3
洞窟に近づくにつれて段々と寒くなっている気がする。
アレクは頻りにアイリスの心配をし、ロクサス達もなるべく早く事を終わらせられるよう、急いで進んだ。
その時だった。
突如として大きな白熊が現れたのだ。
「お、獲物発見」
白熊はロクサス達を見るなり舌なめずりしている。
どうやら魚が言っていた、「獰猛な人」のようだ。
「あー……悪いけど、俺たち急いでるからまた今度にしてくれないか?」
ロクサスはあくまで穏便に済ませようと試みるが、白熊にはもはや彼らは美味しそうな食べ物にしか見えてないらしい。白熊はその辺の岩を蹴って勢いを付けると一行に向かって泳いできた。
「みんな、逃げろ!!」
ロクサスの言葉で一斉に皆逃げ出した。しかし、その時、いくつかの組に別れてしまった。
ラシャド、アレク、戦えないアイリスの組には幸い白熊は行かなかった。他のみんなも無事らしいが、白熊はロクサスとフレッドに狙いを付けたらしい。凄い勢向かってくる。
ここは水中である。海に慣れていないロクサスはどんなに焦っても白熊の速度に追いつかれそうになる。
「くっ!」
覚悟を決めたロクサスは体を反転させると白熊と向き合う形になった。歩いても走っても泳いでもどの道捕まるなら、いっそ戦った方がまだ勝ち目がある。ロクサスは背中から剣を抜くと白熊に向かって構えた。
そこへ勢いよく白熊が突っ込んでくる。
鈍い音がして、白熊の歯と剣がぶつかった。
「こんの!」
何とか渾身の力で白熊を吹き飛ばす。しかし、ロクサスの思ったようには相手は吹き飛ばなかった。ここは水中だ。水の抵抗力で剣の威力も弱まっている。
「くそっ……!」
「でかした、王子」
その時、後ろでただ見ていただけのはずの男の声がして、斧の重い一撃が白熊の後頭部目がけてぶつかった。
「さっさと家へ帰んな、白熊さん。今なら峰打ちで済ませてやる」
彼は水色の髪を水に靡かせ、ふわりと華麗に水中の岩場に降り立った。
フレッドだ。どうやら彼はかなり水中戦にも慣れている。
水の中の相手に一歩も引かない。
白熊はその一撃に怯え、体を回転させると逃げ出した。
「……はぁ、た、助かった……」
ロクサスは思わずその場にへたり込んだ。
「大丈夫ですか!?」
そこへ散り散りになった皆が戻ってくる。
ロクサスの心配をしているリアムに手を引いてもらい、何とか起き上がった。
「どうなる事かと思ったけど、こいつがすげぇ強くて」
そう言って王子はフレッドを見上げた。
しかし当の本人はもう飽きたらしく、あくびをしている。こちらの視線に気づいて声をかけてきた。
「ほら、早く進むんじゃないのかね」
「いや、お前の戦い、初めて見たけどすげぇ強いんだなって」
「ああ、あれね。俺たちの国も雪国で、よくああいうの居るから慣れてるよ」
「そうだったのか!」
嬉しそうに話すロクサスとは裏腹に、もはやさっさと帰りたいらしいフレッドは冷たく言い放った。
「ほら、君たちの護衛はちゃんとやるから早く進みたまえ」
そう言い捨ててフレッドはさっさと先に行ってしまった。
「あの、殿下、うちの団長が御無礼を……」
そこへ遅れてアレクが現れた。自分の上司の非を詫びている。
「いや、いいんだ。それよりあいつ強いんだな! 凄い力だった!」
「はい、団長は本当に実力は凄い人なんです。ただ、ちょっと気難しくて……」
言葉を選ぶアレクに、ササンが追い討ちをかける。
「横暴だねぇ」
これにはリアムが同意した。
「ですね」
リアムはちょっと怒っているのか、少しだけ顔を赤くしている。余程王子を馬鹿にした態度が許せなかったのだろうが、王子本人はそれよりも彼の実力がとても気になっていた。
「陸だともっと強いのか?」
「そうですね、斧を旋風の勢いで振り回すので、かなり」
アレクの答えに目を輝かせる王子だが、やはりリアムは納得していないらしい。
「でも、殿下を馬鹿にした態度は許せません! 僕、言ってきます!」
「あ、いいっていいって。急がなきゃならないのは本当だし、助けてもらったし」
「でも……」
「俺がいいからいいの!」
これにリアムは不服そうに答えた。
「……分かりました」
しばらく進むと、洞窟の入口らしい所が見えてきた。両側の岩場が段々狭くなってきている。
ここまで来ると水の冷たさもいよいよ鋭くなり始めた。
一行の所々からくしゃみや鼻をすする音が聞こえる。
「思ったより寒いねぇ」
ササンも防寒着を来ているとはいえ、言葉とは裏腹に辛そうだ。
「エリス、神様がいる所はもうすぐか?」
ロクサスが尋ねると、彼女は再び石を複数取り出して、そのうちの一つを無造作に掴み取った。
その石を見つめて言う。
「もうちょっとみたい」
「みんな! もう少しらしい! あと一息頑張ろう!」
ロクサスはエリスの答えを聞くと、振り返って皆に声をかけた。
その時だった。
「ロクサス! 後ろ!!」
エリスの声に気づいて振り向く。
「!?」
いつの間にか彼の後ろには沢山の魔物がいたのだ。ラシャドは咄嗟にロクサスの腕を引いて泳いで逃げる。
「お前、もう少し周り見て行動しろ!」
「わりぃ!」
魔物は小さいものだったがかなり数が多い。一体一体倒していたら、皆寒さで動けなくなるのが目に見えている。
「どうしたら……!? リアム! 頼む、作戦を!」
「分かりました!」
「それまで俺たちで時間を稼ぐぞ!」
ロクサスは言うなり魔物の群れに飛び込んだ。
「俺が助けた意味……! ああもう!!」
文句を言いながらもラシャドも続く。
その他近衛兵や竜騎士たちも加わった。
しかし、時計の一番細い針が一周もしないうちにリアムが答えを出した。
「皆さん、魔物を洞窟の端に寄せてください! ここは魔物に融合してもらって、一体になった所をまとめて倒した方が早いです!!」
「了解!!」
すると戦っている者たち全員が魔物を左端に追い込むように攻撃して行った。そこでリアムの読み通り、彼らは融合を始める。
魔物は巨大な魚の形を取ると、大きく口を開けて水ごと彼らを飲み込もうとした。
咄嗟に彼らは近くの岩場やサンゴ礁にそれぞれ武器を立てて吸い込まれるのを防ぐ。しかし、リアム、アイリス、エリスの三人は武器を持っておらず、抵抗出来ないまま吸い込まれそうになっていた。
「わぁっ!」
「やぁ!」
「きゃあ!」
これに咄嗟にロクサス、アレク、ラシャドが反応する。
「リアム!」
「アイリス!」
「嬢ちゃん!」
ロクサスはリアムを助け、ラシャドはエリスを何とか抱き止めた。しかし、アレクは小さなアイリスに手が届かない。
「アイリス!!」
アレクは泳いで勢いを付けるとアイリスよりも先に魔物の口の中に入り込み、槍を口の中に突き立てて魔物の口が閉じないようにした。それから流れてきたアイリスを受け止める。しかし、それ以上攻撃する余裕がない。魔法すら使えるような状態ではなかった。
「アレクお兄ちゃん……!」
アレクはリアムを支えるロクサスとエリスを抱えているラシャドはすぐには動けないと判断し、ササンに助けを求めた。
「ササン殿! 何とかこいつを気絶させることは出来ませんか!?」
「俺の弓矢と海は最高に相性悪いけど、やってみるよ!」
ササンは三本の矢を纏めて引くと、一気に放つ。しかし、水中ではたちまち勢いを失ってしまう。
「駄目か……」
流石のササンも悔しそうに呟いた、その時。ロクサスに掴まっていたリアムが近づいてきて一つの小瓶を彼に渡した。
「痺れ薬です。水に溶けないので、矢に塗って直接刺せば効くと思います」
「えっ、俺が刺すの?」
「頼む! ササン!」
未だに魔物の吸い込みは続いている。ロクサスはリアムを手放せない。
王子に言われてはササンも断れなかった。近距離は苦手だが、今の敵はアレクのおかげで口を開け閉め出来ない状態だ。
フレッドは遠くで散り散りになってしまった雑魚の相手をしている。
「俺しかいないかぁ」
ササンは仕方なくリアムから小瓶を受け取ると、中の黄色い粘り気のある物を直接矢に付けた。
それを持って魔物に少しずつ近づいていく。
自分が飲み込まれたら元も子もないので、弓を岩に引っ掛けながら慎重に近づいた。
「くっ……」
アレクから苦悶の声が上がっている。そろそろ槍を掴んでいる腕が限界だろうし、槍ごと折られて飲み込まれたらそれこそ一巻の終わりだ。
それを見たササンは慎重に、かつ急いで歩みを進めた。
巨大な魚の魔物は口が開け放たれたままなせいか、ササンが見えていないらしい。上から行くと見つかるので、巨大魚の下に潜り込み、思い切り矢を突き刺した。
「!?」
魔物が突然の痛みに暴れ出す。
これにはいよいよアレクの腕が限界だった。
「うあ!」
アレクは槍を手放してしまい、アイリスごと魔物に飲み込まれそうになった、その時。
「でえい!」
「はっ!」
魔物の吸い込みが痛みと痺れ薬で収まったのを見たロクサスとラシャドは、それぞれ少女達を手放すと、剣を構え直して魔物を真っ二つに切り裂いた。
巨大魚の魔物は泡のようになって消えていった。
「アレク殿、アイリスさん!」
「アレク! アイリス!」
焦ったリアムとエリスがアレク達を心配して魔物のいた場所に行くと、アレクはアイリスをしっかりと抱きしめたまま目を瞑っていた。
アレクがゆっくりと目を開ける。
「アレクお兄ちゃん、大丈夫だった!」
「本当だ」
アレクは少し呆けていたが、すぐに気を持ち直した。
「あっ! アイリス、怪我はないか?」
「大丈夫。アレクお兄ちゃんがずっと守っててくれたから」
「良かった……」
アレクはゆっくりとアイリスを解放する。
すると彼女は少し名残惜しそうに海に体を委ねた。
「なんとかなったな」
「間一髪だったけどな」
「すみません、僕のせいです……」
リアムが謝る。
「? なんでお前が謝るんだ?」
ロクサスが尋ねると、リアムは俯いたまま話した。
「僕が……魔物の力を侮って融合させろなんて言ったからこんな危ない目に……アレク殿、アイリスさん、申し訳ありません」
リアムはアレクとアイリスに頭を下げた。
「まさか、魔物がここまで強く、凶暴化しているなど思わなくて……僕の失態です」
「いえ、謝らないでください、リアム殿。確かにギリギリではあったかも知れませんが、こうして助かりましたし、あっという間にあの数の魔物が居なくなったのはとても大きいです」
アレクの言葉にアイリスもこくこくと頷いた。
「でも……」
今にも泣きそうなリアムに、ロクサスの大きな手が優しく乗せられた。
「リアム、失敗は誰にでもある。魔物の凶暴化は俺たちの予測以上だった。これからはこれを頭に入れて、また作戦を練ればいいんだ」
「殿下……」
「そうですよ、リアム殿に責任はありません。俺ももっといい方法で動けば、より安全だったのかもしれませんし」
「アレク殿……」
アレクの言葉にロクサスも頷いた。
「お前は責任を感じやすいけど、俺たちは強い。だから、大丈夫だ」
ニカッと笑う王子に、リアムは小さく頭を下げた。
「ほらほら、いつまでもくよくよするな! お前は立派な軍師なんだから!」
「はい……!」
それでようやくリアムも元気を取り戻した。そして、心の中で固く誓った。二度と、このような失敗はしない、と。
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