第6話・漁師祭りの夜
それから三年が経った。
季節は初夏、空は青く緑は燃えて素晴らしい季節だが、吹き抜ける風は生暖かくて、うんざりする夏がすぐそこまで来ていることを告げていた。
明日・七月七日は、漁師祭りの日だった。
海の国で一番広いザルタ湾は、最端の村・デルリ村から、対岸・ザルタの町まで二里半もあるが、その内のこちらの一里半程が漁師の湊だ。
その村々の漁師が、前々日の昨日から漁を休み、船を豪勢に飾り付けて海の神様を喜ばして、今年の漁の豊作を祈る祭りが漁師祭りだ。
明日の本祭りには、海辺に飾り立てた漁師船が百隻も並び、ザルタ湾をぐるりと漕ぎ進む。
その様子を王様の一家も観覧して、より目立った船に褒美を下さる習わしになっていて、漁師達も飾りに熱が入るのだ。
街道沿いには屋台の列が並び、漁師や農民も小店を広げる。今日の夜は、前夜祭で、花火も打ち上がり祭りを一層盛り上げるのだ。
浜通りには、賑やかな笛や太鼓の音が絶え間なく聞こえて、ザルタの町からも、見物人がどっと繰り出して賑やかだった。
ソラは十才になっていた。
小さめの体と可愛い顔、くるくると回る大きな瞳が聡明さを現わして、何よりも名前通りに、青空に突き抜ける様な明るい気性が、周りの人に愛されていた。
その日は、新しい着物に袖を通して、足も心も弾む様に軽く、皆に見せようと、湊に向かった。次兄・シュラといつもの遊び仲間は、アクロスの家の船を飾るのを手伝っている筈だ。
湊には船を飾る者とそれを見る大勢の者が往来している。また屋台や小店が無数に出ていて、沢山の人出で賑わっていた。
今日は、村の人口の数倍の人が、ここに訪れているのだ。
アクロスの家の船は、飾り付けの真っ最中であった。帆柱につけた横桁に子供らが上がって、飾り付けの手伝いをしていた。
彼らに声を掛けようとしたソラは、その瞬間に強い視線を感じて小店の陰に隠れた。その素早い判断と動きは、山中での稽古が生きていて野生の動物のように的確だった。
屋台の列の数軒先から、険しい顔で見てくる女がいた。
ソラは女の視線が自分ではなくて、アクロスの船を見ていることを確かめると物陰に隠れてそっと女の横に回り込んだ。
その女は見かけない顔だった。村の者では無い。美しい顔立ちに、艶やかな着物を身につけている。だが、船を見ているその目つきは刺すように鋭く冷酷だった。
ソラは、そんな目つきを過去に見た事がある。
それはタケイルを殺しに来た刺客だ。
ソラは数年前に刺客に襲われて、母と兄と共に浚われ殺されかけたのだ。
(この女は、刺客かもしれない・・)
少しして女はふっと視線を外すと、優しそうな顔に戻り歩き去った。
ソラは気配を消して、人混みに紛れて女の後をつけた。
女は屋台を冷やかしながら、ぶらぶらと歩いて南に向かった。デルリ村を離れて南に向かおうとしている模様だ。
(誰かに知らせなきゃあ・・)
ソラが誰にも何も告げずに行方が解らなければ、皆に心配を掛ける。だが今は、女の後をつける方が大事なのだ。
やがて、女は右手に折れて、山屋敷に向かう道を通りすぎて行った。
(・・そうだ)
ソラは曲がり角に、小石で目印を作った。仲間内だけで通じる目印のひとつで、山で離ればなれになったときに、自分がどっちから来てどっちに向かったか分岐路に置く目印だった。
ソラが行方不明になった時には、仲間が良く行く山屋敷にきっと確かめに行く筈なのだ。
(これに、気付いてくれますように・・)
ソラは、小石に願いを込めて置いた。
女はそのまま海街道に向かって、ずんずん進んでゆく。
いつもは人通りがまばらな道にも、今日は、ひっきりなしに人が往来していて、女の後をつけるのは簡単だった。
しばらく歩くと、女は左・ザルタ湾の方に折れた。
そしてそのまま真っ直ぐ進み、不意に立ち止まると前後を見渡し屋根の傾いだ廃屋に入っていった。
それを、曲がり角の植え込みに隠れて見守っていたソラは、そっと廃屋に近付いてみた。
中から、話し声がする。
壁が崩れているかして、話は筒抜けに聞こえる。
「どうだ、お仙、子供の顔を確認したか?」
男の声が聞こえてくる。
廃屋の中に、仲間が待っていたようだ。
「子供は三・四人居たけど、背が高くて目が綺麗な子がタケイルだね」
今度は女の声だ。きっと後をつけてきた女だろう。
「そうだ、聞き込みではそう聞いた。間違いないだろう」
ソラは、タケイルの名前が出て、はっきりと刺客だと確信した。
兄のシュラやアクロス・シクラの中では、今はタケイルの背が一番高い。
「なかなか可愛い子だねえ。殺すのがおしいわ」
「子供の父親代わりは武芸が達者だと聞いた。その子も武芸を習っている筈だ。気を付けろ」
(父親代わりって・・・・・・?)
ソラは聞いてはいけない事を聞いたような気がした。
「あらあ、私は力ずくなんて野暮な手は使わないわ」
「どうするつもりだ?」
「あの子は母親がいないわ。私が、昔別れた母親だと言って近付くのよ。祭りの夜に会いに来たと言って、抱きしめる。そうすりゃ動揺してひとたまりも無いわ。そこを、ブスッと一刺しだね」
「ふむ。それは、イチコロだな。女は怖いな」
それを聞いて、ソラは愕然とした。
そんな手を使われたら、間違いなくタケイルは動揺して、女の刺客の手にかかるだろうと思ったのだ。
タケイルが時々、海の彼方を見ながら寂しそうにしているのは、きっと母親の事を思っているのだろうと、ソラも感じていた。
(この事を、早く誰かに知らせなきゃあ・・)
ソラは今すぐに皆に知らせようと立ち上がり、表に向けて駈けた。
そこは様々な物が散乱する廃屋の庭だが、山中を駈けまわるソラには何と言うこともない所だ。足音も立てずに走り抜けられる。
だが普段と違う着物を着て、足が半分も自由に動かせない事を忘れていた。それは致命的なミスだった。結果、何かに躓いてバランスを崩して、それを補なう動きは着物に遮られた。
「ガシャンー」
ソラは走り出す勢いそのままで足を取られて、積み重なったぼろ建具の山に転げ込んだ。
「誰だ!」
彼らは薄暗い世界に生きる者。こういう時の反応は早い。男があっという間に外に飛び出してきた。
ソラは慌てて起き上がろうとしたが、ぼろ建具はグズグズに腐っていて、手足にまとわりついて、思うような姿勢をとるのに手間取った。
男の後に飛び出して来た女・お仙が、跳ね起きて逃げようとするソラに向かって、掴んでいた棒を投げた。
それを走りながら、ちらっと見たソラが掴んだ。さすがに、年上の子や猛者たちと剣の稽古をこなすソラであると言えよう。尋常の子供の出来る事では無い。
だが、同時に飛んで来た鞭に足を取られて、再び音を立てて転倒した。
それでもすかさず起きようともがいたソラの首に、男の短剣が当てられた。
「何するのよ! 遊んでいただけじゃない!」
ソラは咄嗟に言い繕うも、男は相手にしなかった。
「じゃあ、なぜ逃げようとした?」
「そ・それは、急に出て来たから、驚いて・・」
「信じられぬな。お仙の放った棒を走りながら空中で掴んだ。あんなのは俺でも出来ねえ」
この男は、鞭打ちの定次と呼ばれて、三間の鞭を自由自在に使う密偵であったのだ。
「お仙、あとを付けられたのか?」
厳しい目つきでお仙を見る定次。
「覚えは無いけど、そうかも知れないねぇ・・」
「ドジ踏みやがって、後で折檻だぞ」
定次は部類の女好きである。
これで色気たっぷりのお仙を、自由に出来る口実が出来たと内心ほくそ笑む。
「畜生、仕方ないね。その子は、とっとと殺っちまいな」
定次は、ソラの頬を掴んで顔を向かせて、
「こいつは上玉だ。あと三年もすれば、高く売れるぞ」
と、下舐めずりするように言ってソラの体をまさぐった。
「そうかい、仕事の前に面倒にならなければ良いがね・・」
自分の落ち度でこうなったお仙が、諦めた様に言った。
ソラは、手足を厳重に縛られて、柱に縛り付けられていた。
(あんな大事なところで、転ぶなんて・・)
自分の迂闊さに、胸が締め付けられる気持ちだった。
もし、奴らがタケイルを殺して、自分を連れて行こうとしたときは舌を噛んで死のう。そう心に決めた。
(よその国に連れて行かれるなら、生まれ育ったこの国で死のう)
きっぱりと決めたソラだが、
「忍びの道とは、最後まで諦めぬ事。生き抜く術だ」
と言った十兵衛さんの言葉が、頭に浮かぶ。
(まだ諦めちゃだめ)
とは思うものの縛られた縄は厳重で、覚え立ての縄抜けの術も効果がない。
(今頃、タケイルは・・)
と思うといても立ってもいられないのに、まったく身動き出来無いもどかしさにソラは身を焦がしていた。
あれから密偵の男は、奥でお仙を二時間も嬲っていた。その声と体がぶつかる浅ましい音をソラは耐えて聞いた。
そして、闇が薄く訪れると二人は一緒に出て行った。
それからが長く感じた。
焦る思いとは裏腹に、時間だけが空しく過ぎていった。
(何か、方法はないの)
必死で考えたが、やはり縄を解くしかない。
何度も何度も手首を動かして少し綱を緩めたが、厳重な縛り方でそれ以上は緩みそうになかった。
だが、縄で擦りむけて痛い腕を動かすことしか他に方策は無かった。ソラは、絶望しながらもその作業をひたすら続けた。
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