第23話・シュキの追憶。


(酒を飲みたい・・)

 酒場の裏で、腹ばいになり飲みかすを漁っていた時だった。

「おまえがシュキか?」

見上げれば、目つきの悪い男が立っていた。あまり人の事は言えぬが、どうせ碌でもない生き方をしている男だろう。


「・・昔はそう呼ばれていた事もあったな」

 その名前で呼ばれることは、ここ何年も無かった。自分でも忘れかけていた程だ。

「ほれ、酒だ。飲んでも良いぞ」

 男が、酒の入った徳利を差し出した。

 奪うようにひったくると、一気に飲んだ。

(旨い・・)

 五臓六腑に染み渡った。

 久しぶりに飲む上酒の味だった。こんな上酒、前にいつ飲んだかは、忘れて思い出せない昔だ。


 妻が居て子があった。多くの弟子が居て、師と呼ばれていた。かなり昔だ。まだ髪の毛が黒かった時の事だ。

「武術大会で、優勝した事があるとは思えぬ落ちぶれ方だな。もうただの乞食爺に成り下がったか」

 余計な事を知っている男だ。かんに障った。

「なんなら、お前を殺って銭を奪ってやろうか」

 男の右手を摑んで引いた。

男の目に微かな驚きが走った。今はその気が無かったが、実際に何度かは旅人を襲って銭を奪ったのだ。


「俺を殺るより、仕事をしてくれたら、もっといっぱい銭を渡すぜ」

「仕事ってのは何だ?」

「何、あんたなら簡単な事さ。武術大会に出て、若造を一人打ち殺すだけだ」

 男はそう言った。

「何故、試合なのだ。そんな面倒くさい事をせずに、闇討ちすれば良いではないか」

 人を殺したければ、他に幾らでも方法はある筈だ。


「それが強い仲間がいて、上手く行かないのだ。試合中なら邪魔は入らぬ。それともお前には勝つ自信が無いのか?」

 男は、煽る様に言う。

「勝つ自信? そりゃあ無い。この年取った体では、あるはずが無かろう。昔の体力が戻れば違うがのう・・」

 ここ数年、満足に飯も食っておらぬのだ。剣の試合など出来る訳は無い。


「昔の体力に戻れる方法があるぞ」

 男が言い出した。

「なんだと?」

 シュキは耳を疑った。

 そして、あの輝いていた昔の自分に戻って再び大歓声を浴びるのも面白いかも知れないと思った。



男に連れて来られたのは、山間にある寺院の門前だった。

「この寺の坊主は、高い位なのを鼻にかけて貧乏人を相手にせずに、金持ちにへつらい、ケチで傲慢なくそ野郎だが、高僧と言う事は間違いが無い。くそ坊主が死んでも悲しむ者はおるまい」

 男は言うとシュキに短刀を差し出した。


ここに来る道々に男が話したのは、

―高僧の生き肝を喰らえば、僧が持っていた法力が身について、かつての力が蘇る様になる―

そんな話だった。シュキも、そんな話を聞いた事があった。


(試してみるか・・)

 とうに真っ当な人生など終わったシュキだ。坊主の生き肝を喰らうのも一興だ、くだらねえこの世のみやげ話になるかも知れない。

門を潜り、読経の声がする庫裡に向かう。そこには、禿げた頭がテラテラ光った坊主が、派手な着物を着て経を読んでいた。


「なんだ、乞食か、ここにはお前に与えるような食い物は無い。人の多い町に行って物乞いをするがよい」

 見ているシュキに気付いた坊主が言う。

男の話通りに坊主は傲慢な性格の様だ。坊主はそう言い放つと、関心を失ったかのように再び前を向いて読経を始めた。


(いや、ある。食い物は、お前の生き肝だ)

 内心で呟いて、坊主の頭を杖で殴り倒した。

 それから、白目を剥いて悶絶した坊主の着物を脱がせて、短刀で腹を裂くと、勢いよく血と内蔵が飛び出してきた。

「ぐわあー」

 気絶していた坊主が意識を戻して、喚きだした。咄嗟に傍にあった鉦を摑んで坊主のはげ頭を殴った。

「ゴーン」

 と鈍い音がして、再び坊主は静かになった。いまのが坊主が最後に聞いた音だろう。鉦の音でこの世を終えるとは坊主らしい。


 長い腸を引っ張り出して切り捨てた。床は腸でいっぱいになり、足の踏み場も無くなった。

腹の奥にある肝を掴んだ。まだドクドクと脈うっていて暖かかった。

短刀で切り取った温かい肝をまな板替わりにした経台の上で、一口大に切り口に入れる。

 生暖かいものが口の中に広がった。しばらく噛むと旨みが湧いてきた。

(さすがにくそ坊主は、普段から旨いものを食っているな・・)

 何回かに分けて胆を全部喰った。

話の通りに、なにがしか体に力が湧いてくる様な気もしたが、血でネバネバする手足や顎に耐えかねて、庭の池に入って洗う。


 池で手足を洗っていると、奥の居宅の方から低い呻き声が聞こえた。居宅を覗いて見ると、儂をここに連れてきた男が若い女房を犯している。

「おっ、もう終わったのか。奥に着物がある。着替えたらどうだ」

 女房の上に乗っている男が、シュキに気づいて平然と言う。女房は、返り血で汚れた儂を見て、目を剥き声にならない声を上げた。

 奥の部屋は、箪笥や物入れを開け放して散乱していた。男が金目の物を探したのだろう。俺が坊主を相手にしている間に、家捜しして銭を盗んで女を犯す。碌でもない男のやりそうなことだ。


(あの野郎め・・)

儂が苦労している間に、自分は良い事をしているのだ。男にちょっと腹が立った。

着ていた着物を脱ぐと、適当な着物を摑んで台所に行く。台所は、女房が昼飯を作っていたとみえて、作りかけの飯があった。

 台所で、もう一度手と顔を洗う。が、血油が付いて中々綺麗にならない。いっそ体ごと洗いたくなった。もう何年も体をまともに洗っていないのだ。頭も痒い。


ふと、顔を巡らすと酒が目に付いた。

 ここでは、般若湯と言うのだろう。くそ坊主らしくふんだんにあった。

盃に注いで飲む。


(・・旨い)

 仕事の後の酒は、格別だ。おまけに飲んだことの無い様な上酒だ。

 居間に戻ると、男が女房の上でせっせと腰を動かしている。

「おう、酒を見つけたか。さぞかし上酒だろうな。女はもう少し待ってくれ」

 男が腰を振りながら、ニヤニヤしながら話しかけてくる。

「上酒だったとも」

 と言いつつ、男の頭を杖で殴りつける。


 昏倒した男を女房から引きはがして、帯で柱に括り付ける。女は着物を掴んで、部屋の隅に下がってじっとこちらを見ている。


「体を洗ってくれぬか、水でいい。嫌だろうが、犯されているよりましだろう」

 久し振りに、体を洗いたくなったのだ。だが一人では面倒だ。

じっと聞いていた女房が、微かに頷いて立って外に出て行く。女房について外に行くと、裏に山水を溜めた瓶がある行水場があった。女房は床几を出して、座るように手振りをする。

縁側に杖と短刀を置いて座ると、頭から水を掛けられた。そして木灰を手ですり込む様にして頭を洗ってくれた。

気持ちが良かった。


水で流して頭を二度洗うと、今度は木灰を包んだ布で体を洗ってくれた。

「上手いものだ。気持ちが良いぞ」

 シュキは思わず呟いた。

「こんなに垢だらけな人、はじめて・・」

 女房が言う。

「体を洗うのは、何年ぶりか忘れたな」

 しばらく黙って、洗っていた女房が不意に聞いた。

「あの人は、死んだの?」

「うん、とどめはしていないが、もう生きてはいないだろう」

 再び沈黙する女房。

「亭主を殺した儂が憎いか。憎いだろうな・・」

「いい気味・・」

 女房の呟きは、シュキの予想とは違っていた。


「旦那を殺した儂が、憎くは無いのか?」

「私は、家が貧乏で無理矢理に金で買われてきたの。あのくそ坊主に。毎晩痛ぶられて犯されて、奴隷の様に扱われていたの」

女房は、意外な話を聞かせた。

「そうか儂に乞食に与える物は無いと追い返しよったが、家の中でもケチで傲慢な男だったか・・」


「外づらはご立派な高僧だったけれど、内づらはケチで傲慢で色きちがい。金を貰った両親の手前、逃げることも出来ずに辛抱していたの。このままではきっと私が毒殺していたと思うわ」

仕上げの水を掛けられ、手拭いで拭かれてさっぱりとした。生き肝よりも、丁寧に体を洗ってくれたお陰で生き返ったような気がした。

「私も殺されるの?」

 女房が聞く。

あの男なら、引き上げるときに顔を見られた女房を必ず殺すだろう。だが儂はあいつが気に入らない。


「あんたはどうしたい?」

「どうしたいって・・」

「あんたを縛ったまま放置しておけば、強盗が坊主を殺して銭を奪い、女房を犯して去ったと思われるだろう」

「でも、あの男は必ず私を殺す」

 女房もあの男の本性を見破っていた。

「男は、俺が連れてゆく」

「でも、あの男はまだ終わっていない。きっと私は疑われて、私の体を調べられると思うの。私を縛ってお爺さんがして・・」

 居間に戻ると、自ら進んで縛られた女房を、望み通りに犯して放置した。


 気が付いた男を、縛ったまま引き連れて寺院を出た。

「縄を解いてくれ、俺たちは仲間じゃないか」

「そうだな、ザルタのタケイルを試合で殺す。だったな。引き受けた」

「成功したら百両だ。一生好きなだけ酒を飲んで暮らせるぞ」

「それは、悪くないな」

「だったら、縄を解け」

 男を縛っていた縄を、男から奪った剣を抜いて断ち切った。


「痛え。なんて事しやがる。剣を返せ」

 久し振りに振った剣は、少し手元が狂った。縄だけで無く男の腕を少し切った様だ。

「済まぬ。痛かったか、今、楽にしてやる」

 踏み込んで、首をかっ切った。

 男は、驚いた目つきのまま声も立てずに崖下に落下していった。

 今度は、狙ったところに剣が振れたようだ。


「ふむ、これならば、何とかなるか」

 呟いて、誰かに見られぬように道を離れて山に入った。



 それから、町から離れた海辺の小さな町で過ごした。

銭は男が持っていたものと、寺院から盗んだ銭を足して五十両もあった。老人一人なら、一生暮らせるかも知れない大金だ。

 シュキは、今更稽古などという面倒くさい事はしなかった。

ただ、旨い物を食い良い酒を飲んだので、滋養がついて体はまともに動く様になった。



 武術大会の予選に申し込んだ。

 元・優勝者なので予選無しの優遇が受けられる。と訝しがりながら言われたが拒否した。

予選で試合勘を取り戻すのと、ある技を試したかったのだ。

 その技は、所謂・気当てだ。体が動くときは、そんな技を使う必要が無かったが、動きが無くて精神力が左右するあの技は、年取った体には適している筈だ。

 予選前に山へ行って何度か技を試してみた。若い時分より、気が強く出ているようだ。だが、何度か試すうちに魂の渇きを覚えた。

食べ物では癒やされない乾きだ。


―生き肝を喰いたい。新鮮な生き肝を・・

 山で遊んでいた子供を襲った。すると再び、気力が沸き起こってきた。


 予選では、小うるさい動きをする二人に技を使ってみた。予想以上の効果があった。相手の驚いた顔が今でも目に浮かぶ。

(もしかして話の通りに、坊主の法力が加わったのかも知れぬ・・)

 予選は簡単に通過した。

 決勝に備えて、もう一人子供を襲った。



 本戦の地・ザルタに着いた。

町外れの廃屋を見つけて宿舎にする。銭はあるが、旅籠に泊まるよりは落ち着く。それに最近は、食事もあまり必要で無くなったのだ。

酒があれば良い。

 久し振りの武術大会だったが、順調に勝ち上がってきた。勝つ事は、こんなにも簡単だったか、と思った。

 相手の一瞬の隙をついて、打ち込めば良かった。一瞬なら体が動くのだ、あの技を使うまでも無い。


 標的のタケイルという若者を見た。

 何故か鳥肌が立った。タケイルには、とてつもなく大きな何かを感じた。あいつと闘うのだと思うと、不安になった。

(念のために、もう一度、生き肝を摂っておくか・・)

 夜になって、獲物を探すために宿舎を出ようとした。だが、そこに初老の男がいて、しつこく着いてくる。討ち果たそうか、とも思ってみたが、

(・・こいつは手強い)

 ひと目見た時から解っていたのだ。勝てるかどうか解らないほどだ。今はそんな無駄な体力を使いたくない。

 ひとまず帰って、今度は裏から出ようとした。そこにも男がいた。若い敏捷そうな男だ。

 もう、出掛けるのが嫌になって諦めた。

(別に、今喰わなくとも、良いのだ)

 こいつらと闘って、余分な体力を使うのも馬鹿馬鹿しい。


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