第9話・聖地での修行。
深い森の中でタケイルはうずくまっていた。
目立たない色合いの着物を着て顔には泥を塗り、眼を閉じて苔の生えた岩の如く微動もしないその姿は、周囲に同化していてよく見ないと人だとは思えない。
この年十五才になるタケイルの背丈は、父・十兵衛と並ぶ五尺六寸(168cm)まで延びた。
体が大きくなるにつれて剣の腕も上がったが、父・十兵衛とはまだ相当な差があって稽古でも一度も打ち込めた事が無かった。
タケイルはその大きな体を小さく丸め、蹲って気配を殺して何かをじっと待っていた。
離れた所で微かな音がして、いきなり闘争の気配が伝わってきた。だがタケイルは、その音が聞こえないかのように岩になったまま動かない。
「ミシッ」
すぐ近くで、枝を踏む微かな音がした。
途端にタケイルが飛び出して攻撃する。静から動への激しい変化にも淀みというものがない。
「カツン」
打ち込んだタケイルの一撃を、音を出した背の高い青年が受け止める。
「カツ、カツ、カツ」
と激しく打ち合う二人、そして棒を引いて同時にその場にしゃがむ。
その横手を駆け抜けて行く者がいた。だが、少し行った所で飛んで来た物が体に当たり、微かな憤怒の声と共にその者は地団駄を踏んだ。
飛んで来た物は、彼らが良く使う棒手裏剣替わりの木の枝である。つまりその者はそれに仕留められたことになる。
棒手裏剣を撃った者が木蔭から現われた。少年はまわりを見渡して人数が揃っているのを確認すると突如駆け出した。タケイルと背の高い青年・アランゲハや他の者も駆けて続く。
森は、すぐに急斜面の山になる。
タケイル達は思い思いに斜面を駆け上がり、見晴らしの開けた尾根に到達する。
さらに少し上がり「朝夕の台場」と呼ばれる、大きな平らな岩の上へ座ると、沈む夕日に向かって座禅を組んで瞑想を始めた。
ここは、タケイル達が暮らす海の国・デルリ村から南西に四十五里(180km)ほど離れた国境の山・マンス山の懐である。
タケイルの父・十兵衛が山籠もりでの修行を提案して、それにシュラ・ソラ・シクラの子供らが同行した。
このマンス山の一帯は山岳修行の聖地で、紹介があれば宗派を問わず武芸の修行者まで受け入れてくれる寛容な場所だ。
ここを紹介したのは、山屋敷の主・ガランゲだ。
「儂が若い時から、何度も修行した山じゃ」
その立地や自然環境が、修行するのに適した所であるらしい。特に、自然の森の中で修業が出来、朝夕の太陽を眺められる場所がある事・という十兵衛が出した条件に合っていた。
タケイルらの山籠もりを知ったガランゲの弟子の二人も、新たなる境地を求めての同行を希望した。
彼女らは、最近では剣の腕で背が高く力も強くなったタケイルに及ばないし、シュラも互角以上に腕を上げてきていて、修行の壁に突き当たっていた二人だった。
イシコロゲとアランゲハは、腰つきは女性らしく豊かであるが胸はあまり大きくなく十二才の少女・ソラと遜色ない。このために髪をばっさりと切った二人は、傍目では男性に見えて聖地に入るのに支障は無かった。
夕日が沈むと瞑想を解いた彼らは跳ぶように山を下りて、宿舎に戻り夕食の支度を始める。
飯を炊く者、魚を焼く者、野菜を切る者、座を整える者、それぞれがてきぱきと動き、殆ど口を聞かない。交代で水浴をして、座に並ぶと黙って手を合わせて食事を始める。
修行の場では、余計な口を聞かない。
目を見て、相手の意図することを感じるのも、大事な修行のうちなのだ。
彼らは、もはや野生の動物の群れと化していた。朝、暗い内から起き出して、おもいおもいに剣を振る。或は組み打ちをする。礫や手裏剣を撃つ者もいる。
そして、薄明かりがさしてくると山に駆け上がり、朝夕の台場で座禅して朝日が上がるのを感じる。見るのでは無く感じるのだ。
「大地の動きを感じて自然と一体になり、自然を味方につける」
と言って十兵衛が彼らに課したものは、朝晩のこの座禅だけだった。
彼らが、国境を鋏んで位置するマンス山の四つの修行場の一つで、修行を初めて、既に三週間が過ぎていた。
マンス山麓には四つの修行場がありその場所は、安東(あんどう)・安西(あんざい)・海東(かいとう)・海西(かいせい)と言う。
その内の海東・海西は海の国の領内で、海の国の東側・西側と言う意味だ。残りのふたつはマンス山稜線の国境を鋏んだ北信国の領内だ。
その四つのうちのひとつ、海西地区が十兵衛らの貸し切りで他の者は入らない。それもガランゲの紹介の力であった。
ここでの生活に必要な物は、入り口を入った所にある主神殿の辺りにある支給所で調達できる。そこには前もって当座の銭を預けてあるので、煩わしい銭勘定をする事も無い。
つまりここにいれば他人との交わりは最小限で、口を聞く事も無く修行に没頭できるのだった。
今、彼らがやっている事は、敵が待ち伏せしている所をすり抜ける稽古だ。これを三人ずつ交代でしている。
待ち伏せ側は、岩となり木となり草となり土となり自然と同化して侵入者をひたすら待つ。
抜ける側は、待ち伏せの位置を察知して、何とかすり抜けようとするがそれはまず無理な事だった。
人が動けば気配が漏れ音も出るのは避けられない。それ故に、待ち伏せ側が遙かに有利なのだ。
だが、何度も繰り返すうちに、抜ける側にも変化が現われる様になった。
敵の待ち伏せを目視出来ずとも感じるようになった。そして気配を消して待ち受ける横や後ろからの不意打ちに、自然に対応出来る様になってきた。
これは、大きな進歩である。
それもこれも会話を減らして、感じる事を最重要とする生活をしている成果であろう。
さらに待ち伏せる側も進歩してきて、気配を全く感じさせずに自然と同化して、敵を襲う時にも最小限の気配で行動出来る様になってきた。
やがて、双方が敵の包囲を破って、陣地に到達する稽古となった。
どちらも待ち伏せ側であり、侵入側である。
森の中で、無言の闘いが何度も繰り返して続いた。
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