第19話・海の国・武術大会。


タケイルの弓島の修行は、厳しい冬を過ぎ雪解けの春になろうとしていた。

来る日も来る日も、ひたすら風に向かい機を捕らえようとしていたが、まだ捕らえられていなかった。


ある日の事、唐突に海から上がって来る風の気配がした。今までに無いほど大きな気配だった。

それは、周囲の冷たい空気を跳ね返しながら、丸く膨らんで塊になって飛んでくる風だった。

目の前に来た時に、タケイルの手槍が自然に跳ね上がって、風の塊をスパッと両断した。途端に、生暖かい空気がタケイルの顔を包んだ。

―その風は、春一番を告げる走りだった。


それからタケイルの手槍にその風が取り憑いた如く、それを意識して振れば風が沸き起こる様になった。

「そうか、春一番がお前に宿ったか。如何にもお前にふさわしい風だ」

 話を聞いた十兵衛が嬉しそうな顔で微笑んだ。


「だが、優しく人を癒やす春風も、力加減を誤れば人を殺す凶風にもなろう。加減を身につけるのじゃ」

 と、風を制する事を命じた。

 タケイルは十兵衛が逆風の剣で、刺客を倒した事を思い出した。優しく頬を撫でる春風も使い方を誤れば人を殺しかねないのだ。


 さらに、タケイルの弓島での修行は続き、季節が春から盛夏になった七月にやっと終わった。十ヶ月にも及ぶ弓島での修行を終えたタケイルは、肉体的にも精神的にも一回りも二回りも大きくなっていた。



「ドン、ドン、ドン、ドン、ドン」

 薄く鰯雲が伸びる空に、盛大に花火が上がった。

 ここはザルタの町の中心部、白亜に輝く王府前の広場である。上がったのは海の国・武術大会本戦の開催を告げる花火だ。


 各地の予選を勝ち上がって来た百十二名の剣士が、四つ並ぶ試合場の前に横一列となって、進行役の声で一斉に、右手を水平に肩の高さに上げて、国王に礼をした。

 その一番右端に、背が六尺に伸びたタケイルの姿があった。タケイルは、二十才になっていた。今年が武術大会に初出場である。


 一年近くもの間、弓島に籠って逆風の剣を会得したタケイルは、もはや他の剣士を圧倒していた。

 父の十兵衛と稽古しても八割方は勝てる様になっていた。

 それが、一年前の事である。

十兵衛からは、去年の武術大会に出ても良いとの許可は得たが、武芸百般の父から教わるものは、まだ無数にあると考えて去年は出場しなかったのだ。タケイルは一年間、槍術・手裏剣術・弓術・手槍から馬術までみっちりと修行した。


 そして今年、王都・ザルタの厳しい予選に参加して、並み居る強豪を下して、一位で通過してきたタケイルには、既に大きな注目が集まっていた。


 タケイルのいる列には、シュラも並んでいた。

 シュラは同じザルタ予選組だが、去年なんと四回戦まで進出して、上位八名まで残った為に、予選なしに本勝に進めるシード選手に選ばれていた。

 尚、本勝進出の常連女剣士のイシコロゲとアランゲハは、もう出場する事は止めていて、タケイルとシュラの補佐に回ってくれている。


 タケイルは大会をよく知ったこの二人が補佐し助言してくれる事で、どれ程助かっているか、言葉に言い表せない程に感謝していた。

 この二人の女剣士の最高成績は、共に上位八名に残ってシード選手となった経験がある。二人は数多い武術大会の猛者の中でも、十回連続本大会に出場したたぐい稀な女剣士としてかなり有名だ。

その為に彼女らのいる山屋敷には、普段から教えを請いにくる者達が後を絶たないほどで、特に女性剣士の中では絶対的な信奉を受けている二人だった。


 試合は四つの試合場で同時に行われる。得物は木剣で大会側が用意した物を使う。

基本的に寸止めだ。

対戦相手に怪我を負わせた場合は、腕が未熟として失格、或いは犯罪として捕らえられる場合すらある。


初日は一回戦五十六試合と二回戦二八試合が行われ、すぐに敗者復活戦が行われる。

二日目は三回戦一四試合と四回戦七試合が行われた後で、敗者復活戦を勝ち残った一名を加えて、準々決勝、準決勝、決勝と行われる。


「タケイル、実力に大きな違いがあろうと本戦では別なの。今まで経験したことの無いものが襲ってくるのよ。大観衆の目は怖いわ。はっきり言って真剣勝負の命のやり取りの方が楽なくらいよ。油断しないで」

 と、前もってアランゲハらが口を酸っぱくして指導してくれたお陰で、十二分な心構えは出来ているつもりだった。


「どんどんどん」

 と太鼓の音を合図に、四つの会場で試合が一斉に始まった。


 タケイルの最初の試合は、第二会場の八試合めだ。

 同じ予選会場の者とは、なかなか当たらない様に配慮されていて、同門のシュラらとは上位に行かないと当たらない。


「うおおおおー」

 と言う地面が揺れるような大歓声と、数え切れない程の無数の目の圧力は予想を遙かに超えていた。

 その事を予想していなかった初出場者は、真っ直ぐ歩く事も出来ずに、実力は遙か下の者と思える者に負けてスゴスゴと去っていった。


 タケイルも実際に会場に立ち試合が始まると、その得体の知れない興奮と緊張感は想像していたものとは雲泥の差があった。

 しかし、前回までの上位の者は、挙動も試合運びも実に落ち着いていた。


「前回優勝のゼンキよ」

 補佐に付いていてくれるアランゲハが囁いた。隣の第一会場で、今まさに始まった試合だった。

タケイルらは、他の皆と同じように席を立って隣の会場に注目した。自分の出番の前までは、他の会場の見学は自由なのである。


ゼンキは四十代と思える壮年の剣客で、相手は二十代と思える青年剣士だった。選手一覧表を見ると内陸の町・トキのタカオと言う名だった。

 タカオはゼンキが前回優勝者と知って緊張の面差しであったが、試合が始まると軽く不規則に動いてゼンキの様子を伺っている。

 ゼンキも正眼に構えたまま、相手に合わせて向きを変えるのみで、攻撃しようとはしない。


 前後に軽く刎ねていたタカオが、不意に袈裟に打ち込んだ。

だがゼンキはそれを受けようともせずに、その手を見ていた。打ち込んだタカオが慌てて引いた。

攻撃はゼンキを誘う一手だったのだ。ゼンキが受けに来れば、電撃の変化を見せた筈だった。


 軽く前後したタカオがまた動いた。が、ゼンキは動かない。そして先程と同じく止まったと見えたタカオの剣が伸びてきてゼンキを襲う。同時に、ゼンキも動いてタカオの剣を躱して、横に回り込み胴にピタッと剣を止める。


「一本!」

と、言って審判の旗がゼンキに上がる。

文句なしのゼンキの勝ちである。両者、中央に戻って礼をして下がる。


「タカオも真っ直ぐな剣を使うね。将来が楽しみだわ。でも、ゼンキはあんなもんじゃないよ。動くときは一気に来るわ」

 アランゲハが解説してくれる。

タケイルも、タカオの誘いを見破ったゼンキの表情は見逃さなかった。

(強敵だ・・)


「シュラの試合が始まるよ」

 アランゲハの声で、今の試合のゼンキの動きを確認していたタケイルは、第四会場に行く。


各会場は三間四方の大きさで、それ程移動しなくて済む。

 第四会場では、控えの場で出場前のシュラとイシコロゲが話していた。


「相手は、前回上位十四名に残ったソノドのライコウよ。お互い相手を知っている筈よ」

 選手の説明までしてくれる補佐がいて、本当に助かるとタケイルは思っていた。実は今まで大会の見学すら、一度もしたことの無いタケイルだったのだ。

 シュラの相手・ライコウはシュラを見つめながら、体をほぐしていた。その様子を観察していたアランゲハが、

「ライコウも、相当腕を上げてきた様ね。でも、タケイルと毎日激しい稽古をしてきたシュラの方が数段上ね」と分析してみせた。


 試合は、想像通りの展開を見せた。

格下のライコウが積極的な攻めを見せ、それをシュラが悉く受けて、攻め疲れしたところをシュラの一撃が決まった。


「今年のシュラは強いわ。準決勝まで残るかも・」と、アランゲハのご宣託が出た。

普段の稽古でも、元強豪の女剣士二人を相手に激しい打ち込みをしているシュラだ。出場経験も豊富で落ち着いている。

「そろそろ、タケイルの出番よ。戻りましょう」


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