5

海に静寂が戻ると、一行は再び鯨の尾を目指して進みだした。だいぶ時間は掛かったが、なんとか氷漬けにされている所まで来た。

「うわぁ、やっぱりデカいなぁ」

案の定、氷はとても大きかった。しかし、これを壊すか溶かすかしなければ、鯨の神は本来の力を取り戻せず、海も寒いままなのだろう。

「どうしましょう、これは溶かすのには相当な時間がかかりそうです」

リアムが困ったように言った。

「私の魔法ではきっと溶かしきれないわ」

「俺の魔法では……鯨の神ごと吹き飛ばしかねません」

エリスとアレクが言う。その時。

「わたしに任せて」

すると、アイリスが一歩進み出た。

「どうするんだ?」

「見てて」

そう言うと、アイリスは懐から形見であるはずの宝石を出した。どうするんだろうと見ていると、彼女は宝石を手の中に収めたまま氷に直接両手を触れる。

「えいっ」

すると、手を触れた部分が光りだし、たちまち氷が砕け散った。しかも鯨は無傷だ。

「なっ……!?」

これにはそこに居た全員が驚いた。

「この石を使ってお願いするとね、壊したい物が壊れるの」

「凄い力だな……」

ロクサスも呆気にとられている。

「アイリス、それは生まれつきなのかい?」

アレクが尋ねると、アイリスはふるふると首を横に振った。

「ううん、違うの。夢の中で……なにかあったの……うまく思い出せないけど……」

「夢?」

アレクが聞き返す。アイリスは考えながら答えた。

「うん……綺麗な場所でね……誰かいて……でも、思い出せない」

「そっか……」

アレクが相槌を打つと、隣でラシャドが呟いた。

「何かありそうだな」

ロクサスがこれに答える。

「ああ、なんかアイリスの持ってる石から嫌な感じがするし」

「そうなのか?」

「よくは分からないけど……あれを見るとゾクッとする」

よく考えて見ると、アイリスについては謎がとても多い。相手はほんの少女だが、気をつけた方がいいのかもしれない。

「とにかく、鯨神の頭の方へ戻ろう」

ロクサスの言葉で全員引き返すことになった。


彼らが戻ると、鯨神は感謝を述べた。

「おお、戻ったか。ありがとう、氷が取れて少し楽になったよ」

しかし、その声にあまり元気はない。

「大丈夫か? まだ具合悪そうだけど……」

ロクサスが心配して声をかけると、鯨神は困ったように言った。

「うむ……氷が張り付いて一週間、思ったよりも体力を奪われたらしいな……」

ここでロクサスは鳥神を治した時の事を思い出した。鳥神は自分の【修復の能力】で力を回復させた筈だ。

「それなら俺の力でなんとか出来るかもしれない!」

そう言うと、彼は鯨神の頭にそっと手を当てた。手を当てた部分から柔らかい光が出て、鯨神も心地よさそうにしている。

「む……これは……【修復の能力】か……」

しばらく手を当てていると、ふ、と光が消えた。すると、鯨神は元気を取り戻したらしい。

「ありがとう、若者達よ。お陰で回復したよ」

「良かった……!」

リアムの声を皮切りに、皆も安堵の表情を浮かべる。

しかし、鯨神はまだ深刻そうな顔をしていた。

「だが、問題はまだ解決していないようだ……」

「えっ!?」

鯨神の言葉に皆がびっくりする。

「うむ……実はここの世界の中心、核と呼んだらいいかな……これにも異変があったらしい。世界が急激に寒くなったのは私以外にもこれの影響がある」

「世界の核……?」

リアムが質問する。

「ああ、世界は核を中心に広がっている。それに何かあったようなのだ」

「それじゃあ今度は核を元に戻しに行くか!」

ロクサスが言うと、鯨神は困ったようにゆっくりと首を振る。

「それは深海にある。人の身では行けない場所だ。水圧で押し潰されてしまう……それに、核は一箇所に留まらぬ性質を持っている。深海なのは確かだが、何処にあるやら……」

「お前が探せばいいんじゃないか?」

ロクサスが言うが、やはり首を振られてしまう。

「流石に病み上がりで無理だ」

「でも、じゃあどうしたら……?」

アレクも考えながら言う。しばしの沈黙のあと、鯨神はひとつ提案をした。

「三人だけになら、私の加護を授けられる」

「加護?」

ロクサスが聞き返すと、鯨神が続けた。

「うむ。深海に潜れる加護を一時的に与える。それでなんとか出来ないだろうか?」

「分かった! じゃあ誰が行く?」

「まずは、【修復の能力】のあるおぬし」

ロクサスは元気よく返事をする。

「俺だな!」

「次に、草原の民、そなた」

ササンの事を指している。

「俺?」

「それと、占いの少女」

エリスはびっくりして答えた。

「私も?」

「ロクサスくんは分かるけど、なんで俺とエリスちゃん?」

ササンが疑問を投げかけると、鯨神が答えた。

「そなたからは風と陽射しの恩恵を感じる。陽射しの恩恵は暖かさをもたらしてくれる。それを核をなおすのに使って欲しい。そして進む指針として占いの力も必要になる」

「なるほどね」

ササンが納得する。

「いいか、どんなに遅くても時計の短い針が一周するまでには戻れ。そうでないとぺしゃんこになるぞ」

「分かった!」

ロクサスが返事をすると、鯨神もゆっくりと頷いた。

「よかろう。では、頼んだぞ」

そう言うと鯨の神は、三人に前に出るよう指示した。

三人が前に出ると、一呼吸置いてから大きく口を開け水をゆっくり吸い込む。その口を今度は吐き出すようにすると、人が一人入れるくらいの光の輪が三つ出てきた。ロクサス、ササン、エリスがその輪の前に立っている。

「潜りなさい、それで加護が得られる」

三人は言われるまま、それぞれ光の輪を潜った。別段変わった様子はなかったがこれでいいらしい。

「今から時計の短い針が一周するまでだ。忘れるなよ」

鯨神は念を押してから、もう一度大きく水を吸い込むと、三人に向けて思い切り水を吐き出した。

「うおっ!」

「わぁ!」

「きゃあ!」

その勢いで一気に深海へ向かって吹き飛ばされた。

ある程度水の勢いが収まると、周りを見渡す。最初は周りが真っ暗で何も見えなかったが、徐々に目が慣れ始めてくる。辺りは岩ばかりで、殆ど生物らしきものも見られいように思えたその時、不思議な生き物が現れた。

ふわりと身体を旋回させ、白いベールのような物を纏っている。さらにその下からは足なのだろうか、触手が何本も覗いていた。どうやらクラゲの一種らしいが、纏ったベールが薄青色に輝いて、まるで別の生き物のように見える。

そんな不思議なクラゲが、光りながら次々とロクサス達の下から湧き上がってきた。どうやらここは彼らの通り道らしい。

「綺麗……!」

感嘆するエリスに、思わず二人も頷いた。

「これは凄いね」

「みんなにも見せたかったなぁ」

しかし、ゆっくりしている時間はない。

三人は急いでこの世界の中心にである核を探すことにした。

まずはエリスが占いで核の場所を特定するところからだ。彼女は石を取り出すと、目を瞑ってくるくると水中でかき混ぜる。そこから一つの石を拾うと、石には矢印の形が浮かび上がっていた。

「こっちみたい」

エリスに言われるまま、矢印の方向に向かって泳いでいく。

深海には深い深い静寂が満ちていた。

息が出来るとはいえ、なんとなくこの深い暗さや静けさに取り込まれてしまう気がする。

「なぁ、なんでお前は世界の異変を調べてたんだ?」

唐突にロクサスがエリスに聞いた。静かすぎるのが耐えられなかったらしい。

「んー、そうね。単純に好奇心かしら」

エリスは淡々と答える。

「好奇心?」

「ええ。魔法の構成とか、魔物の生体とか、まだよく分かってないのよ。それを調べたりするのが趣味でもあるの」

ササンが興味深そうに聞く。

「珍しい趣味だね」

「そう?」

「でもさ、それで一人で旅なんかしてたのか? 危なくなかったのか?」

ロクサスのもっともな疑問に、またも彼女はなんでもないように答えた。

「私の魔法、本当はもっと凄いのよ? 今は水中だから弱いけど、魔物くらい全然怖くないわ」

「すげぇなー!」

「強いねぇ」

ロクサスとササンが感心しているが、どこか彼女はつまらなそうだった。

突然、彼女の持つ石が光を増した。どうやら目的の物が近いらしい。

三人は周囲に目を凝らした。

すると、一つの石のような物をササンが見つけた。

「あっち! なにかあるよ!」

ササンが言うと、二人もササンの言う方向に目を向ける。

微かではあるが、なにか輝くものが見える。

「あれみたいね」

「行こう!」

一気に泳いで近づくと、深海にあっても輝いている水晶の様な宝石を見つけた。

「これが、世界の中心……?」

よく見ると、宝石の断面からは今まで見た海の中の宿屋、泳ぐ人魚達、魚やクラゲ、鯨の神まで映っている。

「……これで間違いなさそうだね」

「これが核となって世界を作り出しているのね……!」

しかし、それの下の方に、明らかに最近できたであろうヒビが入っていた。

「もしかして、このヒビのせいで寒かったのか?」

ロクサスは自分の【修復の能力】を使うべく、ヒビのある場所に手を当てる。しかし、それではヒビは塞がらなかった。

「あれ? なんでだ?」

ロクサスが疑問を口にすると、ササンがポンと手を叩いた。

「ああ、そうか、俺の力もいるって言ってたね」

するとササンも宝石のヒビに手を当てる。彼は草原の太陽を思い浮かべ、その恵みをこの宝石と願った。

するとヒビは少しずつ塞がり、綺麗な形になっていく。

「おお! すげぇ! ササンも魔法使えるのか!?」

興奮したロクサスが言うが、ササンは軽く首を振った。

「ううん、お願い事しただけだよ。殆どロクサスくんの力じゃないかな」

宝石は元に戻ると更に輝きを増し、暗い深海をも照らし出す。そこからは微かに暖かさも感じられた。

「よし、戻ろう!」

潜ってから大体半刻ほど経っていた。帰りは問題無さそうだ。

三人は泳いで上へと向かった。



鯨神のいる場所ではロクサス、ササン、エリス以外の全員が待機していた。頻りにリアムとラシャドが三人を心配している。

「大丈夫でしょうか……もうだいぶ経ちましたが……」

「俺も行きたかったんだがな。あいつらだけでは心配だ」

そこへアレクが入ってきた。傍にはちょこんとアイリスもくっついている。

「きっと大丈夫です。ロクサス殿下はしっかりしていらっしゃいますし、ササン殿も意外と気が利く人です。エリスは……まぁ」

どこまでもエリスには厳しい視点を持つアレクに、思わず二人の顔も緩む。

「アレク殿はエリス殿に対してだけなんだか砕けているというか……」

「幼なじみだからか?」

「いえ、そんなことはありません! 正当な評価ですよ、本当に行きあたりばったりな人なんですから!」

そんな雑談をしていると、ふと海中が少しずつ暖かくなるのを感じた。

「あれ、さっきまであんなに寒かったのに……」

リアムの呟きに、二人も海中の温度に気づいた。

「どうやら成功したようですね」

アレクが安堵の表情を見せる。

すると、下の方から三人の姿が見えてきた。

ロクサスが声を上げる。

「核、直ったぞ!」

海底から戻った三人が無事を伝えた。

みるみる水温が上がっていって、防寒着はようやく必要無くなった。

「本当はこんなに暖かい場所だったんだな」

ロクサスの言葉に鯨神が答える。

「うむ。太陽も戻ったようだ」

言われて上の方を見上げると、深い海の中にも関わらず光るものが見える。

「あれがこの世界の太陽なんですね」

リアムも眩しげに上を見上げた。

そこからは優しい光が海全体に広がっていた。

これでようやくこの世界の異変は収まったらしい。

鯨神は彼らに丁重に礼を言った。

「これでやっと元通りだ。若者達よ、ありがとう。なにか礼をせねばな……これをやろう」

すると鯨神は口から小さな玉を取り出した。

「これは?」

ロクサスが受け取って尋ねる。

「水にまつわる困り事があればこれを使うといい。きっと力になってくれる」

「ありがとな!」

彼らはお互いに礼を言うと、再び旅支度を始めた。


一晩宿で休み、一行は近くの旅用具店に居た。アレクはアイリスに旅用の服を選んでいた。

「動きやすい方がいいかな? あ、でも防御面も欲しいな……」

悩んでいるアレクにアイリスはふるふると首を振る。

「わたしはいいよ」

「駄目だよ! 界廊は意外と危ないんだし! 今回みたいなこともあるかもしれない。準備はしておいた方がいい」

「そう?」

「そう!」

そんな二人のやり取りをエリスとササンが遠くから見守っていた。

「アレク、すっかりお兄ちゃん気取りね」

「妹が出来たみたいで嬉しいのかな」

こうしてアイリスもしっかりと旅の衣装に着替えさせられた。最初は戸惑っていたようだが、今は少し嬉しそうだ。

「さて、準備も整ったし界廊へ向かうか!」

こうして一行は海の世界の異変を無事解決し、再び目的地であるヤンティに向かって進みだすべく、界廊へと向かった。

元の扉を潜るとやはりちゃぷんと音がして、皆出てきたが、不思議なことに身体も服も濡れていない。海の国とは本当に不思議だと思いながらも、それぞれ馬と飛竜と再会し、目的地であるヤンティを目指した。

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