第22話 「死神さんにもよろしくね!」


「う、ううん……?」



 西園寺は、マンションにある自分の部屋で目を覚ました。

 全身が重く気だるい。まるで自分の身体ではないみたいだと、ぼんやりとする頭でそんなことを思う。


 けれども、数拍後。意識を失う直前の出来事を思い返して、彼女の頭は一気に覚醒を果たした。



「そ、そうだ! お姉ちゃんは!?」



 弾かれたように上体を起こすと、不意に目の前が真っ暗になるような錯覚に陥る。一度目を伏せて小さく頭を振ってから、軽く辺りを見回した。

 だが、そこは紛れもなく自分の部屋。ベッドはひとつしかない。姉の絵梨の姿は見えなかった。



「彩? 起きたの?」

「お、お母さん! わ、私、どうしたの!? なんで寝てたの!?」

「はあぁ? なんでって、お母さんが夜勤の時はいつも先に寝てるでしょ? ……あんた、大丈夫?」

「(そ、そうじゃない。私、どうして……あの後の記憶がない……)」



 昨夜は、絵梨と一緒に廃屋にいたはずだ。ボイスレコーダーを持って行くようにトートに言われて、それでもどうしても心配で付いていったのである。

 婚約者の男はあろうことか既婚者で、絵梨は完全に騙されていた。帰ろうとしたところをお金を奪われて、それまでの音声を録音していた彼女に男が逆上して――――……



「あ、ちょっと! 彩!?」



 そこまで思い出して、西園寺は思わず駆け出した。

 玄関から飛び出し、まっすぐに向かったのは――既に通い慣れた死神宅。

 絵梨にボイスレコーダーを持たせるよう言ったのは彼だ、きっとあの死神ならば絵梨の安否も、あの後どうなったかも知っているはず。



「死神さん! 死神さんッ!」



 トートとトイフェルがいるだろう部屋の前まで行き着くと、西園寺は軽く拳を作った両手を振り上げて目の前の扉をドンドンと叩いた。通常ならば隣人がいるマンションでは、絶対にできない近所迷惑な行為だ。

 しかし、ここは本来存在しないはずの通常とは異なる空間の階層。どれだけ騒ごうが、その声や音が洩れ聞こえることはない。


 しばらく叩いていると、ほんの僅かに扉が開いた。続いて扉の下方からひょこりとトイフェルが顔を覗かせる。



「おや、おはようございます」

「トイフェルちゃん! し、死神さんは!?」

「……トートなら、書斎でいつものように頭を抱えておりますよ」



 トイフェルの姿を見て、西園寺の軽いパニックもじわりじわりと落ち着いてきたようだ。そこでようやく片手で胸元を撫でて、深く項垂れた。それと共に彼女の口からは安堵と思われる細長い吐息が洩れる。

 トイフェルは、暫しそんな彼女の様子を静観してから口を開いた。



「絵梨さんのことですね? まだお休みになられているようですよ」

「えっ……ここに、お姉ちゃんがいるんですか……?」

「いいえ。あの後、ご自宅にお送りしました。失礼ながら、先ほど遠見の術を使って絵梨さんのご様子を窺ったのですが、まだお眠りでしたので」

「あ……そう、なんだ……」



 なんとなくホッとしたような彼女の様子に、トイフェルの金色の瞳が微かに光る。西園寺がそれに気付くことはなかったが。

 トイフェルは一度ちらりと室内を振り返ったが、すぐに彼女に向き直ると常の淡々とした口調で改めて言葉を続ける。



「男に関する記憶は消しておりませんので、絵梨さんのお傍にいてあげてください。取られたお金もテーブルの上に置かせて頂きましたから、あれを見ると余計に昨夜のことを思い出すでしょう」

「は、はい。でも、あの……あれからどうしたんですか?」

「トートが、あなた方には見せない方がよいと判断したので、わたくしがお二人を眠らせたのです。……何があったかお伝えすれば、トートの心遣いを無下にしてしまいます」

「……わかりました」



 トイフェルはハッキリと「殺した」と口にしないが、西園寺はなんとなく理解していた。


 笹川功ささがわいさおのこと、有栖川奏恵ありすがわかなえのこと――それらを考えると、絵梨の婚約者と言っていたあの詐欺師は既に始末された後なのだ。

 トートやトイフェルにとっては、生きている者を殺すことは本当にただのなのだと今更ながらに理解して、少しだけ恐ろしくなった。



「(でも……)」



 西園寺はぺこりと頭を下げて一礼した後、早々に踵を返して来た道を戻り始める。

 けれども、その道の途中で改めて身体ごと振り返るとハッキリと告げた。



「助けてくれてありがとう、トイフェルちゃん! 死神さんにもよろしくね!」



 彼らがいてくれたお陰で自分は助かったのだと、そう思う。

 もしも彼らがいなければ、最悪の場合は殺されて、良くてもあの男や仲間たちに暴行されていたことだろう。



「(それに……目標の命を奪うことだけが仕事なら、私たちが何を見てもどうでもいいはずなのに。でも、死神さんはそうしなかった)」



 ぎゅ、と胸の真ん中辺りが締め付けられるような鈍痛を覚えて、西園寺は固く唇を引き結ぶ。そうして今度こそ、絵梨の元へ向かうべく来た道を駆けて戻っていった。


 トイフェルは暫し、何を見るでもなく彼女が去って行った方を眺めていたが、程なくして小さく溜息をひとつ。気が重い、そう言いたげに。



「(……だから人間に余計な気遣いは無用なのです、トート。それは確実にあなたを苦しめるから)」



 トイフェルは玄関から外へ抜け出ると、後ろ足で静かに扉を閉めた。閉ざされた窓枠にぴょんと飛び乗り、地上を見下ろす。

 考えるのは、昨夜の須藤充すどうみつるとその妻のことだ。


 須藤充はあの通り、トートが確かに冥界へと送った。――と言うより、地獄から迎えが来た。

 だが、トートは須藤の妻の命までは取らなかった。あの後、彼女と共にいた仲間は全て逃げ出したが、絵梨が録音した音声を使って捜索が行われることだろう。

 無論、詐欺に加担した罪で妻も無罪とはいかない。けれども、彼女を一番苦しめるのは罪ではないはずだ。



『……あの女、殺さないのですか?』

『妻は閻魔のリストには入っていない。彼女は今後、他者の命を脅かすような行いはしない――いや、できないだろう』



 トートのその言葉を思い返して、トイフェルは両目を輝かせる。

 すると目の前の空間がぼんやりと歪み始め、ひとつの映像を映し出した。離れた場所の映像を映し出す、遠見の術だ。


 映し出された映像――日付は今から一週間後。ちょうど、その日に目を覚ましたものと思われる須藤の妻の姿だった。



『――ごろじでッ! ごろじでよおおぉ! ごんな、ごんな顔ならもうごろじでええぇ!!』



 顔面から思い切り地面に激突した妻は、首を骨折した。

 それだけではなく、頭蓋骨が砕け、顔の左半分は元々の美貌の原型も留めないほどにメチャクチャになってしまったのだ。包帯を取った己の顔を見て、妻は気が狂ったかのように叫んでいた。

 それだけではない、脊髄を損傷したらしく身体の自由も利かないようだった。


 美しい顔を失い、夫に先立たれ、身体は動かず自分では何もすることができなくなってしまったのだ。

 傍に付き添う肉親たちは、彼女の顔を直視できずに早々に病室を去っていく。


 人を騙し、甘い汁を吸い続けてきた女の末路はあまりにも残酷。

 だが、これまでの行いで命を絶った者がいることを考えると――トイフェルの中には同情など微塵も生まれてはこなかった。


 彼女の地獄は、まだまだこれからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る