでタケイルの前に立った。


山崎老人は十兵衛と共に縁側に腰掛けて、それらを見つめながら何やら話をしている。

 彼らは、前に立ったタケイルとアランゲハを真似て素振りを始めた。それを何回かしたところで、


「ところで、まだ別に影警護の者が居ますか?」

タケイルの質問に、紗那王丸・山崎や警護の男たちはキョトンとした顔をして、

「いえ。ここに来たのは、これだけです」

と、警護の男が言う。

 それを聞いたタケイルは、僅かに顔を曇らせて、母屋の方を振り返った。そのタケイルの目に、シュラを手伝っているソラが見えた。


「ソラ!」

 タケイルが短く呼ぶと、シュラと目を合わしたソラが屋内から降りてきた。


「誰だか確かめたい」

 タケイルが顎を振って言うと、頷いたソラが駈けだした。

「ソラ。これを持って行きな」

と、アランゲハがソラの前方に投げた木剣を、走りながら掴んだソラが振り向きもせずに、あっという間に駆け去った。


 呆然としている紗那王丸一行。

「我らに、誰かの尾行が付いていたと言う事ですか?」

 ミカエルと言う警護役が聞いた。


「はい、影警護の者で無ければ・・」

「我らに、そのような者が付いておるとは、知らない事です」


「二人います。あなた方の後を付いてきたと思われます。恐らくは忍びの者、少し気配を消しています」

「あの娘ご一人で大丈夫でしょうか?」


 十兵衛の横の山崎老人が聞いた。ソラはこの夏十八才になった小柄で目の大きい、見るからに可愛いらしい女性なのだ。彼女の腕前を知らない者は、そう思って心配するのも無理はない。


「なに、ソラはああ見えてもアランゲハに引けを取らぬ腕じゃ。それに小柄で身が軽く、忍びの腕では抜きん出ている」

 十兵衛がこともなげに答える。


「なんと・・。確かに凄い勢いで消え去ったわ・・」

 山崎や警護役の者たちは、ソラの身ごなしに一様に驚いていたのだ。

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