第26話・鬼の善行。


 海からの横殴りの風に体を嬲られながら、タケイルは海道(うみみち)を歩いていた。

シュキの死を知らされたタケイルは、シュキに託された約束を果たすために北部にあるスレダの町へと向かっている。


スレダの町は、ザルタから海道を北西に二十里の所にある海の国第二の湊町である。スレダの湊町から内陸に向かって進めば、海の国の第二の都市で、地理的に海の国の真ん中にあるカブールに通じる。


 タケイルに同行するのは、アランゲハとソラだ。ガランゲの弟子であるアランゲハは幾ばくかの呪術を使える。ひょっとしたら、鬼の残滓が残っているかも知れぬと言う事で同行してくれたのだ。

それに、最近ガランゲ屋敷に入り浸りとなっているソラも付いてきた。小柄で忍びの達者のソラがいれば、何かと便利なのだ。


長身の二人と小柄なソラ、遠目から見れば親子だがソラはタケイルの三つ年下に過ぎない。

「私、ザルタから北へ行くのは、初めて」

 明るい声でソラがはしゃぐ。


それはタケイルも同じだったが、左手に海・右手は延々と続く田畑と、遠くに見える山並みの風景はいっこうに変わらずに、すぐに飽きた。

 一行はゆっくりと進んで、スレダの湊町には二日目の夕方に着いた。


スレダもザルタ同様交易で発展した町で、特にここは立地的に海の国の中間部にあたり懐の深い内陸から大量の物資が集積してきて、大変な賑わいを見せている。

宿に入ると、アランゲハとソラは早速聞き込みに向かった。その間タケイルは、のんびりと町を歩いて、町の雰囲気を楽しんでいた。



「事件があった寺院は、中川(なかがわ)の上流十里程のバンブと言う村の外れにあるらしいの。明日、知り合いの川船頭が乗せていってくれることになったわ」

 聞き込みに行っていたアランゲハらの知らせだ。この辺りでは、朝の内の海風を利用して船が帆を立てて上流まで上がって行くらしい。その上がり船に乗船出来るのだ。面白そうだ。

「明日は、川船ね、楽しみね・・」

 ソラは単純に喜んでいる。


 翌朝、紹介された長吉(ちょうきち)と言う船頭は、女房マリリが武術大会に出た女剣士で、アランゲハ・イシコロゲと切磋琢磨した仲だという。


 マリリは初めて国王が認定した英雄となったタケイルを見て抱きついて喜び、倅の長太の額をタケイルに撫でて貰っていた。

「これで、英雄にあやかって、この子もきっと強い男になれるわ」

 と、感激していた。

 旦那の長吉は、スレダからカブールまでの荷送り船の船頭で、三日に一度は往復しているらしい。


 アクロスの船に乗って弓島まで何度も往復した彼女らにも、田畑や歩く人々を横目に上って行く川船は珍しいもので、浮き浮きとした目で流れる景色を見てはしゃいでいた。

 海の国一長い中川は、上流に第二の都市・カブール、更に上流にはトキという大きな町があって、物流が盛んで沢山の荷物を乗せた船が行き交っていた。

 中川に面したバンブの村は、川湊として便利な立地で、結構大きな村だった。そこまで行くと、こんもりとした山が視線を遮り、山の間に田畑や集落が垣間見える風景に変わった。


「また、こっちに来たときは声掛けて下せえ。女房も喜びます」

 長吉の声を受けて、村に上陸すると村人に道を聞き、山の上にある寺院を訪ねた。


 谷間を上り詰めると、村を一望する場所に寺院はあった。

 高い石垣を積み巡らし、その上に櫓を築いた厳重な造りだ。寺の入り口・正門には、弓の狭間付きの二重の山門が建っていた。寺院と言うより砦に思えるほど立派な建物だった。

「この寺院・国が統一される以前は、この辺りを支配する豪族が城として建てた物だそうよ」

 アランゲハの聞き込んで来た説明で納得した。ここは、確かに寺院と言うより城と言うのがふさわしい。



「前職の奥様は、村で小さな旅籠をしていると聞いております」

 寺院を訪ねた一行に、新しく本山から派遣されてきたと言う中年の僧が教えてくれた。


 村の一番手前の家が、寺院の前職の女房だった女がやっている名も無い旅籠だった。裏に回ると洗濯物を取り込む女が見えた。

 走って行ったソラの問いに頷いた女が、こちらを見た。まだ若く綺麗な女だった。

ユキと言うその女は、シュキが死んだことを告げると、

「お爺ちゃん・・」

 と呟いて、手を合わせた。


 タケイル達は、驚いて顔を見合わせた。シュキは彼女の夫の生き肝を喰って殺した男なのだ。

 シュキの最後の言葉を伝えて銭を渡すと、ユキはぼろっと涙をこぼした。


「お前さん方、今日の宿が決まってないなら、うちに泊まって下さいな。折角来て下さったのだから、宿代はいらねえだよ。豪華な物は無いけんど、水は豊富だ。湯を湧かすでな」

 ユキの勧めに従って、今日はここに厄介になることになった。

 他に客は居なかった。


 アランゲハとソラが手伝って、湯を沸かして料理を作った。

「寺院の坊様は、表向きは私の夫だったけれど、銭で買われて酷い扱いを受け、奴隷の様に扱われていたのです。爺さんが殺さなければ、私が殺していたかも知れない」

 と、夕食の席でユキは話し始めた。初めて聞く話だった。


「盗人に乱暴されている所にお爺さんが来て、盗人を縛り付けて体を洗ってくれぬか、と言ったの。勿論、お爺さんも盗人の片割れなのだけども・・」


「裏の行水場に連れて行って、頭と体を洗ってあげたら、垢が出るわ出るわで驚きました。お爺さんは気持ちよさそうにしていて、前はいつ洗ったか忘れたと言うの。それから身の上のことを話して・・」


 三人は、ぽつぽつと語る女房の話を黙って聞いていた。

シュキとこの女性との間には、残虐な殺しの現場に似合わぬ、ほのぼのとした交流があったのだ。


「あのままだと盗人が帰り際に、顔を見られた私を殺して行くのは間違いない事でした。だけどお爺さんがあの男は連れてゆく、お前は縛られて犯されたままの姿で放置して行くって言うの。男はまだ途中で私の体に証拠は無かったの。そこでお爺さんに私からお願いしたの。だから最後の女って・・。お爺さんは、私にとっては地獄で出会った、たった一人の仏様なのよ」


 意外な話だった。

 人の生き胆を喰らった残虐な鬼のシュキも、ユキに取ってはたった一人の仏様だったのだ。それを聞いた皆の心に、明かりが一つ点ったような気持ちになった。


「坊様が死ぬと、坊様の親戚から少しの銭を渡されたの。手切れ金ね。それで、売られた実家に帰る気もせずに、ここで旅籠を始めたの。私に出来る事は、飯を作り湯を沸かして人の世話する事ぐらいだから・・」

 ユキの話は終わった。


 それにしても、旅籠として繁盛しているとは言い難い雰囲気があった。飯も不味くないし湯に入る所もある。その上、別嬪の女将さんの世話が受けられるとくれば、繁盛しない方がおかしい。

 その事を尋ねると、

「この辺りを仕切っている親分が、私に言い寄って来たの。そんな事は嫌だと突っぱねたら、しばらくしてから嫌がらせをして来る様になったの。客が入ったとみたら出張って来て追い出したりして、その内にお客さんが入らなくなってしまったの」

 と、悲しそうに言う。


「でも、お爺さんがお金をくれたのなら、町へでも行ってやり直そうかしら。何たって私にとってお爺さんは福の神、なんか良い事がありそうだよ」


「どんどんどん」

 とその時、表戸を叩く耳障りな音がした。


「やい、開けやがれ、開けないと蹴り割るぞ!」

 下品な声もした。


「あいつらよ。又来たわ、どうしよう・・」

 ユキの顔色が変わり震える声で言う。


「許せぬ」

 アランゲハが言うと、立ち上がって土間に向かう。

だが、それよりも素早くソラが立ち上がりざま駆けて、戸のつっかい棒を外すと戸を開けて外に出て行った。


「こんな夜中にうるさいぞ」

 つっかい棒を持ったままソラが怒鳴る。


 外にいたヤクザの男二人は、若い女が飛び出て来たのに驚いたが、

「てめえはなんだ!」

 と啖呵を切って、目を剥いてソラに詰め寄る。


「私は客だ。人が飯を食っているときに汚い声で怒鳴りやがって、うるさいぞ。このクズ野郎!」

 日頃のソラと違って荒い調子だ。ユキの話を聞いて、ソラも相当に怒っている様だ。


「クズ野郎とはなんだ! 女だと思って下手に出てりゃ、いい気になりやがって、痛い目に会わなきゃあ解らない様だな」

 前の男が言うと、さりげなくソラの後ろに回ったもう一人の男がソラを羽交い締めにしようとした。

 そんな手に掛かるソラでは無い。


振り向きもせずに、後ろに棒を突き込み男の腹をしたたかに突くと、前から掴みかかろうとした男の向う臑を打ち、蹌踉めく男の腕を強打した。

「ゴキッ」と、鈍い音がした。


恐らくは手首の骨が折れているだろう。ソラは背が低く可愛い顔をしている娘だが、歴戦の猛者アランゲハに匹敵する使い手なのだ。

 腹を突かれて喘いでいる男の尻を、何度も蹴って追い返したソラが、

「クズ野郎、二度と来るな」

 とうそぶいた。


「てめえ覚えていやがれ・・」

 男達は、蹌踉めきながら去って行った。


「どうしよう、あいつらは必ず大勢で仕返しに来るよ」

 と、恐れるユキに、

「丁度いいわ。ついでに村のクズを始末して行きましょう。私達は、ユキさんの福の神の使いなのだから」

と、アランゲハは事も無く言い切った。

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