第8話・シュラとソラ。
それから数ヶ月経った夏の終わりの昼時に、ソトミと言う男が十兵衛を尋ねて来た。大きな西瓜と野菜を沢山入れた駕籠を背負って来たソトミは、百姓をしていてシュラとソラの父親だ。
ソトミは以前に十兵衛の手習い所で夫婦共々に文字や算用を習った。そのお蔭で文字も書けて計算も出来るようになった彼らが、季節の物を届けてくれるお陰でこの家の生活が成り立っていると言っても良い。
「おおい、旨そうな野菜を貰ったぞ」
十兵衛が声を掛けると、今ではすっかりこの家を取り仕切っているモミジが出て来た。
「うわあ、美味しそう。ソトミさんありがとう御座います」
しばし賑やかな話が盛り上がった。
「先生よ、最近シュラがえらく悩んでいただ」
野菜と共にモミジが奥に下がると、ソトミが真剣な顔に戻り話題を変えた。
「それは、儂も知っておる」
十兵衛も気付いていた。
アクロスが稼業の漁師を継ぐべく、見習いとして船に乗ったのは、この春からだ。同じ年のシュラも、自分の将来の事を考えて当然だった。
だが、シュラの将来はシュラが決めることなのだ。十兵衛も黙って見守っていた。
「うちには後を継いでくれる長男がいるだ。シュラが手伝ってくれるのは、助かるし有り難いが、シュラは俺に似ず頭が良くて慎重な上に機転も利く、腕っ節も強い。このまま便利に家の手伝いをさせて、無駄に年を取らせていい訳が無いだ」
「ほうー」
と十兵衛は、ソトミが子供の事を冷静に良く見ていると感心した。
「だといって、何をしたいと、シュラが言い出さないと事が進まぬな」
「それだ」
ソトミが相づちを打って、十兵衛の顔をじっと見つめる。
「何だ?」
「シュラがやりたい事が解っただよ。あいつは先生の様になりたいらしい」
十兵衛はソトミが何を言ったのか解らずキョトンとした。
「わ・儂の様に、手習いの仕事か? いや道場か・・ふむ、シュラの腕なれば、ゆくゆくは道場を開いてもやって行けるだろうが・・」
海の国武術大会で上位に残ってザルタの町に道場を開けば、シュラならばやって行けるだろうと十兵衛は思った。
シュラはタケイルの影に隠れて目立たないが、素質は十二分にある。或いは儂よりは上を行く剣者になるかも知れぬと思えるのだ。
その妹のソラもそうだ。
常に年上・格上の者と稽古し、その動きにも充分について行っている。勿論、まだ小さいので稽古でも同じ程度は求めないが、それにしてもソラには大したものがあると思っている。
ソラは、イシコロゲ、アランゲハより上を行くだろう。
「いや、そうじゃ無えので。あいつは、その・・何と言うか、剣客に成りたいらしいので」
「剣客?」
十兵衛は、ソトミの言おうとすることが良く解らなかった。道場経営だって剣客の仕事なのだ。
「その剣の腕を活かして誰かを守る様な、仕える様な事をしてみたいと・・・」
それなら解る。シュラは剣で仕官したいのだろう。
「だが儂は、知っておると思うがこの国の者では無い。仕官に繋がる様な知り人は一人もいない」
「へえ、知っております。でもまずは先生の元で、修行したいと言うのです」
ようやく話が見えた。要は、しばらくここで修行したいと言うことであろう。
「それなら構わぬ。今までと大差が無い。それで良いか」
「へえ、先生がそう認めて下されば、今までと大差が無くとも家族やシュラの気持ちは、今までとずいぶん異なります。ありがとうござえます」
十兵衛もシュラの沈着冷静な行動は、得難き才能だと思っていた。こう言う事を伝えるのにも、まず父親を説得して動かす気配りを備えていた。
剣の腕前も、かなり年上で武術大会の猛者二人の女剣士に、早くも匹敵する腕前になっており将来が楽しみである。
翌日、シュラはそのことの礼を言うと、早速手習いの手伝いをし始めた。思ってもみなかった事だったが、シュラは中々に教えるのも上手だった。
丁寧で根気があり、全体を見ることが出来る。ものを教える才能があった。
それから僅か三日もする内に手習いの事は、シュラに任しておける様になった。子供のころから常にこの家に出入りをしていて、家の事や手習いの事などは知り尽くしていたのが大きい。
お蔭で十兵衛は空いた時間が出来る様になった。それは思わぬ嬉しい事だった。そしてもう一つ思わぬ事が起きていた。
なんとシュラに、妹のソラが付いて来ているもようなのだ。
ソラはそれまでも常に周りにいたので、すぐには気付かなかった。習い事する子供達に混じって座っていたり、いつの間にか夕食の席にちゃっかりいたりするのだ。
ところがいつも居るかと思えばそうでも無い。いない時も多いのだ。
その事をシュラに聞くと、ここと同じ様に山屋敷にも出入りしていて、一緒に稽古をして飯を食べ、そのまま泊まったりもしているようだと言う。
又、たまには家に帰って、農家の仕事を手伝って、親の顔を見ているとも言う。
(ソラは、まるで気ままなのら猫だな・・)
十兵衛は、放っておくことにした。たまには、モミジを手伝って家事もしてくれるのだ。重宝するし、邪魔にはならない。
ソラの両親もどうやら、シュラとソラはセットの様に思っているらしく、気にも掛けていない様子なのだ。親が気にしていないのに、十兵衛らが気にする事もない。
それに、ソラはああ見えて、大の男でも手に負えない程の剣術の腕を持っているのだ。前に来た女刺客を辛うじて防いだのも、ソラの感覚と機転のお陰だった。
自分は地道に稽古するしかない。と、シュラは思っていた。
タケイルの真似は出来ないのだ。
タケイルは、最初会った時から圧倒させる何かを持っていた。どうしても年下のタケイルに勝てないのだ。生まれつき持っている素質と言う様なものを、強く感じさせるやつだった。
最近になって、それが何か、おぼろげに理解出来る様になった。
たぶんそれは、タケイルの出自に関わる問題なのだろう。繰り返し襲ってくる刺客は十兵衛さんを狙っているのではなく、はっきりとタケイルを狙っているのだ。
遠い国から何年にも渡って手間と金を掛けて刺客を送るほど、タケイルは恐れられる存在なのだ。タケイルの受ける重圧は、並大抵では無い筈だ。
そんなタケイルに、勝とうという方が間違っている。
「英雄となり、この国を救う者だ」
と、ガランゲがはっきりと予言したのだ。
それでも、シュラは剣術が好きだった。
「シュラは、何か好きな事を見つけて、その道に生きるのだ」
と、小さい頃から親に言われてきた。
「俺は、親父の後を継いで、漁師になる」
と、同い年のアクロスが真剣な表情で話したのは、この春のことだ。それから漁が終わった夕方に時々稽古にくるものの、一緒に遊ぶこともなくなった。
(俺のやりたい事・・)
それは剣術しか思い当たらなかった。それも道場を開いて教えるよりも、単独か少ない人数で動く仕事がいい。そう親に打ち明けた。
「十兵衛さんの元で腕を磨いて、海の国・武術大会に出場する」
その選択しかなかった。
その願いはすぐに受け入れられ、十兵衛さんの家で住み込みで働く事になった。
だが、子供らに手習いを教えてみると、以外と自分に向いていると思った。剣術の稽古をしている時以上に、成長してゆく子供達を見ていると嬉しいのだ。そこに、小さい時の自分を見つけられたりもする。
(何事もやってみなければ解らないものだな・・)
そう思いながらも、剣術三昧の日々に確かな手応えを感じているシュラだった。
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