第21話 「俺ってそんなに怖く見えちゃうのかなぁ~?」
「うふふっ、いくら入ってるんだろぉ? あ~開けるのが楽しみぃ!」
「いつもみたいに俺たちにも頼むぜぇ」
「わかってるって! アンタたちにも分け前はくれてやるから、次も頼むよぉ!」
須藤の妻は両腕でしっかりと鞄を抱き、男たちと共に三階にある裏口へと向かっていた。鉄製の階段や通路が彼女のハイヒールに踏まれて、カンカンと頻りに高い音を立てる。
あと少しで裏口。ここを出たら手筈通りに車に乗り込んで、須藤が戻って来るのを待つだけ。そして夫を乗せた後はいつものように家に帰って、楽しい祝勝会。想像すればするほど、女の顔には悦が広がっていく。
しかし、今日は――今日ばかりは彼女の思っていた通りにはならなかった。
「……え……?」
あと数歩で裏口に辿り着く。
そう思った時、不意に身体が動かなくなったのだ。まるで錘でも付けられたかのように両足が重くなって一歩も踏み出せず、鞄を抱く腕を離すことさえできない。
それどころか――指先ひとつ、自分の意思では動かせなかった。
そんな彼女を不思議に思った男たちは、怪訝そうな様子で女を振り返る。
「姐さん、どうした?」
「さ、さあ……? ど、どうしたのかしら、身体が……動か、な……ッ!?」
女がそこまで言った次の瞬間――彼女の身体は重力に逆らい、勢いよく浮かび上がったのだ。
彼らの目に見えてはいないが、すぐ傍には一連のやり取りを静観していたトートとトイフェルがいる。宙吊りの形になり、抜き抜け空間の一番上まで引っ張り上げられた彼女は、真下に見える遠い床を見て軽い眩暈を起こしていた。
もしも、このまま落ちたら――五階ほどの高さから一気に吹き抜け空間を落ちて、一階の床に顔面から叩きつけられる。その想像が嫌でも頭の中を駆け巡った。
「な……なによッ、なんなの!? どこの誰よ、このアタシにこんなことしてタダで済むと思ってるわけ!? 姿を見せなさいよ、卑怯者!!」
ぎゃんぎゃんと喚き散らす女を見上げて、男たちは何が起きているのかさっぱり理解できず狼狽えるばかり。そんな様を後目に、トイフェルは己の主人を見上げた。
「トート、どうなさるのです?」
「トイフェル、下の二人を眠らせろ」
「はい?」
「死体など間近で見る必要はない、彼女たちには酷だ」
「かしこまりました」
トートから指示を受けたトイフェルは、ひとつ了承の返事を返すとぴょいんと手すりに跳び乗る。ふさふさの尾を揺らしながら双眸を金色に輝かせると、一階へと視線を落とした。
* * *
「ふざけたモン持ち込みやがって! くたばれ絵梨イイィッ!」
「お姉ちゃん!!」
須藤が振るった酒瓶は彼女たちの真後ろにあった壁を直撃し、辺りに瓶の破片が飛び散る。もしも直撃していたら、今の一撃で絵梨は殺されていたかもしれない。そう思うと、西園寺は今更ながら怖くなってきた。
そして自分をしっかりと抱え込んだまま、当の絵梨本人が不意にかくんと頭を垂れてくるのだから余計にだ。
「お、お姉ちゃん! お姉ちゃん!?」
「ぎゃははは! あまりの恐ろしさに失神しましたぁ、ってか? バカめ、お前の可愛い妹ちゃんはあとで仲間と可愛がっといてやるよ!」
避けたように見えたが、当たってしまったのだろうか。西園寺の胸には言いようのない、複雑に絡み合う感情が渦を巻いた。
怖いのか、腹立たしいのか、それとも悲しいのか。彼女にもよくわかっていない複雑な感情だ。
だが、その刹那――不意に全身から力が抜けるのを感じた。それと同時に急激な睡魔が訪れる。
「なんで、どうして」そんなことを思う暇もなく、西園寺の意識は夢の中へと引きずり込まれた。
「おやおやぁ? 姉妹揃って情けないねぇ、俺ってそんなに怖く見えちゃうのかなぁ~?」
続いて、西園寺も不意にかくんと頭を垂れて意識を失ってしまうものだから、須藤の機嫌はこれでもかと言うほどに上昇していく。二人とも、自分が怖くて気絶したと思ったのである。
取り敢えず、まずはボイスレコーダーを始末しよう。須藤がそう思って絵梨に近付こうとしたのだが――それは、頭上から聞こえてきた絶叫によって阻まれた。
「――ぎいぃいやあああああああぁッ!!!!」
「ああ!?」
何事かと須藤は咄嗟に頭上を見上げたが、その時には既に遅かった。
最後に彼の目に飛び込んできたのは――綺麗に化粧を施した顔面を恐怖一色に染め上げた妻の顔。妻が、須藤の真上から真っ逆さまに落ちてきたのだ。
* * *
「……!? こ、ここはどこだ? 金は、俺の金は?」
須藤が目を覚ましたのは、それからほんの五分後のこと。
もっとも、その身は既に肉体から離された後だが。
勢いよく上体を起こした須藤は慌てたように辺りを見回す。絵梨から奪った金とボイスレコーダーはどこだろう。考えているのはそんなことばかり。
トートとトイフェルはそんな須藤の真後ろに立ち、無表情で見つめる。目を覚まして最初に心配するのが金のこととは、かなりの金の亡者だ。
「ふ……よかったじゃないか、そこまで好きな金に殺してもらえて」
「な……!? 誰だ、テメェは! 今なんて言った!?」
「お前は大好きな金に――札束に殺してもらえたんだ、光栄だろう」
「な、なんだと!?」
須藤は勢いよくトートを振り返り、物凄い剣幕で近付いてくる。だが、その足元に目を不気味に輝かせるトイフェルの姿を認めると、必要以上に接近してはこなかった。あれほど威張り散らしていたと言うのに、根は案外小心者のようだ。
須藤がやや蒼褪めながら辺りを見回すと、彼の視界には――思わず目を背けたくなるほどの惨状が広がっていた。
先ほどまで自分が立っていたと思われる場所には血だまりが出来上がり、中心に倒れているのは――紛れもない自分。そして妻だ。
辺りには、鞄の中から飛び出たと思われる札束が無造作に転がっていた。
須藤が恐る恐る近寄り、その顔を確認する。そんなはずはない、自分はここにいるんだ。これはきっと別人だ――そんなことを願いながら。
「う……うわあああああぁッ! ウソだ、ウソだろおおぉ!?」
けれども、その願いは届かなかった。
血だまりの中に倒れていた男は、他の誰でもない――須藤充本人だったのだ。
頭上から迫りくる妻を見上げたことで顔面に衝撃を受け、首が背中側に曲がるように折れていた。両目は白目を剥き、鼻からは血が出ている。
そして妻は――まだ生きていた。
衝撃であちらこちらの骨は複雑骨折をしたらしく、皮膚を突き破って骨が飛び出ている部分もあったが、彼女はぴくぴくと身を痙攣させながら必死に助けを求めていた。辺りに散らばる札束に震える手を伸ばしながらか細い声で「助けて、助けて」と呟いている。
妻のそんな様を見て、須藤は憤慨した。
「こ、この野郎ッ! 今まであんなにいい暮らしさせてやったってのに、俺よりも金の心配かぁ!?」
つい今し方、須藤も目を覚ました直後に心配したのはまず金のことだったのだが――どうやら自分では気付いていないようだ。似たもの夫婦、その言葉がピッタリだとトイフェルは呆れたように猫目を細める。
須藤は、頭上から降ってきた妻が持つ鞄――つまり札束の山に殺されたのだ。
一枚一枚は薄い紙でも、それが複数の束になれば重量は増すもの。一億は米十キロに相当するとも言う。
絵梨が持ってきた金は一億も入ってはいないが、須藤の妻は五階ほどの高さから落ちたのだ。重力加速度がプラスされたことで、その衝撃は計り知れない。
「……で? テメェらはなんだ、死神かなにかか?」
「ほほう、随分と察しのよい方ですこと」
「へっ、俺は自分がマトモな死に方するとは思ってなかったからな。けどなぁ、俺は後悔なんかしちゃいないぜ、罪悪感なんてクソみてぇなモンも持ち合わせちゃいねぇ」
ひと通り妻に憤慨してみせた後、須藤は肩越しにトートとトイフェルを振り返る。どうやら、状況はなんとなく理解しているようだ。
とは言っても、自分が死んだことくらいしか分かってはいないだろうが。そうして、さも当然の事のように饒舌に語り始める。
「俺は自分の欲望に正直に生きただけだ! 悪いのは俺じゃねぇ、騙される方が悪いんだよ!」
「……」
「俺は金が好きだ、金がありゃなんでも欲しいものが手に入るからなぁ! その金を手に入れるためならなんだってやる、それの何が悪い? それが悪いなんてどこのどいつが決めた? 俺は金が欲しいから自分にできることをやったってだけだ! 騙されただぁ? ブス共が偉そうに被害者面してんじゃねぇってんだ!!」
口を挟む暇さえないほど矢継ぎ早に語る須藤を、トートは黙したまま冷ややかな双眸で見据える。
死神である彼には、金の価値はよく分からない。むしろどうでもいい。
トートにとっては、須藤が女性たちから金を騙し取ったということは、さしたる問題ではない。その行いによって自ら命を絶ってしまう者がいた――それが何よりも重要な問題なのだ。
反論などできまい、とでも言うように太々しい様相でトートの反応を待つ須藤がひどく滑稽に見えた。
「それを俺に言っても仕方あるまい、どうせなら本人たちに向けて訴えろ。その結果がどうなるかは……俺の知ったことではないがな」
「ああ?」
須藤は、トートの言葉の意味が分かっていないようだった。
だが、次の瞬間には理解することとなる。
なぜなら、彼の足元から見覚えのある女性たちが次々に顔を出してきたからだ。一人は須藤の足を掴み、また別の一人は彼の腰を両腕でしっかりと捕まえる。
そして、トートにとっても見覚えのある女性が一人、ふわりと須藤の前にゆっくりと浮かび上がってきた。彼女たちの姿を見て、須藤は思わず上擦った声を洩らす。
「ひ、ひぃッ! お、お前らは!」
「アンタ……イイ度胸してるじゃないの……」
「女を怒らせるとどうなるか……徹底的に教えてやるわ」
それは、これまで須藤が騙してきた女性たちの霊だ。彼女たちはしっかりと須藤の足と腰を掴んだまま、ずぶずぶと地面に埋もれていく。必死に両手を上下にバタバタと動かしてもがいても、逃れることはできなかった。
「だ、だずげ……ぎゃあああああぁ!!」
完全に地面の中へと引きずり込まれる直前に須藤の口から洩れた悲鳴は、まさに断末魔の叫び。聞いている方が恐ろしくなるほどの悲鳴だった。
助けを求めるように、最後の最後まで上へ上へと伸ばされていた片手が消えた頃にトートはそっと小さく溜息を洩らす。すると、残された一人の霊が静かに彼を振り返った。
先日は憎悪に満ちていたはずのその顔はとても晴れやかで、とても美しい。まだ若い、未来のある女性だったのだ。
「死神さん……ありがとう」
「……」
彼女はそれだけを微笑んで告げると、空気に溶けるようにふわりと消えていく。
その場に残されたトートとトイフェルは、暫しその後を黙って見つめていた。
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