凍てつく海と雨降る砂漠

1

ロクサスは界廊での野宿中、早速父王と友人に宛てて手紙を書いた。

父王には事情が変わりこのまま旅を続けさせて欲しいこと、友人にはフェアスでの出来事と、この国に薬学や治癒術の方法を教えて欲しいという事をそれぞれしたためた。

手紙を界廊を渡れる二羽のねずみ色の伝書鳩に括り付けると、白い空間に向かって放つ。

界廊用の伝書鳩の首には異世界通行手形と同じ魔法石と魔法陣が描かれた革が付いているので、扉は問題な潜れるはずだ。

伝書鳩は迷うことなく目的地まで手紙を届けてくれるだろう。

界廊には時間という概念がない。太陽も月もなく、ただただ真っ白い空間があるだけだ。これは次元が歪んでいるせいだと言われている。

実は界廊についてはまだまだ謎が多かった。解明されていないことは多々あるが、それでも人々の生活には必要不可欠だった。

ロクサス達一行は、手紙の返事を待たずにとりあえず次の目的地であるヤンティへ向かっていた。

「ヤンティか……ここからだと結構遠いね」

界廊の地図を見ながらササンがぼやく。確かに、リアムのもうひとつの故郷フェアスから薬学に特化した世界ヤンティには、また元の道を辿らなければならなかった。

「ヤンティはササンの居た世界より俺たちの元居たレクシアの方が近いからな。また長旅になりそうだ」

ロクサスの答えにササンは隠れてため息をついた。しかし、それをラシャドに見咎められる。

「嫌なら帰ってもいいぞ」

「嫌なんて言ってないよ。ただ、長旅に慣れてないだけ。ラシャドって俺に冷たいよね」

「遊びでついてきて欲しくないだけだ」

「冷たい! ロクサス君助けてー!」

泣きつく真似をするササンに、ロクサスは笑って答えた。

「はは、ラシャドは厳しいぞ! 俺も最初に滅茶苦茶説教された。でもなんだかんだ凄く面倒を見てくれるんだよな!」

これにはラシャドが赤面する。

「別にそんなつもりは無い! お前らが見てて危なっかしすぎるからだろう!」

「そういう所だと思いますよ?」

クスクスと笑いながら随分年下のアレクにまで言われてはラシャドも返す言葉が見当たらない。

「ふふ、皆様仲良しですね」

こちらも笑いながら会話に加わってきた。リアムである。彼女も貧血が治りすっかり元気になっていた。

「あまりラシャド殿を困らせてはいけませんよ。特に殿下、とてもお世話になってると聞きました。今では剣の師匠でもあるのでしょう? ちゃんと感謝してくださいね」

「勿論だよ! ラシャドにはすげー感謝してる!」

この発言でまたもラシャドの顔が赤くなる。この王子は恥ずかしげもなくこういう事を言うから困る。

「それからリアム、俺も結構剣の腕が上がったんだぜ! 界廊を彷徨いてる弱い奴なら簡単に倒せる!」

得意げに話す王子に、リアムは嬉しそうに言った。

「良かったですね、殿下。いつも実践してみたいと仰ってましたからね」

「ああ、見てろ! 今から適当な魔物を見つけて倒してやる!」

すると王子は意気揚々と剣を手にして界廊に目を凝らす。ついでに近衛兵団からも離れてしまう。

「あのな、リアムにかっこいい所見せたいのは分かるが、わざわざ自分から魔物を探すやつがあるか」

呆れるラシャドにも気づかずに界廊を見遣る王子の目に、ひとつの影が映りこんだ。

「……?」

明らかに魔物ではないその姿に、王子はそっと近づいて行く。

「! 人が倒れてる!」

彼は急いで剣をしまうと、倒れている人──少女に駆け寄った。

「大丈夫か!?」

王子以外の四人も慌ててその少女の元へ向かった。

見た目は十歳そこそこに見える。明るく長い橙色の髪を、一部上の方で二つ結んでいる。それの左側にのみ青いリボンを付けていた。真っ白いワンピースに、夏用のサンダル。どう見ても界廊に来るような旅支度では無い。

少女は気絶しているようであったが、幸いにも怪我などは無いようだった。

程なくして少女が目覚めた。

「う……」

「大丈夫か!?」

ロクサスが繰り返す。

「ここは……?」

「界廊のど真ん中だ。どうして倒れていたか分かるか?」

すると少女はキョロキョロと辺りを見回して、そしてある人物を見て呟いた。

「アレクお兄ちゃん……?」

「えっ?」

少女はロクサスの腕の中から飛び出ると、アレクの方へ向かって走り出し、彼に抱きついた。

「アレクお兄ちゃん! 助けてくれてありがとう!」

「え、と……」

しかし、当のアレクは明らかに困惑している。

「ええと、アレクの知り合いか?」

ロクサスが尋ねるが、アレクはやはり困ったように言った。

「いえ、俺はこの子を知りません。初対面です」

すると、少女は悲しそうな顔になった。

「アレクお兄ちゃんじゃないの……?」

「ええと、確かに俺の名前はアレクです。しかし君と会うのは初めてですよ」

アレクが諭すように言う。

しかし、少女はアレクのマントをぎゅっと握って離さない。

「よく分からないが、女の子が一人でこんな所に居るのは危ない。直ぐに元の世界の家に返した方が良さそうだな」

「だめ!!」

ラシャドの言葉は少女に間髪入れずに否定された。

「どうしてだめなんだ?」

ロクサスは少女の傍に寄り、膝を折って少女と同じ目線になり尋ねた。すると、少女は語り出す。

「私ね、お兄ちゃんが怖くなって、逃げてきたの」

「お兄ちゃんが居るのか?」

ロクサスが相槌を打つ。

「うん。私のお兄ちゃん、とっても優しいの。だけど、最近変なの。たまに怖いこと言うし、私に力を使わせるの……」

「力?」

「私はなんでも壊せる力があるんだって言ってた」

「そうか、何を壊せって言われたんだ?」

「ここの、こういう道」

「!!」

これに驚いたのはロクサスとラシャドだ。

「それはつまり、こういう道、つまり界廊を壊してたって事か?」

「うん。でもね、なんかいけないことしてる気がして止めたいって言ったの。そしたらお兄ちゃん怒っちゃって……」

ラシャドは絶句している。

つまり、リアムを助けるために最初に来た道が壊れていたのは、この子の力でやったと言うのだ。

「そっか……。お兄ちゃん怖いんだな? お母さんとお父さんは?」

ロクサスがさらに尋ねると、少女は少しだけ間を置いて少し俯かながら話した。

「お母さんとお父さんは、私が小さい時に死んじゃったの……」

「そっか……」

それで辺りは静まり返ってしまった。


しかし、その静寂は突然破られた。

「居たぞ!」

「アイリス様!」

白い装束を着た五人の人間がこちらに向かって走ってきたのだ。

「逃げなきゃ……!」

少女は咄嗟にアレクの手を握ると走り出した。

「わ、わ!」

アレクもつられて走る。

「なんだかきな臭いな……! リアム、ラシャド、ササン、あの子を白い奴らから守るぞ!」

彼らはそれぞれに頷くと、ロクサスと共に二人を追って走り出した。


「ねえ君、追って来てるのって誰か分かる?」

走りながらアレクが尋ねる。

「お兄ちゃんの、部下の人たち」

「追われてるのって、やっぱり君を連れ戻す為かな?」

「たぶんそう」

「分かった、もう走らなくてもいいよ、俺の後ろに隠れてて!」

するとアレクと少女は走るのを止めた。アレクが少女を庇うように立つ。

「俺の仲間が助けてくれるみたいだ。勿論、俺もね」

すると少女は嬉しそうに顔を上げた。

「ほんとう?」

「本当!」

アレクと少女に追いついたロクサス達は体を反転させ、白い装束の人間達に対峙した。

「誰だ、貴様ら!」

「こっちの台詞だ! こんなちいさな女の子追い回すなよ!」

ロクサスが吠える。

「うるさい! その方は我らが主の大切な妹君なのだ! 帰って来てもらうだけだ!」

アレクも言い返す。

「嫌がる子を帰せません! 怯えてるじゃないですか!」

「何も知らんよそ者が口を挟むな! 力づくでも返して貰うぞ!!」

白装束の奴らは懐から小型の刃物を取り出した。

ロクサス達も剣を構える。

「リアム、作戦を!」

リアムは咄嗟に敵と味方の武器を確認する。

ラシャド殿は細身の剣、恐らく速さが得意。ササン殿は弓矢、遠距離攻撃系。アレク殿は竜騎士ですが今は竜には乗っておらず槍のみ。ならば──。

「ラシャド殿は女の子を庇って後方へ下がってください! 殿下とアレク殿は前線へ! ササン殿は中距離で弓を構えて、敵を近づけさせないように! 皆さんお願いします!」

「了解!」

リアムの指示にロクサスが返事をすると、各自持ち場へと素早く移動する。

ラシャドは少女とリアムを庇いながら後方へと向かう。それを阻もうと一人の白装束の男が刃を向けてくるが、あっさり躱して即座に皆の後ろへと駆け込んだ。

アレクは少女をラシャドに預け、槍を構えて前に出る。小型の刃物と長い槍では攻撃範囲が違う。この場合は範囲の広い槍の方が有利だ。

ロクサスもアレクに続き前へと出た。彼の武器である大剣もやはり攻撃範囲は小刀と比べて広い。こちらに利がある。

その少し後ろではササンが弓を構えて白装束の一味を狙っている。

先程ラシャドに攻撃を躱された白装束の一人が再び少女に近づこうと動いた瞬間、ササンは矢を放った。思わず怯んだ敵にアレクが槍で小刀を弾き飛ばす。しかし、それと同時にロクサスに向かって何かが向かってきた。

「シプレ!」

「うわっ!」

それは光の玉だった。ロクサスは眩しすぎて一瞬視界を奪われる。

「ロクサス殿下!」

アレクが慌ててロクサスの方を見ている隙に、白装束の男はササンを超えて更に懐に飛び込んできた。狙いはやはり少女のようだ。

しかし、その男はあと一歩の所で足を矢に射抜かれた。

「俺を無視しないでよね」

ササンだ。彼は自分の前を通り過ぎる男を視界に捕らえると、すぐに弓矢を放ったのだ。

「くっ……! アイリス様……!」

辛そうに足を押さえる男を見て、少女は思わず駆け寄ろうとしたが、ラシャドが止めた。

「駄目だ、いったん引くぞ」

白装束の頭らしき人間の男の声が響く。

それを聞いて脚を射抜かれた男もゆっくりと仲間の所へ戻って行った。

深追いはしなかった。

こんな年端もいかない少女を追い詰めるなど、良い奴らではないことは分かる。それでもロクサス達は部外者であるし、彼らが本当に悪い奴らとも限らない。黙って仲間の元へと戻らせた。

ロクサスが言う。

「悪いが、この子はしばらく俺達が預かる。帰りたくない子を無理やり帰すのは良くないと思うからだ。この子に危害を加えない事も約束する。それに」

ロクサスはちらとアレクの方を見やる。

「この子はアレクとも知り合いらしいからな」

すると少女は再びアレクの元へ駆け寄り、そのマントをぎゅっと掴んだ。

「ごめんなさい……わたし、少し疲れたの。だから……」

少女は消え入りそうな声で、本当に申し訳なさそうに言った。

「……アイリス様……」

これを聞いた白装束の男達は困ったように少女の名前を呼んでいた。彼らにも思う所があるのかもしれない。

すると、白装束の頭がロクサス達に言い放つ。

「アイリス様に何かあったら貴様らを八つ裂きにする」

その声には明らかに怒気が含まれていた。

「約束するよ、何があってもこの子を守る」

それを聞くと、白装束の男達は界廊の白に溶けるようにして消えていった。

「何とかなったな」

ロクサスが安堵する。

アレクはマントを掴まれたまましゃがみ込み、少女に目線を合わせ聞く。

「君の名前、アイリスって言うの?」

「うん」

「綺麗な名前だね」

すると少女は少し驚いた顔になって言った。

「やっぱりアレクお兄ちゃんだ」

ラシャドが再び確認する。

「本当に面識はないのか?」

「ありません……」

アレクが困ったように答える。

「他人の空似か? いや、でも名前も顔も一致するのって不思議だよなぁ」

ロクサスが考えながら口にする。するとリアムがその言葉で閃いた。

「もしかして、別の次元のアレク殿に会ったのではありませんか? 別の世界には同姓同名、顔もそっくりな人が存在する可能性があると言われていますし」

「なるほどなぁ」

「じゃ、このアレクお兄ちゃんはわたしの知ってるアレクお兄ちゃんじゃないの?」

少女が聞く。

「そうなるな」

ラシャドが答えると、少女は少し俯いてしまった。

「そっか……」

これを見たアレクは何だか放って置けなくなってしまった。

「では、探しましょう。別の次元の、アイリスを知ってる俺を」

「いいの?」

少女がアレクを見つめる。

「もちろんです! 騎士団は人探しもやってますからね、任せてください!」

これに彼女は嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう、アレクお兄ちゃん!」

「それじゃ、ヤンティを目指しながらもう一人のアレクを探すんだな」

ロクサスが確認する。アレクは少し申し訳なさそうに言った。

「すみません、仕事を増やしてしまって……」

「全然! アレクのせいでもアイリスのせいでもない。それより別の次元には自分のそっくりさんがいるかもしれないんだな! ちょっと会ってみたいよ」

王子が楽しそうに笑うと、その場の雰囲気も一気に和んだ。

「やれやれ、一体いつまで待たせるんだね?」

そこへ水色の髪の男がやってきた。アレクの竜騎士団長フレッドだ。

彼は厄介事が嫌いなのか、わざと自らの竜騎士団を少女に関わらせないようにしていた。

しかしロクサスはそんなのは一切気にせず笑顔でこれに答えた。

「わりぃわりぃ。でもこんな小さい女の子界廊にほっとく訳にも行かないからさ」

フレッドは仕方なさそうに言った。

「ふん、まあいいか。俺たちは金さえきっちり貰えればいい。あ、でもそのこの子の護衛付けるなら料金上乗せだが、構わないな?」

「ああ、いいぜ」

ロクサスが即座に返事をすると、気を良くしたのか口角を上げる。

「そうか、ならいい」

「でもさっきは手伝ってくれなかったよな?」

その王子の問にフレッドは大袈裟に手を広げて言った。

「いやいや、君たちの働きが随分華麗で見惚れていただけだよ。僕の出る幕はないと思ってね」

「ふーん」

王子はそれで納得したように頷いたが、他の者からの視線は冷たかった。

「絶対嘘ですね」

リアムが言うと、ラシャドとササンも同意する。

「嘘だな」

「嘘だね」

「すみません……」

アレクが申し訳なさそうにする。団長の態度に自分まで責任を感じているようだ。

「アレク君のせいじゃないよ。謝らないで」

「はい……」

ササンの慰めが、かえって心に重くのしかかる様な気がしたアレクだった。


「ところでアイリスさん、お見受けしたところ何も持っていないようですが、異世界通行手形は持っていますか?」

リアムは念の為聞いてみる。するとアイリスは右側のポケットから紫色の宝石のような石を一つ取り出した。

「通行手形はもってない……今持ってるのは、このお母さんの形見だけだよ」

それを見た瞬間、ロクサスは急にぞわりとした。背中に悪寒が走る。

「な、なんなんだ、それ」

「わかんない。お兄ちゃんが持ってなさいってくれたの」

「そうか……」

気のせいかもしれない、と思うことにしたロクサスの後ろからアレクが進み出て言った。

「異世界通行手形なら、俺たちの騎士団に予備があります。それでアイリスを連れて行きましょう」

「そうだな」

ロクサスは気を取り直してアレクに答えた。

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