5

王子達が界廊に入って三日が経とうとしていた。ロクサスは宣言通りに目の前の敵を倒し続けていたが、さすがに界廊での野宿は堪えるものがあったようで、今は最初の元気がなく目の前の敵を斬るので精一杯の様子だった。

見かねたラシャドが提案をする。

「王子、もう俺もこの界廊での野宿はキツい。手近な世界で宿を取ろう」

魔物を倒したばかりの王子は肩で息をしながら頷いた。

「そうだな……」

界廊に入って一日目、他の世界で宿を取ってはどうかとロクサスは提案したが、ラシャドが止めた。

『異世界通行手形』には、中央に青い特殊な魔法石が埋め込まれている。この魔法石の魔力は『異界の扉』を通る度に消費される。異世界へ行くにはそれだけの魔力エネルギーが必要なのだ。それを無駄遣いしてしまっては、リアムのいるフェアスどころか、下手をすると自分の元いた世界へ入れなくなってしまう。節約をしようと言うことで、何とか三日間は界廊で野宿したのだ。

ラシャドが地図を広げる。

「この辺りから一番近いのは……カトルートだな」

カトルートはロクサス達の住む世界とはだいぶ離れた世界だ。ようやくここまで来たんだなと、ちょっとだけ感慨深いものがある。

「カトルートか……初めて来る世界だな。どんな世界なんだろう」

ラシャドは首を振る。

「分からない。俺もこんな遠い世界に来るのは初めてだ。名前を聞いたことがあるくらいだな」

「そうか」

途中、旅の商人に道を聞き、地図を見ながら扉を見つけ、異世界『カトルート』に入った。



そこは緑の草原がどこまでも広がる世界だった。しかし、肝心の扉すら守られていない奇妙な場所でもあった。

「カトルートでは異界の扉は別に守られたり祀られたりしてないんだな。大丈夫なのか?」

不思議そうに言った王子だった。

「そうだな。俺たちの世界とはだいぶ離れているから、もしかしたら文明がほんの少し違うのかもしれない。レクシアも異界の扉がきちんと守られたのは最近だったらしいからな」

ロクサス達の世界では、昔とても大きな戦争があり、その時に幾つかの異界の扉から界廊の魔物が入り込んで来たという。

魔物は人の負の感情で構成され、また人の負の感情に引き寄せられる性質がある。

その後戦争が終わると、人々は魔物に怯えることとなった。これを防ぐ為設けられたのがアスティーヌ神殿であり、扉を守り外界の敵から民を守るために建てられたのだという。

王子が見上げたカトルートの扉は草原にぽつんと立っていた。ルシタルの扉と同じ石造りではあるが、長年手入れもされていないのか、蔦が纏わり付き、魔法陣も経年劣化で見えづらくなっている。

扉の前にも後ろにも何も無い。なんだか不思議な場所だった。

「全然人が使ってないみたいだけど……この世界に人っているのか?」

王子の疑問にラシャドも首を傾げる。

「わからん。まぁ、扉は世界創世の時代からあるものだし、神から賜った物でもあるからな。どこにあってもおかしくはないんだろう」

王子はふーんと鼻を鳴らして、珍しそうに扉を観察していた。

「とりあえず少し歩いてみるか。あそこに小川が見える。人が住むなら水場の近くだろうから、この川沿いに歩いて行けば何かあるかもしれない」

「なるほどな!」

言うが早いか、久々の異世界に気分を良くした王子は元気を取り戻し、早速川に駆け寄っていく。水辺たどり着くとその水が綺麗なのを確認し、顔をすすいだ。久々の水浴び満足しているとラシャドもやってきて同じように顔を洗い、ついでに水まで飲んでいる。そして自分たちの馬も引いてきて水を飲ませていた。

「こいつらも休ませてやれるな」

ラシャドが馬の背を撫でた。

「そうだな! みんなもお疲れ様!」

王子はいつもの屈託の無い笑顔で兵士と馬達を労った。ラシャドは王子のこの表情や性格が兵士や民衆の心を掴んでいるのだろうと少しばかり感心していた。

少しの休憩のあと、王子たちは川の上流の方へ歩いて行った。草原は風に吹かれて緑の波を生み出し、小さな白い野花が時折見えて心を和ませてくれる。空は透き通るように青く、遠くの山々が雪を被っているのが見えた。きっと標高の高い山なんだろう。雲がほとんどないのでかなり遠くまで見渡せる。

しばらく歩くとテントと建物の中間のようなものが見えてきた。

「あっ! なんだあれ!?」

王子が建物のような物を指さす。ラシャドも手で眩しい太陽の光を遮って見てみた。どうやら人が居そうだ。

「この世界の人の住居らしいな。良かったな、宿が取れそうだ」

それを聞いて王子は嬉しそうに馬をラシャドに預け、一人で走って住居のある場所に駆けて行った。

しかし、近づいたと思った途端、一本の矢が王子の足元の芝生に突き刺さった。

何事かと王子は足を止め、矢の飛んできた方を見る。そこには馬に乗った人がいた。逆光で顔はよく見えない。

「止まれ! 近づくな!」

これに王子は驚いて両手を上げて敵ではないことをアピールして叫んだ。

「俺たちは旅人だ! 異世界から来た! ここで一晩泊めて欲しい!」

ラシャドも慌ててロクサスに駆け寄る。幸い怪我は無いようだ。

馬上の人が弓を構えながら慎重に馬を操り近づいてくる。

「魔法石は?」

「これか?」

ここで王子たちは異世界通行手形を見せた。どうやら本当に旅人だと分かったのか、馬上の人は弓の構えを解いた。

「済まない、最近は魔物の出入りが多くてな。人型の物も居るから警戒していたんだ。ようこそ、旅人さん。俺はササン」

ササンはロクサスに近づくとひらりと馬から降りて握手を求めて右手を差し出した。

草原と同じ緑色の髪を後ろでひとつに縛って風に靡かせ、額にはこの地の物なのか、不思議な模様のバンダナをしている。瞳も若草色で綺麗な色だ。簡単な皮の胴着に身を包んでいた。

これにロクサスも右手を出して応えた。

「初めまして、俺はロクサス。レクシアから来た」

「ラシャドだ。一晩の宿を探しているんだが、この辺りにあるだろうか?」

これにササンは困ったように眉を下げる。

「生憎だけど、俺の村に宿はないんだ。遠くの街……ここから北に馬で二日ほどの街にならあるよ」

「ふ、二日ぁ!?」

これに大声を出したのは王子である。無理もない。もう既に二日歩き詰めだったのに、更に二日も馬に揺られなければならないなんて、正直耐えられるかどうかである。いくら冒険や旅が好きでも、実践経験の少ない王子という身には少々きついものがあった。

ラシャドが提案する。

「もし迷惑でなければ……いや、迷惑は百も承知だが、君……ササン君の家に泊めてもらえ無いだろうか? もうこの王子様はヘトヘトでな。さすがに一度休ませねばならない」

ササンの目が大きく見開かれる。

「へぇ! 君王子様なのか! あ、なのですか? 村長より偉い人物なんて初めてだからどう接していいかよく分からないな……?」

ロクサスは笑顔になる。

「ああ、気にしないでくれ。俺は砕けた話し方の方が好きなんだ」

これにササンも胸を撫で下ろして笑顔になった。

「そうか、ありがとう。うーん、そうだな」

ササンは王子一行を見て、目で人数を確認した。全員合わせて十六人程だろうか。

「父上が……村長がお許しになれば君たちを泊めてあげられる場所はあるよ」

「本当か!?」

王子が飛びつく。

「許しがいるのか?」

「ああ。一応俺の村も厳しいところでね。それに今は……いや、なんでもない」

王子とラシャドがササンの言葉に首を傾げて目を合わせる。

「とりあえず村長に掛け合ってみるよ。せめて先程の詫びとして食事くらいは出せると思うし、着いてきてくれ」

言うが早いかササンは早速馬を引いて歩き出した。ロクサス達もついて行く。久々に暖かい食べ物にありつけそうだ。

「やっと硬い干し肉から解放される!」

王子は嬉しそうだ。ラシャドもちょっとだけ気持ちが軽い気がした。

ササンに案内されたのは小さなテントと建物の間のようなものが沢山建っている村だった。ササンによると『ゲル』と言うらしい。民族衣装のような物を着ている人が沢山いる。女性ばかりが多く見受けられるのは、男性陣は狩りと警備に出ているかららしかった。

「俺たちの村は狩猟と生地染めを生業にしているんだ。たまに街まで売りに行ったりもする。そうやって生計を立ててる」

ササンは一通り村を案内し、最後に村長の家だと言って一際大きなゲルを案内した。

「村長、お客人です。通して大丈夫と判断致しました。会って頂けますか?」

ササンが外から声をかけると、入れ、としわがれた声が返ってきた。

「失礼します」

ササンが扉の布を潜るようにロクサス達を促す。ロクサスもラシャドも少し屈んで入ると、薄暗い建物の奥に老人が床に座って居るのが分かった。

「貴方が村長さんか?」

切り出したのはロクサスだった。老人は立ち上がると、ロクサスとラシャドにゆっくりと近づいて顔を間近で観察してきた。やがて満足したのか、再び元の位置に戻ってどっかりと座った。

「いかにも。随分若い人が来たもんだ。この村に何の用だ?」

「彼らは一晩の宿を探しているらしいです。この二人の他に十四人が滞在を希望しています」

老人は自分の真っ白い髭を撫でながら呟いた。

「ちと、多いな」

「ですが使っていないゲルも有ります。一晩だけなら許して上げたいのですが……」

これに村長はうーんと唸り、そこで何か閃いた。

「では、条件を満たしたら、一晩面倒を見よう」

「条件?」

食いついたのはロクサスだ。これにササンは反対の意を示した。

「父上! 確かに彼らは界廊を通って来たようです。しかしあまりにも危険では!?」

「十六人も泊めるなら、食事だって沢山賄わねばならん。それくらいしてもらっても罰は当たらんじゃろ」

すっかり置いてけぼりの王子とラシャドだ。黒衣の剣士が問う。

「あの、話が見えないのですが」

ここでササンがやっと説明した。

「ああ、済まない。実は俺たちの神を祀っている祭壇に界廊から入ってきた魔物が住みついてしまったんだ。俺たちの村の住民は界廊には出たことがなくてね。大切な水晶も置きっぱなしになっているけど、魔物討伐は慣れてないから困っているんだよ」

ササンがさっきから言いにくそうにしていたのはこれのことらしい。ロクサスはポンと手を打った。

「つまり、そいつら魔物を倒せばここに泊めてくれるんだな?」

村長は嬉しそうに立ち上がって、ロクサスに近づいた。

「おお! 行ってくれるか!」

「ちょっと、父上!さすがに突然来た子供にそんなことさせられませんよ!しかもこの子は王子です!」

ロクサスが反論する。

「俺は子供じゃないぞ!」

「そう言ってるうちは子供だな」

ラシャドもツッコミを忘れない。

「どうじゃササン、この子らは行ってくれるようだぞ」

ササンは唸っている。余程心配してくれているのだろう。

「なら、俺も同行します。どの道案内役は必要ですし、仕方ありませんね」

やれやれと両手を広げたササンだった。


早速ササンが案内してくれたのは、村からほんの一ウェルティ西に行った山だった。山は森に包まれ、緑をより一層濃くしている。一応けもの道らしき物があるが、それ以外は道らしい物は見当たらなかった。

「ここからは馬で通れない。歩いて祠に向かう」

ササンの言う通りに森の入口の木に馬たちの手網を巻き付けて縛っておく。新たな魔物が来ても困るので、近衛兵たちの半分は同じように馬を森の入口に止め、残り半分は森の入口で見張りをさせておくことにした。

ロクサスは目をきらきらさせて森を見つめている。

「城の裏庭以外の森に入るの初めてだ!」

「そうなのかい?」

ロクサスは頷きながら返す。

「ああ! 本当は色んな森とかに行ってみたかったけど、何せ王宮が厳しくてさ、なかなか外に出して貰えなかったんだよ」

二人は歩きながら話を進めた。

「そうだったのか。でもなんで急に旅なんて始めたんだ? 国王も許してくれたのか? ……まさか家出じゃないよな?」

これにロクサスはぶんぶんと首を横に振った。ついでに蜘蛛の巣に引っかかった。

「違うよ!……俺の友達が攫われたんだ」

「友達?」

ロクサスは蜘蛛の巣を振り払いながら続ける。

「うん。今はフェアスに居ると思う。もうだいぶ日にちが経っちゃったから心配だけど、無事だとは思う」

ロクサスは下を向いてぎゅっと拳を握りしめた。

「そうか、それは大変だったね。フェアスは確かにこの辺りの世界だ。早く友達を助けられるといいね」

心配そうに言うササンに、ロクサスは頷いた。

これまで二人の会話を見守っていたラシャドがボソリと零した。

「友達ねぇ……」

「ん? 何か言ったか?」

「お前耳いいな。何でもない」

「ふうん」

だいぶ森の奥まで来たところで、水の流れる音がした。ササン曰く、近くに湧き水が出てるらしい。そこが祠になっているから、もうすぐ到着だという。

「そろそろ祠だ。今ではすっかり魔物の住処になってるから気をつけてくれ」

ササンは弓矢を用意し、ラシャドとロクサスも剣をいつでも引き抜けるよう構えた。魔物の気配を取り逃がさぬよう、じっと動かずに耳をそば立てる。兵士たちも槍を取り、皆臨戦態勢に入っている。すると草むらから何かの足音がした。

「そこか!」

ササンがすかさず矢を放った。耳を劈くような悲鳴が森に響きわたる。間髪入れずにロクサスが草むら目掛けて剣を横に一閃させると、やはり黒い身体に赤い目玉の魔物が現れた。今回は熊の形をしているが、小さい。こいつは親玉ではなさそうだ。

小さい熊の魔物は矢が刺さったまま祠の方へ逃げ出した。それを一行が追いかける。

やがて祠にたどり着くと、大きな熊の魔物がすやすやと眠っていた。

石造りの祠は洞窟のようになっていた。真四角い入口の上に更に石碑のような物が立っていて、苔がびっしりと張り付いている。それがかなりの年月を物語っていた。

「こいつが親玉か! 随分でかいな」

ロクサスは剣を構えて、二日前のトカゲの魔物を思い出していた。あれよりもさらに一回り大きい。多分自分一人では倒せない。ラシャドに目配せすると、ラシャドも同じ考えだったようでこくりと頷いた。界廊の道中の小さな魔物はロクサス一人で戦うようラシャドは指導していたが、今回は手を貸してくれるようだ。

そんなやり取りをしていると、先程矢を受けた小熊が走ってきて大きな熊を起こしてしまった。大きな熊の魔物は自分の縄張りに侵入者を見つけて立ち上がる。その姿は寝ている時よりもさらに大きく見えた。

「やべ、起きちまった!」

焦るロクサスをラシャドが制する。

「大丈夫、まだ距離がある。ササン、この距離なら弓矢で狙えるか?」

ササンは鼻を鳴らした。

「余裕」

するとラシャドは走り出し、大きな魔物に向かって行った。大きな魔物がラシャド目掛けて腕を振り下ろす。が、ラシャドはそれをするりと躱した。その隙にササンが魔物の右目を目掛けて矢を放つ。

「くらいな!」

ササンの矢はラシャドに気を取られていた大熊の右目に見事命中し、大熊は山の中全体に響くような声で叫んだ。

「すげえ声!」

ロクサスは耳を塞ぎたくなったが何とか堪え、自分もラシャド同様大熊に向かって走っていく。

「でやあ!!」

剣で大熊の足を切りつける。


ラシャドには道中教わった事がある。ロクサスの剣はラシャドとは正反対で、速さではなく力重視の剣だと。あまり速くは動けないが、敵に重い一撃を喰らわす事ができると。ロクサスはそれを思い出して渾身の一撃を大熊にお見舞いした。が、大熊の足はそう簡単に斬れなかった。まるで大木のような脚だ。剣は大熊の足の中程で止まってしまい、引き抜こうにも抜けなくなってしまった。

「何やってんだ馬鹿王子!すぐに剣から手を離して敵から離れろ!!」

ラシャドが叫ぶ。しかし、当の王子は何とか剣を引き抜こうと必死だ。

「大丈夫、何とかする!」

ロクサスが叫ぶと同時に、何とか大熊の足から剣が抜けた。

「よっしゃ! あと半分……!」

今度は先程の反対側から剣を振って足を切り落としてしまおうと思った王子だったが、次の瞬間、ふわっと身体が浮いた。──否、大熊に摘まれたのだ。

「へ? うわあああ!」

ラシャドは舌打ちした。少し大熊と距離を取って怒鳴る。

「だから言っただろうが!!」

ササンも撃っていた矢を止めた。これではロクサスに当たりかねない。

「くそ、これだと肝心の頭が狙えない!」

ロクサスは魔物の目の前で宙吊りにされている。何とかしようと剣を上下左右に振るうが、全てが空を斬るだけだった。しかし、突然何を思ったのかロクサスは剣を捨てた。

「!?」

これに驚いたのはラシャドとササンだけでは無い、魔物までもが彼の予想外の行動に呆気に取られた。次の瞬間、ロクサスは地面に降りたっていた。なんのことは無い。上着を掴まれていたのでベルトも上着も無理やり脱いでしまったのだ。

剣を拾い上げると、ロクサスは大熊に向かってニヤリと笑って見せた。

「さて、第二ラウンドといこうじゃないか」

ロクサスがちょいちょいと人差し指を動かして魔物を挑発する。挑発に乗った大熊の魔物はロクサス目掛けて拳を何度も振り下ろしてきたが、ロクサスは素早く避け、時にその拳に斬撃を喰らわせた。大熊がロクサスに夢中になっている間に後ろに回り込んだラシャドが祠に登り始める。気づかれないように慎重に登っていくラシャドを見て、ササンも作戦に気づいた。ササンは再び弓を引き大熊の注意をこちらに向ける。

「こっちも忘れてもらっちゃ困るな」

そう言って熊の頭目掛けて何本も矢を放った。

大熊は左前脚でロクサスを踏み潰そうとし、右前足でササンの矢を遮っていた。

そうだ。それでいい。

ササンがちらっと目配せすると、ラシャドは祠の一番上に立って頷いた。そしてそこから大熊の頭目掛けて剣を構えた。

「いけ!ラシャド!!」

ロクサスが大声を上げる。それと同時にラシャドは剣を一閃した。大熊の頭に大きな傷が入る。

大熊の動きが止まり傾くと、すぐに大きな音ともに倒れ、細かい粉のような物になって空中に消えていった。

王子が声を張り上げる。

「やった! 勝ったぞ!! 流石ラシャドだ!!」

ラシャドは祠からひらりと飛び降りてくると、王子の頭をわしゃわしゃと撫でた。

「よくやったな」

少し遠くから矢を放っていたササンの元へ戻る。ラシャドは祠に登って土埃だらけだし、走り回ったロクサスは汗だくだった。

ササンは二人の機転の早さにとても驚いたし、悩みの種であった魔物を本当に討伐してくれて感謝した。

ロクサスは魔物に摘まれた自分のジャケットとベルトを拾い上げ、土を払って身につけた。

残りの何匹かの小さな魔物も片付けると、祠の中心にある水晶を魔物討伐の証拠として持ち帰った。



村に祠の水晶を届けると、村長はまじまじと水晶を見て、本物に間違いないことを確認していた。

「父上、約束通り彼らを泊めてあげてください。彼らは祠を魔物の脅威から救ってくれた英雄です」

これに照れて王子は頭をかいている。

「ササン殿のおかげでもあります。ササン殿の弓の腕は素晴らしかった」

ラシャドがササンの功績もしっかりと伝える。

「うむ。そうか、そうか。ありがとう、旅の人。今夜はゆっくり泊まって行ってくれ」

「ありがとうございます!」

元気よく返事をしたロクサスだったが、実は疲れが限界だったらしく、村長のゲルを出た途端座り込んでしまった。

「あー、疲れたぁ。連戦だもんなぁ」

ラシャドがロクサスの肩に手を置く。

「そんなんでどうする。まだリアムは助けられてないんだぞ」

「うー……」

「いや、今日のは本当に疲れたよ。君たちも随分汚れた。川の水で身体を洗ってくるといい。すぐそこだよ」

そう言ってササンは自分の馬に括り付けていたタオルを二人に貸してくれた。礼を言って受け取るとラシャドはロクサスを引きずって川へ向かった。

川に着くとロクサスはさっきの疲れはどこへやら、いきなり川に飛び込んで服を脱ぎ始めた。

「ぷはー!気持ちいい!!生き返るー!」

「現金なヤツだな」

苦笑しながらもラシャドも川に入ると、顔や腕を水ですすいだ。

カトルートのこの地域は今は夏らしい。暑い季節に冷たい川の水は気持ちよかった。

ロクサスはついでに服も洗い、水を絞っている。皮のジャケットは借りたタオルで軽く拭いていた。

ラシャドが物珍しげに見ている。

「王子なのに随分物を大事に使うんだな?」

ちょっと皮肉を言ったのだか、この王子には通じなかった。王子は笑顔で答える。

「これ気に入ってるんだ、城下町で買ったんだけど馴染みがよくて動きやすい」

そうか、とラシャドは笑って短く答えた。

いつの間にか東の空から三日月が出ている。夜が近い。


二人が水浴びから戻ると、客人へのもてなしなのか、村の空き地の真ん中に沢山の食事が並んでいた。

うさぎの丸焼きに、川魚の炉端焼き。お酒まで出ているようだ。ロクサスは大喜びした。

「うわ、美味しそうだなー!」

ロクサスは酒を見て目を輝かせている。ラシャドが疑問をぶつけた。

「お前、酒飲むのか?」

「当たり前だろう、もう成人してるんだぜ?」

ふむ、とラシャドが顎に手を当てて考える。

「そうか、ルシタル王国ではたしか十七で成人だったな」

「ラシャドの所は違ったのか?」

「俺のところは二十で成人だ。それまで酒は飲めない」

「厳しいんだな」

「そうかな」

割って入ってきたのはササンである。手には二人分の酒が握られていた。

「悪いけど、この村でも成人は二十歳だよ。ロクサス君は幾つだっけ?」

ギクリとしたロクサスは嫌な予感がして鯖を読もうとしたが、それよりもラシャドの口の方が早かった。

「今年十九になったばかりだそうだ」

ササンはちょっと残念そうに手の中の酒を見た。

「そうか、ならロクサス君には悪いけどこのお酒は俺とラシャドの分だな」

「そんなあ!」

ロクサスの抗議も虚しく、本当に酒は一口も飲ませては貰えなかった。

「諦めろ、郷に入りては郷に従え、だ」

「うう……」

ガックリと肩を落とすロクサスにササンは料理を進めてくれた。

「ほら、うさぎの丸焼き。塩でシンプルに味付けしてあるだけだけど、美味しいよ」

「ありがとう……」

ロクサスはがっかりしていたが、料理を口にするとだいぶ機嫌が良くなったようだ。久々の暖かい料理に舌鼓をうっていると、村長のゲルの方から何か抗議の声が聞こえてきた。

「なんだ?」

気になったロクサスは近づいて、そっと中を覗いた。

「村長殿、話が違います!俺たちだって随分遠くから来たのに、もう用が無くなったなんてあんまりです!」

そこには後ろ姿からでも騎士と分かる格好の少年が立って村長に抗議していた。

「しかしねぇ、肝心の魔物はさっき旅人が倒してくれたんだよ」

村長はちょっと困っているようだ。ロクサスは心配になって中に入った。

「おお、君か」

村長はいい所に助けが来たと思い話を変えようとしたが、それは騎士によって遮られた。

「まだ話が終わってません。悪いけど出ていってください」

騎士はロクサスを睨みつけている。

見たところ騎士はまだ若干幼いように見えた。金髪の髪を肩まで伸ばし、右目は髪で隠しているが、恐らく左目と同じ赤色だろう。色白で綺麗な肌をしている。青色の服の上に紺色の鎧を付けて、紫のマントを羽織っていた。

「一体何で揉めてるんだ? 聞かせてくれないか?」

騎士の少年が答える。

「俺たちは世界カプサートの竜騎士団です。ここの人達に魔物討伐を頼まれて来たはいいんですけど、その肝心の魔物が倒されてもう用はないと言われたんです」

ロクサスはすぐに察した。本来この人が倒す筈の魔物を自分たちが倒してしまったのだ。

「報酬が貰えなければ帰る訳にも行きません。せめて本来の半分だけでも貰わないと割に合わない」

騎士は何とか食い下がっているが、村長からしたら何も働いてない者に金を支払う道理もない。

ロクサスは頭をかいた。

「魔物を倒したのは俺たちだ……なんか悪いことしたな」

これに少年騎士は驚いた。

「貴方が!? 見たところ庶民のようですが……騎士ではありませんよね?」

「あー、うん。騎士ではないな」

王子は言葉を濁した。王子だと知られたらまた何やかんや言われそうなのを感じ取ったのだ。

「しかし、本当に困りました。これでは団長に何と説明したらいいか分かりません……」

騎士の少年は本当に困っている様子だった。責任を感じたロクサスは、一つ提案してみる。

「それなら、代わりに俺たちに雇われてくれないか?」

「え?」

少年騎士は驚いた。

「何のために?」

「いや、俺たちが魔物倒しちまって仕事横取りしたのは悪かったし……一応界廊を渡る護衛として、どうだ?」

少年騎士は少し考えてから言った。

「では団長に相談してみて、それで許可が貰えたらそうします」

「よし。それなら早速その団長の所へ案内してくれ」

二人が村長の住居を出ると、そこにはラシャドとササンが立っていた。

「そいつ、雇うのか?」

話を聞いていたらしいラシャドがロクサスに聞く。

「ああ、こいつの上司に聞いてみてからだけどな」

そこでロクサスは思い出したように少年騎士に向き直る。

「俺はロクサス。お前は?」

「アレクです。アレク・シーウェンス。カプサートのアクロタリスという土地の従騎士です」

「アレクか。いい名前だな。こっちはラシャド。俺の剣の師匠だ。そっちはササン」

ラシャドが軽く一礼すると、少年もそれに倣った。

軽く自己紹介を済ませると、ロクサスとラシャドはササンも伴ってアレクについて行った。アレクの案内で村の外れに来ると、野営の準備が終わった騎士団の姿があった。竜騎士と言うだけあって、傍には沢山の飛竜たちの姿も見受けられる。

ロクサス達は建ち並ぶテントのひとつに案内されると中に通された。

中では一人の男が椅子に座って熱心に掌の中の何かを布で磨いていた。

「失礼します」

アレクが声をかけると、男はこちらを見て、また興味なさそうに元の自分の手元に目を戻してしまった。

「なんだ、アレク。客人か? 依頼の件はどうした」

アレクは困った様子で答える。

「それが、もうその依頼は無くなってしまったようで……代わりにこの方達が護衛として雇ってくれると言うのですが、どうなさいますか?」

そこで漸くこちらに興味を持ったのか、机の上に掌の中の物を置くとロクサス達と目を合わせた。ロクサスは値踏みされているような心地になって、何となく目を逸らせずにいると、男が口を開いた。

空色の髪を綺麗に切りそろえて、アレクとよく似た鎧を纏っている。目がアレクと同じ赤色なのは、やはり出身地が同じだからなのだろうか。

「却下」

「は?」

アレクが疑問の声を上げる。

「却下だ、却下。見るからに貧乏人じゃないか。金にならない仕事はしない」

アレクは困惑した様子だった。ロクサスも内心少しムッとして、口を出した。

「金ならあるぞ」

「どうせ端金だろう?そんなの要らないね」

そこまで聞いて、ロクサスは懐からコインを一枚出すと、指で弾いて男に投げて寄越した。

「前金。どうだ?」

男はコインを見て驚いた。金貨だった。

「本物か……!?」

「勿論。こう見えて王族なんでね」

男は再びロクサスを値踏みするように睨めつける。

「とてもそうは見えないが……」

無理もない。ロクサスは相変わらず麻の服に紺のジャケット、シンプルな下履きなのだ。しかし、一つだけ目立つものを付けていた。

「証拠はこれかな。これ、ルシタル王国の腕輪なんだ」

そう言ってロクサスは左手首の腕輪を見せるために男に近づいた。男は金の腕輪に確かに王国の紋章らしき物が押されている事、その技術が並々ならぬものであることを理解した。

「ふむ……随分いいものだな。なるほど、失礼した。私はフレッド・サラディア。カプサートのアクロタリス竜騎士団第七部隊長だ。君が王族で、金を払えると言うなら使ってくれても構わない」

なんとも癪に障る言い方だな、とラシャドは思ったが、当の王子は気にしていない様子だ。

「そうか! では頼む。あ、でも弱そうな魔物は俺に回してくれると助かる。修行中なんだ」

これにフレッドは納得したように言った。

「なるほど、君は王族とはいえあまり上の人間ではないんだな。修行中か。励みたまえ」

相変わらず上から目線のフレッドに、ラシャドは余程ロクサスがルシタル王国の第一王子だと伝えたかったが、ロクサスは開きかけたラシャドの口を左手で制した。ついでに目配せもされる。言わないでいて欲しいらしい。仕方なくラシャドは口を噤んだ。



フレッドと別れて再びアレクと村の村長のゲルに戻る道すがら、ラシャドはロクサスに問いただした。

「おい、いいのか? あいつお前のこと舐めてるぞ」

これに王子はきょとんとして答えた。

「え、ダメなのか?」

ラシャドはため息が出る。本当にこいつは王子なんだろうか。

「お前はルシタル王国の立派な第一王子だろうが、そんなんでどうする」

これを聞いていたアレクがびっくりした様子でロクサスを見た。ササンも少しばかり驚いている。

「ええ!? ロクサス殿は第一王子なんですか!?」

「あれ? 言ってなかったっけ」

「初耳ですよ!」

二人の会話を聞いていたラシャドはアレクに深く同情した。そりゃそうだよな。王子には見えないよな。

「これは失礼いたしました、ロクサス殿下。数々の無礼をお許しください」

少年は真っ青になっている。一方のロクサスはアレクの口調が多少変わったことに不服そうに言った。

「いや、別に気にしてないんだけど……それより、そんなに畏まらないでくれないか? 俺は普通に話したい」

これにアレク少年はぶんぶんと首を振って否定を示した。

「そんな訳にはまいりません! 俺たちは一介の騎士に過ぎません。貴方のような高貴なお方と本来なら口も聞けないというのに!」

アレクはあくまでしっかりとした敬語を崩すまいとしている。

ササンがのんびりとした口調で口を出した。

「まぁアレクくんがそうしたいんならいいんじゃない? 無理に敬語崩すのもしんどいだろうし」

「そうか……そうだな」

意外な所からの助け舟にアレクは安心している。

「ササン殿、ありがとうございます」

そうして村長のゲルに着くと、ロクサスが事情を説明した。

「村長、この人たちは俺が雇う事になった。安心してくれ」

「そうか、それは助かった」

なんだかんだでこの村長に上手く使われた気がするラシャドだったが、それは黙っておくことにした。

「もう夜も更けてきた。ササンに案内させるから、今日はゆっくり休んで行きなさい」

これを聞いたロクサスはニカッと笑って、素直に礼を言った。

「ありがとな、村長!」

村長のゲルを出てササンに案内されたゲルは他より少し大きかった。倉庫用らしい。

「ここだ。好きに使ってくれ。一応泊まれるよう一通りの道具は揃えたが、何か足りないものがあったら向かいの俺の住んでるゲルに来てくれ」

ササンが説明してから自分のゲルに帰ろうとすると、後ろからロクサスのありがとな!という声が聞こえてきた。振り返った時にはもう兵士たちに向き合っていてこちらには背を見せていたけど、声の調子からもその顔は笑顔だったと確信できた。随分面白い王子も居るなと思ったササンは、ある決意を固めた。

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