第2話・山屋敷の呪術師


「ゴーン」と、村の寺院の鐘が鳴った。

夕七つ半に鳴らされる鐘だ。仕事終わりの合図になっている。子供達もこの鐘の合図で家に帰ることにしていた。


「おっ、もうこんな時間か。帰ろうぜ」

「よーし、競争だ!」

「わあー」


 賑やかな声と共に、子供たちが手鞠の様に弾んで、山道を駆け下りて行く。村へと続く丸く掘り下げられた道の斜面を、子供達は駆け下りる勢いに乗って真横になって、斜面から斜面へとじゃれ合うように、クルクルと回転しながら、猿のように駆け下りて行く。


 かなり下がった所で道は分岐している。

真っ直ぐ進めば子供たちの住むデルリ村へと続き、右手に進めばすぐに平らになり柵に囲まれた広い屋敷へと続いている。


 子供たちはその分岐で不意に止まり、顔を見合わせて頷くとそっと周囲を伺いながら、腰を落として忍び足で右手の道を進みはじめた。


 子供たちが目指す先は山屋敷と呼ばれる広い屋敷で、屋敷の主はガランゲと呼ばれる年齢不詳の恐ろしい婆様。職業は呪術師だ。


 ガランゲは呪術師だけで無く、剣術の達人とも言われている。また王都の権力者にも顔が利くとも、聖者であるとか大盗賊であったとも噂されている。

ようは得体の知れない不気味で恐ろしい婆様なのだ。


皺だらけの黒ずんだ顔に異様に光る大きな目。村の子供たちはこの不気味な婆様を恐れてあまり近寄らないし、遠目で見かけると逃げてまともに顔を見た事がないのだ。



だが、この五人の子供らは、ガランゲを避けようとはしない。何故なら、彼らにはこの屋敷を訪れる目的があるのだ。


ガランゲには若い女性の弟子が二人いる。彼女らはガランゲの身の回りの世話をして剣術を教わっているのだ。

一人は小柄な狸顔の女でイシコロゲで、もう一人は背が高く狐の様な細長い顔が印象的なアランゲハだ。


いずれもここ海の国で開催される武術大会の予選を連続して突破している剣術の猛者たちなのである。

武芸者の凜々しさに華やかさを兼ね備えた彼女は、近隣の若い者たちの憧れの的なのである。


その彼女ら二人は、この子供らにいつでも隙を見つけて打ち込んで良いと許可している。

山中の難所を遊び場として駆け回る子供らの身ごなしは、その姿の小ささも加味して察知するのがなかなか困難だ。そんな子供らに隙を付いて攻撃されることは、彼女たちにとっても良い稽古になるからだ。


今日も子供らは、憧れの剣士である彼女らの隙を狙って、一杯食らわせようと目論んで忍び足で山屋敷の庭に向かったのだ。

だが、その日は子供らの企みは達成出来なかった。


なぜなら侵入した庭から高く鋭い気合いと共に闘う気配が伝わって来た、二人は今、稽古中なのだ。子供らも稽古中の二人の邪魔をするわけにはいかない。

山屋敷の庭では、イシコロゲとアランゲハが木剣を持って対戦していた。それを師匠のガランゲが縁側に座り見ている。

子供達は仕方無く庭の端に並んで稽古を見物した。


「やあー」「えいっ」「やあー」と、いう激しい気合が交錯している。

さすがに武術大会の本戦常連同士の稽古だ。激しい気合と攻防が続く。見ている子供達も手に汗を握り、何かを盗もうと食い入る様に見つめていた。


激しく目まぐるしい一進一退の攻防がしばらく続いた。

「やめい!」

師であるガランゲの声が掛かって二人が左右に引く。


「二人共悪くは無いのだが、どうも何かが足りぬな・・」

 ガランゲが頭を捻って考えている。稽古の終わった二人も自分たちの足りないものを考えているようだ。

ふとガランゲの視線が上がって、庭の端で並んで見ている子供らを一瞥した。


「子どもらが、やりたそうにしているぞ。相手をしてやったらどうだ」

 言われた二人が、後に視線を巡らして子供らを認めた。


「やるのか?」

狐目のアランゲハが、高い目線から無造作に聞いてくる。言葉は存外に荒いが、決して不機嫌な訳ではない。彼女はこういう性格なのだ。

聞かれた子供らは輪になって相談する。


「まともに行ったら束になっても勝ち目は無い。俺とシュラが挟んで派手に攻撃する。その隙を見てお前らが攻撃しろ」

子供らの中で最年長のアクロスが指示を出す。


「小さいソラとシクラは、足下を攻撃しろ。背の高いアランゲハは上下の攻撃に弱いとみた」

アクロスと同い年のシュラが、具体的な策を付ける。ソラはシュラの妹だ。


「タケイルは、その隙を狙って打ち込め」

これで皆の役割が決まった。



 背の高いアランゲハを、五人の子供達が取り囲んだ。

左右からアクロスとシュラが声を上げて、賑やかに牽制をする。ソラとシクラは、背を低くしてあけすけに足下を狙っている。

 囲まれたアランゲハは、それらを無視してタケイルに対して正眼で構えて動かない。

子供らの中では、タケイルが一番手強いと知っているのだ。


 タケイルは物心ついた頃から木剣を振っていて、父に厳しく教えられてきたせいで子供らの中でも一番の使い手として認知されていた。


「ええい!」

 声と共に右から打ち込んできたアクロスの棒を跳ね上げて、肩口を叩いたアランゲハは、足下を狙ってきたソラとシクラの攻撃を飛び上がって躱して、着地と同時に二人を打ち倒す。


 勿論、打つ瞬間に怪我をさせないように手加減している。

 その隙に、シュラが左から飛び込んで行った。辛うじてシュラの棒を受けた瞬間、タケイルの放った一打がアランゲハの腹部を打った。


「それまで!」

 ガランゲの宣言に歓声を上げる子供らと、悔しそうな顔をするアランゲハ。


「アランゲハもその子が手強いとみた様だが、他の子供らの見事な連携攻撃に注意が逸らされたな。今度は一対一でやってみるが良い」



 今度は、アランゲハとタケイルの一騎打ちだ。

タケイルの背丈は四尺(120cm)を越えたばかりで手足もまだ細い。それに比べて、女性ながら五尺六寸(168cm)と並の男より背が高いアランゲハ。

まさしく大人と子供の対決だ。


アランゲハは先ほどの屈辱をとり返そうと、大上段に構えてタケイルを上から刺すような視線で威圧してくる。

 タケイルにとっては大きな壁が立ち塞がったような感覚だ、さらに上からのし掛るような圧力にじっと耐えて攻撃の瞬間を計る。


(小さい者、得物が短い者が、より速く、より多く動かなければならぬ)

 父・十兵衛の教えが頭に浮かんだタケイルが、猛然とアランゲハの懐に飛び込む。

それを、狙い澄ませたアランゲハの振りおろしの一打が襲う。


タケイルは鋭い降りおろしの一打を辛うじて躱して、アランゲハの懐に水平の一打を放つ。

「がきっ」

 と音がして、それを受け止めたアランゲハの目が光っている。

そのまま突き刺すような鋭い目つきでタケイルを押し込む。タケイルは全力でそれに耐えようとするも、体格の差はどうにもならない。足を滑らせてずるずると押し込まれる。


 アランゲハは一気に押し込み離れた瞬間に、肩口を狙って打ち下ろした。

 それを横にごろごろと転がって躱すタケイル。

二回転して膝を着いて起き上がろうとするタケイルを、アランゲハの電撃の水平打ちが襲う。

それを体の横に回した棒で受け止めるが、棒ごと弾き飛ばされた。転がったタケイルに、アランゲハのとどめの一打が決まる。


「それまで!」

 やはり一対一では、体力の差の大きさは如何ともし難くまだ子供のタケイルでは、大人で剣術の猛者のアランゲハには敵わない。


「そなた、なかなかやるな。アランゲハがすっかり本気になっておったわ。名は何という?」

 ガランゲがタケイルに聞く。


「タケイルだ」

「ほう、そなたが猪俣どののお子か。猪俣どのの噂は聞いておる。大層な剣客だとか。なるほど、そなたの腕を見ればその噂は真実の様だな」


 感心した様にガランゲが言い、今度はアランゲハに聞く。

「どうだ、小さい子供に本気になった感想は?」

「はい、タケイルの剣には煌めきを感じます。小さな子供なのに、何か得体の知れない大きさを感じて、本気になってしまいました」


 若い女性らしく、頬を染め恥ずかしそうに言うアランゲハ。


「そうか、得体の知れない大きさか、どれ、この婆によく顔を見せておくれ」

 ガランゲがしゃがみ込んで、タケイルの顔をじっと見つめる。


「ふーむ。確かにこの子は強い星の下に生まれている。多くの者がこの子の成長を待ちわびている。やがては英雄となり、この国を救う者となろう。いやこの国だけでは無いな、多くの国が救われる・・」


 しばらくタケイルの顔を見ていたガランゲが、感慨深げにそう言った。この日ガランゲの予知した事は、やがて全て実現する事になる。



「タケイルにはそのうちに、お前達二人掛りでも太刀打ち出来なくなろう。今のうちにせいぜい稽古をつけてやって恩でも売っておけ。それにさっきの稽古で分かる様に、子供らとでも充分に稽古になる。稽古を付ければ、子供らは日毎に強くなって行く。段々と手強くなっていくのだ。お主らもそれに合わせて強くなって行けば良い。もっと子供らとの稽古を積極的に考えたらどうだ」

 と、二人の弟子に言い残して、屋敷に入っていった。そこに残った子供らと二人の弟子は、ガランゲの言葉を考えていた。

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