02.鞭と飴

 望来明夜音もうらいあやね。彼女が人間関係に関して普通の人間とは違うのは間違いないが初対面で会話ができないところを見せてしまえばブラックリスト入りさせられるのは当然だ。それに「糸」のことは別にして入学早々学校に来ていなかった俺に話をかけてくれたのだ。それなのに俺はこんな序盤でプレイミスしてしまったって訳だ。これがゲームだったら直ちに電源を切るのだが。


「おい、ボォーッとするな。さっきから聞いているだろ? 魅上、君は病室で何をしていた? 暇だったんじゃないのか、忙しかったのか? なぜマークがこんなにも奇麗に一列に並んでいるんだ?」


 それはね、白しら羅義らぎ先生、マーク式の課題というのは生徒からすれば最も簡単な課題なんだよ。途中計算を書く必要もないし、悩んだ形跡を残す必要もないんだ。いくらズルと言われるようなことをしても証拠はない! なんて言う勇気はどこを探してもない。


「えー、偶然という奴ですね。いや、むしろ驚愕したのはこっちですよ。だって考え抜いた結果全て答えが①なんですよ。いやー驚いたなぁ」

「ほう。これがすべて君が考え抜いた結果であると。そんな言い訳が通用すると思っていると。なぜわざわざ職員室に呼び出したか分かっていないと。初めて会ったときから君の活力がないその目、その髪型、顔にはなにか潜んでいると思っていたがこれほどまでの魔物が住んでいたというわけだ。なぁ?」


 台パンするかの勢いで俺の入学前課題を机に叩き置く。周りの教師たちも思わず肩が上がってしまうほどの迫力。それと目、顔、髪型は関係ないでしょ。


「は、はい。ま、まあ、偶然が重なってしまったことは謝りますよ……。今度から気を付けるんでとりあえず今日はこの辺で……」


 体の向きを変えようとしたそのとき、熊にでも腕を掴まれたのではないかと錯覚してしまうほどの腕力が俺を襲った。


「この辺で、なんだ? 帰るのか? 違うよな? 出された課題をまともにできない奴が今度もクソもあるわけないよな? 自分の口から言ってみたらどうだい、ミ、カ、ミ、ク、ン?」


 ああ、熊に襲われたときってこんな感じなんだろうな。これが噂のVRってやつですか。凄いですね、職員室の空気が一匹の熊の唸り声だけでだけでまるで変ってますよ。


「も、もちろん、帰るわけないじゃないですか……。忙しい先生にこんな時間を割かせてしまっているんですから反省文でも書きたいなぁ、あははは……」


 生存本能的に口が勝手に動いてしまった。


「さすがは私の生徒だ。とりあえずじゃあ、第三アリーナの掃除を頼む。きれいにしておけよ、終わったら私が直接見に行くから」


 目が笑っていない笑い。


「仕上げの点検までしていただけるなんて嬉しいなぁ……。それじゃあ、こんな機会またとないのでじっくりとやらせていただきますぅ」


 早足、というかほぼ走った。職員室を出て教室に戻りようやく心拍数が通常の二倍程度になる。明かりが消えた薄暗い教室に人はいない。そう思い込んでいたのが油断だった。


「うわ! びっくりしたぁ。魅上くん、まだ帰ってなかったんだ」

「あ、ああ……」


 教室に入ってすぐそこに彼女がいた。望来もうらい明夜音あやね。腰をかがめながら机で紙に何かを書いている。

当然、この前のことが頭をよぎる。よぎらなくても女という生き物にこちらから話題を振り相手を笑わせることができるほどのテクニックはない。俺はテクニシャンではないのだ。しかし何かを言うべきだ、頭より先に口が動いていた。


「なにしてんだ?」

「これは、学級委員の仕事。私昔からこういうのやってきたから、やるのが当然みたいになってきちゃってて。その流れで高校も学級の副委員長になったんだ。魅上くんは?」

「ん、まあ、なんかよくわからないが、白羅義先生にアリーナ掃除しろって言われた。そんなに俺って家政婦に向いてるのか」

「怒るってのは期待すると同義らしいから、俺は期待されているだけだ。望来……さん、も学級委員の仕事早く終わるといいな。じゃあ、俺は行ってくるわ」

「絶対違う……。けどとりあえず白羅義先生に怒られたのはわかった」

「怒るってのは期待すると同義らしいから、俺は期待されているだけだ。望来……さん、も学級委員の仕事早く終わるといいな。じゃあ、俺は行ってくるわ」


真っ白い糸。それが示すのは何か。目の前の笑顔が、教室で友達と楽しそうに話をしていたあの時間は嘘なのか。望来明夜音は今日出会ったばかりの人間。他人事のはずなのに自分の感情がなぜこんなにも複雑になっているのかわからない。糸の色が示すのは人同士の関係性だとするのならばこの人、望来明夜音は誰にも興味を示さない、完全に無関心な人間だということだ。そんな人間、存在するのか? あり得ることなのかどうか今この状況の俺に答えを求めることはやめてほしい。


「まって! 私も手伝うよ、掃除」

「いや、望来さん関係ないでしょ。というか学級委員が罰を手伝ってどうするんだよ」

「学級委員だから手伝うんだよ。だってアリーナでしょ? 広いってイメージしかないよ。それに魅上くん、見た感じ反省してないしサボってどこかに行っちゃうかもしれないでしょ?」


 白羅義先生がこの学校にいる限りそんな心配は無用なのだが、望来明夜音は先生の本性を知っているのだろうか。


「その心配はないが手伝ってくれるならありがたいかもな」

「決まりだ! じゃあ、これすぐ終わらせるね。ちょっと待ってて。あ、それと魅上くんってあんまり女の子にさんとかつけないタイプでしょ? 喋ってる感じが不自然だったし。ぜんぜん呼びやすいように呼んでいいよ、呼び捨てでも、あだ名とかつけてくれてもいいけど……」

「じゃあ、望来って呼ぶことにする」


 さん付けが慣れていないのではなく女と、人と話すということに慣れていないだけなのだが、そう受け取られなかっただけ良しとしよう。なんてことを考える余裕はなかった。彼女の糸が真っ白な理由、それに少しでも近づこう、俺は決心した。

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