第14話・イシコロゲの王子様。
海の彼方に夕日が沈もうとしていた。
高い空が朱く染まり黒い雲がながれるように浮いている。空は海に近づくほど濃くなっていき、やがて濃紫となって鉛色の海に接する。
その際に浮かぶ太陽、そこからイシコロゲに向かって真っ直ぐに黄金の光が延びて来ている。その美しさにイシコロゲは見入っていた。
ここは、デルリ村の北で海に沈む夕日が見られる所・近頃のイシコロゲのお気に入りの場所だ。季節は晩秋・夏に行なわれた武術大会の熱気も冷めて剣士たちの心も落ち着きを取り戻し、新たな目標に向けて進んでいた。
(私の王子様は何処にいるの・・・)
剣術に夢中の青春だった。それがふと気付けば、二十才も半ばを過ぎ三十が近い年になっていた。
行き詰まっていた修業の壁も子供らとの稽古でひとつ越えた。何年も二回戦止まりだった武術大会も今年は三回戦に進出した。そこから見える景色は前とは確かに違う。盟友のアランゲハ、初出場のシュラも三回戦に残ったのだ。素晴らしい仲間に恵まれていると思う。
だが、愛する人はまだ現われてくれない。
(神様、私の王子様に早く会わせて・・・)
気配を消して動く事が出来て、刺客を倒した経験もある武術大会の猛者と言われるイシコロゲ。その心は乙女だった。
「!」
小さな悲鳴が聞こえた。瞬間に体が反応して、その位置を探す。
(左手、人と獣・・)
イシコロゲはその気配に向かって全速で駆けた。最近・凶暴な野良犬が出没して子供を襲うのだ。イシコロゲら剣客には、村からその討伐の依頼が出ていた。
そこは引き上げられた漁師船が並ぶ浜辺だった。
到着したイシコロゲは、獰猛な顔の野良犬を確認した。それほど大型では無いが汚れた毛並みの灰色の犬は敏捷そうだ。並みの大人でも手に余るだろう。
その野良犬の前に立ちはだかる青年がいた。青年の後ろには恐怖で震えている少女がいる。
ひょろりとした手足の長い青年は、傍目でみても強そうには見えなかった。さらに武器らしき物は何も持っていない。野良犬もそう見たか盛んに威嚇をしている。
イシコロゲは気配を消したまま彼らの方に静かに進んだ。野良犬など怖くは無かった。マンス山に住む狼も彼女らを避けるのだ。
だが野良犬に、かすり傷でも付けられるとそこから毒が入る事もある。慎重に対するに越したことは無い。
青年は左手を広げて前に突き出した。それに誘われたように野良犬は手の平に向かって飛んだ。左手はすぐに引かれたが、野良犬の狙いは手では無く足だ。真っ直ぐ青年の左足に向かってゆく。
イシコロゲは見ていた。
青年が手を引くと同時に腰を回して右足を上げて振り降ろすのを。しなやかに延びた青年の右足は、空中の野良犬の首を捕えてその体を地面に叩きつけた。
地面に叩きつけられた野良犬は、すぐに立とうとしたが足が蹌踉めいて倒れた。脳震盪を起こしたのだろう。イシコロゲはすかさず駆け寄り剣を抜いてトドメを刺した。
「うわああああーーー」
と、緊張が緩んだか少女が泣き出した。
「もう大丈夫だから」
イシコロゲは、少女の体を診た。何処も噛まれてはいない。青年が駆け付けるのが早かったのだ。良かった・・・
「お見事でした。貴方のお名前は?」
「僕はセラスト、旅の者です。イシコロゲさん」
「あら、私の名前を知っているの」
「もちろんです。有名なイシコロゲ・アランゲハの美女剣士のお噂は知らぬ者はおりません」
「んふ、美女って言われたのは初めてだわ」
「あっ、それは今お目に掛かって付け加えました」
「ふふ」
イシコロゲは爽やかでいて剽軽なセラストに惹かれた。
あの早い蹴りはなかなかのものね、ですが僅かに手加減している感じがしたわ。
「獰猛な野良犬が子供を何人も襲っていて、討伐命令が出ている事は知らなかったのね」
「はい、少々痛い目に遭わせれば良いだけと考えていました」
それで手加減したのね。わたしがトドメをさしたのを見て驚いていた。
「セラストさんは、体術を学んだ事があるのね」
「はい、子供の頃は体が弱かったので、親が体作りと言って習わせられました。今でも護身のために偶に一人稽古をします」
「それならば、十兵衛さんに見て貰えばどうかしら」
「はい。それもデルリ村に来た目当てのひとつです」
猪俣十兵衛は、先の武術大会で三回戦に残った三人の師として有名になりつつあった。千人を超える出場者がある大会で三回戦に残れるのは僅か十四名だ。その内の三人が同門と言う事は当然ながら注目を浴びる。
最近とみに十兵衛道場を訪れる武芸者が増えている。
少女を家に送り、事情を村長に知らせた。村長は懸念の野良犬が退治された事を知って大いに喜び、二人に金一封とセラストの宿を用意した。
「ふむ、手足の長さと俊敏さが其方の武器だな」
セラストの動きを見た十兵衛が言う。
「護身用であればそれで良かろう。無理に鍛錬して筋肉を付けるとバランスが崩れよう」
十兵衛は、セラストに相手の力を使った体の使い方を教えている。
「あの人が気に入ったようね」
アランゲハは私の態度を見てそう決めつけた。長年の盟友の目はごまかせないみたい。
「うん。だって私達の事を有名な美女剣士って言ったのよ」
「まあ、それは大事にしなければいけないわ」
アランゲハも見掛けや言葉使いによらずに、中身は乙女だと言う事をイシコロゲはよく知っている。
結局セラストは、そのままデルリ村に居着いてしまった。商家であるシクラの父の助けを借りて海産物を加工する仕事を始めたのだ。
年が明けた翌年には、その家にイシコロゲも一緒に住むようになる。イシコロゲがあの日、夕日を見ながら神に願ったことが叶ったのだ。
イシコロゲがセラストと暮らすようになって数日経ったある日、アランゲハは占い師でもある師のガランゲに尋ねた。
「私はきっと生涯独身なのでしょうね・・」
その切ない問いに、優しい顔をしたガランゲが答えた。
「そなたは晩婚じゃ。遠い所から良い男が現われる。そなたより強くそなたを大事に思ってくれよう。まだまだ先じゃ、それまで待つことじゃな」
「はい、何年でも待ちます」
アランゲハの顔は明るくなった。
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