04.名前をもらえなかった少年の魂

第23話 「お前が餌付けされるから余計に来るんだろう」


「なんでよ! どうしてぇ!? なんであたしが!?」

「……」

「ガキなんて邪魔なのよ! 役にも立たないくせに面倒ばっかり起こして! あんなもの、あたしの人生を邪魔する障害物でしかないんだから!!」

「……」

「ゴムさえ付けさせなけりゃ、男はみんなあたしを大事にしてくれるのよ! あたしはガキなんかいらない! 男よ、男がほしいのよおぉ!!」



 その日、トートは閻魔のリストにある女の魂を冥界へと送った。

 女の名は、須田理加子すだりかこ。冥界で定められている中で特に重いとされる罪を犯し続けた女だ。


 ――幼児虐待。


 子供は幼ければ幼いだけ、多くの未来を持っている。

 冥界にとっては、その未来ある幼い命を無情にも他者が刈り取ることを決して善しとしていない。それが例え「親」であったとしても。


 この須田理加子は、十六歳で当時付き合っていた男の子供を妊娠。

 高校卒業と共に結婚までこぎ着けたものの、半年も経たないうちに男が浮気を繰り返していたことで喧嘩の絶えない夫婦となった。

 理加子が臨月を迎えた頃に男は「仕事に行く」と出て行ったまま帰らなくなり、蒸発したのだ。


 そんな中、理加子はひとりの元気な男の子を出産した。

 しかし、出生届すら出そうとしなかった理加子は、退院と同時に虐待を始める。理由は、旦那に似てたから。


 生後間もない赤子は、すぐに息を引き取った。

 死因は、泣き止まないことに腹を立てた際に頭部を思い切り叩いたことだった。



 その後、理加子は十九歳の時に、働いていたキャバクラにやってきた八歳年上の男性と親しくなり、同棲。妊娠を機に婚約したが、疑り深い理加子が彼の浮気を疑い、GPSを使い四六時中彼の監視を始めたことが原因で結婚には至らなかった。

 そして、再び出産するも結果は同じ。



 現在、理加子は三十九歳になっていた。

 それまでに何度も同じことを繰り返した結果、閻魔の逆鱗に触れたのだ。



「……お前の罪はそれだけではない。衝動的な犯行ではなく、あくまでも計画的だったこと。捕まらぬよう悪知恵を働かせ、遺体を無残にも焼き捨ててきたことだ」



 既に冥界へ送られた理加子にその言葉が届くことはなかったが、トートは脇に下ろした拳を指先が白くなるほど固く握り締めた。

 いつものように肩に乗るトイフェルは、そんな主人を心配そうな面持ちで見守る。


 ――理加子は、幼児の遺体を遺棄したとして警察に捕まらぬよう必死だった。黒いビニールに入れた赤子の遺体を深夜に持ち出し、人気のない山奥にあるキャンプ跡地で焼くのだ。燃え残った部分は、ハンマーで粉砕して灰にした。

 灰をできるだけかき集め川に流した後、理加子は早々に住んでいたアパートやマンションを引き払って別の場所に住み着く。


 トートが許せなかったのは、赤子を殺しておきながら捕まらぬようにと必死に逃げ回り、同様の行いを繰り返してきたことに他ならなかった。



 * * *



「トート、お身体は大丈夫ですか?」

「……」

「……彩さんは良い子ですが、彼女にはもう関わらないようにしてください。彼女はあなたに、人間の男性に抱くような感情を持ちつつあります」



 拠点とするマンションへ戻ったトートは、書斎でいつものように書類とにらめっこしていた。

 そこへ、常とは異なりやや心配そうな面持ちの相棒猫トイフェルがひょこりと顔を出す。だが、今日はいつものような戯れは交わされない。この相棒猫は、文字通り主人の心配をしているのだ。



「彩さんの持つ好意が、トートを人間界に結び付けようとしています。須田理加子のような低俗な魂を処理したくらいで、本来ならそれほどお疲れになるはずがございません。トートのお力が明らかに弱まっています」

「……関わっているつもりはないのだが。お前が餌付けされるから余計に来るんだろう」

「わたくしは与えられるものをただ食しているだけで――そうではなくて、わたくしが言いたいのはですね……必要以上に彼女に優しくするな、ということです」



 トイフェルとて理解しているのだ。トートが、好かれようとして西園寺と絵梨に死体を見せなかったわけではないのだと。


 人間はあまりにもショッキングな体験をすると、それがトラウマとなって心に深く植え付けられてしまう。

 トラウマの根が深ければ深いほど、命を絶って楽になりたいと思う者も存在する。ましてや絵梨は、信じていた男に裏切られたばかりなのだから。

 そんな事態を避けるために、トートはトイフェルに「眠らせろ」と言ったのだ。



「(このままではトートのお力が弱まっていくばかり……三ヵ月の期限までもう少しだが、もし万が一クセのある魂に出会ったら……)」



 口には出さなかったが、普段よりも幾分顔色の悪い主人を見つめて、トイフェルは心配そうに尾を垂らした。

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